7話 ブレイクスルー
皺が刻まれた顔をしかめる魔女国の長に、ヨルカは思わず上体を起こして怒鳴った。
「どういうことだ! オレたちはマザーハウデンの力を求めてきたのに……っ」
吊り上げた瞳に絶望の色が浮かぶ。治りかけた傷が開くのもいとわず、今にも掴みかかりそうな剣幕を見せるヨルカを、マザーハウデンは冷静に手で制した。
「奴らを見ただろう? ただの泥人形ではない……あいつらは突如として現れ、周りをぶち壊していった」
ここで1つため息をつき、二の句を継ぐ。
「当然、わたしらも戦ったさ。だけど、迎撃で手一杯になってしまってね、完全に魔力が切れる前にここを作った」
そう言って、マザーハウデンは指でコンコンと壁を叩いた。
ここは魔法で空間を拡張させ、結界を張った地下室。先ほどの真っ黒な穴は、魔力で作った専用の出入口だという。
長とはいえ魔力は無尽蔵ではない。残りわずかとなった魔力でここを作り魔女たちを避難させ、救援を待っていたと老婆は語った。
「ということは、みんなここに? ほかの魔女たちは無事なのか?」
あたりを見渡して、ヨルカは戦場を思い返す。
応戦したというのなら怪我人や死者がいてもおかしくない……けれども、死体は1つも転がっていなかった。
「そのへんは巧く立ち回ったから、誰1人として死んでいない。とりあえず、今は落ち着いてその腹治しとくれ」
マザーハウデンからシッシッと手を振られ、同時に怒っているような目つきのセレスと目が合った。
急にばつが悪くなり、ヨルカは大人しく体を倒し再び安静の姿勢をとった。
やがて、ヨルカを包んでいた淡青の光が消える。
もう動いていいと言われたので体を起こし、手で右腹を探った。傷は塞がっていて痕も痛みもない。
無事完治を果たしたようで、治してくれたセレスにお礼を言って立ち上がった。
「……それで、魔力はいつ回復するんだ?」
次はラスフィングの番である。
顔色は一層悪く、呼吸はないも同然に浅かった。しかしそれでも、まだ助かる見込みがあるのだという。
「当分は無理だね……そこそこ回復しつつあるが、延命魔法を施すには到底足りんな」
今ある残量ではせいぜい治癒が出来る程度。まだ待つ必要があるものの、悠長にしていれば今度こそラスフィングが手遅れになる。
「そこでだ。そこにイイヒトがいるじゃないか」
マザーハウデンはついと手を動かす。細くしわしわな指を差した先にはアルミナが佇んでいた。
「お嬢さん、龍の子だね? 魔女と同じ神秘の象徴。是非、お力を頂戴したく」
慇懃に乞うマザーハウデンに、アルミナは頷き了承を示した。
「具体的にどのようなことを?」
「その頭に生えていますでしょう龍の角、その1本を魔力源としてラスフィングに献上してもらいたい」
「ま、待て! おいハウデン! 姫様に何を━━」
2人の会話にヨルカが声を荒らげ割って入った。そんな彼を魔女は一瞥する。
「単純なことだ。今魔力が足りない、その分をお嬢さんの角で都合をつけるんだ。これなら問題なく、ラスフィングを助けることが出来る」
「……っ、オレは反対です! 姫様が傷つく必要はない!」
主人の許可もなしに手を出すなど許されないと、荒々しく吼える。
しかし、アルミナの意思は強かった。
「わたくしは構いません」
「姫様……!」
「そうしないと助からないのでしょう? それに、今後一体何が必要になるのか、ヨルカ様が一番ご存知のはず━━」
元々、心臓の譲渡を覚悟し嫁いだ身。彼の救命が角の1本で済むのならこれほど容易いものはない。
言葉を返されたヨルカはぐっと口を閉ざした。アルミナの身もそうだが、何より大切なのはラスフィングの命である。
ラスフィングはこの国に残された、ただ1人の正統王位継承者。
将来の君主を守る。ヨルカにとって絶対の誓いを、出会ってわずかなアルミナに言い諭されてしまった。
その様子を見ていたマザーハウデンはニッと口の端を吊りあげる。
「龍神のお嬢さんは物分かりがいいね。ヨルカ、どうする?」
もはや反論を許さぬ、マザーハウデンの笑みとアルミナの瞳。それを見て、ヨルカは言葉にならない悔しさを滲ませて、小さく「頼みます……」と呟いた。
「決まりだね。よし、セレス。お前は手伝っておくれ」
ヨルカの了承とアルミナの覚悟を受け、マザーハウデンが早速準備に取りかかろうと腰をあげた時、地下全体が大きく揺れた。
唐突な振動に、短い悲鳴が重なる。
皆どうにかバランスを保ち、やがて天を仰いだ。
「何事だい?」
「ハウデン様、嗅ぎつけられました。ここに向けて攻撃しています。侵攻されるのも時間の問題かと」
遠視で地上を見ていた魔女からの報告に、マザーハウデンは舌打ちした。
「恐ろしい奴らだね……。結界もあるというのに……」
ほどなくして揺れが2、3度続き、結界が軋む音を耳に捉える。逃げ場を潰される危機に、マザーハウデンは渋面を作ったままヨルカへ顔を向けた。
「お前は地上に出てくれ。術者本人を叩くのが理想だが、いる可能性は低い……多少無理でも足止めを━━」
「無論、王子のために時間を稼ぐ。任せておけ」
不利なことに変わりはないが、希望があれば戦える━━
ヨルカは剣にこびりついた泥を素早く拭い取り、刃を軽く研磨する。そして、魔女の1人に送られて地上へ飛び出て行った。
命運を青年に託し見送ったマザーハウデンは、静かに佇むアルミナへ向き直った。
「さて、龍神のご息女様……本来なら歓待すべきなんだけど、急患がいるから手短に聞くよ? 龍の一族の証である片方、ラスフィングに捧げる覚悟はあるのかい?」
「はい。わたくしに出来ることはすべていたします」
「……そうかい」
変わらぬ返答を聞き、ため息混じりに目配せすると、セレスがアルミナの前に出た。
「それじゃ、失礼しますね」
セレスはアルミナの頭上に緑色の光の粉を振りかけた。
光は雪のように、瞬きながら染み込んでいく。
「そいつは痛み止めだよ。……まぁ、気休めにしかならないだろうけど、ないよりはマシさ」
言いながらアルミナの髪を探り、角を探し出す。
左右両方触れてみて、使う角は右側のものに決めた。
「じゃあ始めるよ━━我慢するんだね」
力が入った指先が、控えめに生えた角へかけられる。
アルミナは目をぎゅっとつむり祈るように指を組んでいたが、その表情をすぐさま変えた。
「ヒ、ィギ━━」
引きつった声をあげ、目を大きく見開いた。