22話 『このっ、バカ王子ぃ!』
「一方その頃」編です
━━その一方。場所は、グガンナ城地下にある室内訓練場。
だだっ広く造られた戦士の腕磨きの空間にて、軽快に、そして重く剣戟の火花を散らすラスフィングとヴァルダンの姿があった。
はじまりは、ほんの3分前にさかのぼる。
何か不足がないかと聞くべく、エメラを訪ねようとしたラスフィング。しかし、その行きがかりでエメラがアルミナを部屋に誘い、茶会を開いているというのを聞きつけた。
現場にはヨルカもいるということも聞き及び、特別ラスフィングが出張る必要がなくなったのである。
予定が1つ潰れてしまいどうしようかと悩んでいると、ヴァルダンから唐突に、是非とも一戦交えたいとの声があがった。
先日のこともあり、どういうつもりだとつい訝ってしまったが歪んだ企みはないという。
彼の強い希望に負け……特別に、仕事の合間の気晴らしという名目、15分だけという制限つきで2人は手合わせすることになったのだ。
━━そして今。まだ序盤ということもあり、戦況は苛烈の一言であった。
よく研がれた剣身は、人工の光でもギラリと光る。2人の戦いには、正真正銘の真剣が使用されていた。
創傷はもちろん、最悪死もありえる戦いに、表情は自然と険しくなる。
皮膚を裂き髪の毛を散らす寸前の、ぎりぎりの回避と剣技の応酬の最中━━ 一際甲高く鋭い音が響いた。
互いに体ごと弾かれて、靴を床に擦りながら後退する。
違いはその後の体勢……バランスをわずかに崩し一瞬片手をついたヴァルダンに対し、ラスフィングは体幹のみで衝撃を殺しきった。
「今の一撃……剣を落とさないだけ見事だぞヴァルダン」
「恐れ入ります殿下━━ところでそのマント、脱がなくていいんですか?」
ふぅと息を吐くヴァルダンが視線を注いだのは、ラスフィングの濃青のマント。
左半身だけを覆うそれは動くたびにひらひらと舞い、まとわりつく。見る者によっては邪魔に感じる代物であった。
「これは鍛練だが実戦でもある。本番の装備で戦わないと意味ないだろ」
実際の服装で、実際の得物で━━天候、状況によっては変更もありえるが、基本はこの格好なので、この方が都合がよかった。
「そうですか。では、続けます!」
王子の何でもない答えに、ヴァルダンが駆け、戦いは再開された。
再び重なる剣戟のなか、ヴァルダンは別のことを考えていた。今回、ラスフィングを手合わせに誘ったのは彼なりの目的があってのことだった。
王子を害そうという企てではなく……むしろ、王子の将来を想ってたてた計画である。
今のところは狙い通り、いい具合に戦いに集中している。
これならいける、と確信したヴァルダンは、何度目かもう分からぬ剣の衝突に合わせて1歩踏み込む━━鍔迫り合いに持ち込んだ。
そして、至近距離で叫んだ。
「さあ! 想像してください殿下! 貴方の姫君が目の前でピンチになり、貴方がその名を呼ばなければ助からない危機的状況を!」
ヴァルダンからの、あまりに急すぎる言葉にラスフィングは目を見開く。
そして、素直にもアルミナの危機を脳裏に浮かべたのか、顔色を変え唇を震わせた。
「あ━━」
愕然とした表情で、最初の文字がはっきり声に出る。
瞬間、あと3文字……! と無意識にヴァルダンの体に力が入った。
『そうです、アルミナ様です!』と心の中で何度も唱える。
これこそ、ヴァルダンが考えたラスフィングにアルミナの名前を呼ばせる作戦……『考えたら負け。勢いで呼ばせてしまおう作戦』である。
勢いでも何でも、1度呼べてしまえればこっちのもの。必死に、懸命に。何ならアルミナの幻影に手を伸ばしてもいい。
戦闘中なら、否応なしに生まれる切迫感でうまくいくだろうと踏んでいた……しかし、それがなかなか叶わないのがラスフィングであった。
迫り合いはすっかり緩み、剣を合わせる形だけが残るなか、ラスフィングは小さく呟いた。
「今は、ちょっと、無理ぃ……」
わずかに赤面し、顔を歪めて情けなく苦悶する声に、ヴァルダンはくわっと口を広げた。
「このっ、バカ王子ぃ!!」
迫り合いをやめ、振り上げた剣を一気に落とす。
まともに食らえば致命傷は免れぬ剣閃に対し━━ラスフィングは考えるよりも体が反応した。
ヴァルダンの剣は本人ではなく回避の名残のマントを裂き、ラスフィングはわずかに空いた腹へ打ち込みベルトに傷をつけた。
互いの一部を裂いた状態で、2人の動きは止まる。この勝負は相討ちとなったが、空気はラスフィングの負けであった。
戦いに一区切りついたので、一度離れるべく剣をさげる。そして、ラスフィングはギロッと前方を睨んだ。
「お前なぁぁ……」
「すいませんついうっかり……」
王子をバカ呼ばわりするなど不敬にもほどがある……どう言い逃れしようかと考えていると、ラスフィングが額の汗ごと前髪をかきあげた。
「そのことを考えながらだと疲れる……死闘の方がまだ楽だ」
肺の空気を全部出すように、深くため息をついた。
油断出来ぬ状況で急に婚約者の名前を呼べなどと……跳ね狂う鼓動そのものはないが、何とも心臓に悪い。
ラスフィングにとったら、妹クィーナとの茶会以来の荒療治。第2弾であった。
急に発生した心労で疲弊するラスフィングの姿に、ヴァルダンはへらっと笑う。
「はーい気をつけまーす」
どうやら、彼の非難はアルミナの件にのみ向けられているようで。
先の暴言には気付いていないようだったので、ヴァルダンはそのことには触れずそっと終わらせた。
◇
「フ━━!」
ラスフィングが振り抜いた剣に、ヴァルダンの剣が弾き飛ばされ、弧を描いて遠くへ……やがて壁にぶつかって落ちる。
そして、武器を失い一瞬余所見をした彼の顎先へ、剣の切っ先を向けた。
鋭利に輝く剣先と、ラスフィングの顔を眼球だけ動かし交互に見たヴァルダンは、悔しげに顔を歪めて無言を貫く。
「ほら、もう終わりだ。戻るぞ」
戦士は無手となり、決着はついた。しばらく睨んだあと、終了を宣言したラスフィングは剣を雑にさげた。
しかし━━
「……ッ」
何かが顔めがけて迫り、ラスフィングはそれを反射的に避けた。髪の毛を揺らす風は柔らかだが、伸びてきたそれは恐ろしく鋭い。
手の平の、手首近くの硬い部分を使った━━掌底打ちであった。
顔の横で制止する腕。明確に顔を狙った一撃に、ラスフィングは口を閉ざし声を飲む。
「オレは格闘も得意ですよ?」
意表をつけたことに、ヴァルダンは満足げにニタリと笑う。
まだ終わっていないと言いたいらしい彼に、ラスフィングは目を細めて見返した。
「往生際の悪い」
「しぶとい野郎と出くわしたときの練習です。どうです? もう一戦……」
好戦的に指の関節を鳴らす。続行する気満々であった。
相対する男のやる気にあてられ、ラスフィングは仕方なく剣を構えた。
「オレはこのままいくぞ?」
「どうぞどうぞ。そっちの方が気合いが入ります」
そのまま、2人は新たな戦況へと突入した。
剣対拳……射程や殺傷能力的に不利な徒手空拳で挑むヴァルダンだが、むしろ剣のときより動きが軽い、攻めの手数が多い気がした。
その姿を見ながら、ラスフィングはふむと考えた。
(こいつの場合『格闘も得意』より、『格闘の方が得意』が正しいか)
器用なやつめ、と思いながら上段蹴りをかわすと距離が出来たので、ラスフィングはこの間に剣を腰の鞘へ収める。
そして、無手となった手の平で、飛んできた拳を受け止めた。手から腕へと伝わる痺れに耐えつつそのまま握り込み、攻撃も退避も出来ぬよう固定する。
「……っ」
追撃と離脱を阻まれた、ヴァルダンの悔しそうな息づかいが耳に届く。
「お前、ほんとに団長になる気はないのか?」
「ないですね。オレはずっと平兵士がいいです」
出世はしたくない、と首を振るヴァルダン。
というのも、彼は実力に加え人望もそれなりにある。それ故、次の兵士副団長、ゆくゆくは団長にと推す声も多くあるのだが、この通り本人に出世欲はまったくない。
「オレレベルの兵ならほかにもいますし、血筋という点ならヨルカの方が上です」
「そうか……」
明確に拒否されたので、ラスフィングが残念そうに呟くと、ヴァルダンは少し体の力を抜いた。
瞬間、ラスフィングは目を鋭く細めた。
雑談をしているが、今は戦闘中。にも関わらず、敵前で見せた脱力、愚かな隙を見逃すほど、ラスフィングは甘い男ではない。
一瞬で掴む位置を手首に変え、ぐりんと捻り、手前へ引っ張ってよろけた足元を素早く払った。
「ふんッ!」
「あらっ!?」
男の間抜けた声があがる。
ヴァルダンを転がしたラスフィングは、収めた剣を再び抜き、背中を打ちつけ仰向けになった彼の首元へ叩きつけた。
刃は首筋すれすれに、剣先は床に突き刺さる。
その音を最後に、訓練場は静かになる。真上からの冷酷な青い眼光と、もはや逃れられぬ敗北に、ヴァルダンは両手をひらひらさせて降参の意を示した。
軽薄に白旗を認めたラスフィングは床から剣を引き抜いて、戻るぞといわんばかりに無言で背を向ける。
ようやく戦いは決着し、15分の運動は終わりを迎えたのだった。
更新は遅いですが、書き続けてはいます
これからもよろしくお願いします




