33話 白紙の危機
お待たせしました。3章入ります
32話からの続きとなります
ラスフィングから退勤の許可が出たとはいえ、何の挨拶もなしに帰るわけにはいかないので、部屋の外で待っていたヨルカとヴァルダン。
暇を持て余し、腕組みや欠伸をしながら待つこと10分。静かに扉が開き、そこからアルミナだけが出てきた。
ヨルカは壁に預けていた背中を浮かせると、アルミナへ近寄る。
「お話はもう済んだのですか?」
「はい。ヨルカ様もヴァルダン様も、お時間をいただきありがとうございました」
アルミナが微笑んで丁寧に腰を折るので、ヨルカとヴァルダンも「いーえー」とにこやかに返す。
そのまま離れていく彼女の背中を見送ると、2人は主人への許可も取らずに素早く部屋に入った。
アルミナの表情が来たときよりもスッキリしていたのが気になったし、何よりラスフィングの見送りがないのが引っかかった。
「ラス様。姫様のご用とは━━」
踏み入れながら聞くと、何か大きなものが床に落ちているのが視界の下に映る。
視線をさげると、仰向けで倒れているラスフィングの姿があった。
「ラスフィング様ッ!?」
部屋の真ん中でひっくり返っている主人に、ヨルカは慌てて傍らに膝をつく。そして、名前を呼びながら体を揺すった。
息をしていることには安堵したが、繰り返し呼びかけても反応はない。そればかりか、半開きの口に白目という王子にあるまじき顔を晒すという始末である。
少し遅れて、ヴァルダンもしゃがんでラスフィングの顔を覗き込んだ。
「し、死んでる……」
神妙な面持ちで呟き、ラスフィングの目元を手でそっと覆うと、まるで死者を悼むようなゆっくりした動作で両まぶたをおろした。
そんな縁起でもないことをする彼を、ヨルカはギッと睨めつけた。
「おいバカやってないで早く運ぶぞ!」
「殿下の名誉のためだろー」
変顔を披露するラスフィングを守ってやったのだと、吼えるヨルカへ言い返す。
言い争いの最中でも一向に目覚めないラスフィングを、2人は協力し寝室へ運び込んだ。
◇
「ぅ……」
30分後、小さな呻きと共にラスフィングは意識を取り戻した。落ちかけの陽とはいえ唐突に感じる眩しさに、目を開けるのにも少々難儀する。
薄目で天井を眺めながらまばたきを繰り返し、ようやく光に慣れてきたころに、横から安堵の声が聞こえてきた。
「あ、お目覚めですか」
同時に見えた、心配そうに覗き込んでくるヨルカの顔。その隣にはヴァルダンもいて、ラスフィングの覚醒を認めるやいなやサッとその場を離れた。
ラスフィングはゆっくり体を起こして、ヨルカを見返した。
「オレは何を……」
「それはこっちの台詞です。倒れてたんですよ。30分前、姫様が出ていかれたあと━━」
「あ……あぁ~~……」
ヨルカの言葉に記憶がよみがえったのか、ラスフィングは苦しそうに呻いて両手で頭を抱えた。
やはり何かあったのだと、ヨルカは眉間に皺を刻む。
その後、先ほど離れたヴァルダンが水差しとグラスを持って戻ってきた。
「ひとまず、水飲めますか?」
「ああ……悪い」
渡された水は常温だったが、よほど渇いていたのか食道を真っ直ぐ降りていく感覚が分かった。
ラスフィングがグラスの水を飲み干し、一息ついたところを見計らってヨルカが切り出す。
「それで、何があったんです?」
「……実はな……」
ラスフィングは訥々と出来事を語りだした。
アルミナがエメラに傷つけられていたこと。
人間に存在する『裏面』『悪意』に気づきショックを受けたこと。
そして、卒倒するトドメとなった「故郷に帰りたい」という悲痛の訴えを聞いたこと。
「ほかにも色々話したけど……あんまり覚えてない……」
ラスフィングの死んだ表情が、言葉以上に状況を物語る。
最後にアルミナが立ち去っていくのをただ眺めて━━そこから世界がぐるんと暗転した。……そして、今に至る。
「そうでしたか……。つまり、姫様は人界で暮らすのに自信をなくされたと……」
聞いていたヨルカもまた、沈痛な面持ちで呟いた。
それと同時に腑に落ちた。あのときの、アルミナのスッキリした表情の理由が分かったからだ。
どういう受け答えがあったのかは不明だが、きっと、ラスフィングから龍の谷底に帰っていいという許可が出されたのだろう。
住み慣れた地に帰れるというのは、彼女にとってそれだけで喜ばしいものだったのだ。
そのままラスフィングとヨルカが揃って暗い表情を浮かべていると、ヴァルダンが遠慮がちに声をあげた。
「あの、落ち込んでるとこアレなんですけど、ちょっと質問が……」
ラスフィングが「何だ?」と先を促すと、ヴァルダンはその後を継いだ。
「自信のありなしはともかく、まだお2人は成婚されてないですし、アルミナ様がご実家に帰ることは特におかしくないのでは?」
ヴァルダンの指摘通り、ラスフィングとアルミナの関係は婚約止まり……結婚による拘束力はなく、彼女を城に留まらせるいわれはなかった。
彼から投げかけられた疑問に、ラスフィングは頭をおさえた。
「問題はそこなんだよな~」
再び目を回しそうなラスフィングに、ヴァルダンはさらに首を捻る。そんな彼へヨルカが説明した。
「姫様のお父上……龍神バラトアは2人の結婚を認めていない。つまり、これを機に姫様を返してもらえなくなる可能性があるんだ」
今までの滞在は、アルミナの意志があったから実現していたようなもの。しかし今回、アルミナの意思で谷底へ戻ったら、これをチャンスとみたバラトアがアルミナを囲い込み、今後の面会を拒絶するかもしれないのだ。
ひとしきり説明を聞いたヴァルダンは、ラスフィングが抱える難儀な婚約に唸った。
「そんな事情が……」
「そういう訳だ。……あぁ、何か具合が悪くなってきた……。オレは休むからお前らはもう帰れ」
そう言うと、ラスフィングは2人に背を向けながら体を横に倒し、ベッドへ深く潜り込んだ。
主人が横になり、留まっても仕方ないので、2人は顔を見合わせて部屋から出ていく。扉を閉める直前で、ヨルカがラスフィングへ声をかけた。
「ご夕食ですが、部屋まで用意させますか?」
この分だと食堂まで行く気力もないだろうと思い、部屋奥へ問う。すると、「頼む」と弱々しい答えが返ってきた。
◇
ラスフィングが休息に入ったので、2人は揃って部屋から離れた。
ヴァルダンが先を行き、その数歩後ろをヨルカが重い足取りでついて歩いていく。しばらく無言で歩いたが、やがてヴァルダンは振り返ることなく背後へ話しかけた。
「そんで、どうするヨルカ。今『行く』と言えば奢ってやってもいいぞ!」
明るい調子の、一貫して出てくる飲み屋への誘いに、ただでさえ歩みが鈍かったヨルカの足はついに止まった。
そして、低い声で前を歩く背中へ言い放つ。
「お前……ラス様が落ち込んでいるのに、よくもそんなふざけたこと言えるよな」
━━あの人がどんな思いで叶えた婚約か知らないくせに。
主人があのような状態なのに、能天気に飲酒の計画などと……この男の軽薄さが心底恨めしかった。
そんなヨルカまで倒れてしまいそうな雰囲気に対して、ヴァルダンも立ち止まり呆れたようにため息をついた。
「お前な━━」
踵を返しつかつかと近づくと、彼の眉間へ人差し指を突きつけた。
「ぅわ……っ、……何だよ急に」
ヨルカは間近に迫った指先を反射的に仰け反ってかわす。
目の焦点が、指からヴァルダンの顔へと移り━━少し怒っているような赤い目と目が合った。
「殿下に同調して落ち込むのは勝手だが……オレたちはいつも通りでいるべきだ。理由が何であれ、殿下が不調ならオレたちが支えなくちゃいけない。……わざわざオレたちまで毒や罠にかかる必要はないんだ」
共倒れが1番よくない、とヴァルダンは最後につけ加えた。
その言葉に、ヨルカはぐっと押し黙った。
ラスフィング王子は誰よりも丈夫で、誰よりも強い……近衛として側にいる自分たちよりも強いのだから、『守る』という点では存在している意味がない。
自分たちの1番の役割は、主人の味方でいることなのだ。
ヴァルダンの言う通り、非常時こそ通常通りに振る舞っていた方が、ラスフィングにとってもいいのだろう。
この男に諭されるのは癪だったが、ヨルカは大人しく頷いた。
「それも、そうだな」
「お、それじゃ━━」
「その話は別だ!」
「えー、じゃあどうすんだよ」
強めに却下されてしまったのでヴァルダンは不満そうに口元を曲げる。
対して、ヨルカは腕を組んで悩む素振りを見せた。
「書庫室から借りたものがあるから、部屋に戻って読書の続きだな」
「本かよ。つまんねー男だ」
「これがオレのいつも通りだからな。そう言うお前はどうするんだ」
「オレは、そうだな……。久々に花街にでも行くかな」
目をつむって何やら想像し、にやりと笑うヴァルダン。そして、手をひらひらと振って足取り軽く立ち去っていった。
「何なんだあいつは……」
残されたヨルカは眉根を寄せた。人に説教したと思ったら、当の本人はこの体たらく……。
変な店に引っかかってぼったくられてしまえ、と念じながらヨルカは反対方向へ踵を返した。
その晩、1人は力なく寝込み、
1人は読みかけの本に視線を落とし、
1人は不夜の街へふらりと姿を消した。
そうして、それぞれ思い思いの夜を過ごし……。
━━翌日、ラスフィングは39℃の高熱にうなされた。
これからも長くあけてしまうかもしれませんが
よろしくお願いします




