18話 『我が新しい婚約者、守護神の姫━━祝ってくれるか?』
そして5日後。
エメラが来訪する、当日の朝が来た。
目覚めて早々、湯を浴びて汗を流したラスフィングは、タオルで髪を拭きながら鏡を見た。
筋肉がよくついた、均整の取れた肉体……だが、至るところには大小様々な傷痕が刻まれていた。
歪な形に変色しているところがあれば、皮膚が引きつれるように塞がっているところもある。
王子らしくない体を鏡越しに見遣って、ラスフィングはやがて立ち去った。
剣をとる戦士でもある彼は、これまで切り傷や擦り傷、打撲や火傷など、様々な怪我を負って生きてきた。幼少期から剣の鍛練、14歳で初陣を迎え、害獣の討伐から戦争までこなしてきたのだ。
戦いに酷使された体は決してきれいとはいえないが、一兵として戦い抜いた証……自分にとっては誇りある体であった。
髪が乾いてきた頃、裸の上にシャツを羽織る。続けて上着を着込みズボンに足を通す。ロングブーツを履き、最後に左半身に長いマントをまとった。
再び鏡の前に立ち確認をしていると、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「王子、準備は出来てますか? 入りますよー」
声の主はヨルカであった。彼は主人の返事を待たずに入っていき、ラスフィングの前に姿を現した。
赤茶色の三つ編みは、普段より強めに束ねられている。さらに、軍服の上に黒のロングジャケットを羽織っているので、いつもより堅く見えた。
「おう。お前も早いな。まだ時間はあるだろ」
「主人より遅く準備するわけにはいかないでしょう」
いつ来るかも分からないのに、と呟くヨルカ。対して、ラスフィングもまた、確かに、と同意した。
エメラが来るまでの空いた時間は書類処理の公務にあてた。今後数日は満足に進めれないだろうからと、少しでも消化するためであった。
机に向かいペンが乗りつつあった最中、急に外がガヤガヤと騒がしくなった。窓から様子を見ると、数台の馬車が城門前に停車していた。
「来たみたいだな」
「では、オレは姫様を連れてきます」
ヨルカはそう言って部屋を出る。
彼女とはラスフィングの部屋に集合し、共に行く手筈になっていた。
しばらく待つと、ヨルカがアルミナを連れて戻ってきた。彼女は浮かない表情で、視線を下に向けている。
「不安か?」
聞くと、アルミナはこくりと頷く。
「……大丈夫。気は強い奴だけど、気難しい奴ではない。オレもついている」
穏やかに励ますと、彼女はわずかだが顔を綻ばせた。
それからほどなくして、エメラ到着の旨が兵から伝えられる。
「それじゃあ行こう」
ラスフィングはアルミナへ手を差し出す。そこへ白く細い手がゆっくり置かれると、ラスフィングは軽く握り歩き出した。
城の入り口前で立ち止まり、前から歩いてくる令嬢をじっと待つ。
やがて全容が見えてくる彼女の姿に━━アルミナは金眼を大きく見開いた。
緩やかにウェーブする上品な色合いの淡い金髪には、白レースのリボンも一緒に編み込まれている。
ほっそりした輪郭に加えて、形のよい小鼻と唇。翡翠色の瞳はぱっちりと開かれ、右の目尻のホクロが印象的な美女であった。
(この方が……エメラ・カロスター様……)
誰もがうっとりとため息をつきそうになる美しい顔に、アルミナもつい見とれてしまう。
エメラはやがて彼の前まで来ると、さらに優美な笑みを作り礼をした。
「お久しぶりです。ラスフィング様」
「お元気そうで何よりです。エメラ嬢」
ラスフィングもまた、負けず劣らずの完璧な微笑みを送る。
美男美女の再会に、誰もが目を奪われた。
「7。いえ、6年ぶりくらいね。最後にお会いしたのは、貴方から婚約破棄を告げられたときだったかしら?」
「……そうですね」
宝石のような瞳の奥に、相手を見透かそうとする好戦的な色が見えた。
ラスフィングもまた、温和な視線に少し苛烈さを滲ませて見返す。
「そして……そちらの方ですわね? 新しい婚約者というのは?」
エメラは、ラスフィングの隣をちろりと睨む。
蛇に睨まれた蛙のように、瞬く間に体を強張らせるアルミナ。その細い肩を抱き寄せ、ラスフィングは不敵に笑った。
「その通りだ。我が新しい婚約者、守護神の姫━━祝ってくれるか?」
ラスフィングの言にエメラは目を見開いた。白髪に金眼……この娘がエラルヴェンの龍神の子だと気づいたらしい。
「もちろんですわ。━━ご機嫌よう龍姫様。あたくしはエメラ。かつては彼の婚約者という立場でありましたが、今はただのお友達です。どうぞよしなに」
「はじめましてエメラ様。アルミナと申します」
アルミナが低頭する。頭をあげたタイミングで、エメラはアルミナの手を両手で包んだ。
「今度お茶でもいかがかしら? 女同士じゃないと話せないことだってあるでしょうし」
ふわりとした優しい手つきと、にこにこと人好きのする笑みに、アルミナもつられるように笑って頷いた。
「ところで、シュラウス様はどちらに? 是非ご挨拶したいわ」
ラスフィングは、まさか弟の所在を問われるとは思わず、わずかだが表情を凍らせてしまう。
「……今、弟は他国に留学に行っています」
行方をくらませているとは言わずに、留学と誤魔化す。
その答え方に、エメラは不審げに顔をしかめていたが、それ以上は何も言わず「そう」と呟いた。
……これ以上何かつっこまれても面倒なので、ラスフィングは話題を切り替えた。
「長旅でお疲れでしょう。部屋を用意してますから案内します」
「……えぇ、荷物も置きたいし。お願いしようかしら」
ラスフィングが先導し、エメラと侍女を城の中へ招き入れる。やがて、この日のために整えた賓客室の前まで辿り着き、扉を開けた。
「こちらを使ってください」
「ありがとうございますラスフィング様。……それと、1つお願いがあるのですが」
「なんでしょう」
彼女からの申し出に、ラスフィングは眉を動かす。
「久方振りの滞在ゆえ、失礼ながらこの城の勝手を忘れてしまいました。なので、案内役の騎士を1人つけていただきたいのですが……そちらの方に頼みましょう!」
エメラは白くしなやかな指先で、ビシッとヨルカを指差した。
「えぇ……っ!?」
指名されたヨルカは、顔をひくつかせながら視線を彷徨わせた。
「し、失礼ですがエメラ様、オ……私には王子の護衛というそれは大切な任務が━━」
しどろもどろに、自分はラスフィングの近衛だと訴える。主人の側は離れたくなかったし、本音を言うと他国の令嬢の世話などまっぴらごめんであった。
しかし、ラスフィングはその要望を穏やかに容認した。
「構いませんよ」
「なら、その間の王子の護衛はオレが引き受けましょう」
「……!」
どこからともなくひょっこり姿を現したヴァルダンがすぐさま名乗りをあげて、ちゃっかりラスフィングの横に立った。
ヨルカはショックで半ば呆然としている。
「ら、ラス様……何で……っ」
「と、いうことでヨルカ。気張れよ」
ラスフィングはパクパクと口を動かす彼を尻目に言いきってから、エメラへ微笑んだ。
「では、我々はこのあたりで。ヨルカは忠実な兵です。何かあればなんなりと申し付けてください」
そう言い残して、ラスフィングらはヨルカを置いて立ち去っていった。
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