21.嵐の到来
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ようやく指輪の解析が終わったのは、冠の調査がそろそろ終了するころだった。
「思ったよりも時間がかかったな。だが、収穫はあった」
「そうですね……。古い時代の魔導具、すごいです……」
二人とも疲れた顔だが、その表情は充実している。
最初は少しだけのつもりだったが、あと少し、あと少しと延長して、解析が佳境を迎えるころには二人して離れに泊まり込んでいた。うっかり毛布まで持参してしまった。
今まで知らなかった事だが、自分は仕事中毒の気があったらしい。
「俺がちょっと忙しくしている間に、どういうことになってるの?」
現れたサイラスが呆れた顔で呟く。
「すみません、つい……」
「二人して重なって寝てるのを見た時は、いきなり段階飛ばし過ぎじゃない? とは思ったけどさ。まさか仮眠中だったとは」
「仮眠ではない。うっかり本気で寝てしまった」
「あ、私もです。解析が終わったのでほっとして」
ほのぼのと頷き合う二人を見つつ、サイラスが遠い目になる。
「もうね俺……馬に蹴られるのはやめとこうと思うんだよ」
「何がですか?」
「うん、まあ、そうだよね。エリーの方はそうだよね……」
「何がだ、サイラス」
「こっちもそうですよね……って、えぇ……閣下は分かってないと困るんですけど……」
どっちも分かってないのかと、なぜだかため息をつかれてしまう。
「まあいいです。冠の方は、明日王宮に届けるんですよね? 今日のご予定は?」
「保管に当たっての注意がある。一度出向いて確認する」
やや乱れた髪をかき上げ、アーヴィンがけだるげに息を吐く。寝起きのせいか、前髪が普段よりも乱れている。その姿がやたらと色っぽい。
「そうだ、エリー。これを」
ふと気づいたように彼は指輪を差し出した。
「長く借りていてすまなかった。君に返す」
「あ、ありがとうございます……」
手を出したが載せられず、「?」とアーヴィンの顔を見る。
「私が嵌める」
そう言うと、わざわざ逆の手を取って嵌められる。彼が選んだのは、今度も左手の薬指だった。
「えっこれで本当に分かってないのこの人……?」
「何がだ、サイラス」
「あ……ありがとうございます、閣下」
二度目ともなれば耐性はついたが、それでも少し気恥ずかしい。もじもじするエリーを見て、サイラスがなぜか「これだよ、これ…!」と感激していた。
「二人とも情緒が死滅してるのかと思った。ああよかった」
「よく分からないが、何か失礼なことを言っているのは理解した」
「情緒が死滅……」
「まあいいや。それじゃ、俺も今日は出かけますんで」
サイラスがひらりと片手を上げる。よく見れば、彼は外出着姿だった。
「え、サイラス様も今日はいらっしゃらないんですか?」
「そうなんですよ、残念ながら。ちょっと聞き逃せない情報が入ったもんでね」
夕方までには帰るから、と宣言される。
サイラスはこのところ忙しく、屋敷に戻らない日が続いている。エリーは心配していたが、大事な仕事があるらしい。アーヴィンは事情を知っているようで、「気をつけるように」と忠告した。
「分かってますって。ちゃんとお仕事してきますよ」
「たまには休んでくださいね、サイラス様」
「ありがとうエリー。俺、君のためだけに頑張るよ」
アーヴィンの部下とは思えないようなセリフを吐き、サイラスは軽やかに行ってしまった。主も咎めないので、このくらいの軽口は許容範囲のようだ。割と心が広いと思う。
最初ははらはらしていたが、彼らにとっては日常会話だと理解してからは、ほっと胸をなで下ろした。
ちなみに、サイラスは非常に優秀で、敵に回すと怖いらしい。とてもそうは思えないのだけれど、本当だろうか。
それはともかく、エリーは改めて指輪を見つめた。
詳しく調べたところ、これは結婚指輪ではなく、恋人からの贈り物らしいという事だった。
指輪に付与されていた魔法は合計八つ。このサイズからすると、信じられないほど高度な技術だ。
《守護》、《幸福》、《愛情》、《永遠》、《喜び》、《希望》、《誓い》、《純潔》。
ひとつの魔法に対し、次々に魔力が連動する仕組みで、石の配列だけ見ていては分からなかった。
既に効力は切れているらしいが、エリーが新たに魔力付与した事によってよみがえった。エリーの好みに合わせて、好きな付与をする事もできるそうだ。
とはいえ、書き換えには膨大な魔力が必要なので、今のところは考えていない。
また、他人のために贈られた品を再利用するのも気が引けて、なんとなく愛でるだけにしている。
「君が新たな主人だな。この指輪は生涯使える。大切にするといい」
「は、はい……」
本当にいいのだろうかと思ったが、とりあえず頷く。
その様子を見ていたアーヴィンは、なぜかエリーのおでこに顔を寄せ、軽くキスするといなくなった。あまりにも自然だったため、突っ込む暇もなかった。
アーヴィンも出かけてしまうと、エリーは束の間ぼんやりした。
こんなに何もしなくていい日は久々だ。
ジャクリーンにこき使われていた時は、常に頭の隅がぼうっとしていた。そのくせ、怒られないかとびくびくして、いつも何かしら気を張っていた気がする。
ジャクリーンの怒鳴り声は怖かったし、殴られるのも怖かった。仕事に失敗して魔力を流された日は、痛くて眠れないほどだった。
今は魔力も元に戻り、以前の仕事も容易にこなせるくらい回復している。――けれど。
あの日に戻れと言われても、とても無理だ。
カタン、と物音がしたのはその時だった。
(誰……?)
アーヴィンかサイラスが戻ってきたのだろうか。
そう思ったのは束の間だった。
「――あぁら、いいところで暮らしてたみたいじゃない」
その声に、エリーは弾かれたように振り向いた。
「小綺麗な恰好してたから、見間違えちゃったわよ。でも、やっぱり冴えないあんたが何を着たって、全然似合わないのねぇ。みっともなくて笑っちゃう」
華やかな中に棘を隠した、高慢な声。
嘲るような、毒のある響き。
まさか、という声が喉から漏れる。
「しょうがないから、あたしが脱がせてあげましょうか?」
ふふ、と笑う声に、エリーの背中を汗が流れた。
まさか、まさか――まさか。
(なんで……ここに……?)
「見つけたわよ、エリー」
姉のジャクリーンが、離れの入り口に立っていた。