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ガンガラン

 翌朝。

 やってきた。本当にローランドがやってきた。マリーにお行儀が悪いと叱られようと、セオドーシアは自分の部屋の窓から動けなかった。

 王家の私邸であるここは、食堂や客間を始めとするすべての部屋が庭に面していて、建物全体が張り出すようにゆるくカーブを描いている。カーブの背中側が厨房や倉庫、ここで働く女官や侍女たちの自室、護衛たちの寝泊りする部屋だ。

 その庭をローランドが歩いてくるのが見える。太陽の光を浴びて黒髪がきらめき、その髪を無造作にかき上げるのは長い指だ。大きなトランクが一つ、それを運ぶ従者がふたり、彼の後ろをついてくる。

 ローランドの部屋はどこかしら。それにしても荷物が少ないわね。そう思いながら見ていると部屋のドアをノックする音がする。

「はい、どなた?」

「シア、いいかい?」

「シリウス兄さま」

「ローランドに南の客間を案内してあげて。荷物が片付いたら、顔合わせを兼ねてテラスでお茶にしよう」

「はい、兄さま」


「ああ、ここがいい」

 客間へと案内するセオドーシアを追い越して、ローランドが足を止めたのは護衛が当直するための簡素な部屋の前だった。そのままドアを開けて入っていく。セオドーシアは慌ててしまった。

「ちょ、ちょっと待って、鍵を……、いらないみたいね……」

 鍵をマリーに取りに行かせようとして気付く。そうだ、こいつには魔力があるのだったわ。すでに奥の部屋まで見に行っている。

「鍵なんかいらない。お、有難い、シャワーつきだ。十分だよ、ここで。ここは騎士団の当直室のようだな。何なら護衛もしようか。陛下は破格の報酬を提示してくださったから。ガンガランのお世話だけじゃ罰が当たるからな」

「ガ、ガンガラン? 今日は違うわ!」

 今日、頭につけているのはリボンだけよ。木の枝ではないわ。リボン、よね?

「うん間違えた。今日は可愛い。リボンの色も髪とよく合ってる」

「ふえっ」

 下げたり上げたり目まぐるしい。

 ひょっとして機嫌がいい? それともとっても悪いのかしら。どっちなの?

 セオドーシアには判断がつかないが、どちらにしろ、面倒くさい男には違いない。

 考え込んでいる間にすぐ側に来ていたようだ。吐息が耳にかかる距離で囁かれた。

「さっき窓にいた時は白く見えたけど、ここで見ると本当に銀色なんだな。綺麗な髪だ。さわってもいい?」

 それを聞いてセオドーシアは、光の速さでローランドから飛びのいた。

「さわ、さわ、さわってはだめ……」

「残念。トランクはそっちの隅に置いて。そう、そこでいいよ。ありがとう。後は自分でできるから。母上にお礼を。頼んだよ」

 従者が頭を下げて出て行った。

 ローランドがトランクを見るとパチンパチンと音がして蓋がゆるんと開いた。あれよあれよという間に、たたんであるシャツやリネンが棚にしまわれ、上着やコートがハンガーへかけられて衣裳棚へと入っていった。

「右か左かどちらかによけてもらえると助かるんだけど」

 セオドーシアの目の前にはボンボニエールがふわふわと浮かんでいる。蓋に白薔薇の銀細工が施してあり、趣味の良い一品である。

 セオドーシアがボンボニエールの動きに合わせて碧の瞳を上下させていると、ローランドがくすっと笑った。そして、浮かんでいるそれを手に取り、そのままベッドのサイドテーブルに載せた。

「これはお守りなんだ。片付け終わり。さあ、これからの予定は? 王女殿下」

「シリウス兄さまがテラスでお茶をと」

「御意。では、ご案内いただいても?」


 テラスには、昨日の第一王子を始めとする三兄姉と、女官長、侍女頭、護衛担当の騎士団長が顔を揃えていた。

 客間ではなく、護衛の寝泊りする部屋を選んだと聞いてもシリウスは何も言わなかった。不機嫌になったのは、同席していた近衛騎士団の団長の方だった。

「我々は仕事に誇りを持って当たっている。規律を乱すようなことは控えていただきたい。入団試験にも来なかった貴殿に、騎士の真似事をされるのは不愉快だ」

「それは失礼した」

 長い足をテーブルの下で組み直し、ローランドはカップを持ち上げた。団長が続ける。

「まあ、何が起きても貴殿は魔力で解決されるのであろうからな。剣の腕など、そもそも必要あるまい?」

 虎の尻尾を踏んだな、とシリウスは腹の中で黒い笑みを浮かべたが、もちろんそれは誰にもわからない。

「あー、何か腹立つな」

 ローランドがカップを持っていない方の長い指を黒髪に突っ込んでくしゃりと握る。

 言葉は軽いが剣呑な雰囲気が駄々漏れである。

 セオドーシアはぎょっとして彼を見た。シリウスはカップの陰で目を細めて成り行きを見守っている。ルシウスは目を逸らしたまま他人事の表情を決め込んだらしい。リタは小さくお茶にむせている。女官長、侍女頭は腰を浮かせてどうしようかとお互いの顔を見合っていた。

 団長がうっそりと笑って言った。

「では我々と『訓練』でもなさるかな?」

 牙を剥く老獪な獅子と俊敏な若き虎の一騎打ちが今にも始まりそうな予感しかしない。

「ぜひお願いしたい。それに魔力を使ったと言われては心外なので、誰か見極め係りをお願いしたいのですが」

 リタ王女がにっこりと笑って言う。

「私がいたします」

 それでは明朝六時にここの鍛錬場で、遅刻なさるな、と言い放って団長は立ち上がった。はずみで椅子が倒れた。相当、腹を立てているのは間違いない。

 団長の後姿を見ながらセオドーシアが小声で言う。

「大丈夫なの? ローランド」

「さあ、どうでしょう。一年ほど剣は握っていない」

「それなのにケンカをふっかけたの? それは勇気とは言わないでしょ……」

「ですよねー」

「客間にしていればこんな問題にはならなかったのに」

「あー、それはダメです」

 どこから漏れて叔父の耳に入るかわからない。王宮の仕事を得たと聞いただけでも機嫌を損ねるはずだが、そこは父上がうまく誤魔化すだろう。不要になった図書の整理だとか倉庫の物品管理だとか、誰がしてもいいような仕事だと。

 そんな者が上等な客間でもてなされていてはまずいから質素な部屋を選んだ。

 それよりも、何よりも、ローランドは自分の力を試したかった。いずれ自分だけで生きていかなくてはならなくなる。父や兄や公爵家というものから離れて。庇護を失った時のために、魔力だけでない力をつけておかなくてはならない。自分の居場所は自分で探したい。また、そうしなければならないと思っていたから、今回のことは彼にとってもいい機会だったといえた。また、予定通り、騎士団と接触できたとも言える。


 騎士団の入団試験に行けなかったのは叔父のせいだった。王立学院受験の少し前だ。

 あの日は父と兄はすでに出仕したあとで、ローランドが母に見送られて屋敷を出発し、道程の半分ほど行った時、叔父の乗る馬車とすれ違ったのだった。その先にあるのはロウ家だけではない。ないが。その先にローランドが知らない叔父の行き先があるとも思えなかった。

 嫌な予感がした。御者にすぐ引き返すように伝えると、御者は驚いて言った。

「坊ちゃん、入団試験が受けられなくなります」

 試験は時間厳守だ。遅刻はどんな理由があろうと認められない。戦場では『理由』など邪魔なだけで何の意味もなさないからだ。

「僕を屋敷へ送ったら、すまないが受付へ行って試験には行けなくなったと伝えてくれないか」

「それは、ようございますが、理由はなんといたしましょう?」

「試験が怖くて腹痛になったとでも言っておけばいい」

 馬車が屋敷に着くと、思った通り、叔父の馬車が車寄せに止めてある。玄関を開けながら執事を呼んだ。アルフレッドが急いで迎えに出てくる。ローランドが戻ってきたのには驚いた様子だったが、明らかにほっとしている。

「ノートン伯は?」

「先ほど見えられたのですが、何やらご領地のことで込み入ったお話があるからと人払いをなされまして。旦那様はいないと申し上げたのですが、奥様で構わないと」

「どこ! 母上は!」

「二階のお客間でございます」

 その時。

 階上でガシャーンと陶器が割れる大きな音が響いた。続いて言い争う声。落ち着かない足音。

 ローランドとアルフレッドは顔を見合わせると、次の瞬間、二階へと走り出した。

 客間の重厚なドアを蹴破る勢いで開けると、叔父は母を壁際へ追い詰め、細い手首を握り締めている。母のお気に入りだったあの花柄のポットはその足元で粉々に割れていた。

「何をしている」

 地を這うような声が出た。化け物と言われた時の怒りが体の中から湧き上がってくる。

「ローランド! ローランド! 何でもないの! 何でもないの! 落ち着いて、ローランド」

 叔父様にお茶をお出ししようとしたら、ポットが落ちて割れてしまっただけなの、ローランド。大丈夫よ、ローランド、落ち着いて。

「試験を放り出して帰って来るほどのことか。ポットごときで大げさな。兄上がいないのなら出直すことにしよう」

 叔父は背筋を必要以上に伸ばすと、それでも震える声で捨て台詞を残して出て行った。

 アルフレッドが後を追う。玄関扉が開いて、閉まる音を聞くと、エメラインはずるずるとその場に座り込んでしまった。ローランドが抱え上げ、ソファに座らせる。

「このこと、ランドールには」

「父上には言わない。みんなにも口止めする。安心して母上。ケガはない? ポットを片付けさせるよ」

「ありがとう……、ローランド! あなた入団試験は!」

「いいよ、もう。母上の方が大事だ」

「ごめんなさい、ローランド、あなたを困らせてばかり」

「悪いのはノートン伯だよ。母上じゃない。泣かないで」

 騎士団には入りたかった。自分の力を試したかった。父のつけてくれた家庭教師だったけれど、剣の稽古は楽しかったから。


 テラスでのお茶が終わるとお開きとなり、ローランドはセオドーシアを誘い、庭へと散策に出た。

 二人の後を、侍女や護衛の騎士たちがぞろぞろとつき従う。薔薇がびっしりとからんだアーチの下をくぐり抜けた時だった。

「飛ぶよ」

 ふいに上からかけられた言葉に返事をする間もなく、頭がローランドの胸に抱きしめられて、セオドーシアは小さく悲鳴をあげた。

「きゃっ」

 目の前から忽然と消えてしまった二人に、騎士たちは呆然としていたが、すぐに我に返り口々に叫び出す。

「消えたぞ! 王女殿下が消えたぞ! 探せ! シリウス王子にお知らせしろ!」

「姫さま! 姫さま! 女官長を早くお呼びして!」

 

 遠くの方で騒ぐ声がする。

 二人は昨日の花木立の中に向かい合って立っていた。

「怖かった? それならごめん」

「いいえ、驚いただけ。飛ぶのはシリウス兄さましかできないのよ。本当に凄いのね」

「まあね。少し、君と二人だけで話がしたかった」

「話?」

「周りは俺たちを、その、くっつけようとしているけど、君はそんなことに惑わされないでいいってこと、それを言いたかった。俺も、したいことがあるし」

 こんな顔もできるんだと驚くくらい、感情を消し他者を拒絶した表情に、セオドーシアは冷水を浴びせられたような気分になった。

 マリー、ねえマリー。

 何も始まらずに終わっちゃったわ。

 昨日、ここで見た笑顔が何度もリフレインする。あれは何だったのかしら。

「君は俺から何を得たい? 本当に魔力を得たいのか? 俺はそんなまやかしよりも、この国のために魔法以外で役立つものを見つける方がいいと思う。今の自分を活かせる道を見つけるんだ。そのためなら、俺は君を手伝う」

 恋心に羽ばたく翼は片方なくしてしまったようだったが、自分よりも何だかローランドの方が辛そうなのがセオドーシアには気になった。

 ローランドには何か抱える重いものがあるのだわ。それを断ち切るために、ここへやってきたんじゃないかしら。

 それが何かはわからないし、聞いても無駄だということもわかっていた。けれど一人で背負い込んでいるローランドを思うとまつ毛が震えそうになり、精一杯こらえた。

 セオドーシアを拒絶することになってしまったから泣き出すと思ったのか、ローランドが顔を顰める。

 だから、反対にセオドーシアは笑った。

「魔力に頼らない、私を活かせる道を見つける手伝いをしてくれる? ローランド」

 金と銀のオッドアイが迷うように揺れた。

 答えを待つセオドーシアに、ローランドからは何も返っては来ない。

「ローランド、ねえ、ローランド?」 

 甘えたような、困ったような変な声が出てしまい、恥ずかしくてセオドーシアは後へ下がろうとした時だった。

「痛いっ!」

 髪がぐいっと前へ引っ張られ、頭からローランドの胸にぶつかった。

 ローランドが止めていた息を吐き、小さく呟いた。

「……、乱暴なお姫様だな」

「わわわ、ごめんなさい、って何? 何が起こったの?」

「……、おいガンガラン、動くな。髪が俺の上着のボタンにからまってる」

「うそ!」

「事実だ。じっとして、今取るから」

 昨日みたいに魔法で取っては嫌だと思った。

 二人で花木立の中。

 甘い花の香りと髪を触る長い指。

 この時間がずっと続けばいいのに。いつまでも、このままこうしていたい。

 だが、頭や服にたくさん小枝や葉っぱをつけた乱入者によって幸せな時間は終わりを告げる。

「はぁはぁ、はぁはぁ、セオドーシア様! 見つけましたよ! やっぱりここでしたのね!」

 女官長のキャロである。セオドーシアの手首を逃さじとガシッと掴んだ。

「きゃあああああああああっ!」

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