14.閣下と語弊(ふたたび)
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公爵家での生活に慣れるにつれ、エリーは徐々に健康的になっていった。
「あれ、エリーの髪、ずいぶん綺麗になったなぁ」
そんなある日の事だった。魔導具の研究を手伝っていたサイラスが何気ない口調で言った。
「そうですか? 特に何もしてませんけど」
「最初に会った時よりもきらきらしてる。髪の一本一本に艶があるっていうか、光ってる感じ」
「光る……?」
肩の下まで伸ばされた髪は、確かにサラサラと手触りがいい。毎日お風呂に入っているから、そのせいだろうか。
「それに、瞳の色も違う。前よりずっと深くて綺麗な紫色だ」
そう言われても、鏡をまじまじと見た事はない。首をかしげていると、アーヴィンが当然のように頷いた。
「魔力欠乏が改善されて、適切な魔力が体内をめぐるようになったんだろう。確かに君の髪も目も、ここに来た時とは色が違う。特に瞳は宝石のようだな。とても綺麗だ」
「かっ……!?」
間近に迫った顔にぎょっとしたが、観察するような瞳は冷静だ。
相変わらずの距離感に、ささやかにのけぞって回避する。
(近い近い近い近い)
そしてやっぱりいい匂いがする。のしかかられているので、この間よりも強く感じる。
「閣下、エリーが困ってます」
「なぜだ」
「なんで分からないのかが不思議ですよ、俺は」
呆れた口調で言いながら、教えてやる気はないようだ。いい加減にのけぞるのも限界で、エリーは情けない声を出した。
「さ、サイラス様、助けてください……」
「割と微笑ましい構図になってるので、しばらく俺の目を楽しませてほしいな。閣下に迫られて抵抗してる村娘って感じで初々しい」
「せっ……!?」
「誰がだ」
アーヴィンが眉を寄せたが、距離は変わらない。だから近い近い近い……! と言いたくなるのを抑えて、エリーはそっと手のひらを添えた。
「?」
「少々……距離感がおかしいです」
不可解な顔をしたものの、アーヴィンが言われるまま少し離れる。
ようやく姿勢が戻り、エリーはほっと息を吐いた。
「君の本当の目の色はそれか」
「よく分からないです」
「分からなくてもいい。とても綺麗だ」
ふ、とアーヴィンが微笑む。その顔もどきりとするほど整っている。
綺麗と言うなら彼の方がずっと綺麗だと思うのだが、本人にその自覚はないらしい。そしてとにかく距離が近い。ひたすら近い。
「魔力反応もよく出ているな。星のようで美しい。ぜひ今度、真夜中にその色を見せてほしい。私だけに」
「は……」
「閣下、語弊があります」
手を取られたまま固まっていたエリーに、サイラスが冷静な声で突っ込みを入れた。
「何がだ」
「それは女性を寝床に誘う時の常套句です。エリーには不適当かと」
「ねっ……!?」
一瞬で顔を赤くすると、彼は眉を寄せて言い返した。
「そんなつもりはない。瞳の魔力反応は、夜に見るととても綺麗だ。陽の光とはまた違った美しさがある。私はそれを見てみたい。もちろん、エリーが許してくれればだが」
「は……」
「まぁそんなことだと思いましたけどね。誤解されるんでやめてください」
終始突っ込みモードのサイラスは、こんな事には慣れっこらしい。
確かにこの容姿でそんなセリフを連発すれば、誤解されてもおかしくない。むしろよく今まで何事もなかったなこの人……と思ったが、さすがに口には出せなかった。
魔導具の研究をしているアーヴィンは、あまり人とは接触しない。
職人気質の名の通り、中身は完全に技術者だ。研究に夢中になるあまり、寝食を忘れる事も多いという。今は別件で忙しいため、あまり凝った研究はできないが、たまに簡単な魔導具を自作して楽しんでいる。
エリーも見せてもらったが、オルゴールの中に色とりどりの魔石がきらめき、音に合わせてくるくる回る代物だった。
(可愛い……)
じっと見ていたら、なぜだかプレゼントしてくれた。断ったのだけれど、やや強引に渡された。そんなに欲しそうに見えたのだろうか。
オルゴールはエリーに用意された部屋で、毎日くるくると回っている。たまに魔石の色が変わって、そこが面白い。
仕組みは簡単だが、実際に動かすのは難しい。繊細な設計に加え、高度な魔力付与の操作が必要となる。アーヴィンはどちらも極めて優れている。
最初のころ、ぽつぽつと質問しているうちに、アーヴィンの興味を惹いたらしい。簡単な問答の後、今ではアーヴィンの助手のようなものを任されている。サイラスも他の仕事で忙しいため、手伝いが増えるのは歓迎らしい。名目は助手見習いだ。
エリーにとっても、珍しい技術を間近で見るのは勉強になる。結果として、二人であれこれ意見を交換しているうちに、すっかり意気投合してしまった。
「君は私にとって唯一無二の人だ。ぜひ末永くそばにいてほしい」
「閣下、語弊があります」
「この命が尽きるまで、私から離れないでほしい」
「語弊が悪化しています」
「君を一生手放したくない。私は真剣だ」
「語弊ー!!」
「君を」ではなく「君の才能を」だ。そして過大評価が過ぎる。
「面白過ぎるなぁこの二人」
「面白がってないで助けてください!」
この調子で愛の言葉(語弊)を囁かれ続けたら、エリーの精神が先にやられる。
そんなアーヴィンは何やら魔導具を調べている。エリーの視線に気づくと、「君も見てみるか」と差し出された。
「これは……指輪ですか?」
「古代魔導具ではないが、古い時代の品だ。以前に手に入れたものだが、動かし方が分からない」
少し幅広の、シンプルな指輪だ。銀の台座に、色鮮やかな宝石がちりばめられている。それらをまとめるように、一回り大きなサイズの石が埋め込まれていた。
「魔石がついてますね。調べてみてもいいでしょうか」
「構わない」という許可を取り、軽く魔力を流してみる。
しばらく待ったが、反応はない。次に魔力の強さを変える。やはり反応がないのを確認し、今度は濃度を。通常の付与なら十分な量を流し込んでも、指輪はまったく反応しない。弾いてしまうのではなく、ただ吸収している感じだ。
「どうだ?」
「駄目ですね……。呪文は試してみましたか?」
「調べたが、スペルで起動する仕掛けはないようだ。もっとも、見つけられないだけかもしれないが」
「この魔石も気になります。並びに意味がある場合、色との兼ね合いも――」
「あ、あー、お二人さん」
話に熱が入った辺りで、サイラスがそろりと両手を上げた。
「仲がいいのは結構だけど……距離、近くない?」
「む」
「え?」
そこで気づいたが、いつものアーヴィンとほぼ同じ距離だった。
指輪が小さいせいで、顔を突き合わすほど近くに来ていた。ばっと飛び離れたエリーに、アーヴィンがなぜか眉をひそめる。
「邪魔をするな、サイラス」
「あとで気づいたらエリーのダメージが半端ないでしょう。みんながみんな、閣下みたいな距離感の人じゃないんですよ」
「エリーは私にとって好ましい、大切な人だ。彼女から近づいている以上、私には何の不満もない」
「閣下、語弊」
「語弊ではない。事実だ」
真顔で言うアーヴィンは堂々としている。発言内容に間違いはないらしい。いたたまれなくなったエリーに、サイラスが同情するような視線を向けた。
「ごめんねエリー、うちの閣下、度重なる語弊はあるけど、嘘がつけない性格だから」
「なお悪いじゃないですか!」
「これで愛の告白じゃないとか頭おかしいよね。でも本心だからさ、受け取って差し上げてよ」
「無理ですよ!」
不敬が過ぎるもいいところだ。
ボロ雑巾のような自分を拾って介抱してくれたあげく、住む場所と食事まで与えてもらった。おまけに仕事の手伝いをする事で、この家にいてもいい理由まで与えてもらった。
本当に、感謝してもし切れない。彼らはエリーの恩人だ。
アーヴィンの助けになるなら、どんな事でも手伝いたい。なんでも力になりたいと思う。
だがそれが語弊となると……正直、頭が痛い。
「私あの、こういうの、慣れてないので」
「だろうね」
「どうしたらいいんでしょう……?」
ひそひそと話す横で、アーヴィンが眉を寄せたままこちらを見ていた。
「お前も近いぞ、サイラス」
「俺はいいんですよ。エリーは妹みたいなものだから」
「私も大切に思っている」
「閣下はねぇ……。ああ、うん、でもいいです。余計なことは言わないに限る」
よく分からない事を言い、サイラスは兄のような目でエリーを見た。
「頑張って、と言っておくよ」
「え?」
「いいから。頑張ってね、エリー」
戸惑いつつも、エリーはその言葉に頷いた。




