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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

願わくば、あなたに光を

作者: Lyel

※作者の自殺・自傷シーンがあります。

 苦手な方はご注意ください

『鬱病』という名前を聞いたことある方は多いと思います。

例えば…自身やご家族、親戚の方が患ってしまったり、はたまたテレビやネットで知ったり。

現在十五人に一人が生涯患ってしまうと言われているその病気は私たちの日常に入り込んでいるものかと思います。

そして、この病気に対して個々人様々な意見や考えがあると思いますが、ここで一つお話を聞いていただけたらと思います。


高校一年生の秋。

鬱病と診断され、一週間もたたずに入院を余儀なくされた私の、ちょっとした人生の話です。


ここには何一つ嘘など書きません。

願わくば、人生で悩んでいる方・同じような精神疾患の方・そのような知り合いがいらっしゃる方の力になれたならと思います。




私は今、感情というものがよくわかりません。

その時笑うことも、泣くことも、怒ることさえできますが、心からどうと思ったことは人生で一度もないのです。

心が動かない。まるで涸れ果ててしまった砂漠のような感じです。


しかし初めからそうだったわけでは勿論ありません。

一番最初に〈愛〉を信じられなくなり、その次に人間を信じられなくなり、大嫌いになり、そうして尚人の顔色を窺っているうちに感情がわからなくなりました。




私は、きっと世間一般的に見て恵まれた家庭に生まれたのだと思います。

両親ともに健在で、父は会社員(のちに自営業を始めますが)母は専業主婦(彼女も後にパートを始めます)、そして兄は中学から私立に通えるほどでした。


幼いことから欲しいものは得てきましたし、十近い習い事も習ってまいりました。

しかし、三歳のある冬の日全てが変わりました。

あのことはまだマンションに暮らしていたものですから、いつもリビングの隣の畳部屋で母兄私三人並んで寝ていました。

しかしその日は夜中に起きてみると誰もいなかったのです。

すっかり夜も更けて真っ暗になった部屋の中、隣の部屋から漏れ出す光だけが僅かに見えました。

少し恐ろしくなって覗いてみると、今まで気が付かなかった人の争う声がはっきりと聞き取れました。


三つ上の兄は母の腕の中で泣いていました。

いいえ、それだけではありません。母も、そんな兄を庇うように身を丸めて泣いていました。

どうして泣いているのか全くわかりませんでしたが、本能だけが『ただ事ではない』と叫び続けていました。


そして私は目を疑いました。

兄を庇う母の背中を、父が思い切り蹴ったのです。

苦しそうに声を上げ嗚咽をこらえて泣く母に、私はもう何が何だかわかりませんでした。

いつもニコニコと笑っている二人が、喧嘩をして、あまつさえ父が母に手を挙げた。


それからの記憶はもうありません。

ただ昼間見るあの笑顔の裏には、父の暴力と母の涙、そして兄の叫ぶような泣き声があるのだと思うとただ家族が恐ろしくなりました。


それから、時々私は似たような光景を見ました。

決まって私は隣の部屋からこっそり覗くだけでしたが、それでも私の脳裏には今でも鮮明にあの時の様子が思い浮かびます。


食器棚を持ち上げて母を殴ろうとする父の姿。

兄を殺してしまいそうなほど殴った父へ泣いて縋る母の姿。

もう光さえ見えなくなった兄が玩具のように肢体を投げだしてされるがま間になる姿。


あぁ、これが家族なんだと。

生まれた時から当たり前のように保護され愛され、そして大切に育てられる存在と教科書に書かれる子供とは、実際両親の八つ当たりの的でしかないのだと。

私は当たり前のように理解しました。


その時から私は、絶対に両親に逆らいませんでした。

テストは絶対に九十点以上。成績は全部A。

そうじゃなくては私は兄のようになってしまう。そうじゃなくては私は殺されてしまう。

そんな恐怖だけが私の手を動かし続けました。


実際のところ、あの夜何がったのか私は知りません。

三歳の瞳に写ったのがあの光景だっただけで、本当はもう少しマシだったかもしれませんし、もっと酷かったのかもしれません。


ただ一つ言えることが、あの夜から私は本当の自分を殺して生きてきたということだけです。



そんなこんなで生きていた私は、そのまま小学四年生になりました。

その時には暴力は落ち着いていましたが、家族内はいつも暴言の嵐でした。


そのうち世界の広がってきた私はこの家族が『普通ではない』のだとそう気づいてしまいました。

愛をもらうために吐くほどの努力をするのも、暴力を恐れて一人で永遠と泣き続けるのも、おかしいことなのだと。


そう気づいてしまえば早かったです。

あっという間に私は『普通の家族』にあこがれ、それをいつの間にか家族に押し付けるようになりました


心から家族が笑い合って、暖かな食卓を囲み合いたい。


そんな理想を私は実現させようと東奔西走し始めました。

無表情で笑うことなど知らなかった私は常にニコニコと笑顔を張り付けるようになりましたし、面白くもないジョークをいつでも考えるようになりました。

そしていつか全員が笑ってくれるのならば―…


当時十歳の私にはそれくらいの力しかありませんでしたが、それでも私は精一杯努力をしました。

しかし父から聞かされる母の悪口も、母から聞かされる父の恨み言も、兄から聞かされる家族への絶望も収まることはありませんでした。


そしてついにヘラヘラと笑って媚を売る私を煩わしく思った母が、ギュッと抱き着いた私の腕を振り払って私を突き飛ばしました。

壁に衝突した私の呻き声など気づきもしない母はそのまま大きく手を振りかざして私の頬を何度も何度もたたきました。

『大好き!』

つい五分前に母へ言ったその言葉は返されることなく、いつの間にか私は痛む頬を伝う涙をぬぐいながらトイレで膝を抱えていました。

私の浅慮な考えのせいで、私は家族に亀裂を入れてしまったのだと思いました。


それから私の精神はズタズタでした。

「アンタなんか生まなければよかった」

「アンタが私の人生の邪魔をした」

「アンタがもっといい子だったなら」

「アンタが」―――

叩かれたときに言われた言葉ばかりが私の頭をめぐって。

もう笑顔の作り方さえも忘れてしまった時。

少しの誤りで父の地雷を踏んでしまった私は秋も深くなってきた季節の中、半袖のパジャマで家を追い出されました。

あの長い夜はちょっとしたトラウマです。

「お前なんかうちの子じゃない」と、そういった父の恐ろしく憤怒に満ちた瞳は私の心を折るには十二分でした。


いつしか私は諦めました。

私の悪口ばかりを言って父の機嫌を取る母も、一か月に二回帰ってくるか来ないかになった父も、私と少し言い合いになっただけで包丁を持ち出してきて「言うことを聞かなければ殺す」と言ってきた兄にも。

期待などするだけ無駄なのだと。頑張った所で今更何も代わりやしないのだと。

…到底愛のある家庭にはなれ合いのだと、そう痛感しました。



その途中、私には一人の親友が出来ました。

先の話は小学四年生から小学六年生の間の話なのですが、ちょうどその間―小学五年生のとき私は親友に家族の相談を持ち出したことがありました。

親友になって二年目の夏のことでした。

私はついに誰にも言ってこなかった家族の話を親友にし、これからどうすればいいのかを尋ねようとしました。


結論から言ってしまえば、返答はひどいものでした。

泣きながら助けを求めた私に、親友は呆れたような煩わしそうな瞳を向けて

「だから何?どうしてほしいの?私かわいそうです自慢辞めてくれない?そういうのが一番ウザイ」

そう言いました。

怒りは自然と浮かんできませんでした。

ただただ深い悲しみの沼に突き落とされた気分でした。


その時私は思いました。

「友達」も、そんなものなのだと。



家族も友達も、誰も彼もそんなもん。

そう分かったとき私は壊れてしまったのだと思います。

小学六年生の夏から冬にかけて、私は何一つ覚えていません。

学校にも行かず、外に出ることも家族と話すことも拒絶して、独りベッドで丸くなっていました。


義務教育なので出席が足りなくて卒業できない―なんていうことはありませんでした。

それをわかっていた母は家に私がいることを心底嫌がりながらも、無理やり学校へ通わせることはしないでいてくれました。


その時だったと思います。

私が、初めて自殺を図ったのは。


もう生きる意味も価値も、未来への希望も何もかもなくなって。

たった一人陽もささない部屋にこもって私は包丁を首に当てました。

そして、そのまま力強く早く引く。

肉を切るのと同じ感覚。いやそれ以上にしっかりした筋肉に、私は思わず手を止めました。

ぶわっと溢れかえる熱に、フローリングに滴る赤に、身が裂けるような痛みに、私はとっさに止血をしました。

あの痛みを、絶望を、きっと私は忘れません。


そしてその悲しみは、私をさらに追い込めることになりました。


一度『生』から逃げた私が、みんなと一緒に日向で笑っていていいのか?

いいわけないだろう。


そんな自問自答を繰り返して。

そうして私は中学生になったのです。



その時にはもう人間に対する信用も信頼も、愛情さえも綺麗すっかり消え失せていました。

ふわふわと当たり障りのない会話をして、誰かの重荷にならないようにさっさと消える。

誰とでも一定の距離を取っていた私は、ずっとそんなスタンスで生活をしていました。


それが変わったのは、部活の先輩に告白をされた時だったと思います。

不幸にもその先輩は当時の部長や親友が片思いをしていた相手でもあり、私は一度断ろうと考えました。

しかし何よりも。生まれてこの方まともな愛情など受けたことのない私には、私を求めてくれる彼がとても特別な存在のように思えました。


私はその告白を受け―――部活に居場所がなくなりました。

部活へ行けば先輩との恋愛を揶揄われ、さらには嫌味まで言われる始末。

段々と私の足が部活から遠ざかっていったとき、部活でコンクールに出ようという話が上がりました。

三十年ある中学でもそれは初めての試みらしく、私を含め何人もの人がそれに反対しました。


当時中学二年生だった私は、もう受験勉強を始めていましたし、何よりも部活に行きたくなかったものですから私は何が何でも出たくはありませんでした。

それに私の仲良かった友達も反対していたものですから、私はつい調子に乗ってしたのかもしれません。


一週間に一度(部活は一週間に三日しかありません)部活に行くと決めていたその日。

私が部活へ行ったときには私以外の部員―二十六人が円になって話し合いをしていました。

思わずきょとんとする私を置いて、気まずそうな顔をしたメンバーはそそくさと片して部活の準備を始めていきます。

どうにも内容が気になった私は、仲のいい友達にその時のことを問いました。


やはり彼女も気まずそうに、言いにくそうにしていましたが「どうしても!」という私の頼みを聞いて少女は教えてくれました。


「えーっとね。みんなで貴女について話し合いをしていたの。ほら、最近部活に来なくなったでしょう?何が悪かったのかって。話していたんだけど…」


そのまま彼女は言いにくそうに私から視線を逸らして続けました。


「あの、悪く思わないでほしいんだけど。途中から貴女の悪口大会みたいになっちゃて…。その…」


そのあと彼女は言い訳をするかのようにゴニョゴニョと話を続けてしました。

私は思わず笑ってしまいました。


そうか。二十六人で。たった一人の少女の、悪口を言うのを。

私は悪く思ってはいけないのか。


その二十六人の中には、親友も、幼馴染も、彼氏も、仲良くしていた後輩も、慕っていた先生も、いたのだけれど。

みんな、みんな悪口を言ったのか。


言い訳のように言葉をつづけた少女曰く、私の彼氏君はに苦笑して共感していたらしいし、幼馴染や親友は率先して言っていたらしいし。先生も、見ていながら止めることさえしませんでしたし。


人間って、そんなものなんですか。

私、何もしていませんよ。


先輩の告白を断ればよかったんですか?

そうすれば部内に居場所がなくなるのは先輩で。

揶揄われて嫌味を言われても耐えていればよかったんですか?

でも家族のこともあった私はもう限界で。

誰かに頼ることを許されるどころか、私とかかわった人はみんな私の悪口を言うんですね。


どうすれば良かったんですか。

どうしようも、無かったじゃないですか。


無理ですよ。生きられませんよ。

自殺したことも誰にも言えずに、毎晩明日が怖くて眠れないことさえ貴女たちは知らないで。

私を責める。私が悪いかのように、私にすべてを押し付ける。


そして、私は二年ぶりの不登校生徒になりました。

全てが限界で。もう誰かと息をすることさえ吐いてしまいそうなほどでした。


人間って、信じちゃいけないらしいです。

家族って、命の危機があるんですよ?


全てがいやになって。すべてを壊してしまいたくて。


その時私は二回目の自殺を図りました。

飛び降りでした。


電車が一番なのでしょうけれど、それだと多くの人に迷惑が掛かってしまいます。山に登って死のうかとも思いましたが、それだと知らない人に私の汚い死体を発見させることになってしまいます。


色々悩んだ末、私は家の屋根に上って落ちることにしました。

まぁ今こうして書いているわけですから、私は不幸にも生きました。


屋根から落ちる寸前、冬だったものですから屋根が凍っていて、足を滑らせた私は反射的に落ちる寸前に瓦をつかんでいました。

それを母に見つかり。

私は結果として「星を見ようとして足を滑らせたドジな子」になりました。


そうして私の二回目の自殺は終わりました。

三度目の自殺は受験期でした。


二度目の自殺後、私は大分気持ちが落ち着いて中学三年生になりました。

受験を言い訳に進級後すぐに部活を引退し、クラスも離れた私は心の安寧を取り戻すことが出来たのです。

しかし、受験期に入ると中学二年生の時に通っていなかった悪影響が出てきました。もとより頭がいいことは私の数少ない長所の一つだとしても、応用までは手が回らず。結果として母を怒らせることになってしましました。


「アンタなんかどうせろくな会社に入れない」

「今更頑張ったって無駄なんだから、もう諦めろ」


そんな言葉を毎日聞いているうちに、私は段々未来が恐ろしくなりました。

ろくな会社に入れなくては私は衣食住に困って野垂れ死んでしまうのではないかと怖くて怖くて。

頑張っても無駄だとしても、私は頑張るしか未来を変えることはできないではないかと。

私は教材が涙でぐちゃぐちゃになっても尚泣きながらペンを持ちました。


そのうちやっぱり生きるのが苦しくなって、私は三度目の自殺をしました。

次は首吊りでした。

その時私は初めて死ねる、と感じました。

天蓋ベッドの上から吊るしたネクタイに、私は首を圧するように頭を通しました。

やっぱり結果として私は死ねませんでした。

初めてのこともありネクタイの結びが甘かった私は最後に足を外した瞬間、上から落ちてしまったのです。


それでもやはり私の首は真っ赤になって、しばらく足腰は立てないほどに震えていました。

一瞬息が詰まり視界が真っ黒になった瞬間、頭がひっくり返ったかのような吐き気と浮遊感が身体を襲いました。

一生忘れることのできないあの夜は、私をやはり絶望へと突き落としていきました。

これ以上生きることはできない。けれど死ぬことも、まともにできない。


その日から私は自傷を始めました。

誰かに気が付いてほしかったわけでもない腕には包帯を巻いて、冬という季節もあり誰にもばれることはありませんでした。


ズタボロの精神状態でも自分に八つ当たりすることで発散して。どんなことを言われても嫌われてしまわないように勉強だけは無駄に頑張って。


そうして、そうして私は高校生になりました。

結局第一志望校の公立には受かることはできませんでしたが、それでも併願を利用した私立に入学することが出来ました。




私はまたぼんやりと息をしていました。

もう苦しい生活に慣れてしまったせいか、感情も麻痺して特に何を感じることさえできなくなってしまいました。


友人関係ごちゃごちゃの四月だけは除け者にされたり、嘲笑されたり苦しい日々で学校をやめたいとさえ思いました。

しかし四月後半のある日、私は部活で不思議な人たちと出会いました。

彼女たちは私の人生で初めて出会えてよかったと思える人々でした。


似たような趣味の、ちょっと変わった人たち。


やはり誰かと一緒にいるのは苦しくて仕方のないことでしたが、それでも彼女たちと過ごす日々は苦しくても幸せな思い出へとなっていきました。

しかし、そのうち私は思い始めました。


こんなに大切なのに、好きなのに。

私は『愛』も『感情』もまともに分からない人間で。

それは彼女たちにとって不誠実なのではないか。裏切ってしまっているのではないか。


一緒に笑っていても、私は夜になると人が恐ろしくて泣いている。

一緒に出かけても、私は人の機嫌ばかりを伺っている。

少し失言をして仕舞えば怖くて夜は眠れないし、出掛ける前日は憂鬱で仕方ありませんでした。


なぜ明けない夜は無いのでしょう?

一生私だけ夜に取り残されていたい。

心からそう思いました。


ずっと続けている自傷も、高校に入ってからも何度となく経験した自殺も。

段々、段々と私を蝕んで行きました。



そして秋のある日。

私はもう限界を迎えました。


学校に行きたくない。人と話したく無い。もう息さえしたくは無い。全身を切り刻んで死んでしまいたい。いいや。何よりも消えたい。消えてしまいたかった。


その日は月曜日だったにもかかわらず、私は部屋に閉じこもって泣き叫びました。

腕は切るところがないほどにボロボロで。制服のシャツにも赤黒いシミが沢山できてしまいました。


死ねない苦しみが、生きる絶望が、私を一気に襲いました。

死ねないなら、生きれないなら、誰にも相談できないならば。


私は唯一の希望にかけることにしたのです。


『精神科へ行ったみたい』


泣きながら登校準備をする私は、母に一言そう言って扉に手をかけました。

そんな私の様子を見ていた母は、険しい顔で黙った後『遅刻も欠席も扱いは変わらない。どうせなら今行ってしまおう』と私に言いました。


そこからは怒涛の展開でした。

私はあっという間に重度の鬱病だと診断され、気がつけば総合病院に入院をしていました。

精神科の病棟なだけあり、他の患者さんとの交流は全くありません。

看護師さんがちょくちょく顔を見に来たり、先生が変わりないかを確認しに来るくらいでとても過ごしやすい場所でした。


しかし私は段々と不安になりました。

みんなが学校で勉強をしている間、私は何もせずに病院から空を見上げるだけ。私はきっとみんなに置いて行かれてしまう。


そんなことを思ったら私はもう病院が苦しい場所にしか思えなくなりました。

それから暫くして、私は退院しました。

しかし学校への復帰はその一か月後となりました。

入院期間含め家で休養している間はすべて出席停止扱いとなり、私は人とかかわることなく部屋に閉じこもっていました。


久しぶりに学校の友達と会おうと考えられたのは退院してから三週間後のことでした。

もう表情筋は思うように動かなくなっていましたし、外に出て人を見るだけで足がすくんで動けなくなりました。

人間が大嫌いで、人間なんか。と考え続けていた私はもうポッキリ何かが折れてしまったようでした。


歩けない。進めない。何もやりたくはない。強いていうなら死にたい、消えたい。

病院から処方された薬は残念ながら私には効きませんでした。

入院前よりひどくなる自傷と心の痛みに、私は毎晩泣き続けました。


そんな精神状態で私は家族と話すことになりました。

私を見て初めに口を開いたのは父でした。

『大丈夫か?』

そう問うてきた父に、私はもう疲れてしまって

『大丈夫なら入院したりはしない』

と冷たく言い返しました。

当たり前です。私は聞いていました。

私が入院したと聞いた瞬間、母を責めた出した父の声を。お前は何を見てきたんだ!という怒声を。


しかし私は思うのです。

もしも父が家族をもっと大切にして、家族から逃げなかったなら、私はこんな風にはならなかった。

確かに母は私に最低なことをしました。けれどその罪はきっと父も同じで、兄も、また私自身も同じことなのだと思います。


次に口を開いたのは母でした。

いつもと同じような顔をした母は、何を思ったか私に笑いかけて言いました。

『大丈夫だよ。きっとすぐよくなるって』

私はその言葉を聞いた瞬間、思考が停止しました。

良くなる?何を言っているのでしょう?

私がこうなったのは家族にも責任があるわけで、何故あなたは笑っている。何故あなたは私に謝罪をしようとは思わない?

言ってほしかった。心がこもっていなくたって構わない。

『ごめんなさい。気づいてあげられたならよかったのに』そう言ってほしかった。


私は思わず渇いた笑いを零して母を睨みました。

『大丈夫?何を言っているの。何も知らないくせに。何一つ気づかなかったくせに』

まさか私がそんなことを言うとは思っていなかったのでしょう母は、かっとなって私に返しました。

『貴方だって知っているでしょう⁉私はパートをしながら亡くなったおじいちゃんの看病に行っていたのよ!気づくところか私が休む時間すらなかった!まぁアンタみたいな人間じゃ自分の父が死んだってなにも思わないかもしれないけれど⁉』


もう何も思いませんでした。

そうだね、私は確かにお父さんが死んでも悲しいとは思えないよ。

けれど、そうじゃない。そうじゃないんですよ、お母さん。

私はあなたにたった一言、なんでもいい暖かい言葉を言ってほしかった。

この人生で一度だって言われなかった称賛でも、謝罪の言葉でも気遣う言葉でもいい。


その日はその場でお開きになりました。

兄は、兄だけは何も言わず迷惑そうな顔をして、信じられないようなものを見る目で私をただ見つめてしました。



そのうち時間は経ち、私は友達と会う日になりました。

前日に切った両腕がひどく痛みましたが包帯を巻いて隠しました。

相変わらずの友達はとても楽しい時をくれましたが、しかし否めない疎外感だけが私の心に重く残りました。

一か月。私は彼女たちと会わずメッセージだけの会話をしていました。

しかしそのメッセージも私の体調がいい時だけで、学校の話をしている五人に割って入る勇気などない私は一人で膝を抱えてしました。


次第に我慢できなくなった私は『ちょっと抜けるね』と言って独りトイレで号泣しました。

誰かと話すのが苦しくて苦しくて。

もう息が詰まって死んでしまうそうなほどでした。

しかし人間はそう変われません。

トイレから戻ると私は何事もなかったかのようにほほ笑んで、また彼女たちを笑い合いました。


その夜のことでした。私は病気のことを話そうとみんなに電話をしました。

これは私が入院中からずっと考えていることでした。

私はもう生きられません。

これ以上の苦しみなど背負えません。

だから、私はもう一度だけ人を愛さなくてはいけないのです。

人を愛し、人を信じ、そしてもう一度だけ立ち上がる。


そうしない限り私は永遠と身体を傷つけ、死ねもしない自殺を繰り返し続けることになります。

だから、本当の本当の最後の希望。


私はそう思って病気の話をしました。

みんなが真剣に受け止めてくれました。


しかし私は気づいたのです。病気の話をしたところで何が変わるわけでもないのだと。

病気の話が終わった途端、みんなが好きなアニメの話をして盛り上がり始めたのを遠くに聞きながら痛感しました。




どうすればいいのでしょう。

どうすれば良かったのでしょう。


未来に光などありません。真っ暗の闇だけが私の恐怖心を煽るだけです。

過去の足跡だって、まるで他人が歩いてきたかのような違和感だけを私に押し付けて消えていきます。


貴方は今、幸せですか?

貴方は今、楽しいですか?


堂々と「はい」と言えた方は、きっと絶え間ない努力をしてきたのでしょう。

そして私と同じように首を振った方は、きっと同じような苦しみの中で藻がいている同士なのでしょう。


愛を知らないのに、愛したかったのです。

感情さえ分からないのに、普通の人になりたかった。


私の人生に光が灯るかなどまだ分かりません。

しかし、私は少しだけ心が軽くなりました。


みんなと電話をした後、私は一人の少女と話をしました。

五人の中でも特に優しく思いやりのある少女だった彼女は、私をひどく心配していました。

『貴女がいなくなると思うと悲しくて、朝からずっと泣いていた』

そういった彼女の言葉はジョークのように軽いものでしたが、どことない熱を持た彼女の言葉は紛れもない本音だったと思います。


『ねえ、私は要らないんだって言わないでよ。確かに別の人でも貴女の代わりになるかもしれない。でもね、この一度きりの世界で私たちはもう出会って、大切な存在になってる。それを無かったことになんてできないんだよ。

だから、貴女がいい。

あの時出会って、あの時笑い合った貴女だから、貴女がいいの』


私は何と言えばいいのか分かりませんでした。

こんなにも私を心配し、私を大切に思ってくれる少女に私は何も返せません。

そもそも私は誰かを信じられませんし、誰かと一緒にいるのはまだ結構苦しいです。

しかし、それでも私は隙あらば考えてしまいます。


どこまで話せばいいのか。

どこまで言えば彼女の真っ直ぐな思いにこたえられるのか。


私のこんな人生を話したところで、きっと何にもならないのかもしれません。

それでも私はそれ以外に分からなかった。

彼女の想いを、願いを、答えられる人になりたかった。


ねぇ、今届いていますか。

こんなに物語が溢れたこの世界で、私の独白が届くだなんて思いません。

それでも届いてくれたらうれしいです。


貴女が私にくれた言葉を、私は一生忘れません。


ありがとう。ありがとう。

未来は、変わるのかもしれません。

光はまだ見えないし、人間なんて大嫌いだし。

それでも世界は思っていたよりちょっとだけ、いいものなのかもしれません。



私を幸せにできるのも、私を救えるのも、私一人だけです。


ねぇ、貴方は今、しあわせですか?


明けない夜は無くとも、明けたことにさえ気づけないほど殻に閉じ籠らなくてはいけない人はいます。

止まない雨はなくとも、止んだことを確かめられないほど、傘を手放せない人もいます。


それでも私は信じていたいのです。

ほんの少しだけカーテンを開けられたなら、カーテンを薄くできたなら、朝に気付けるのだと。

ほんの少しだけ雨を愛せたならば、雨の中でも笑って前に進めるのだと。


そして何よりも。

夜を超えたものにしか、朝は訪れないのだと。


貴方が幸せでも不幸せでも、私は思います。


願わくば、貴方に光を。

闇を超えた貴方に、晴れ空の朝焼けが広がっていますように。














そして貰ってばかりのこの愛を。

貴女に、世界に返せますように。





最後まで読んでいただきありがとうございました。

結局、私の話で何を伝えたかったのか…分からない方も多かったかもしれません。


けれど、私はとある人のうつ病記録を読んで自分の現状を客観的に見られるようになりました。

もし私の話を読んで少しでも救われたなら。

真っ暗な世界にもいつか必ず光は出すんだと、少しでもそう思えたなら。


私は心から書いて良かったと思います。



たった一人のあなたへ。


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