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ボンボニエール

「まずはデュフレーンの歴史を知ろう。これとこれと、この二冊。明日までに読んでおいて。内容について質問をするよ。それから、要職にあるなしを問わず、全ての貴族の名前と顔や年齢、家族構成、交友関係は把握しておこう。領地の特産物や領地経営の状況なんかも知っておきたいね。自国が終わったら周辺各国の歴史に政治、経済、軍事、外交、風俗、習慣、文化にいこうか。セオドーシア殿下は淑女教育も受ける予定と女官長から聞いているから、これを週五日の午前中、一年の予定で考えてる」

「あの、二冊も? 明日まで?」

 二人は図書室にいた。ひょいひょいと書架から抜いて渡された本は二冊とも結構な分厚さである。

「ああ、少し難しい表現もあるけれど、子どもでも読めないことはない。俺は五歳の時に読んだ」

 何か問題でも? と、色っぽく首を傾げられては、たまらない。どきどきする胸の音を聞かれないように、セオドーシアは早口で答える。

「わかったわ、明日までに読んできます、先生」

「いい子だ。次に、セオドーシア殿下は語学はどこまで習ってる? 南の大国であるハドレー語は完璧に、あと交易で繋がりのあるバイロン、レディングあたりの公用語は最低でも押さえておきたい」

「デュフレーン語だけよ。あの、ローランドは話せるの? ハドレー語とか」

「王都でも下町へ行けば言葉の坩堝だよ。生きた教材が転がってる。そうだな、まずはハドレー語をやるか。これができれば大抵の国へ行っても不自由はしないから」

 途端、セオドーシアは今朝聞いた話を思い出して泣きそうになった。

(明日いなくなるのか、五年先なのか)

「泣きそうにならないでよ。悪かった。初日から脅かし過ぎたね。お茶でも持ってきてもらって、まずはお互いをよく知ることから始めようか。何でも聞いてくれたらいい」

「はい、先生」

「先生は止めて欲しいな。ローランドでいいよ」

「じゃあ、私も殿下ではなく、シアって呼んで欲しいわ」

「では、シア。勉強中はそう呼ぶことにするね」

「はい、ローランド」

 また微笑がセオドーシアに向けられる。

 けれど、嬉しい反面、その微笑はセオドーシアを悲しくさせる。だって。

 私、ふられちゃったんですもの。

 セオドーシアがローランドに気持ちを向ける必要はないし、ローランドがセオドーシアを想うことはない。

 昨日、あの花の香りの中でそう宣言されたのだから。関係性をはっきりさせたことで、ローランドは吹っ切れたのかもしれない。

 いいわね、男の人は単純で。そう思うと何だか困らせたくなってくる。

 図書室にある小さなテーブルに本を置き、椅子に腰掛けてから、マリーへお茶の用意をするよう告げ、セオドーシアは切り出す。ローランドは側の壁へ寄りかかり、腕を組んだ。

「お部屋にあったあのボンボニエール、ローランドのお母様のものなんでしょ? お守りって言ってたけど、どういう意味なの?」

「あれは確かに母のものだけど。俺がもらった。あれは、他人に迷惑をかけずに、地道に努力をして生きていきなさいっていう戒めなんだ。でも、なぜ母のものだと? 誰か別の人の持ち物だとは思わなかったのかい?」

 にやにや笑っているのが、余裕を見せつけられているようで悔しい。

 マリーの言葉が脳裏を過ぎる。

 ローランド様は、商家のマダムに大そう人気だとか。

 ううん、意地悪な言い方だけど騙されないわ、とセオドーシアは思った。

「蓋に白薔薇の飾り細工がしてあったわ。お母様は王都の白薔薇と呼ばれていた方なのでしょう? それに、ローランドの荷物が少なかったから、持ってきているのは本当に大切なものだと思ったの。遊び相手の持ち物なんか、荷物には入れないと思うわ」

 金と銀のオッドアイが見開かれ、長いまつ毛が瞬きした。

「これは、大した名探偵じゃないか。本当は魔力が使えるんじゃないのかい?」

 魔力が使えるのではと言われて、セオドーシアは心のカサブタを無理やり剥がされたような、ツキッとした痛みを覚えた。

 我慢、我慢、痛くない、痛くないと自分に言い聞かせる。

 でもカサブタの下で治りきっていなかった心の傷はじくじくと血をにじませてくる。


 無邪気でいられた幼い頃。

 シリウス兄さま、ルブド山まで私を連れて飛んで行って。湖が見たいの。

 ルシウス兄さま、王都ではお祭りをしているらしいの、見える?

 リタ姉さま、この小鳥、羽を怪我して飛べないの、飛べるようにしてあげて。

 妹の取るに足りない願いを叶えてくれる優しい兄や姉たち。

 一方で。

 セオドーシア殿下はどうして魔力が使えないのかしら? 王家なのに。

 シリウス殿下は生まれた翌日に王妃様のベッドに『飛んで』行ったそうよ。

 ルシウス殿下は生まれて三カ月もたたないうちに……、だったそうよ。

 リタ王女は一歳のお誕生日には……できたとか。

 それにくらべて、セオドーシア殿下は。

 いつもいつも言われてきた。

 なぜ、セオドーシア殿下には魔力がないの? ねえ、どうして? 遊び相手に呼ばれた貴族の子供たちは平気で訊ねてくる。

 セオドーシアも家族に訊ねた。

 どうしてシアは魔法が使えないの?

 みんなは困ったように微笑んだだけだった。

 シリウス兄さまのように、いえ、ルシウス兄さまのように、いえ、リタ姉さまのように。

 いいえ、あんな強い魔力はいらない。

 せめて、せめて蝋燭に灯をともすことくらいは。そう考えて特訓したこともあった。

 蝋燭立ての蝋燭をじっと睨む。

 私にだって魔力はあるはず。だって王家なんだもの。王都の市民でもできる人はいるって聞いたわ。

 さあ、集中するのよ、シア。

 碧の瞳を凝らして蝋燭を見つめる。

 お願い、お願い、一度でいいの。蝋燭よ、灯をともしてちょうだい。

 ずっと練習した。一ヵ月、時間の許す限り睨み続けて最後の日、蝋燭の芯からほんの少し、煙が上がったのだ。

 小躍りした。そのまま点いて、お願い。

 だが、願いも空しく煙はすぐ消えてしまった。

 涙は出なかった。

 ただ、ただ不甲斐ない自分が腹立たしかった。

 私には魔力がないみたい。ただの役立たずなんだわ。何のために生まれてきたのかしら。

 小さいながらセオドーシアは王女だった。魔力がないなら、デュフレーンの王家としては失格ね。消えてしまいたい。

 それに、他国の王家から嫁いできた王妃が自分のことで、意地悪な貴族たちに陰口を言われているのも知っていた。

 でも、家族はセオドーシアに優しかった。

 みんなは言ってくれた。

 いいのよ、シアはそのままで。魔力なんてなくても。そのまま素直に育ってくれれば。それでいいのよ、シア。

 そうは言われても。

 みんなが可哀そう、私のせいで。

 どんな小さい、つまらない魔力でも良かったのに。

 そうしてセオドーシアは王宮の奥深くに引きこもってしまったのだった。


 黙ってしまったセオドーシアにローランドが退屈そうに言う。オッドアイをすっと細めて、口角を片方だけ上げながら。

「なに? 機嫌を損ねたの? それとも魔力のことを言われて悲しい? 悲しいのなら泣けばいいだろう? 魔力がないのは誰だって知ってる。不機嫌そうに黙り込まれるのは大変、不愉快だ、王女殿下」

 目の前の美形は、どうしてこうも人の心を抉るのだろう、とセオドーシアは思う。

「しっかし、陛下も王妃様も殿下たちも気の毒だな! 末っ子に関しては肩身の狭い思いをしているだろうに、みんなでかばいあって、俺なんかの機嫌まで取ってさ。過保護っぷりは笑えるよね。親バカってのは本当に有難い、ね、セオドーシア殿下」

 ついでのように、くすっと鼻で笑われて、体の奥で何かがぶちっと切れる音が聞こえた。その中から熱を持った強い怒りがドロドロと湧き出てくるのを感じる。

 大切なものをくだらないと貶され、土足で踏みにじられたような気分になった。

 親バカってのは本当に有難いね。

 笑えるよね。

 何を言ってるの? 許さない。自分だってそうじゃない。ロウ家に大切にされてきたのでしょ? それなのに他人の親や兄姉はバカにするの?

 あきれた!

 悲しくなんかない。涙なんか出てこない。ローランドも怖くなんかない。こんな最低の顔だけ男を少しでも素敵だと思っていた自分を張り飛ばしてやりたかった。嫌われようと怖くなんかない。

 悲しみよりも、恐怖よりも怒りのほうが強い感情であることをセオドーシアは知った。

 我慢なんかしない。できない。許さない。

 そう自覚した途端、椅子を倒して立ち上がり、これまで出したこともない大声で叫んでいた。

「家族は関係ないでしょ! バカにするのなら私だけにしなさいよ! 私に魔力が使えれば、ローランドがここにいることにはなってないわ! わかってて言うのね! ひどい人ね! 私には、私には蝋燭に灯をともすことも難しいのよ! 魔力なんて持ってないのよ! 王家なのにって、ずっと言われてきた気持ちがわかる? わかるわけないわよね! 人の気持ちなんか! ローランドになんかわかるわけないわ! あなたなんかに、あなたなんかに教わることなんてない! これを持ってさっさと出て行きなさい!」

 言葉の終わりにテーブルの上の本を投げつけた。本はローランドの肩に当たって落ちる。

 どうして? なぜ避けようとしないの?

 ローランドは腕組みを解き、ゆっくりとセオドーシアへと近づいた。

 仕返しをされる! 毒舌を吐かれる!

 セオドーシアは動けなくなってしまった。

 だが、気分を損ねたはずのローランドは今まで見せたことのないような晴れやかな笑顔を返してきた。

「そうだよ! できるじゃないか! 怒れ、シア! もっと怒れ!」

 思ってもいなかった言葉を聞いて、セオドーシアの目に涙がぐわんと大きく盛り上がった。

「怒れ! 自分のために。怒るべき時に怒れ、シア。馬鹿にされたら、怒っていいんだよ、シア。我慢する必要はない。自分も守れないやつに他人が、ましてや国が守れるはずがない。そうは思わないか?」

 うわあああん、と手放しで泣き出したセオドーシアをローランドが嬉しそうに抱きしめた。

 この言葉を待っていたのだと、セオドーシアは初めて知った。自分が求めていたものは、魔力なんかなくてもいいんだよという慰めではなく、魔力がないと馬鹿にされたら、自分を、愛する大切な者を守るために、怒っていいんだというごく当たり前のことだったのだということを。

 重い荷物を降ろして、セオドーシアは大声で泣きじゃくった。ローランドにしがみついて。

 一方で、ローランドは思う。セオドーシアはもう迷わないだろうと。自分は彼女がこれから歩いて行く道の手助けをするだけだと。だから、セオドーシアの吹っ切り方を羨ましいと感じた。

 俺は迷ってばかりだとローランドは胸が痛くなる。叔父のこと、家のこと、自分を大切にしてくれる家族のこと。

 そして、自分のこと。

 まだ十歳のあどけない少女なのに、この小さな肩に国の一端を担っていくのだ。自分の背負うものなど比べるべくもない。

 目の前に揺れる銀の髪にローランドはアゴを埋める。

 温かいな、とローランドは思った。セオドーシア、君はとても温かい。心の中の空洞に、切なくて、わけのわからないモノが注ぎ込まれてくるようだと思った。

 それに光の中がよく似合う。

 初めて会った君は眩しい銀の髪と大きな碧の瞳で俺を見てた。

 光の中に溶けていくかと思った。

 そんな頼りない存在なのに、小枝を折るくらいなら自分の髪を切ればいいと言ったんだ。

 もうその時には君に囚われていた。

 家族ではない温かいもの。手放したくはないが、手放さなければならないもの。

 なぜなら、自分もまだ自分を守れる強い存在ではないから。ましてやこの腕の中の温かいものを。

 ぎりぎりと背骨を軋ませる思いで、ローランドはセオドーシアを自分の胸から離した。

 親指の腹でセオドーシアの涙を払う。

 誘われたようにセオドーシアが微笑む。

 ローランドも微笑を返す。

「私、魔力がなくてもいいのよね?」

「そうだ。俺がいる。シアの魔法使いになるよ」

「ローランドが守ってくれるのよね?」

「そうだ。俺が守る」

「ありがと……、私の魔法使い……」

 セオドーシアがするりとローランドの腕の中へと、再びおさまった。


 図書室の扉からそっと離れて行った二つの人影が会話を交わす。

「私の娘たちは、お前の息子どもにさらわれていくということでいいのかな?」

「陛下、先のことは何とも」

「魔力がないと言われて泣いてばかりの小さな子どもだと思っていたが。いつの間にか自分だけの魔法使いを見つけていたのだな。……何だか悔しいぞ、なあ、ロウ」

「御意、陛下」



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