5話 騒乱
「何者だ貴様ら! ここを龍の加護あるエラルヴェンと……魔女国と知っての狼藉か!」
ヨルカはラスフィングの前に出ながら、声を張りあげて男たちを睥睨した。
相対する賊たちは、皆一様に黒い装束をまとっている。口元にも黒い布を巻きつけているせいで、表情もろくに読み取れない。
敵が侵している魔女国はエラルヴェンの一部……つまり、エラルヴェンを攻撃しているのと同義である。
不気味な集団に、ヨルカは警戒と威嚇を続けた。
一方、これまで声を発することなく佇んでいた賊だが、内の1人が「王子……」と呟く。
それをきっかけに、動揺と興奮が混じったような怒号が彼らの中で広がっていった。
「王子……王子だ! ラスフィング第1王子━━殿下の敵が来たぞ!」
「バカな……本当に生きて……」
「狼狽えるな! あの方も簡単には死なんと言っていたであろうが!」
様々な叫びが生まれては消える。
急に沸き上がる喧騒に、調子を崩されたヨルカは少したじろぐ。
それと同時に、沈黙を保っていたラスフィングがヨルカの横を通り、そのまま黒装束の男たちへと歩み寄った。
「お前たち……ッ」
焦りのような、苛立ちのような感情を声に滲ませて、ラスフィングは眦を吊りあげる。
烏合の衆。軍属でもないような荒くれ者を従えられる、殿下と呼ばれる地位にある者を、ラスフィングは1人しか思いつかなかった。
「シュラウスの手の者か!」
激情そのままに、手近にいた賊の胸ぐらを掴んで締めあげた。
「どこだ……! あいつは今どこにいるッ!」
深い青の、鋭い眼光が揺れる。鬼気迫る迫力に、賊もさすがに狼狽を見せたがすぐさま我に返り、掴まれた手を打ち払った。
パンッ、という乾いた音と、賊が砂を擦って後退する音が響く。
「王子……っ」
瞬間、ヨルカは剣を引き抜く。主人に手をあげられ、驚愕と憤怒に唇を震わせた。
対して、再び距離を取った賊は、冷静さを取り戻し……そして、確実に仲間をその場に集結させていく。
やがて、中央にいた頭領とおぼしき長躯の男が口を開いた。
「教えるわけがない。我々は殿下の命令にのみ従う」
その言葉を皮切りに、賊は各々の武器を構えた。
避けられぬ戦闘に、ラスフィングも剣を抜く。
「出来るだけ生かしたいところだが、数が多い。まずは打倒に専念するぞ」
「は! 姫様も、あまり我々から離れないように」
ヨルカが背後に目配せすると、アルミナはこくこくと頷いた。
一瞬の睨み合いの果て、ヨルカが先陣を切った。
賊の頭領に狙いを定め、状態が悪い地面をものともせず一気に彼我の距離を詰める。
目標に接敵━━迎え撃つように振るわれた上段からの攻撃を、半身翻すことで回避。
傍らすぐ、地面を抉る凶器を横目に、ヨルカは剣を下から切り上げるように振るった。
胴の両断よりも早い━━首を目がけて。
迷いない一閃は、難なく首を断つ。しかし、断面からは血ではなく黒い泥が溢れた。
「な……っ」
目の前を舞う黒々としたモノに、ヨルカは咄嗟に剣を引き、飛び退く。そして、手元を見遣った。
泥は粘度があるようで、剣にベッタリ張りついていた。振り落とそうとするもまとわりつき、不気味で気持ちが悪い。
「なんだ……? 普通の賊とは違うのか……?」
1秒にも満たなかった戦闘は、2人に現実を突きつける。
目を剥くヨルカに対し、ラスフィングは唸り考えた。
「どこかに術士がいるな。それも、マザーハウデン並みの」
「な……っ」
「あれを見ろ」
顎で指し示した方向……今しがた斬った頭領の首が、沸騰するようにボコボコと盛りあがっていた。
徐々に形が出来ていき、やがて頭部が完全に再生すると、何事もなかったかのように臨戦態勢を取る。
その様子に、ヨルカは眉根を寄せた。
「不死身の兵……?」
「糸口はあるはずだ。どうにか弱点、引きずり出すぞ」
剣を構え直す主人の指示に、ヨルカは頷いて了承。2人は走り出した。
「━━ハッ!」
ラスフィングは激しい剣戟の末、敵3体を屠る。
どれも大きく袈裟に斬ったが、しばらく経つと泥同士がくっつき人の形を取り戻す。
その様を睨みつけながら、ラスフィングは舌打ちした。
人形でありながら会話や独立した思考ができ、動きも豊富。数が多く、即時回復も可能。
やっかいな敵であった。
そのあとも、ラスフィングは賊を斬り泥を浴びる。戦闘を続けるも……戦況は芳しくなかった。
1体1体は弱く一撃で対処は可能だったが、剣に張りつき溜まる泥の重さが、彼を悩ませていた。
振り払うことは出来ず、拭う余裕もない……長引けば長引くほど、不利に傾いていくのを肌で感じていく。
ちらりとヨルカを見ると、同じく泥にてこずっているように見えた。
(これ以上は、じり貧か……)
重さが増していく剣と体……埒があかない。ラスフィングは仕切り直しを考え、撤退を叫ぼうと口を開いた。
その瞬間━━
「は、ぅ、ぐぅ……」
ラスフィングは顔を歪め、胸元を強く握りしめた。呻きながら体を大きく九の字に曲げ、そのまま膝をつく。
「王子!? まさか━━」
主人の異常に、ヨルカは瞠目し叫ぶ。
最悪なタイミングだった。ギリギリだったマザーハウデンの延命魔法━━命を繋いでいた魔法の効力が失われたのだ。
「か……は、ぁ……」
血液の流動が止まり、額には汗がぶわりと浮かぶ。呼吸がうまく出来ず、目と口を大きく開け蹲る。
急に苦悶するラスフィングに、頭領は驚いて動きを止めていたが、手を広げてすぐさま叫んだ。
「王子を捕らえろ! いい材料になる」
「ぐ……」
指示を聞いた数人がすぐさま近づき、四つん這いに伏すラスフィングを乱暴に取り押さえる。
さらに、ラスフィングが倒れたことにより……賊の魔の手はヨルカの背後にも及んだ。
「きゃ……!」
進攻してきた賊2人がアルミナを捕らえる。
細腕を強引に引っ張り、ラスフィングと同様に連れていこうとした。
「ラス様……! 姫様……!」
対峙する敵の攻撃を受けながら、ヨルカは叫んだ。
目の前で、ラスフィングとアルミナがそれぞれさらわれそうになる。
多勢に無勢のこの状況、打破出来るのは自分1人だけ。そして、助けられるのも1人だけである。
主人か、主人の婚約者か……ラスフィングを見捨てればエラルヴェンは後継者を失い、アルミナが犠牲になれば龍神が黙ってはいないだろう。
脳裏に2人の顔が浮かんで、消える……。
ヨルカは眼前の敵をギッと睨んだ。
どちらかなどあり得ない━━たとえ死んでも両方救うのが、近衛たる己の役目だ。
ヨルカは力を入れ直し、数人を一気に斬り伏せる。
大きく斬った体勢。一瞬、泥により視界が黒く覆われ━━
「ぐぁ……」
唐突に、右腹に重い痛みが走った。視線を落とすと、剣が深々と刺さっていた。
「ナメ、やがってェ━━」
ヨルカは足に力を入れ敵を蹴飛ばす。
歯を食い縛り、腹に刺さるそれを一気に引き抜くと、噴き出る血もお構い無しに敵1人を袈裟に斬り伏せた。
「ハァ……ッ、王子!」
血まみれの剣を捨て、息つく間もなく、ラスフィングとアルミナの奪取を試みる。
しかし……斬っても斬っても、再生を繰り返す人形がヨルカを阻んだ。
「どけ! この……っ、クソが……ッ」
ヨルカは荒く叫び、もがく。けれども届かず、徐々に泥人形に押し飲まれていった。