36話 帰郷
お待たせしました
1週間後、ラスフィングは熱から回復した。
脱いだ寝衣をソファーに放り投げて、青と黒を基調としたいつもの衣服に袖を通していく。
ラスフィングは着替えつつ、自分の状態を確認した。食事もろくに取れない高熱だったが、その間の記憶ははっきりしているし、頭の働きに滞りは感じない。体調も少しだるい程度で、関節の動きなど気になる点はなかった。
冥王の制裁は、特に障害を残すことなく終わりを迎えたようだった。
何の影響もなく終わったことに心から安堵したラスフィングだが、手放しに喜べない理由があった。
自身の復帰……それはアルミナとの別れを意味していた。
アルミナが故郷に帰るには、森の中にある洞窟へ入る必要がある。そこは唯一、龍の住み処と人界が繋がっている場所であるため、神聖な洞窟として王族が管理し、王族のみが立ち入りを許された場所であった。
龍神の愛娘を誰の見送りもなく1人で帰すわけにもいかないので、必然的にラスフィングがその役に選ばれる。
しかし、当の本人は冥王からの罰を食らいあの有り様だったので、彼の体調が戻るまでの延期となっていたのだ。
着替えを終えたラスフィングはだるそうに首を左右に倒し、骨をコキコキと鳴らす。
何故、自分から彼女を手放すようなマネをしなければならないのか……。まるで鉛でも入っているかのような重い足取りで、ラスフィングはアルミナを迎えに行った。
ラスフィングとアルミナは、並んで洞窟を目指して歩き出す。その間、ここでの生活は楽しかったかなどの会話を重ねていった。
始終笑顔で返すアルミナに、本当に帰るのかと疑問に思ったラスフィングは改めて彼女に聞いてみた。
「なぁ、本当に帰ってしまうのか?」
もし、気が変わったのなら万々歳だ。2人で仲良く戻ればいいだけのこと。しかし━━
「……はい。少しでいいんです。時間をください」
それとこれとは話は違うようで、アルミナの意思は依然として変わっていなかった。ラスフィングは少し肩を落とし「そっか」とだけ返して口を閉ざす。
やがて到着した大洞窟━━2人はその入り口で足を止めた。
「迎えが来ているようだな」
「そのようですね」
緩い風と共に奥から伝わる龍の気配。けれども、それは龍神のものではなかった。
愛娘が帰って来るのだから、てっきりあの龍自らが来るものだと思っていたが……ラスフィングはわずかに眉をひそめながら再び歩み出した。
1歩進むごとに別れも近づいていく……ラスフィングはアルミナの手を握った。
突然のことに、アルミナはパッとラスフィングを見上げる。
「オレは離れたくないし、明日にでも戻ってきてほしいくらいだけど、ゆっくり養生してきてほしい……。あと……オレやみんなのこと、忘れないでいてくれると嬉しい」
「……はい、もちろんです」
正面を向いたまま言うラスフィングに、アルミナは微笑んではっきりと答えた。
やがて見えてきた目的地━━龍が姿を現す巨大な穴がある、洞窟の最奥。
全身にひしひし感じる気配の通り、ゴツゴツした形の影が穴から這い出て待っていた。
ラスフィングよりも一、二回りほど大きい、黒鱗の龍である。龍は2人の姿を見るやいなや、長い口先をパカッと開いた。
「あ、どもー。ラスフィングさーん」
流暢な人語と共に翼を広げバッサバッサと羽ばたくので、発生した風が2人に吹きかかる。
風に混じる土埃に顔を伏せたラスフィングだが、聞き覚えのある声にすぐさま顔をあげた。
「あ、あぁ……!」
翼を折りたたんで待つ懐かしい姿に、ラスフィングは思わず声をもらして破顔した。
ラスフィングは少し小走りになりながら手を伸ばすと、龍はそこへ吸い寄せられるように頭をもたげる。
腕の中に落ちてきたゴツゴツした下顎を撫でながら、人と龍は笑い合った。
「お久しぶりですねー。昨日ぶりですか?」
「6年ぶりだよバカ」
「そうですか? すいません時間感覚が違うもので」
楽しそうに軽口を言い合う、この黒龍の名はサウラ。
人語を理解し、人語を発する。難なく意志疎通が出来る龍は谷底の中でも数少ない。そのため、ラスフィングが冥王の試練へ挑むため龍の谷底へと下る際、その行き来を請け負った龍であった。
サウラはラスフィングをじっくり眺めたあと、ぐるる、と喉奥を鳴らしながら嬉しそうに目を細めた。
「あのときはまだ少年だったのに……ご立派になられて」
初めてこの背に乗せた少年、ラスフィングは当時18歳。
あの頃は、何か達観したような少し感情に乏しい顔つきをしていた。それが今や、明るく朗らかに、加えて尋常ならざる力を使い慣らす逞しい青年へと成長している。
自分が関わった人間が優れた人物になるというのは、サウラにとっても誇らしいこと。
目の前の現実をしみじみと噛み締めるサウラに、ラスフィングは砕けた調子で答えた。
「大して変わりねぇだろ。まぁ……色々大変だったけど」
本当に大変だったと、ラスフィングは無意識に大きいため息をついた。
冥王から針影が与えられるも身体に空きがなく、空き容量を確保するために一部の感情の切り捨て、帰還してからも2年間の昏睡。
ようやく目覚め、2年の歳月を取り戻すように勉学や公務に励み、落ち着いたかと思いきや今度は双子の弟が自分の心臓を抉り取って消えてしまった。
所持者を存命させようとする針影のおかげで即死はしなかったが、心臓がないせいで龍神から王太子と認められず、位は第1王子のまま。
この事実は一部を除いた大半の者に伏せられ、結果周囲への説明は曖昧となり、いつ疑念が爆発するか分からない日々を余儀なくされた。
彼の口から語られる波乱万丈なその後を聞いて、サウラは口の隙間から感嘆の息をもらした。
さすが、1年にも及んだ艱難辛苦を乗り越えた王子。凶事や失意に晒されてもなお、彼は悪や愚に染まらなかった。
針影を持つに足るとした冥王の判断の正しさに、サウラは心の中で感服した。
再会をひとしきり喜んだサウラは、次にアルミナへ頭をさげた。
「アルミナ様も、お元気そうで何よりです」
恭しい黒龍に、白金の龍姫は微笑んで応じる。
「えぇ、サウラも……。お父様の様子はどうでした?」
「バラトア様も元気でしたよ。今は居室にて、アルミナ様のお帰りをずっと心待ちにしています」
2人(?)の会話に丁度よくバラトアの名が出てきたので、ラスフィングはずっと思っていた疑問をサウラに投げかけた。
「そうだ。どうしてサウラが迎えに来たんだ? オレはてっきりあいつが来るもんだと思ってたんだが」
娘を異常に愛するあの龍が黙っているなんて考えられない……。
腕組みをするラスフィングに対し、サウラは目を細めて答えた。
「もちろん、はじめはバラトア様が迎えに来る気満々でした。でも、久々にラスフィングさんに会えるかもと思って、説得して自分と代わってもらったんです!」
ぴょんぴょん跳ねるように、前足を何度も浮かせるサウラ。彼は龍種としてはまだ幼く小さい方だが、体重はとにかく重い。跳ねるたびに地震のような揺れが起こった。
天井からは、パラパラと土塊が落ちてくる。
「……っ、やめてくれサウラ。生き埋めにする気か」
よろめくアルミナを支え腰を落としながら睨むと、サウラはペロッと舌を出した。
「いやーついうっかり。……っと、すいません。バラトア様から早くしろという圧が来ました……」
ふざけたような調子から一変、サウラはしおしおと申し訳なさそうに俯いた。
ずっとくっちゃべり、いつまでも帰ってこない娘に、谷底で待つ龍神は業を煮やしているようであった。
「さ、アルミナ様。自分の背中に」
サウラはアルミナが乗りやすいように身を低くする。アルミナは時間をかけ、その背中に跨がった。
ちゃんと背に乗ったのを確認したのち、サウラはバサッと音を立てて翼を広げた。
その音が、別れの最後の合図。
「では……さようなら。ラスフィング様」
「……またな」
その言葉を最後に、アルミナはサウラと共に、下へ下へと落ちていく。
ラスフィングに残されたのは、黒龍が巻き起こす落下の風のみだった。
年明ける前に弟登場させたいです




