その博物館、取り扱い注意につき
「今日も人がこねえなあー」
「まあ平和な世の中になったんですもん、ここらへんの物騒な魔道具なんて若い人は見にきやしませんよ」
「そうかもなア」
人の気配がしない大きな建物の中で、一人の男が白髪交じりの頭をガシガシとかきながら歩く。
高い天井のおかげで広々とした空間に、いくつもの道具が展示されていることからその場所が保管・展示をしている場所だとわかる。
そしてそれが異様なものであることも。
その場所はかつて、大きな聖堂だった。
けれど色々な部分が煤けて傷ついて補修された痕がなんともアンバランスで、なにか災害にでも見舞われたのであろうことがありありとわかる。
天井には天窓がついていてそれがこの建物の明かりであったが、そこも元々そうだったのではなく大穴が開いたそれを天窓に改修したのだ。
平和になった今では遷都した地に大聖堂は新たに建築され、この打ち捨てられた元・大聖堂を男が買い取って改修し、博物館にしたのだ。
開館したばかりはそれなりに人がやってきていたが、年月が経つにつれ客はほとんど来なくなってしまった。
人々が住まう町からは少し離れた場所にあるがゆえに静かで良いが、不便さゆえに人が来ない。
だがその静けさは、ここの魔道具たちには良いのかもしれないなぁなんて男が言うものだからケット・シーも何も言えなくなってしまうのだ。
「ねえ館長~」
「なんだよ馬鹿猫」
「馬鹿猫ってひどくない? ボクは妖精なんだけど!?」
「はいはい、ケット・シーだろ。で、なんだよ?」
「いい加減お客さん来ないと喰いっぱぐれだけど?」
「まあいいんじゃねーの。貯金はたんまりあんだしさ」
「博物館ってやっても誰もこないじゃん。誰も反省しないじゃん」
男の後ろをついて歩く猫、ケット・シーが不貞腐れたような声を上げるのも気にせずに男はゆったりとした足取りで歩いては展示品に汚れがないかをチェックしては満足そうな顔をして歩みを止めなかった。
「確かにさア、あんたの貯金があるのはわかっちゃいるけどさ。いつアンタが倒れても介護にゃ困んないと思うよ? 死んだら残ったお金でここを維持してほしいっていうのもボクが聞き届けたけどさーあ?」
とんっと軽く床を蹴ってケット・シーがその身を男の肩にとふわりと乗せる。
不思議と重さを感じさせないのは、さすが妖精というところだろうか。
「あんただってもうそろそろ良いトシだしさ、いつなにがあるかわかんないんだから人を雇ったらどうだい?」
「お前もいい加減心配性な妖精だなあ。妖精ってなぁもっと気まぐれだろうに」
「ボクだってあんたとずぅーっと一緒にいたせいで情ってモンがあるわけ」
「そりゃどーも」
「……あんたがさ、この魔道具たちを残しておきたいって気持ちはわからないでもないしね」
ケット・シーが、男の肩から日の光に照らされる魔道具を見上げる。
男の足が止まった。
彼らの正面には、ひときわ大きな剣二振りが飾られている。
「こんなばからしいモン使って、平和ってのを作ったんだ。もう使わねえで済むように飾りモンでいてくれるのが一番さ」
使われずに、使い方も忘れて、だけれど使ったことは忘れずに。
その願いが、この人がいない場所には込められている。
ただ、その想いを知る人は、時間とともに減っていくのが現実であり、ケット・シーが言ったようにいつかは館長である男も人としての生を終えればそれを肉声で伝えていける者はいなくなるのだろう。
「……魔王っていう脅威がなくなって、平和には、なったよね」
「そうだな」
「だけど、あっという間に人間は感謝を忘れちまってさ」
「そうだな」
「お金だけ払ってサヨナラだよ、まったくやってらんないよね!」
「そうだな」
ケット・シーがいくらぼやこうと、男の態度が変わることはない。
くつくつ笑った男に、ケット・シーが深く深くため息を吐き出した。
「ほんともう、少しは怒ったらどうだい。アンタは色んなモン抜け落ちすぎなんだよ。抜け落ちるのは髪の毛だけで十分でショ?」
「馬鹿言うな、おれぁまだフッサフサだろうが」
「白髪は増えたけどね!」
「そりゃしゃーねえなあ、トシだもんよ」
くつくつ笑う男の顔に増えた皺も白髪も、ケット・シーは間近に見てきた。
男がもっともっと若く、まだ少年とすら呼べるような年頃だった頃からの付き合いだ。
血気盛んに走り回る姿も、力及ばず泣き崩れた時も、すべてを受け入れた時も――男とケット・シーは、共にいた。
あの頃は、もう少し、賑やかだったななんて思うと今この静かな空間は、寂しくも感じてケット・シーはふるりとそれを振り払うように首を振ると男の肩を軽く蹴る。
そして空中でくるりと一回転。
「じゃーしゃあないね!」
しゅたりと二本足で立ったケット・シーはどこから取り出したのか帽子ならぬ三角巾とエプロンを身に纏い、男に背を向けた。
「そんな爺いのためにボクが本日はランチを作ってあげようじゃないか!」
「……お前、おれより年上だったんじゃないっけ?」
「妖精だからね、人間と年齢が違って当たり前さ。前にも説明してやったろ? モウロクジジィにだけはなっておくれでないよ?」
「んだと、この駄猫!」
「誰が駄猫だ! ボクはケット・シー! 妖精だって何遍言わせるんだ!?」
さらにどこから出したか不明なおたまを武器に殴りかかるケット・シーをひらりと避けて、男は笑った。
いつもの光景だ。穏やかな時間だ。
それはほんの少し前まで、もう幾人かの仲間と囲んで繰り広げられていた光景だ。
あの頃は、もっと……血なまぐさい場所だったけれど。
それでもそこで挫けなかった。仲間たちがいたから、笑った。それが男とケット・シーを今でも笑顔にしてくれる。
仲間たちはもう、いない。
彼らが使った道具は、ここにある。
「平和ってなぁ、退屈でいいなあ」
「普通は退屈過ぎたら食ってけないんだけどね、爺さん」
「爺さんたぁ失礼だな、駄猫」
ケット・シーが作った昼食を二人で食べて、食器をもって男が立ち上がる。
一人が料理をしたら、もう一人は食器を洗う。
昔からの、ルールだ。
「おれの名前を忘れちまったのか、まったくよう」
「そんなわきゃないでしょ、アンタじゃあるまいし」
ケット・シーが呆れたように頬杖をつきながら言った瞬間、そこを飛び退いた。
男もまた、同時に。
轟音と共に、二人がいた場所が崩れ落ちる。
もうもうと土煙がたち、博物館の居住区の外壁が崩れた先に、町が見えた。
丘の下にある穏やかな、小さな町。
炎に、焼かれる、町。
「我々は王国軍第八軍団ある!」
けほ、と男が食器を持ったまま、小さく咳き込んだ。
衣服は土煙で汚れてはいるが、怪我はない。その男の肩に、ケット・シーが毛を逆立てて外を睨んでいた。
土煙が晴れた先に、小さな町が炎に飲まれる姿を背に、威風堂々甲冑を着た男たちが立っている。
かつてこの国を守るために必死で戦った男たちが掲げていた旗を誇らしげに持って立っている。
男は、それを静かに見ていた。
「偽勇者レイドック・バラン! 魔王退治の偽証、ならびに褒章の横領の疑惑で――」
顔を紅潮させながら罪状の記された書状を読み上げる男が、その歓喜に満ちた声を詰まらせた。
そして周囲を固めていた騎士たちも、姿勢を正していく様は滑稽だ。
がらりと崩れる瓦礫の建物から現れた一人の老人と、二本足で歩く猫。
彼らの視線に動けない。
ゆるりと広げた男の手には、皿があった。
それを離せば落ちる皿。それを騎士たちは、茫然と見ていた。
「砕けよ、轟雷。叫べよ、灰塵」
ぶわりと広がる砂煙を含んだ竜巻が、晴れていたはずの空から落ちる稲妻が、男を中心に巻き起こる。
それらが止んだ瞬間に、騎士たちは見た。
巨大な二振りの輝く剣を持った、多くの仲間を失いながら魔王討伐を果たした勇者の姿。そしてその傍らに常にいた、帽子をかぶり長靴を履き、レイピアを腰に佩いたケット・シーの姿。
「なあ駄猫」
「なんだい、爺い」
「平和を取り戻さなきゃあ、博物館は直せないなあ」
「そうだね、アイツらに叱られると思うから」
ケット・シーが目を細めて、笑う。
それと同じように、男も嗤った。