出会い
王宮の奥は私的空間だということもあって、家庭的な雰囲気にあふれている。果てしなく新芽の芝生が続き、芝生の向こうに見える低木には小さな白い花が咲き乱れていた。南国風の明るい開放的な建物に入り、宰相に続いて第一王子、第二王子、第一王女殿下に挨拶をすませたが、肝心の第二王女がいない。
キツネ目の女官長がますます目を吊り上げてお辞儀もそこそこに奥へと走り去った。
第一王子シリウスがふんわりと微笑んで言う。
「妹には教育係として宰相家のオッドアイが来るとは伝えていたんだが、どうやら支度に手間取っているようだ。お茶でも飲んで待っていよう」
椅子に座るよう促され、薫り高いお茶が入ったところでシリウスが口を開く。
「ローランド、やっと来たね。本当にオッドアイだ。前から君には興味があってね。宰相には何度も会いたいと伝えたのに体よく断られ続けてしまった。ところで、王立学院には入学しなかったって聞いたよ。なぜ?」
「そりゃ、頭と素行が悪いからでしょう」
「ふふっ、噂通りと言いたいんだね。そういうことにしておこうか。教育長官に無理を言ってお前の答案を見せてもらったけど、綴りをわざと間違えて解答していた箇所があったね。間違えた字を並べ替えると『ニンゲンアキラメガカンジンダヨ』ってなるけど? 王立学院の先生たちは気がついたから、君を落としたのかな? どう思う?」
「っ! シリウス殿下!」
「何? そんなことをして遊んでいたのか! この馬鹿者!」
眉間のシワを深くする宰相。
「あら、お兄様。ローランドは魔力測定もひどくて魔法研究科にも入れなかったそうよ。でも私はあまりにも魔力が強すぎて測定限界を突破したからだと思ってる。私たちと同等の魔力を測るなんて王立学院ができるわけないもの。でも、本当に綺麗なオッドアイね」
と、第一王女リタ。
「な、なんと、測れないから無いと言ったのか……。では、では、今、魔法研究科にいる生徒たちというのは、もしかして……」
「雑魚だね」
第二王子ルシウスが爽やかに答えた。
「僕としてはなぜロウ家に魔力を持ったオッドアイが生まれるのかを研究してもらいたいね。ま、ロウ家は古くは王族ともつながっていたからかもしれない。それにね、ロウ家にオッドアイが生まれると王家の魔力が薄れるという現象も気になるところだから、ホント、魔法研究科にはこっちを研究して欲しいな。シアに魔力がないのは、シアに行くべき魔力がローランドへ行っちゃったからなんだよ、きっと。でも、本当にオッドアイなんだ」
と、第二王子。
「シア?」
「ああ、セオドーシア、シアって呼んでる」
「魔力がない、のですか? 王家なのに」
「うん、だから大事にみんなで守って隠してきたんだけどね。いつまでもこのままじゃダメだってことになってね。あ、でも全然ないってわけじゃないんだよ。ほんの、ほんのちょっぴりなら魔力はあるんだ、たぶん」
この場をまとめようと宰相が口を出す。
「それで陛下がヒマそうなお前に教育係を頼もうと言い出されてな。王家でもないのに魔力が強すぎるお前が、王家なのに魔力が、ごにょごにょな殿下に、その何だな、うまい力の引き出し方というか、なんというか、まあ、遊び相手というか、その、わかるな」
「要するに、はみだし者同士で仲良くしろということですか」
ローランドがあきれたように呟くと、その場にいた四人が一斉にうなずいた。
シリウスが辛そうに告げる。
「シアは自分に魔力がないのを気にしていてな、自己評価がものすごく低いんだ。だからこの国全体に結界を張れなんてだいそれた力を望んでなんかいないけど、自信を取り戻す程度にはなって欲しいと思ってるんだ。教育係なんて名前だけで、宰相が言うように遊び相手と思って気楽にやってくれたらいい。頼めるかな、ローランド」
嫌です、と言い掛けたら宰相の肘鉄が彼の脇腹に入った。
「ごふっ、ごほっ、ごほっ。も、もちろん謹んでお受けいたします、殿下」
「陛下の御下命です、当然のこと」
宰相がにっこりと笑う。
「シアってば、今日はどこまで逃げたのかしら。あの子、他人に会うのが苦手だから」
「大丈夫、姉上。ローランドが探してきてくれる。ねえローランド、ここを出てさ、ずっと南の庭を見に行ってみてよ。面白いものがあるからさ」
遠見の力がある第二王子が楽しそうに言う。
ローランドが掃きだし窓から庭へ降りて、遠ざかるのを確認してからルシウスが呟いた。
「力を使うかな。見たいんだけど」
「あれは、家族や心を許した者の前でしか力は使いません」
宰相が低く言う。
「ですから、こちらで生きるのがあれの幸せかと」
シリウスが優雅にお茶を一口含む。
「いいね。ぜひ義弟となって、我々と一緒にデュフレーンを盛り立てて欲しいね」
ルシウスが不満げに口を挟む。
「義弟って……。そりゃ、父上が決められたことだから従うけど。シアはどうだろう。あの子は本当に気持ちの優しい子なんだよ、兄上。言われたことには逆らえない。ローランドには物足りないんじゃないかな」
くくっと不穏な笑い方をしたのは宰相。
「聞いた限りでは、セオドーシア殿下はあれの一番の弱みとなるでしょうな」
「……、ロウ、悪い顔してるわよ」
「それは失礼いたしました、リタ王女」
あきらめきれない様子でルシウスが叫ぶ。
「ローランドがシアの好みではないということもある!」
リタが弾けた笑い声を立てた。
「シアはシリウス兄さまが憧れなのよ。つまり、無表情で冷酷そうな美形が好みなの。ローランドは直球でタイプでしょ?」
ルシウスが頭を抱える。
「何てことだ、シア。いつのまにそんな悪い子になってたんだ」
シリウスが憮然とした顔で言い放った。
「私は無表情で冷酷ではないぞ、リタ」
「でも美形という点はお認めになるのね、お兄さま」
リタは『してやったり』と得意気にカップを口に運ぶ。だが顔色も変えずにシリウスは言う。
「リタ、そんな可愛げのない言い方はラドクリフは好まないと思うが」
「ぶふっ」
盛大にお茶を吹き出したリタの側に控えていた侍女がすかさずハンカチを差し出した。
ハンカチを受け取りながらリタがおろおろした声を出す。
「そういう……、そういうところが冷酷、……、いえ、意地悪だと言うのです! シリウス兄さま!」
だがシリウスは花のように微笑んで、口を開いた。
「何が意地悪だ、リタ。お前は私の可愛い妹だ。意地悪などするわけがないだろう?」
だからぁ、とリタはもどかしげにハンカチを揉みしだく。
「あっ」
と、ルシウスが声を上げた。
「もしローランドがシアを気に入ったら」
宰相が当然のように続ける。
「笑顔で苛める、でしょうな。あれは好きな相手には嫌がることを無意識にしますので」
最低だ、とそこにいたシリウス以外の者たちは思った。
てくてくと歩いて南の庭の果てまで来てみたが特に何もなさそうだ。
「セオドーシア殿下、どこですか?」
芝生が途切れた所からは、白い花をびっしりとつけた低木が続く。同年代の少年よりも身長が高いローランドのちょうどアゴくらいの花木だ。花の甘い香りが漂っている。
「セオドーシア殿下、いませんね?」
遠見の力もたいしたことはないな。
そう思い、引き返そうとした彼の耳に小さく聞こえてきたのは、がさがさと木を揺らす音と。
ふぇっ、ひっく、ううっ、ひっく
泣き声?
声のする方へと近づくことにするが、密集して植わっている花木の小枝がピシピシと顔にあたり、結構痛い。王女殿下は何をしているんだ、こんな所で。第二王子のいう面白いものとは。小枝に打たれ、花を散らして走りながらローランドは呼ぶ。
「セオドーシア殿下? どこですか」
途端、泣き声が止む。同時にすぐ側から「ひっ」という息を飲む声もした。ローランドは思わずニヤッと笑ってしまった。見つけた。この奥だ。最後の花木を手でよける。
「セオドーシア殿下、見つけ、え?」
そこには。
長い銀の髪を木の枝に思いっきりからませている少女がいたのだった。
太陽を背に、突然現れたローランドを見て、あまりの驚きに碧の瞳を落としそうなくらい見開き、桃色の唇も同じくらい大きく開けている。頬には涙のあと。
何だこれは。
ローランドも少女を凝視した。
ローランドがじっと見ているので、少女は目線をあちこちにきょときょとと泳がせ、落ち着きのない態度になる。
一瞬、濃い時間が流れた。
頭に木の枝をたくさん、簪のように差している。見たことあるぞ、とローランドは思った。あれだ、ガンガラン、絵本の挿絵だ。
そう思ったら我慢できなくなった。
「ぶははははっ!」
思わず噴出した彼を見て少女は口を尖らせた。その拍子にまつ毛に引っかかっていた涙が一粒、頬を滑り落ちる。
「失礼ねっ! 初めて会った相手を笑うなんて!」
「ああ、ごめん、ごめん。ガンガランかと思った……、それとも新しい髪形か? でも、すごいね……くくく、あ、ごめん、いや、止まらない、あは、あは、」
ガンガランとは、頭に木の枝や蔓を生やした森に住むお化けで、親の言い付けを守らない子どもをさらいにやって来るという、この国の子どもを持つ親なら一度は読み聞かせる寓話の主人公である。
ガンガランと笑われて、少女の顔はカッと赤くなった。
「ななな、なりたくてこんなになったのではないわ! いいから早く取るのを手伝ってっ! キャロが探しに来る前に何とかしなくちゃ。あ、でも枝は折らないでね」
「キャロ?」
「女官長よ、すっごく怖いの」
ああ、あのキツネ目の女官長か。わかる。
少女は早口になりながらも手を止めない。
小さな白い手。
ローランドも手を動かすがもどかしい程作業は進まない。
「ねえ、これ、がんじがらめになってるし、髪は切りたくないだろ? 枝を折れば早く取れるし、キャロに見つかる前に逃げることができるんじゃないかな」
「だめよっ、折っちゃ! こんなに花をつけてるのにかわいそうでしょ! 枝を折るくらいなら髪を切ればいいわ!」
「……」
「あら?」
急に黙った彼を少女が覗き込んでくる。
「さっきは逆光でわからなかったけど、あなたの瞳、金と銀なのね。めずらしいわ、とっても綺麗ね」
「ああ、オッドアイっていうらしい。ああっ、面倒くさいな。じっとして」
彼が指を鳴らすと銀の髪はするりと枝から離れる。何事もなかったかのように少女は立っていた。枝から離れた長い銀の髪がゆるく巻いて少女の背中を腰まで滑っていく。
「なっ!」
「枝は折ってない」
「今、魔法、使った……? オッドアイ……、あな、あな、あなた、もしかしてロウ宰相の……」
少女はそう言いながらずざざっと後ずさる。
「うん。俺はローランド・ジョセフ・アラン・ロウ。ロウ家の次男だ。セオドーシア殿下の教育係を仰せつかった。よろしく」
「きゃあああああああああっ!」
「はぁはぁ、セオドーシア様! 見つけましたよ!」
女官長のキャロである。セオドーシアの手首を逃さじとガシッと掴んだ。
「いやああああああああああああっ!」