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みす  作者: カイ
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プロローグ

20××年8月22日。場所は「ベストジョイテル・ウェスタン大阪」18階の大広間。

「笑って!」

カメラマンのリクエスト2列に並ぶ選手たちの表情は緩む気配すらなかった。

「…もう少し笑おうか」

カメラマンの執拗な要求に、最前列に立っていた監督、矢垣優の眉間にしわがよる。監督の緊張感が伝わり選手達の表情はさらにこわばる。

彼ら私立高南高校の野球部が泊まっていたホテルは、大阪市営地下鉄・炭之江公園駅の階段を上がり、すぐ目の前に建つビルの中にあった。

ほんの1時間ほど前まで、彼らは阪神甲子園球場にいた。主将の仲宗根武尊の手には、重さ約20キロにもなる夏の甲子園の優勝旗があった。

ホテルに帰ってきた選手たちは写真撮影に応じていた。胸には赤いリボンに彩られた金色のメダル。仲宗根森継が受け取った縦105センチ、横149センチの真紅の大優勝旗は、最前列で寝かされていた。

用意された撮影時間は、僅か5分。カメラマンの間に焦燥感が広がる。業を煮やしたカメラマンが、こう叫んだ。「本気の笑顔で!」

何人かは引きつったような笑顔を見せたが、さほど効いているようには見えなかった。

この年の高校野球は沖縄に始まり沖縄で終わった年だった。

1月、春の甲子園の選考委員会で、史上初沖縄から2校が選出された。前年秋の九州大会で準優勝の沖縄昇格高校と、同大会ベスト4の高南高校だ。

沖縄昇格は初戦で散ったが、高南が春の全国制覇を果たし、紫紺の大優勝旗を沖縄へ持ち帰った。

そして夏、高南は県をまず制し、甲子園では春に続いて頂点へと駆け上がった。県勢初の夏制覇と同時に、春夏連覇の達成でもあった。

究極の郷土スポーツ・高校野球は、様々な劣等感を植え付けられてきた沖縄県民にとって単なる野球以上のものなのだ。

沖縄代表が初めて甲子園に出場したのは、195×年夏の甲子園だ。その頃沖縄にはフェンス付きのグラウンドも無く「お荷物」のレッテルさえ貼られていた。

それから半世紀―。

沖縄は高校野球屈指の野球王国へ成長した。

その転換ポイントとなったのが高南野球だった。



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