3話 近衛兵ヨルカ
ラスフィングはアルミナを連れだって廊下を歩き、門を潜って外に出てから背後へ問いかけた。
「魔女国、というのは知っているか?」
ついて歩くアルミナは「はい」と一言だけ返した。
魔女国とはその名の通り、魔法という神秘を扱う女性たち━━魔女が暮らしている場所である。
『国』とは名乗っているが、実際はエラルヴェンの一部であり、国家というより村や集落に近い。
邪悪な魔属ではないが純粋な人属でもない、枠に当てはまらない彼女らは、同じく神秘の象徴である龍神の加護があるこの地の森深くに居住を定め、何かあれば協力し合うという約束で独立した統治を認められていた。
互いの国に何かあればすぐに参上し、解決にあたる。そう繰り返された交流と歴史の中に……最近、王家の汚点ともいえる凶事が加わった。
現国王の実子である双子の兄弟、その弟による、兄の心臓強奪事件である。
すぐにエラルヴェンお抱えの癒術士が駆けつけたが、心臓を抜かれているので傷を塞ぐだけではラスフィングは助からない。
一刻を争う中、魔女国から1人の老婆が連れてこられた。
それが、今から訪ねに行く相手である。
「そこの長であるマザーハウデンは、心臓がなくても生きていられるための魔法をオレにかけた」
ラスフィングは、胸あたりを掻くように擦る。
血液の循環機能が欠けているラスフィングには、それがなくとも血を巡らせるための魔法が施されていた。
延命魔法……傷ついたほかの臓器を修復し、千切られた血管を繋ぎ合わせて魔法の力で流動させるという救命法であった。
この魔法のおかげで助かったが、無視出来ない欠点も存在していた。
「だけど、この魔法は永久的ではないらしい。徐々に薄れていくもので、定期的にかけなおさないと命の維持が出来なくなると聞いている」
目安としては3ヶ月。魔法にしては永続性がないものであった。魔女曰く、瞬間的な傷の治癒とは違うので、磨耗や劣化は仕方ないらしい。
「本当はもっと余裕を持って行くんだけど、丁度外せない公務が続いてしまってね。期限的にもギリギリだから、今から行くんだ。━━あいつも一緒にな」
つい、とラスフィングが前方を指差す。そこには、厩舎にて馬の世話をしている人物がいた。
2頭の馬に水を与えたり、ブラッシングをしたりして動き回っている。2人の存在に気付く素振りのない彼に、ラスフィングは声をかけた。
「ヨルカ。準備はどうだ?」
青年は作業を止めて振り返ると、茶色の目を細めて笑んだ。
「バッチリですよ、ラス様。……と、こちらが件の姫様ですねー」
アルミナを見るやいなや、さらにふわっとした、人好きのする表情を浮かべる。
赤茶色の長髪を三つ編みに束ね、細身だが上背があり筋肉もついている。ラスフィングに負けず劣らずの整った容姿をしていた。
「その通り、我が婚約者だ」
「アルミナと申します。よろしくお願いいたします」
「はじめまして姫様。ラスフィング王子の近衛兵、ヨルカ・テレシアです。こちらこそよろしくお願いします」
アルミナが名乗り丁寧に腰を折るので、ヨルカも体を正しお辞儀を返す。
「それじゃ行きますか。……っていうか、マザーハウデンがこっちに来ればいい話では? 召集命令出さないんですか?」
出向く余裕がないのなら来させればいいというのは、ヨルカの言う通りである。
命令だと言い馬でも用意すれば、魔女国側は逆らえない。しかし、ラスフィングは難しい顔で腕組みをした。
「その通りだが、それはこちらの都合だ。魔女国との関係は基本的に持ちつ持たれつ。それも長を呼ぶのだから、こちらも相応な見返りを用意しなければならない。魔女が求めるものにロクなものはないんだから……借りはあまり作りたくない」
本音もさらけ出したところで、ラスフィングはヒラリと馬上へ。
その姿を見て、ヨルカは何か思い出したのか「あ!」とラスフィングを見上げた。
「実は、癒術士カミネからおつかいを頼まれまして。王子の処置で使いまくった無菌護符と禊の帯をもらってきてほしいそうです」
瞬間、ラスフィングは顔をしかめた。
「無菌護符」とは、部屋内部に張ることで空間の衛生状態を保つことが出来る魔導具。「禊の帯」とは、怪我というより呪いなどの穢れを退けるための包帯のような魔導具である。
どちらも半年前、重体のラスフィングが回復するまで大量に消費したものであった。
「分かった。今回はいいけど、調達くらい自分でやれと伝えとけ」
「分かりました。……あ、あと、おつかいのご褒美のキスはどこがいいか考えといて、とも言ってました」
「次それ言ったら魔女国へ送り返すとも言っておけ!」
最後は語気を強めると、ラスフィングは手綱を握り駆け出してしまった。
「ちょっと、王子━━」
「すぐ戻るッ!」
どこへ━━と、最後まで言えぬまま、ひとっ走り行ってしまう主人の背を見送る形になってしまうヨルカ。
そうして、残された2人は瞬く間に沈黙に包まれた。
ヨルカはちらりと、主人の婚約者を見遣った。今しがた出会ったばかりの男と2人きりにされても困惑するだろうと、どう乗り切ろうかと考えた。
しかし、彼女の反応は違った。
視線はヨルカの隣に。口元を手で押さえ、キラキラと目を輝かせながら馬に釘付けになっていたのだ。
「えっ……、えっ?」
状況が見えず、ヨルカは目をパチパチさせながら馬とアルミナを交互に見た。
まさか、馬を見るのは初めてなのだろうか……。
龍の方が珍しいと思うのだが……しかし、それはあくまでこの世界での認識。
地上から離れた谷底で暮らしていた龍の子にとっては、こちらの方が未知の生物なのだろう。
そう思って、ヨルカはおそるおそる聞いてみた。
「えっと……触ります?」
瞬く間に、アルミナの表情が一層輝いた。