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暴君な姉に捨てられたら、公爵閣下に拾われました  作者: 片山絢森
暴君な姉に捨てられたら、公爵閣下に拾われました
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1.有能な姉と無能な妹


「エリー、エリー! 何をぐずぐずしてるのよ、さっさと魔力付与しなさいよ!」

「……は、はーいっ」


 甲高い声でわめかれて、エリーは慌てて立ち上がった。

 粗末なワンピースをひらめかせ、急いで声の主の元へと駆け寄る。


 そこにいたのは、豪奢なドレスを身にまとった美女だった。


 真っ赤な髪に、色鮮やかな紫の瞳。不機嫌そうな顔をしているが、その美しさは際立っている。誰もが見とれるような美女は、フンと意地悪そうに鼻を鳴らした。


「ほんと、なんであんたみたいなのろまな愚図が、あたしの妹なのかしら。まったく使えない子よね、嫌になるわ」

「ご、ごめんなさい、お姉さま……」

「お姉さまって呼ぶなって言ってるでしょ!」


 バシッと手にした扇で頬を叩かれる。


「ジャクリーン様と呼びなさい。いつになったら覚えるの?」


 衝撃によろけた小柄な体が、踏ん張り切れずに尻もちをつく。それを見下ろし、ジャクリーンと名乗った美女は舌打ちした。


「あんたを殴ったせいで、扇が壊れたじゃない。どうしてくれるのよ」

「も、申し訳ありません、おね……ジャクリーン様」

「あとで直しておきなさい。いいわね?」


 反論を許さない声で言い、ひびの入った扇を少女に投げつける。それは額に当たり、痛そうな音が響いた。


「それより、付与」

 ジャクリーンが顎をしゃくる。

 そこには大箱にぎっしり入った魔石があった。


 その数、およそ三百。

 さらに宝石のついた耳飾りと、魔法陣を組み込んだお守りもある。


「わ、私、今日はとっくに魔力切れで……きゃっ」

 バシン、とふたたび頬を叩かれる。


「つべこべ言ってないで、さっさとやれって言ってるの。魔力切れならポーションを飲めばいいでしょ。さっさとやらないと、ひどいわよ」


 そう言うと、ジャクリーンはそばに置いてあった小瓶を手に取り、少女へと投げ与えた。


「多少副作用はあるけど、効き目があるんだから。飲みなさい」

「でも、それは、飲みすぎると命の危険があって……」


 今日はもう上限いっぱいまで飲んでいるのだ。それでも作業が終わらずに、ほとんど死んだようになって続けていた。それはジャクリーンも知っているはずなのに。


 渡された薬は、確かに一時的に魔力が回復するものの、反動ですさまじい苦痛を伴う。無理やり魔力を活性化させるため、身体への影響も少なくはない。あまりにも危険なため、使用が禁止されているものだ。


 もうしばらく休めば、多少は魔力が回復する。それからでも遅くはないはずだったが、ジャクリーンは「ダメよ」とにべもなく言った。


「今日中に終わらせるって約束してしまったんだもの。待ち合わせまで時間がないの。すぐにやりなさい」

「でも……」

「できないなら、また痛い目に遭わせてあげましょうか?」


 新しい扇を手に取られ、エリーは「ひっ」と悲鳴を上げた。

 扇で殴られるのも確かに痛いが、彼女の言っているのは別の意味だ。


 五つ年上のジャクリーンは現在二十一歳。エリーの姉で、美しく優秀な令嬢だ。……少なくとも、表向きは。


 彼女を一言で言い表すなら――暴君。


 彼女の得意技は、「他者に魔力を流し込んで苦痛を味わわせる」といったもので、その痛みは筆舌に尽くしがたい。幼いころからエリーは彼女の戯れに、暇つぶしに、八つ当たりにと、さんざん痛めつけられてきた。


 両親も美しく賢いジャクリーンがお気に入りだったようで、エリーが泣いて訴えても、いじめられて逃げ込んでも、ろくにジャクリーンを咎めもせず、逆にエリーの事を叱る始末だった。



 ――ジャクリーンの宝石を持ち出したんだって? 悪い子だ。

 ――ジャクリーンのドレスが羨ましくなって、破いてしまったんですってね。

 ――ジャクリーンに焼きもちを焼いて、暴力を振るったそうじゃないか。



 どれもこれもやっていない。


 けれど、言葉巧みに話されて、嘘泣きの姉を見ているうちに、エリーはすっかり「出来の良い姉を妬んで嫌がらせする無能な妹」という扱いになってしまった。

 何度も訴えたはずなのに、どうしても信じてもらえなかった。


 エリーは平凡な容姿を持つ、平凡な娘だ。


 髪はぱさついた金髪で、目の色は紫。ジャクリーンのような美しい色ではなく、灰が混じったようなくすんだ色だ。


 唯一得意なのが魔力付与で、形あるものにささやかな魔力を込める事ができる。特に魔石・宝石(ストーン)は人気が高く、アクセサリーとしても売れている。

 それに目を付けた姉が「店を始める」と宣言した八年前から、作業場はエリーの自室になった。


 姉も魔力付与は得意なはずだが、最近はすべてエリーに任せ、自分の魔力は自分のためだけに使い切っている。髪の艶を増したり、瞳を輝かせたりするには多くの魔力が必要で、「余計な事に消費している分はない」らしい。


 それを言うならエリーもそうだが、姉に仕事を命じられるようになってから、自分のために魔力を使えた日は一度もない。それどころか魔力欠乏ぎりぎりの日も珍しくなく、いつもへとへとに疲れ切っていた。


 当然、倒れる事もしょっちゅうだったが、そんな事を気にかける姉ではない。どこかから調達してきた違法な薬を飲まされ、魔力が回復するポーションを与えられ、副作用で地獄の苦しみを味わいながら、奴隷のように働かされてきた。


 頼みの綱の両親は、外面の良い姉に乗せられて、景色のいい保養地へと移り住んでいる。彼らがいなくなってから、姉はそれまで以上にエリーをこき使うようになった。

 何度か両親に手紙を出したが、返ってくるのはいつも「お姉ちゃんの言うことを聞きなさい」「ワガママを言ってはダメよ」ばかりで、やがてエリーの心が折れた。


 逃げ出そうとした事もあるが、なぜかいつもその前に見つかり、「お仕置きよ」と称して魔力を流し込まれた。三日三晩苦しみ抜くほどの激痛だった。

 助けを求めても無視されて、逃げようとしたら捕まり、エリーはやがて何も考えられなくなった。


 この恐ろしくて美しい姉は、本当に自分の身内なのか。

 身内ならなぜこんな目に遭わせるのか。もしかして、何か理由があるんじゃないか。

 そう思ったのは遠い昔だ。


 世の中には自分の事しか大事じゃない人間がいる。

 彼らにとって、血がつながっているのは些細な事で、そこには紙切れ一枚ほどの価値もない。


 彼らは身内を「他人よりも迷惑をかけていい存在」としか見ていない。

 肉親の情も、兄弟愛もそこにはない。あるのはただ、「こいつらはどれだけ利用できるか」というシビアな目だ。


 姉のジャクリーンは、まさにそういう人間だった。


 彼女にとって、「魔力付与が使える妹」は、金の卵を生み出す便利な道具で、使わなければもったいない。そういう程度の認識なのだ。当然、妹に拒否権があるはずもない。


(なんであんな人が姉なんだろう……)


 言われるままポーションを飲んで魔力付与すると、姉は上機嫌で出かけて行った。

「ご褒美をあげるわ」と、硬いパンと水のように薄いスープが与えられ、それが今日の夕食となる。とはいえ、今は食べる事もできないほど疲れ切っている。


 ちなみに、どちらも姉の食べ残しだ。

 特にスープはただの水を入れて嵩増ししただけの、ほぼ水である。


 姉は料理をまったくしないので、これもエリーが作ったものだ。出来立てはおいしかったはずなのに、三日も経てばこうなるのか。姉は味にはうるさいので、好みと違えばぶちまけられる。もちろん、手が出るところまでが一連の流れ(ワンセット)だ。


 そんな目に遭っても、エリーは姉に逆らえない。

 あの苦痛をもう一度味わうくらいなら、空腹を我慢した方がいい。

 少なくとも空腹は痛くない。そっちの方が少しはマシだ。


 それがどれだけ(いびつ)な事かは、考えないでいる。


(疲れた……)


 ぎしぎしと体中が悲鳴を上げている。

 無理やり魔力を回復させたため、ここからが辛い時間だ。

 せめて気を失ってしまえば、苦痛の時間が短くて済むのに。


(ああ……もう、辛いなぁ)


 逃げたいと思う気持ちはとっくに消えて、今はただ休みたい。


 姉はきっと、顧客となっている裕福な商人か、貴族の令息と出かけているのだろう。それなら当分帰ってこない。少しは長く休めるだろう。


 ああでも、他にもやらないといけない仕事がある。

 明日までにと言われた魔石は五百、宝石は三百だ。それだけでなく、特殊な魔導具に付与するようにも言われている。


 掃除や洗濯もまだ途中で、肉や魚の仕込みもまだで、アイロンがけを命じられたドレスもそのままで――そうだ、壊れた扇も直しておかなくちゃ。あれはどうしたらいいんだろう。


(早く……やらない、と……)


 気持ちとは裏腹に、体がまったく動かない。

 強くなる痛みに(さいな)まれながら、エリーは意識を失った。

お読みいただきありがとうございます!

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