23.ジャクリーンと王者の冠
体の自由が利かない。
驚くエリ―をよそに、ジャクリーンが顎を上げる。
「伯爵のコレクションにあった魔導具よ。人を言いなりに操ることができるわ。何度も使えないのが難点だけど、少しの間なら十分よ」
ジャクリーンの首には黒いペンダントがかかっていた。それをかざし、「指輪を渡しなさい」と命じる。
「い、や……」
「聞こえなかったの? 指輪を渡して、あたしに逆らわないと誓いなさい」
エリーはぎくしゃくと首を振った。けれど、体がうまく動かない。
エリーの右手が指輪を外し、ジャクリーンに差し出そうとしている。
(嫌……!!)
必死に抗い、右手に力を込める。
そのたびに押しつぶされるような重圧がのしかかり、指先から力が抜けていく。それでも歯を食いしばり、ふたたび力を込める。嫌だ、渡したくない、絶対に。
エリーの抵抗に業を煮やしたのか、ジャクリーンが叫んだ。
「命令よ! 言うことを聞きなさい!」
「――――っ!!」
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
全身から力が抜け落ちていく。自分の意志とは裏腹に、震える指がジャクリーンの手に指輪を載せた。
かすむ視線の先で、石のひとつが濁っているのが見えた。
おそらく《守護》が切れたのだ。これでもう、身を守るものはない。
どんなに抗っても、声の魔力には逆らえなかった。
(これが、魔導具の力……)
朦朧とする意識の中でエリーは思った。
この部屋に古代魔導具がある事を知られてはならない。絶対に。
もしそうなったら――途方もなく危険だ。
「さあ、次は服従すると誓いなさい」
「……っ」
エリーはふるふると首を振った。ペンダントを握りしめ、ジャクリーンが舌打ちする。
「やっぱり長い時間は駄目ね、使えない」
でもいいわ、と指輪を嵌める。エリーから奪った大切な品を。
「あたしに逆らった罰として、しばらくは食事抜きよ。それからあたしの命じる魔力付与をしてもらうわ。当分は寝る時間なんてないと思いなさい」
「……っ、そんな、こと」
「まずはその生意気な口から躾ける必要があるみたいね」
そう言うと、ジャクリーンが魔力を流し込む。
「!!」
覚えのある痛みが流れ込んできたが、気を失うほどではない。涙目で見上げると、ジャクリーンは舌打ちした。
「今は魔力が足りないみたいね。見てらっしゃい、すぐに回復してみせるから。そうしたら、たっぷりお仕置きしてあげるわ」
そう言うと、エリーを乱暴に突き放す。
そのまま出て行くのかと思ったが、ジャクリーンはあちこち見回している。物色、という方が近いかもしれない。嫌な予感を覚えてエリーは聞いた。
「お姉さま、何を……」
「決まってるでしょ。金目の物をいただくのよ。使えそうな魔導具でもいいわね。あたしが魔力付与したことにすれば、伯爵だって見直すわ」
「これは閣下のものです、そんなことは……!」
「閣下? なあに、それ」
ジャクリーンが馬鹿にしたように眉を上げる。
別邸のせいか、貴族とも思っていないようだ。
確かに一見すると分かりにくいが、家の造りが明らかに違う。平民には許されない装飾が施されているし、目立たない場所に家紋もあるのだ。本当に目立たないので、誰も見つけられないのだが。
それでもここにあるものはすべてアーヴィンの持ち物であり、公爵家の財産だ。
絶対にやめさせなければと、エリーはふらつく足で立ち上がった。
「ここにあるものは、ひとつだって渡しません。閣下のものは閣下のものです。お姉さまのものじゃない……!」
「あんた、誰に口を利いて……」
「お姉さまが必要なのは私でしょう。ここには手を出さないでください!」
百歩譲って自分はいい。あの時拾われなかったら、魔力枯渇を起こして手遅れになっていた。ジャクリーンに見つかったのも、不運だがしょうがない。これは自分の問題だから。
けれど、アーヴィンやサイラスに迷惑がかかるなら、なんとしてでも阻止しないと。
それがエリーなりのけじめだった。
(この場所にお姉さまを招き入れてしまったのは、私のせい……)
エリーの持ち物を辿ってきたのだ。もっと注意深ければ避けられた。
だったら、その責任を取らなければ。
ジャクリーンの手をつかみ、エリーは出口へと引っ張った。振り払われそうになったが、必死になってしがみつく。
ここで引き下がるわけにはいかない。
放っておけば、ジャクリーンが何をするか分からない。魔導具の窃盗に留まらず、作業場の破壊、魔石の強奪、果ては屋敷にも侵入するかもしれない。
この屋敷には通いの使用人が来ている。彼らに何かあったら、取り返しのつかない事になる。
(私が、止めないと……)
だが、力の差は明らかだった。
苛立ったジャクリーンが魔力を込め、容赦なく振り払う。あっけなく吹き飛んだ体が、背後の壁に叩きつけられた。
「――本っ当に、腹が立つわね……」
怒りを押し殺したような声がした。
「あたしに逆らった上に、そんな口を利くなんて。ずいぶん偉くなったもんじゃない、無能の落ちこぼれが」
「お、姉さ、ま……」
「心配しなくても、あんたは二度と逃がさない。鎖でつないで、死ぬまで飼い殺しにしてあげるわ。ああそうね、ここの窃盗もあんたが犯人ってことにすればいいじゃない?」
いい考えだわ、と薄く笑う。ジャクリーンが本気なのは、その顔を見れば明らかだった。
「この部屋で一番価値のあるものはどれ? 答えなさい」
「……っ」
エリーはぶんぶんと首を振った。
「まあいいわ。答えたくないなら、適当に持っていけばいいもの。あたし、そういうのを見分ける目はあるのよね」
そう言うと、勝手にその辺のものを物色し出す。止めようとしたが振り払われ、ふたたび魔力を流し込まれた。
「あぁ……っ!」
「おとなしくしてなさい、愚図が」
魔石や魔導具、宝石など、値の張るものを次々に選び抜いていく。ジャクリーンの目利きは確かなようで、すぐに袋いっぱいの量が集まった。
「そうそう、あれも気になってたのよね」
ジャクリーンが目をやった方角を見て、エリーははっとした。
「あそこだけ、異様に魔力の気配が強いじゃない? あれだけは見逃せないわ」
「駄目です、あれは……っ」
「うるさい、離しなさいよ!」
ドカッと蹴られ、ふたたび「動くな」と命じられる。まだ効果が残っていたのか、エリーの足がもつれて転んだ。
「へえ……綺麗。冠じゃない」
「やめてください、お姉さま!」
「それに、すごい魔力を感じるわ。普通の魔導具じゃないようね。まさか……古代魔導具?」
はっとエリーが息を呑んだ。
「すごいわ。触ってるだけで分かる。なんて素晴らしいの……。まるで女神の冠だわ」
奇しくもそれは『王者の冠』と名付けられている。ある意味、ジャクリーンの目は本物だと言えるのかもしれない。
だがそれも、まっとうな目的の場合はだ。
(あれを奪われたら……!)
かぶった者に莫大な魔力を授ける古代魔導具。
そんなものがジャクリーンの手に渡ったら、取り返しのつかない事になる。
エリーは考える間もなく飛び出した。揉み合いになり、ジャクリーンの爪が頬を傷つける。チリッとした痛みが走ったが、そんな事は気にならなかった。
冠を守ろうと、エリーが懸命に手を伸ばす。
だが、ほんのわずか遅かった。
エリーを押しのけたジャクリーンが、冠を無理やりかぶったのだ。黒い魔石がきらめき、魔力の渦巻く気配がする。
そしてジャクリーンは高らかに叫んだ。
「これは、あたしのものよ!」
その瞬間だった。
冠から魔力がほとばしり、ジャクリーンの体へと満ちあふれた。
見る間にジャクリーンの髪が輝きを取り戻し、肌はつややかに潤って、瞳にきらめきが満ちていく。エリーを無理やり働かせていた時、いつも見ていたジャクリーンの姿だ。
「すごいわ……。魔力があふれてくる」
ジャクリーンが目を輝かせる。
「返してっ……!」
手を伸ばしたエリーに、ジャクリーンは煩わしげな目を向けた。
つい、と指を振ると、その体が吹っ飛んだ。
壁際の棚に叩きつけられ、ふたたび魔力で引きずられる。右腕を吊られるような格好で、エリーは宙に持ち上げられた。
「すごい力だわ。なんて素晴らしい魔力なの」
「お、ねえさま……」
「お姉さまと呼ぶなって言ってるでしょ、愚図が」
ねえ、とジャクリーンが囁いた。
「伯爵もアランも、あたしのことを疑ってるの。このままだと、あたしが魔力付与していなかったことがばれちゃうわ。それはとっても困るのよ」
「私、言いませ……」
「そうね。あんたはそういう子だわ。だけどね、もしも喋られたらまずいじゃない?」
だからね、とエリーを拘束する魔力に力がこもる。
「見つかる前に、どうにかしようと思うのよ」
「え……?」
「幸い、ここには誰もいないわ。あんたひとりがいなくなっても、探してくれる人はいない」
「お姉さま、何を……」
「天才付与師はあたしだけでいいの。あんたは邪魔なのよ、エリー」
バチっと火花が散る音がした。
ジャクリーンが指先に魔力を込める。
そして、すさまじい魔力が炸裂した。
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