19.ジャクリーンの窮地
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こんなはずでは、とジャクリーンは青ざめていた。
「なんということをしてくれたんだ。侯爵夫人直々の依頼である宝石に、あんな真似をするなんて!」
「も……申し訳ありません、ついうっかり」
「ついだと!? 『つい』で済む問題ではない。君は分かっているのか、自分のしでかした失敗の大きさを!」
宝石を見たロドス伯爵は顔色を変えた。
あれこれ言い訳を述べるジャクリーンを一顧だにせず、すぐに人を手配する。魔力の除去には時間がかかったようだが、無事に元通りになったらしい。元に戻ったならいいではないか。大げさね、と内心でむっとする。
多少の失敗くらい、誰にでもある事だろう。
そもそも宝石の魔力付与は難しい。それくらい、彼も知っているはずなのに。
自分はエリーの失敗を認めなかったくせに、そういう事は都合よく忘れている。それよりも、怒鳴られた事が腹立たしくて、歯噛みしたくなる。
「君は本当に魔力付与の仕事をしていたのか?」
ぎくり、とジャクリーンが身を固くする。
「魔石といい、君の話にはどうもおかしなことがある。すまないが、本当に以前のような魔力付与ができるのか、今の君に?」
「もちろんですわ。今はたまたま調子が悪いだけです、本当ですわ!」
「たまたま、か」
伯爵がその言葉を繰り返す。あまり信じていないのは、その顔つきからもよく分かる。
「ひとつ聞きたいのだが、ブランシール嬢」
ついこの間、親しみを込めて「ジャクリーン嬢」と呼んでいた彼は、視線に冷ややかなものをにじませた。
「君は本当にあの魔力付与を行った人間なのか?」
「っ……それは」
「君が魔力付与した魔石は、以前と魔力が異なっているように見える。それとも私の勘違いかね?」
「きっ、気のせいですわ! どちらもわたくしの仕事です!」
まずい、とジャクリーンは舌打ちしそうになった。
すべてをエリーに押しつけていたので、ばれるはずはないと高をくくっていた。検出される魔力はいつもひとり分。それはすなわち自分の手柄だ。
まさか、魔力を見比べられるとは思っていなかった。
「――君の工房には、確かもうひとりいたはずだね。君の妹さんだったか。彼女と何か関係があるのでは?」
「違いますわ! エリーは無能の役立たずで、わたくしのお荷物だったのです!」
「だが、今の君は魔力付与すらまともにできないではないか」
「ですから、それはっ……」
言いかけて、ジャクリーンはアランを振り返った。
「アラン! あなたなら信じてくれるわよね。わたくしが有能な付与師だと。全部わたくしの実力だと、お父さまに説明してちょうだい」
「ああ、うん、そうだね」
分かっているよと言いながら、アランもどこか気のない様子だ。ジャクリーンに急かされても反応が薄い。伯爵もそれを当然のように眺めている。
(何よ……!!)
かっと頭に血が上ると、「ねえ、ジャッキー」と名前を呼ばれた。
「僕は言ったよね? 君の才能に惚れ込んでいるって。君の魔力付与は本当にすごかった。素晴らしい才能だと思ったよ」
「え……ええ」
ジャクリーンが頷く。それは出会った時からずっと聞かされているセリフだ。
「初めて見た時から、僕は君に夢中だった。どれだけ使っても減らない魔力、見たこともない高レベルの魔力付与。そして、大量の注文にも文句を言わず、期日を守る仕事への姿勢。どれをとっても素晴らしかった。君しかいないと思ったよ」
「そうよ。だからあた……わたくしは――」
「だから、僕は君が欲しかった。君という存在を手放したくなかったから。それもこれもすべて、君が天才だったからだ」
そのころを思い出したのか、貴公子めいた顔に微笑みが浮かぶ。
ジャクリーンが一目で気に入った、王子様のような美貌。
彼に崇拝され、お姫様のように扱われる事が嬉しくてたまらなかった。
浮かべていた笑みを、アランはふと消した。
真顔になると、彼が思ったより冷たい顔立ちだという事に気がついた。
(なんなの……?)
よく分からない不安が込み上げてきて、ジャクリーンはドレスの脇を握った。手のひらがじっとりと汗で濡れている。
このままではまずい。
それは分かっているのに、どうしたらいいか分からない。
ジャクリーンの動揺をよそに、彼は無表情のまま彼女を見据えた。
「このままだと、君をここに置いておくことはできない。宝石の失態を挽回して、なお余るほどの価値を見せなければ。それができないなら、君との関係は終わりだよ、ジャッキー」
「なっ……!?」
なんでよ、とわめきたいのを抑えて、ジャクリーンは「どうしてなの?」と聞いた。表面上はあくまでもしおらしく、儚げに。
淑女の作法にのっとった問いは、けれど、わずらわしげな視線ひとつで崩れ去った。
「どうしてって、当然だろう。僕らは慈善事業をしているわけじゃない。君という才能に惚れ込んだ以上、その才能がなくなれば、それで終わりだ。事業とはそういうものだろう?」
「あなたはわたくしが好きだと言ったわ! 結婚してほしいと! そもそも、先に話を持ちかけたのはそっちでしょう。伯爵がそう言ったのよ! 息子の妻になってほしいと!」
美しさだって磨きをかけたし、ドレスや宝石にも金をつぎ込んだ。途中からは彼らがプレゼントしてくれるようになったけれど、散財も相変わらず続けていた。
ジャクリーンは華やかで美しい。それだけでも十分に価値があるはずだ。
なのに、どうして、そんな事を言うのか。
「何か勘違いしているみたいだけど、ジャクリーン・ブランシール」
そこで彼はうんざりした顔を見せた。
「僕は最初から言っていたはずだ。君ではなく、君の才能に惚れ込んでいると。君が金髪だろうと、青い目だろうと、そんなことは関係ない。正直言って、二目と見られない醜い顔立ちでも構わない。そこに才能があればね。僕は才能のある妻が欲しいんだ」
「才能……ですって……?」
彼らに依頼された仕事をこなしていたのはエリーだ。
ジャクリーンはそれを取り上げて、手柄をひとり占めしていただけ。
無能の妹を痛めつけ、恐怖で支配し、無理やり働かせていただけだ。
「もう一度聞くよ、ジャクリーン。君は、本当にあの付与を行った人間なのか?」
アランの目がじっと見ている。ロドス伯爵の視線も感じた。
ガラス玉のような目で、青ざめたジャクリーンの様子を観察している。
「わ……わた、わたくしは……」
震えているのが自分なのか、それとも地面が揺れているのか、ジャクリーンには分からなくなっていた。




