8話 龍の力、誰がために
「や、やああああああああぁぁあああああああああァァ!!」
アルミナは頭を抱えて絶叫した。
大きく開かれた金眼からは涙が止めどなく流れ、体を大きく振り、角を取ろうとする魔女の手から逃れようとする。
声を張りあげ髪を振り乱す姿に、痛み止めの魔法をかけたセレスはオロオロと狼狽えた。
「マ、マザーさまぁ……」
まさか効いていないのかと、泣きそうな顔で老婆に助けを求める。
少女の困惑に、マザーハウデンはアルミナから目を離さずに答えた。
「大丈夫。これは、この子の龍種としての苦痛だ」
そう言って、眉根を寄せる。
人類の繁栄よりはるか前……古代から生きてきた龍は存在そのものが神秘であった。龍が神として崇められる前は、翼、鱗はさることながら、内臓も珍味妙薬として利用されていた。
しかし、これは死したあと捌き利用されるもの。決して、生きながらにして剥ぎ取られるものではなかった。
龍は特性上、痛覚は鈍い。しかし、まったく何も感じないわけではない。
特に、龍種の証たる角、翼、逆鱗は突出して強い反応を見せ、この部位を生きた状態で奪われそうになると膿んだ傷口をいつまでもぐちゃぐちゃといじられるような、脳に響く途方もない不快感に陥るのである。
そしてそれは、龍の血を引くアルミナにも当てはまっていた。
「頭を掻き乱されるようで気持ち悪いだろう? だけど、それは龍としての本能だ。そればっかりは魔法じゃどうにもならない。耐えてもらうしかないんだよ」
マザーハウデンは言い諭すようにアルミナに言うも、拒絶は止まらない。
幸い少女相応の筋力しかないため摘出を続けることは出来るが、これでは先に進めない……マザーハウデンは背後を睨んだ。
「チッ……、誰か拘束を!」
手伝いのために控えさせた魔女たちへ叫ぶ。
すると、赤毛の魔女が指先を回し、光の輪を生み出す。それをアルミナの方に投げ、捕縛を試みた。しかし。
「いや……っ!」
魔法は暴れたアルミナの腕にあたり、光の輪はぱちんと音をたてて消えてしまった。
「な、弾いたっ!?」
龍が持つ特有の対魔能力なのかと、マザーハウデンは瞠目し驚きの声をあげる。
必中、必縛の魔法があっけなく破られ、この状況では魔法は無意味と判断した老婆は、仕方なく数人がかりでアルミナを取り押さえることにした。
「い゛ぃゃあああああああァァああああああアア━━━━!」
抜角は一筋縄ではいかず、苦痛と絶叫が続く地獄のような時間が過ぎていく。
やがて、アルミナは震える手で、角へと伸びているマザーハウデンの腕を掴んだ。
「もうやだ……っ、やめてください……っ」
全身を駆け巡ってやまない嫌悪感に耐えかねて、掠れた声で懸命に懇願する。
次々と、白い頬を滑り落ちていく涙。その弱々しく痛ましい姿に、マザーハウデンもつられて顔を歪めた。
「頑張ってくれ……っ。ラスフィングの命は、あんたの頑張りにかかってるんだっ」
「あ……」
マザーハウデンの口から出た名前に、アルミナは動きを止めた。
(ラス、フィング……さま……)
虚ろだった瞳に、わずかだが光が戻る。総毛立つような不快感に震えながらも、アルミナはその名を想った。
━━当時14歳だったアルミナが初めてその姿を見たのは、彼が成人前の少年のときであった。
王位継承に必須であるものの1つ、冥王の試練を受けるために龍の谷底へと来た彼。
当初、人見知りで引きこもりがちだったアルミナにとって、その姿は眩しかった。
1年後、彼は闇の奥底から帰って来た。
無事冥王の試練を乗り越え、証を体に宿した彼。
しかし、その顔は代わりに何かを置いてきたような、悲壮さをたたえていた。
数年後、アルミナのもとに縁談が来て、相手があの時の彼だと知る。
彼がこちらに気づいた素振りはなかったし、いつどうして見初めたのかは不明だが、アルミナはあの悲しく鋭い横顔を思い出し、申し入れを受けることにした。
エラルヴェンの守護神である父からはえらく反対されたものの、説得しどうにか許してもらえた。
父やほかの龍たちに送られ人界へとのぼり、いよいよ婚約のとき。
緊張しながら城の部屋で待っていると、1人の青年が入って来た。王族らしく精悍な顔立ちをした彼は、ほかの誰でもない……アルミナへと笑いかけた。
そのときの……目も眩むような凛々しさを思い出して、アルミナはゆっくり、手を祈るように組んだ。
「ラスフィング様……ッ」
目を強くつむる。
塗炭の苦しみに苛まれてもなお美しい唇と声は、生涯慕うと決めた人の名を叫ぶ。
「わた……しっ、負けませんからぁ……!」
━━だから……あなたも。
依然として震えと涙は止まらないが、もう弱音を吐くことはなかった。
途方もない絶叫と辛抱が続く最中、とうとう角がぐらりと動く。
マザーハウデンの表情がハッと変わる━━取れるのももう間もなくだった。
抜角は勢いが大事。躊躇えばその分、余計にアルミナが苦しむ。
「もう一押し━━いくよ!」
「━━━━━━ッッ」
角が抜かれると同時に、アルミナは意識を失った。
◇
「う……」
急に眩しさを感じたラスフィングは、呻きながらゆっくり目を開けた。
寝起き直後のぼやけた視界に、黒い天井とふよふよと浮かぶ眩しい玉が映り込む。
「ここは……」
外ではない、だけれど明るい……ラスフィングはしばらくぼうっとしてから体を起こし、周囲を見た。
空間の端の方に、白髪の女の子が丸まって寝ていた。
固い床に布1枚という、寝づらい状況にも関わらず安らかに寝息をたてている。しかし、その顔は憔悴しきっているようにも見えた。
服は汚れているものの、見た限りでは怪我の類いは見受けられない……婚約者の無事に胸を撫で下ろしていると、こちらに近づく足音を耳に捉える。
その方を見遣ると、赤紫の派手なドレス姿の老婆がニッと笑っていた。
「お目覚めかい。王子様」
「マザーハウデン……っ」
ラスフィングの驚きの声を無視し、マザーハウデンはじろじろと彼の体を見る。
「調子が悪いところはないね? 説明が必要かい?」
口早に問われて思わず面食らったが、ラスフィングは頭を振った。
ここが何なのかは分からないが、延命切れで戦闘中に倒れたことは覚えている。……そして、その敵がえらく厄介なことも記憶している。
「いや、世話をかけた。……戦況は?」
立ち上がりながら聞き返す。すると、マザーハウデンは表情を険しく変えた。
「今、ヨルカが1人でここへの侵攻を食い止めている。早く行っておくれ……あいつらの打倒は、お前の力じゃないと無理だ」
真剣な声音で言われ、ラスフィングは目を見開く。それが何を意味するのか……すぐに理解出来た。
「分かった」
出撃を決める。体を伸ばしたり腕を回したりと、体の動きを確認する。
あの敵は、ヨルカには手に余る……1人で出張っているのなら、早く向かわなければならなかった。
「王子様、これを……」
魔女の1人が近づき、ラスフィングへ剣を渡した。薄い青の、氷のような武器。
魔女国で採掘され鍛えられた、魔銀製の長剣━━しかし、ラスフィングは薄く笑んだままで、武器を受け取ろうとはしなかった。
「ありがとう。でもいらないよ」
やんわり断り、目をつむる。
それを合図に、戦士は賊を打倒するべく地上へ送られた。
地上へ降り立つまでの一瞬、ラスフィングは思う。
━━もはや“打倒”などと、生半可なことでは事態は収まらない。
金属の剣では同じことの繰り返し。
奴らの殲滅に必要なのは、根底からの払拭……この世からの強制退去なのだから。
さて佳境に入ってきました
明日もよろしくお願いします!