10.魔力回復
そんな風にして始まった公爵家(別邸)での生活は、思った以上に快適だった。
朝はおいしい朝食が出て、食べ終えるとアーヴィンの診察、その後軽いリハビリをして、昼食の時間。食後はふたたび診察を受け、終わるとリハビリ。夜になると、言わなくても夕食が出てくる。食べ終えると自由時間だ。睡眠時間もたっぷり取れ、休養も十分。これで健康にならない方がおかしい。
半月もするうちに、エリーの身体はすっかり回復していた。
「そろそろ魔力を使ってみるか」
アーヴィンの許可が出たのは、そんなある日の事だった。
「いいんですか?」
「休息は十分に取れているし、問題ないだろう。何かやってみたいことはあるか?」
「そうですね……」
少し考えたが、エリーにできる事はひとつしかなかった。
「魔力付与がしてみたいです」
「……君は確か、工房での過酷な労働で魔力欠乏を起こしていたのではなかったか?」
「でも、それしかできないので」
エリーが工房の人間だという事は早々にばれた。というか、工房の前で魔力欠乏を起こして倒れていたのだ。分からない方がどうかしている。
その関係で、エリーがジャクリーンの身内である事も知られてしまった。不詳の妹の噂は彼らも知っていたらしい。というか、エリーが「お姉さま」と言うので、ある程度の見当をつけていたようだ。
彼女の名前を出した途端、青ざめて腰を抜かしたせいか、それとも恐怖で気絶してしまったからなのか、彼はなんとも言えない顔でエリーを見て、「何があろうと姉の元には帰さない」と言ってくれた。その距離もとても近かった。
――でも、帰らなくていいんだ……。
その事に、途方もなく安堵したのを覚えている。
エリーは無能な妹だ。
簡単な火をおこしたり、コップ一杯の水を生み出す事さえできない。正確に言えば、魔力が残った事がない。その前に使い切ってしまうせいだ。
そんなエリーをジャクリーンは見下し、事あるごとに罵倒していた。
馬鹿にするわりに仕事は多く、エリーはさんざんこき使われた。あの場所に帰らなくていいと思うだけで、力が湧いてくる気がする。
彼は何か言いたげだったが、「せっかくやる気になったのだからな…」と小声で呟き、魔力付与の許可が下りた。
初めて訪れた離れの中は、大量の魔導具であふれていた。
(わぁ、すごい)
壁一面に高い棚が備えつけられ、夥しい数の魔導具が置かれている。すぐに使えるものもあれば、まったく動かないものもある。その中のいくつかはエリーにも馴染みのあるものだった。
ジャクリーンに命じられる仕事は、無理な注文が多かった。
――魔石五百個に魔力付与、明日まで。
――色違いの宝石すべてに属性の異なる魔力付与。やり方は自分で考えなさい。
――ドレスに魔石をちりばめて、星のように輝かせる事。やり方は自分で(以下略)。
――今の仕事に加えて、魔石もう五百個追加。
――できない? 殺すわよ。
最初はささやかな依頼だったが、貴族との付き合いが増えるにつれ、どんどん量が増し、内容も複雑になっていった。要求されるレベルも高く、高価な魔導具や魔石であるほど、付与は難しく時間がかかった。
ここにあるものは、どれもかなりの一級品だ。
物珍しげにきょろきょろしていると、アーヴィンは何かを取り出した。
「このくらいなら、体に負担もないだろう。試してみるといい」
「……魔石?」
宝石箱くらいの小箱の中に、ぎっしりと小石が詰め込まれている。色や大きさはさまざまだが、すべて魔石だ。
「こ、この量を一日でこなせと……?」
「誰がそんなことを言った?」
アーヴィンに胡乱な目つきをされたが、以前の環境なら普通だった。
「で、では半分くらいで?」
「誰がだ、死ぬ」
「では四分の一……」
「君はどうしても過労死がしたいようだな」
その目に怒りが宿った、と思った直後、エリーは唇が触れ合いそうなほど顔を近づけられていた。
「何度も言わないから、よく聞け。私は君を死なせない。これはリハビリだ。できそうなものを選んで、気長に付与しろ。理解したな?」
「……ち、」
近い近い近い近い!
「いいか、ゆっくりとだ。少しずつ、慣らすつもりで、時間をかけて。言っておくが、いっぱいにはしなくていい。できる範囲で、少しずつ、だ」
「は、ははははい……っ」
エリーの動揺をよそに、アーヴィンは「分かったならいい」と頷いて顔を離した。
離れていく瞬間、ふわりといい匂いが鼻をかすめる。
最初に感じたのと同じ、少し甘い、清潔な香り。
「私は隣の部屋で作業している。何かあったら呼ぶように」
「分かりました」
「いいな、くれぐれも無理をするな」
念を押すと、背中を向けて部屋を出る。扉の閉まる音とともに、エリーはその場にへたり込んだ。
(……びっくりした……)
近かった。
あれは未婚の男女の距離じゃない。いや、既婚でもどうかと思う。
間近に迫ったアーヴィンの顔は、見惚れるくらい美しかった。
最高級の魔石のような目に見つめられると、それだけで息が止まった。あんなに美しい人が実在しているのか。中身が変なのが返す返すも残念だ。中身というか、距離感が。
渡された小箱に目を落とし、エリーはその中のひとつを手に取った。
大きさはばらばらだが、どれも質のいいものだ。
そっと魔力を込めると、石が淡く輝き出す。
あの時は空腹でふらふらして、ほとんど力が出なかった。
だけど、今なら。
「――《魔力付与》」
軽く魔力を込めると、石がパアッと輝いた。
思ったよりも簡単な事に驚いたが、疲労が改善されたのだから不思議ではない。
手のひらから魔力があふれ、次々と石の中に吸い込まれていく。
この感覚は久々だ。
元々、作業自体は嫌いではなかった。姉に強制され続けた結果、見るのも辛くなっていただけだ。
魔導具を見るのも好きだったし、修理するのも楽しかった。上手に魔力付与ができた日は、それだけで心が躍った。
そんな感覚、ずっと忘れていたけれど。
(もっと凝縮して……純粋に、魔力だけを、石の中へ)
そうする事で不純物が削ぎ落され、純度の高い魔力になる。
アーヴィンに渡された量は、以前の三日の作業分だ。
でも、今ならもっと。
七秒足らずで魔石を満たすと、エリーは次の石を手に取った。
作業はそのまま、日が暮れるまで続いた。




