24.その身に返る(Ostrich club)
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目の前で起こっている事が、エリーは理解できなかった。
え。
何。
これは、一体。
「きゃあああぁっ!! うああぁぁあっ、ぎゃあああああっ!!」
叫び声を上げているのはジャクリーンだった。
胸をかきむしり、ドレスを振り乱して、のたうち回って暴れている。
その目は血走り、ほとんど錯乱状態だ。
エリーを拘束していた魔力が解け、床の上に落とされた。なんとか転ばずに着地すると、吊られていた手をさする。
何が起こっているか分からず、エリーは呆然とそれを見つめた。
「――当たり前だろう」
その時、背後で声がした。
振り向くより早く、長身の人影が現れた。
「古代魔導具を使用するには、相応の魔力が必要だ。子供でも知っていることだろう」
「閣下……」
立っていたのはアーヴィンだった。
よそ行きのコートを身にまとい、いつもより上等な服を着ている。エリーの全身をざっと見回し、彼はわずかに眉を寄せた。
「……足りなかったか」
「え?」
「いや、なんでもない」
ふいと目をそらし、ジャクリーンに視線を向ける。その目は冷ややかで、エリーが一度も見た事のないものだった。
「そんなことも分からず、古代魔導具に手を出すとは。無謀にもほどがある」
通常の魔導具と違い、古代魔導具は使用者の魔力を吸って動く。
魔力付与が切れれば、通常の魔導具は動かなくなる。だが、古代魔導具は違う。付与した魔力が切れた場合、使用者の魔力を奪って動かすのだ。本人の意思に関わらず。
そして古代魔導具の力が強ければ強いほど、奪う魔力量も多くなる。
「助けて、助けてよっ! なんとかしてっ!」
「無理だ。君は魔力欠乏を起こしている。やがて魔力枯渇となるだろう。そうなれば手遅れだ。助からない」
「そんなの嫌よ、助けてよっ!!」
ジャクリーンは髪を振り乱し、必死の形相を浮かべていた。白い指先をエリーに伸ばし、哀れっぽく訴える。
「エリー、もう二度とこんなことしないわ。約束する。だからどうか、お願いよ!」
「お姉さま……」
「今までのことも悪かったわ。本当よ。許してちょうだい!」
「お姉さま……本当に?」
「もちろんよ。助けてくれたら、二度とあんたには関わらない。お願いよ、エリー。あたしたち、血のつながった姉妹じゃない!」
ジャクリーンの目には涙があった。ぐらりとエリーの気持ちが揺れる。
「か、閣下……あの」
「賛成できない。君の姉は邪悪だ。ここで魔力を吸い尽くされた方がいいと思う」
「ですが……」
「君に何をしたかは調べがついている。一度同じ目に遭ってみるといい」
アーヴィンの声は揺るがなかった。ちらりと視線が向けられて、「自業自得だ」と告げる。
「ですが……ですが……苦しそうで」
ジャクリーンは重度の魔力欠乏を起こしていた。
このままだと、本当に魔力枯渇になる。
魔力欠乏の苦しさは知っている。それ以上の苦しみを与えられたあげくに死ぬなんて、いくらなんでも残酷すぎる。
「お願いします、閣下。せめて、症状を軽くするだけでも……」
「……ひとつだけ、方法はあるが」
エリーの懇願に負けたのか、アーヴィンが気乗りしない様子で言う。
「彼女が吸われている魔力を引き受けて、負担を軽くすればいい。だが、お勧めできない。一歩間違えば、君が身代わりとなってしまう」
「身代わり……」
「君に魔力の負担を押しつけて、冠の魔力だけを手に入れる。この方法なら可能だ。そして、それを止める術はない」
「そんなことしないわ!」
ジャクリーンがわめきたてる。
「あたしはエリーを裏切らない。だって、たったひとりの妹だもの!」
「お姉さま……」
「約束するわ! だから助けて、お願いよ!」
ジャクリーンは必死に手を伸ばした。アーヴィンが深々と息を吐く。
「……まず、指輪を外せ」
ジャクリーンが外した指輪を受け取り、アーヴィンが改めてエリーに嵌める。
「君が裏切れば、エリーは死ぬ。それだけは言っておく」
「分かってるわ、そんなの」
「そうならないためにも、君は余計な真似をしないように。少しでも間違えば、エリーがすべてをその身に受ける。その代わり、君は莫大な魔力を手にするが……」
「そんなことしないわ、絶対に!」
きっぱりと言い切ったジャクリーンに、アーヴィンはもう一度息を吐いた。
「エリー、こちらへ」
「は、はい」
「くれぐれも無理はしないように」
方法は単純で、ジャクリーンの手を握り、吸い上げられる魔力を肩代わりすればいいだけだった。
魔導具や魔石がない分、ダイレクトに自分に跳ね返る。一歩間違えれば命がない、危険な行為だ。
簡単に説明すると、アーヴィンは少し離れた場所に立った。
「エリー……」
ジャクリーンが弱々しげにエリーを見つめる。
「大丈夫ですよ、お姉さま」
元気づけるように笑いかけ、エリーはそっと手を伸ばした。
「……っ!」
ジャクリーンに触れた瞬間、すさまじい勢いで魔力が吸い上げられるのが分かった。
魔力付与していた時とは明らかに違う。古代魔導具を「動かす」のが、これほどすさまじい負担になるとは思わなかった。
(一度手を離す? だけど、そうしたらお姉さまが……)
駄目だ、それはできない。
必死に歯を食いしばり、なんとか耐える。ジャクリーンはぐったりしたように動かない。
「そろそろだ、エリー。手を離せ」
「は、はい」
その時だった。
力なくくずおれていたジャクリーンが、しっかりとエリーの手を握りしめた。
「お姉さま?」
「……これで、あたしは助かるのよね」
ひどく弱々しい声だった。
「はい、そうみたいです。でもあの、ちょっと、手が痛い……?」
「このまま手を握っていたらどうなるの? 離さないといけないの?」
しおらしく聞かれ、アーヴィンが淡々と返答する。
「エリーの魔力が限界まで吸い上げられ、命を落とす。逆に冠は必要なだけの魔力を蓄えて、次に触れる人間が主人となる。先ほども言ったが、このままだと危険だ。手を離せ」
「分かったわ。つまり――」
そこでジャクリーンはにんまりと笑った。
「このまま手を握っていれば、この愚図に全部押しつけられるってわけね」
「え……!?」
言い終える間もなく、がっちりとエリーの手をつかむ。反射的に手を引っ込めようとしたが、ものすごい力でつかまれていて動けない。
「何をしている。気でも狂ったか」
「あたしは正気よ。この上なくね」
ジャクリーンがせせら笑う。
「やめておけ。その状態で魔力を使えば、エリーに逃れる術はない。すべての力を奪い取られ、死んでしまう」
「あらそう。それは都合がいいわ、処理の手間が省けるもの」
「お、お姉さま……!?」
「いいこと教えてくれて助かったわ、間抜けなお二人さん! ほんっと、あんたってやっぱり愚図なのねえ!」
高らかに笑いながら、ジャクリーンがますます強く手を握った。
「全部押しつける方法まで教えてくれるなんて、なんて愚かなの。間抜けの知り合いは間抜けなのね、本当に!」
「お姉さま、何を……っ」
「決まってるでしょ。あんたの魔力を根こそぎ奪って、冠の力をいただくのよ」
ジャクリーンの目は欲望にぎらついていた。
「これだけの魔力があれば、なんだってできるわ。あんたなんかもういらない。騙される方が悪いのよ、エリー」
「やめて……嫌っ」
「もう遅いわ。さよなら、馬鹿な妹!」
ジャクリーンがエリーの手を握りしめ、一気に魔力を流し込む。
そして――。
――バチッと、指輪が白く発光した。
「え……?」
「念には念を入れておいた」
アーヴィンが事もなげに言い放つ。
「八つの付与のうち、ひとつだけ書き換えた。《純潔》の代わりに《反射》。悪しきものから身を守る。一応と思っていたが、役に立って良かった」
「閣下……」
「あれだけ懇切丁寧に説明したのを、おかしいと思わない方がどうかしている。うすうす思っていたが、君の姉はずる賢いわりに愚かだな」
「…………」
「だが、おかげで助かった。見事に引っかかってくれた」
上出来だ、とアーヴィンが頷く。
「君に何もしなければ、何の効果もない付与だった。だが、《反射》は鏡だ。された分を跳ね返す」
ジャクリーンがエリーに押しつけようとしたものが、そのまま彼女に跳ね返ったのだ。
見ると、ジャクリーンはその場に倒れ、完全に気を失っていた。
(た……)
助かった。
ほっとしたところで、今さら体が震えてくる。
へたり込みそうになったところを、アーヴィンが軽々と抱き留めた。
「大丈夫か、エリー」
「は、はい、すみませ……」
「これを教訓に、君はもっと人を疑うことを覚えた方がいい」
「そう、ですね……」
「だが、私は君のそういうところが嫌いではない」
「え……」
「君が悪いのではなく、君を騙す方が悪い。つまり君の姉が悪い。それだけだ」
目をやると、彼は静かな顔をしていた。
笑ってはいないが、怒ってもいない。その目の色が綺麗だなと、ぼんやり思った。
そっと手が伸びて、頬の傷に触れられる。
「痛むか」
「だ……大丈夫です」
「もっと気をつければよかった。すまなかった」
「閣下が悪いんじゃありません。あの……近い」
「君の体に傷をつけるとは。痛恨の極みだ」
そっと傷をなでると、痛みがすうっと消えていく。跡形もなく傷を治すと、アーヴィンはふたたび頬に触れた。その距離が近い。とても近い。
「あとは君の姉の処遇だが、すでに話は通してある。君は何も心配しなくていい」
「え、でも――」
「心配しなくとも、殺しはしない。それなら文句はないだろう?」
命は助けると言われ、エリーはほっとして頷いた。
「ありがとうございます、閣下」
「君の姉なのだから、仕方ない。多少の融通は利かせるつもりだ」
その言葉を告げる顔が近い。とにかく近い。
「閣下、距離感がおかしいです」
「問題ない。これは君に対してだけだ」
「え? どうしてですか?」
「私にも分からない」
コツン、と額をぶつけられる。
「だが、悪い気分ではない。むしろ心が弾む感じだ」
「語弊……って、私も嫌ではないですが……」
でもこの距離で話されるとどきどきして、妙に落ち着かない気持ちになる。
間近で見たアーヴィンの顔は、いつもと変わらず整っている。
むしろ近いせいで余計にすごい。どこにも隙の無い美貌だ。
その目が宿すのはエリーの顔と、瞬きにも似た魔力反応。
(綺麗……)
瞳の中に星が輝き、うっとりするほど美しい。
そういえば、エリーの目にも魔力反応があると言っていた。彼の目にも同じものが映っているのだろうか。
アーヴィンは相変わらず何も言わない。
じっと見つめ合い、どちらからともなく唇が近づく。
そして――。
「いやー、遅くなりました。あれ? もう終わっちゃったんですか?」
唇が触れ合う直前で、のんきなサイラスの声がした。
お読みいただきありがとうございます。やるなって言ったのに……。




