26.報いを受ける(Ostrich club2)
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目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。
身体のあちこちが痛く、ぎしぎしときしんでいる。
身を起こそうとして、両腕が縛られている事に気づく。それと同時に、気を失う直前の出来事を思い出した。
「あの、無能……」
ぎりっと歯を噛みしめて、ジャクリーンは忌々しげに吐き捨てた。
魔力で拘束を解こうと思ったが、うまくいかない。どうやら魔力封じの術を組み込んであるらしい。ちっと舌打ちし、まあいいわと考える。
どうやら自分の命を奪う気はないらしい。
おそらく、エリーが懇願したのだろう。あの愚図にしては上出来だ。それとも別の理由があるのか。
自分ほど美しく才能豊かな人間なら、殺すのはもったいない。普通の男ならそう思うはずだ。もしかすると、あの美貌の青年の判断かもしれない。
(どっちにしても、ラッキーだったわ)
殺されないのであれば、やりようはいくらでもある。
それにしても、どれだけきつく縛ったのか。無理に魔力を使ったせいか、妙に体がだるい。
「おや、目を覚ましたんですか」
扉が開いたのはその時だった。
「思ったよりも長かったですね。今日は目覚めないんじゃないかと思ってましたよ」
「あんた……誰よ?」
立っていたのは、明るい茶色の髪をした青年だった。やや軽薄そうだが、人のよさそうな笑みを浮かべている。彼はサイラスと名乗り、恭しく礼をした。
先ほど見た美形の男には遠く及ばないが、この程度なら手玉にとれる。
一瞬でそう判断すると、ジャクリーンは急に弱々しい表情になった。
「ねえ、これ、外してくれない? 痛いのよ」
「申し訳ありませんが、それはできないんですよ。閣下のご命令です」
「もう逆らわないわよ。どうせ逃げられないんだろうし」
「そう言われましてもね……。お気の毒だとは思うんですが」
「じゃあ、せめて少しだけゆるめてくれない? 外れない程度で構わないから」
「ですが……」
「お願いよ、どうか」
うるうるした目で見つめると、彼は仕方ないという顔になる。
「……ほんとに逃げませんか?」
「約束するわ」
「ちょっとだけですよ」
しおらしく頷きながら、ジャクリーンは内心で舌を出した。
(やったわ)
彼は知らないのかもしれないが、魔力封じの術は、拘束がゆるんだ時点で綻びが生じる。その隙をついて解除すれば一発だ。そうなればもう、ジャクリーンを縛るものはない。
まずはこの男を叩きのめし、人質として使おう。そしてエリーを連れ戻し、今度こそ死ぬまでこき使ってやる。
そうだ、奴隷にすればいい。確か隷属の術があったはずだ。二度と自分に逆らわないよう、魂に刻み込んでやる。
(そうだわ)
いっその事、この男も奴隷にしてしまおうか。
よく見れば悪くない顔をしているし、逃げ出す際にも人手がいる。手に入れておいて損はない。
その後で、ゆっくりエリーを奴隷にしてやる。
「そういえば、ご存じですか?」
そんな内心など知らず、青年がのんびりと話しかける。
「今のあなたは、エリーとつながっている状態だそうですよ。ですから、無茶はしない方がいい。エリーの体に負担がかかるとまずいですから」
「エリーとつながってる? どういうこと?」
「一時的とはいえ、古代魔導具を共有した弊害だそうです。魔力の使えない今のあなたなら問題ないでしょうが、エリーも今、魔力が使えない状態なんですよ」
「なんですって?」
「ですから、本当に無理しないでください。閣下もあなたの命までは取らないと言っていましたし」
青年の言葉を、ジャクリーンは半分も聞いていなかった。
(チャンスだわ)
片方が魔力を使えないなら、相手はジャクリーンの言いなりだ。魔力を吸い尽くされたエリーと違い、ジャクリーンの魔力は回復している。これを使わない手はない。
それこそ、魂に呪文を刻む事もできる。そうなればこちらのものだ。一生奴隷にして、使い潰してやる。
手首の拘束がわずかにゆるむと、ジャクリーンは勢いよく立ち上がった。
「あっ、何を――!?」
「助かったわ、間抜けな部下さん!」
指先に魔力が宿るのが分かる。それをつながった先のエリーに叩きつけようとして――……。
「ふぎゃああああっ!!」
ジャクリーンの全身に激痛が走った。
「痛い、痛いっ! 何よこれ!?」
「――あーあ、だから言ったのに」
弾かれたように目を向けると、青年がやれやれといった顔をしていた。
その口元には笑みがある。相変わらず、人のよさそうな顔立ちだ。
だが今、なぜかその表情にゾクリとした。
「あなたがエリーに手を出すか、最後の賭けだったんですよ。エリーに何もしなければ、無事でいられたんですけどね。まあ、想定の範囲内ですよねぇ」
「あたしに何したのよ、あんた!?」
「俺は何もしてませんよ」
したのはあなたです、と指を向ける。正確に言えば、ジャクリーンの心臓の部分に。
「うちの閣下、見かけによらず魔導具の扱いに長けてましてね。色々細工したんです。エリーの指輪に《反射》を仕込んだ時、ちょっとしたおまけも組み込んだようで」
「だから、一体なんなの!?」
「ですから、おまけです。あくまでも副産物だったんですけどね。大いに役立ってくれたようで」
「何をしたか言いなさいよ、この無能!」
「おお怖い。――ですからね、『俺は』何もしてないんですよ」
もちろん、閣下本人もだ。
そこで言葉を切り、彼は明るい声で告げた。
「したのは《反射》です。それだけですよ」
「反射……って……」
「あなたがエリーを攻撃した時、跳ね返されたでしょう? あの時に、同じ術をあなたの体に刻むよう仕込んだんですよ」
エリーが魔力を使えないと知った時、ジャクリーンがどう出るか。
反省して何もしなければよし、後悔して改心すれば術が解ける。
エリーを心配し、治癒魔法をかけたいと言うのであれば、最初から拘束をゆるめるつもりだった。どのみち、エリーを傷つける事はできない。
だが、反省したふりで油断させ、他者を傷つけようとするのであれば――相手に仕掛けた魔法が、自分の身に返ってくる。
「あなたはどんな魔法をかけたんです? 攻撃ですか、それとも呪い? まさかとは思いますが、隷属なんて最悪ですよ。魂に刻まれた魔法は、死ぬまで消すことができない」
「なっ……!?」
「対象者には絶対服従、害意を抱いただけで発動する。普通の人間なら気が狂うんじゃないですか? まあ、そんな物騒な魔法を身内にかけるはずがありませんから、大丈夫だとは思いますけど」
「あ、あたし……そんな……」
「それにね、あなたの魂に刻まれた魔法は、もうひとつの効果もあるんです」
「え……?」
「あなたを拘束していた縄、何の仕掛けもないんですよ。あなたは魔力封じだと思っていたみたいですけど」
「何の仕掛けもない……ですって?」
そんなはずはない。
だって、魔力は確かに発動しなかった。ちゃんと確かめたから間違いない。
自分の体には魔力がある。それなら魔法は使えるはずだ。
体内に揺らめく魔力を確認し、大丈夫だと安心する。
「お疑いなら試してみます? とは言っても、攻撃魔法は勘弁ですけど」
「このっ……!」
余裕たっぷりに言われ、ジャクリーンはブチ切れた。
ひそかに魔力を高め、指先に集中する。
こうなったら、泣きわめいても許してやるものか。全身ぼろぼろになるまで痛めつけてやる。這いつくばって許しを請うまで許さない。こんな――馬鹿にして!
彼の手をつかみ、一気に魔力を流し込む。だが――。
「うぎゃああああああっ!?」
今度も悲鳴を上げたのはジャクリーンだった。
「痛い、痛い痛い痛いっ! なんなのこれ、なんなのよっ!?」
「あなた、学習能力がないって言われません?」
呆れたような声とともに、ふう、とわざとらしい嘆息があった。
「攻撃魔法をやめろと言われて、攻撃魔法を選択する人がいますか? どう考えても罠でしょう」
「痛いっ、痛いいぃっ!」
「それ、今まであなたがエリーにしていたことですから。自分の魔力を自分で味わうのって、新鮮でしょう? いやぁ、うらやましいなぁ」
絶対にそう思っていない口調で、のほほんと告げる。
「なんで……こんな……っ」
「あなたの体に刻まれた《反射》の効果です。誰かに攻撃魔法をかけようとすると、自分に反射しちゃうみたいですね。いやぁ、よくできてますねぇ」
「なっ、そんな……っ」
「もう二度と、あなたは誰かを傷つけることはできません。魂に刻まれた魔法が消えない限りね。でも、その触媒は古代魔導具だ。この意味、お分かりですよね?」
それはつまり、解除はほぼ不可能という事だ。
たとえ同じレベルの古代魔導具を用意できても、魂に刻まれた魔法はどうにもできない。つまり、ジャクリーンは今後一切、攻撃魔法が使えない。
それだけでなく、普通の魔法も同様だろう。魔力が外に出せないならば、どれだけ魔力量があっても意味はない。
「ああ、それと――」
ピシリ、という音がしたのはその時だった。
「何……?」
ピシピシ、ピシピシと、かすかな音が響いている。
何気なく自分の手を見つめ、ジャクリーンは愕然とした。
「なによ、これ……?」
――白魚のような手は、老婆のようにひび割れていた。
見ると、手だけでなく、腕にも変化が表れていた。
シュウシュウと音を立て、肌から水分が奪われていく。いや、それは錯覚かもしれない。ジャクリーンの体が急速に老い始めたのだ。
「何よこれ、一体何よっ!?」
「古代魔導具を使用した副作用です。あなたは魔力枯渇を起こしかけているんですよ」
「なっ……!?」
「魔力枯渇は知ってますよね? あなたがエリーに教えたことだ」
全身の激痛に苛まれながら、髪や歯が抜け落ちて、顔はしわくちゃになり、ぼろぼろになって死んでいく。
「よかったですね、自分の体で体験できますよ」
「なんで……こんな……っ」
「それもあなたがしたことでしょう?」
エリーの魔力を古代魔導具に吸い尽くさせようとしたのだから、今度は自分の魔力が喰われる番だ。
「あなたが魔力を使うたびにこうなります。一応言っておきますが、使用しない方が身のためですよ」
攻撃魔法を使えば自分に跳ね返され、同時に体内の魔力が欠乏して、魔力枯渇に陥る。その苦しさは想像を絶する。痛みに耐性のないジャクリーンには、到底耐えられそうにない。
(……それに)
魔力を使うたびにこうなるなら、自分自身にも使えない。
あの美しい肌も髪も、魔力をたっぷりと使っていたおかげなのだ。それがなくなれば、あれだけの美貌を保つ事ができない。
美しさに絶対の自信を誇っていたジャクリーンにとって、それは何よりも耐え難い事だった。
「そんなの嫌よ、どうにかして!」
「できませんよ、そんなこと」
だって、と青年が無邪気な顔で告げる。
「あなたはエリーを助けなかったんでしょう?」
「…………!」
「それが返ってきただけです。あなたにはお気の毒ですけど」
まったくそう思っていないだろう口調で言い、朗らかに笑う。その表情は相変わらず軽薄だ。まるで今日の天気を告げるような気軽さで、サイラスはジャクリーンの懇願を一蹴した。
「俺ね、閣下の命令を受けて、色々調べてたんですよ」
「何……」
「あなたがエリーに何をしたか。エリーを捨てた時の状況も、ほぼ正確なところを把握していると思います」
「……それが、何よ」
「思ったんですよね。あなたはエリーを無能とののしって虐げていたけど、本当は違うんじゃないですか?」
「何が……」
「あなたはエリーの才能に気づいてた。そんなはずはないと思いながら、どこかでそれを分かって、嫉妬してたんじゃないですか?」
「違うわよ!!」
ジャクリーンはわめいた。
あの愚図は無能の役立たずで、ジャクリーンのお荷物だった。
多少魔力量が多いのは認めるが、自分とは比ぶべくもない。
だから使ってやったのだ。限界ぎりぎりまで魔力を奪い、他の事ができないようにした。エリーの成果はジャクリーンのものとなり、周囲もみんなそれを信じた。
それもこれも全部、自分が天才だったからだ。
「小さいころから、あたしの方がよくできたの。あたしの方がすごかったのよ。あんな愚図、あたしの足元にも及ばない」
「その愚図にすべて押しつけて、仕事はうまく回っていたんでしょう? だとしたら、すごいのはエリーだ。あなたじゃない」
それに、とサイラスは指を向けた。
「あなたがこき使っていたから、エリーはあなたに勝てなかったのでは?」
「何をっ……!」
「小さいころはともかく、ある程度の年齢になってからは、エリーの方が優秀だった。あなたは意識的にか無意識にか、それを察して、エリーを必要以上に虐げていた。自分の立場を脅かされたくなかったから。違いますか?」
「違うわ!!」
「そうこうしているうちに、綺麗さっぱりそれを忘れて、都合のいいことしか覚えていなかったんじゃないですか?」
「そんなはずないわ! あたしは天才なのよ!」
ジャクリーンがわめいたが、サイラスの視線は揺るがなかった。
御しやすそうな男だと思ったのに、飄々とこちらを手玉に取り、余裕をもって話している。その事に燃えるような羞恥と屈辱を覚えた。
「天才はエリーの方ですよ。あなたは多少魔力が扱えるだけの、頭の悪い凡人だ」
「違う!!」
叫んだ瞬間、はらりと髪が抜け落ちた。床に落ちた髪の色を見て、ジャクリーンは「ひっ」と息を呑む。
鮮やかだったはずの赤毛は、真っ白な色に変わっていた。
「あ、ああ……っ」
反射的に顔に触れ、ジャクリーンは悲鳴を上げた。
乾き切った指でも感じ取れるくらい、その顔は細かくひび割れていた。
これではまるで老婆だ。しわだらけの手と同じように、全身がからからに乾いている。
全身が痛い。痛くてたまらない。干乾しになったように苦しくて、息をするだけで精いっぱいだ。呼吸のたびに激痛が走る。
これが魔力枯渇? だったら魔力を補えば――いや、それはできない。魔力を使うたびに吸い尽くされてこうなるのだ。今は魔力を使っていない。いや、二度と使う事ができない。だとしたら、これは何の痛みだろう。
そうだ、これはエリーにしていた事だと言っていた。
だとすればこれは、自分がしょっちゅう行っていた、エリーへの――……。
「これがあなたへの罰になります。魔力を奪われ、美貌を失い、エリーに死ぬまで逆らえない。彼女との約束通り、命は取りませんよ。その必要もないでしょうから」
「そんな……そんな……あたし……っ」
「俺に一任されたことを感謝してください。あなたは本来、もっとひどい目に遭ってもおかしくなかったんですから」
そう言うと、サイラスは来た時と同じく、恭しく頭を下げた。
「自分の立場を理解できるようになるまで、ゆっくりと考えてください。大丈夫、時間はたっぷりありますから」




