9話 対蔓延、対繁栄
ふと、風が男の頬をなでる。
運ばれる土の匂いに闘争の気配を感じたラスフィングは、閉じていた瞼をゆっくり開けた。
甲高い剣戟の音━━視線の先には、マザーハウデンから聞いていた通り、泥人形を相手に懸命に戦う臣下の姿がある。
ラスフィングは乾いた空気を吸い込み、加勢へと歩んでいく。腰元の武器には手を伸ばさず、代わりに、手を下ろしたまま何かを握る動作をした。
音もなく気配だけが訪れる━━空だった両手に、真っ黒な双剣が握られた。
つばも飾りもなければ、わずかな光すら反射しない、闇を押し固めたような一対の剣。
それをどこからともなく発現させ、当然のように携えたラスフィングは無意識に息を吐いた。
この剣を取るたび、体が、心が冷える感覚に襲われる。
胸の奥、ないはずの心臓が一瞬跳ねる感じ━━失くして久しい“鼓動”とはこんな感じなんだろうな、と漠然と思った。
ラスフィングは数メートル進んだ後、ふと足を止めた。
前線まではまだ距離があるが、足を大きく広げ、体をわずか前傾にして腰を落とす。両手の剣を後ろに振り抜き構え、静かに狙いを定めた。
目標は右側、ヨルカに飛びかかろうとしている泥人形数体である。
握る手に、踏み締める足に、全身に力を入れる。すると、剣身から火の粉のような黒い粒子が溢れ出した。
この黒光溢れる剣こそが、彼が1年をかけて冥王の試練に打ち克った証。
その名も、『針影』
王太子になれずとも、次期王はラスフィングだとされる所以たる剣である。
さらに冥王は、成人も迎えていない若い身でありながら踏破してみせた少年に敬意を表し、その針影に別の銘も与えた。
「針影・真頸━━!」
解放と共にラスフィングは剣を振りあげて、黒い斬撃を飛ばした。
◇
「つぅぅ……!」
上段からの攻撃を弾き返し、ヨルカは呻く。
たった1人での防戦。勝ち目の薄い戦いは堪えるが、自分の頑張りが主人の生存に繋がるのなら、これほど安いものもなかった。
泥の体を斬ってしまえば、蓄積される重さに負け先ほどの二の舞になる。よって、剣技で退け、回避で難を逃れ、鍔迫り合いにて侵攻を食い止めていた。
その甲斐もあり、戦いは順調に進んでいた。しかし、危機は訪れた。
正面での鍔迫り合いの最中、右側から攻めてくる賊を視界の端に捉えたのだ。
一瞬だけその方を見遣る……数は、ざっと見ても10体はいた。
わずかに逡巡したが、ヨルカは正面の敵を押し返し、退けたほんのわずかな時間で右の対処をしようと考えをまとめる。
少しでも対応が遅れれば、これまでの用心が無駄になってしまう。
間隙を縫う作戦に覚悟を決め、いざ実行すべく剣を振り上げたその時━━
圧倒的な暴力を持つ黒い波濤がヨルカの右横を駆け抜けた。
「……ッ!」
突然視界に入ってきたものに、ヨルカは反射的に顔を守りながらもその光景を目撃した。
ヨルカを絶妙に避けて飛来した光は、あっという間に賊を飲み込む。
黒光を浴びた賊の体は崩壊し、土塊も光の中で消え……何も残らずその場から消失した。
突然のことに、戦場は動きを止め静まりかえる。
あれほどしつこく復活を繰り返していた泥は散り、欠片の蠢動すらもないことにヨルカは目を見張り、黒光が飛来してきた背後を見ようとする。
しかしその間もなく、波濤の主はヨルカの隣に立った。
「ラスフィング様……!」
青い目で前を見据える、精悍で美しい横顔。
主人の帰還に、ヨルカはつい顔を綻ばせた。
「よくぞご無事で……」
「心配かけた。そしてよくやったな」
ラスフィングは、無謀な状況にも関わらず持ちこたえてくれた臣下を労う。
対して、ヨルカは彼の手に握られている黒い得物を認めると、眉間に皺を寄せて剣呑に呟いた。
「いいんですか……?」
針影はその特性上、いくつか条件がある。
破れば制裁を受けるものであり、ヨルカの不安そうな問いにラスフィングは浅く頷く。
「マザーハウデンからのお墨付きももらった。あとは任せろ」
「しかし……」
「お前も消しかねん。離れてろ」
ラスフィングは前方を刺すように睨んでいる。そう言われては従うほかない。ヨルカはわずかに頭をさげ、大人しく引きさがった。
「━━は。ご武運を。……というのもアレですね。もう勝ち確みたいなもんですし」
「いや、分からんぞ。使えるのもあと2回くらいだし。1体でも逃したらせっかくの戦況がパァだ」
ラスフィングは手元の剣を見ながら苦笑いをする。
あの黒光を解放出来るのは最大3回……それ以上は冥王との制約に関わってしまう。
……そして、目の前で起こった光景に驚愕を隠せない人物がもう1人いた。
「な……! 何故だ!? どういうことだ!?」
賊の頭領が、無意識に剣を強く握って声を荒らげる。
圧倒的な回復を誇る泥人形たちが、光に包まれた瞬間存在ごと消失したことにたまらず身動ぎした。
その狼狽に、ラスフィングは意外そうに目を開く。
「何故って……知らなかったのか? オレが死にづらいことは知ってたくせに……。これは、お前らのような理不尽に対抗するもの。この剣が特別製なら、扱うオレも特別なのさ」
針影は、自分にとっての不都合に干渉し、強制退去を可能にさせるもの。暗き異界の主である冥王が打ち鍛えた、営みを否定する対蔓延、対繁栄の剣。
━━度が過ぎる善行も、手に余る悪逆も、総じて害。
それを均すための刃━━生命切断、因果鏖殺、時代流転の特性を持った影なる武具であった。
加えて、ラスフィングは冥王より針影の持ち主と認められた影響で、体質が変化し、多少死にづらくなっている。
不死ではないが常人よりは丈夫━━だから瀕死で放置されても救われるし、心臓を抜かれた程度では死なないのだ。
「お前たち……っ、あの剣を奪え!」
頭領は、生き残ったわずかな同胞たちへ叫ぶ。
指示の声に焦燥が滲む。あの武器とは、相性が悪すぎる。所詮、土から作られたヒト以下の自分たちでは一方的に消されるだけだと恐怖した。
一斉に動き群れとなす賊を、ラスフィングは針影で軽く薙いだ。断面からの泥が剣に付着するも、張りつくことなくするりと剣身を流れ落ちていく。
ただの斬撃に消去の効果はないが、再生速度をかなり遅延させ、彼らを大きく退かせた。
「これはお前らのような三下が触れていいものではない。あいつの居場所を吐く気がないなら失せろ!」
形を取り戻そうと蠢く泥に、双剣が再び黒い火の粉をあげる。
「針影・真頸ッ!」
前よりも思い切り振るわれた、広範囲の黒波が賊を覆う。
頭領は体を捻ってかろうじて回避してみせたが、ほかは針影の光に耐えきれず瞬く間に消え去っていった。
2撃を放ち、残されたのは地面に転がった頭領ただ1人。
そこへ、ラスフィングは無言で歩み寄っていく。
「そんな、これほど、なのか……」
両手をつく頭領は、諦めを感じさせる声とともに項垂れた。
「シュラウスは教えなかったのか? ……あいつめ、部下は育てろとあれほど……。まぁ、オレに似ず1人でやろうとする奴だったからな、仕方ないか」
「きっ、貴様に殿下の何が━━」
「分かるさ。双子だぞ? 似た面の男がもう1人いるんだ。嫌でも目につくさ」
ラスフィングは最後は冷たく笑って流す。そして、体を屈めて胸ぐらを掴むと、その首へ針影の切っ先を向けた。
「もう1度聞く。あいつはどこにいる?」
心臓を引き抜いて消えた、片割れはどこにいると聞く。
しかし頭領は、臣下としての矜持があるのか、ラスフィングを睨んで最後の反抗を見せた。
「い、言わぬ……。たとえ我が身が消えても、本体には何も届かん……! 必ずや、マスターと殿下が━━……ッ」
瞬間、ラスフィングは眉を動かした。
あまりに意志がはっきりしていたため失念していたが、賊を統率していたこの頭領もまた泥人形だ。術士そのものではない。これらを造り襲撃した本体がいる。
本当に優秀な術士なのだろう。
長時間、これほど強い意思を与え続けられること……持ち続けられることは見事だが、魔女国を壊滅へと追い込んだことは決して許さない。
目を細め、ぐっと、針影を握る手に力を入れた。
「吐かぬ忠誠心は大したものだ。……その心には敬意を払う。が、ここで消えてもらう」
ラスフィングの唇が動くと同時に、3度目の斬撃が放たれる。
『否定』をまとった最後の一振りは、最後の人形の首と身体を切り離した。
黒光が炎のように、人形を包んで消していく。そして、崩落した国には2人の青年が残された。
「お見事でした。王子」
始終をずっと見ていたヨルカが主人へ歩み寄る。
さすが未来の君主だと、言葉に畏敬の念を込める。しかし、ラスフィングの表情は曇ったままであった。
「こいつを倒したところで、術士本人を倒したわけじゃないのが腹立たしいけどな」
結局、弟の居場所も聞けなかった……。収穫の皆無に、ラスフィングは息を吐きながら両手をパッと開く。すると、針影は剣先から黒い粒子となり崩れていく。
現れたときと同様、静かに空に溶けていく粒子を見送って、一息ついていると、ほどなくしてこちらに駆けてくる砂の音が聞こえてきた。
1章はエピローグ込みで、あと2話くらいで終わります
誤字報告など、よろしくお願いします