ローランドと銀の髪
バイロンの王都へ入ったところでレオナルド殿下の命を受けた数名の騎士団に迎えられ、セオドーシア一行は今は離宮に来ていた。
馬の内、ガルフェンが乗っていた馬は、離宮に着くなりその役目を終えた。
「ごめんね。無茶苦茶に走らせたもの……、ごめんね……」
セオドーシアは急速に体温を失いつつあるその体を撫でた。ガルフェンと騎士団が馬を荷車に乗せ、引いていくのを見送った。
そして、気付く。
「マリーは! マリーは無事に着いたかしら? デップ様!」
「殿下、どうぞデップと。まだのようですが、大丈夫。グレイブが付いていますから。ああ見えて黒竜騎士団では三番目の使い手です。医師の免許も持っておりますし」
「でも、でも、マリーは指先を少し切ったくらいで卒倒してしまうような怖がりなんです。あの戦場を見たらきっと……」
「ああ、それなら、余計、大丈夫だ」
「団長?」
二人が振り返るとガルフェンが立っている。
「馬が本気で走り出した時点で気絶してるだろうからな」
「まあ! でも、ふふっ、本当にそうかもしれませんね」
セオドーシアは改めて二人に向かって、深く腰を落とし、頭を下げた。
「ガルフェン様、デップ様、本当にありがとうございました。お二人のお蔭でこうして無事にバイロンの王都へ入ることができました。マリーのことも併せてお礼を申し上げます」
「いや、王女、本当に大変なのはここからだ。大公妃はあなたが既に王都へ入っていることを知らない。辺境伯領の様子が届くのはもう少し先だろうが、この離宮を見張らせている家来からはご注進が及んでいるだろう。騎馬で正体不明の三人が到着したようだとね」
そこへ迎えに来ていた騎士団が、一人の婦人を連れてきた。
「この離宮の女主人であるアンナ様です。平民でいらっしゃるので礼は不要です」
この方がレオナルド殿下のお母さま。
灰色の髪と瞳はもちろんのこと、少し寂しそうな笑顔が殿下にそっくりである。しかし、平民とは言うものの、アンナはセオドーシアに対して素晴らしく美しい淑女の礼を取った。
「セオドーシア殿下、初めてお目にかかります。レオナルドの母でございます」
「お母さま、お顔を上げてください。私こそこんな恰好で失礼いたします。セオドーシアと申します」
淑女同士の流れるような所作は眼福とも言える。
セオドーシアを見てアンナが辛そうに言う。
「髪を切られたのですね、殿下。こんなに綺麗な銀の髪を切れなんて……ひどいことを。あなたの命令ですか? 相変わらずですね、ガーフィールド団長」
「えっ!」
ガルフェンが大きく目を見開く。
黒竜騎士団長であった時の正式な名前を知っている。まさか。
灰色の髪に灰色の瞳、少し寂しそうな笑顔。
政の世界には似合わない、優しい方だったよなあ。
「アンドリュー、殿下、なのか?」
アンナは答えず、今度はデップに向かって静かに微笑んだ。
「お元気そうですね、ディパート副団長」
「……、お久しぶりです……、アンドリュー殿下……」
ガルフェンの目に熱いものが溢れた。
二十五年、二十歳の時から追いかけていた幻が今、目の前にいた。
儚くて、脆くて、ガラスのような人だった。
護衛という垣根をいつしか、知らないうちに超えてしまった人だった。こんなことで一国の主となれるのか、心配で心配で。随分と殿下に無茶をさせた。心を鬼にして鍛えた。
女性だなどとは考えたこともなかった。だが、思えば線の細い、けれど芯のしっかりとした……
愛していたのだな、とガルフェンは今更のように気付いた。昔は、それを殿下に対する忠誠心だと勘違いしていたけれど。ガルフェンの男の部分は、本人が気付かないうちに、本能的にかぎ取っていたのかもしれない。
だから内紛が起こりそうになった時、慌ててデュフレーンへ逃がした。ランディスという名の旅行手帳を持たせて。
死なせたくなかった。
だが、デュフレーンで殿下は消えた。
それからガルフェンの長い探し物の旅が始まったのだった。
もう一度、ガルフェンは目の前のアンナを見た。
凛と頭を上げた、一人の女性がいた。
長い間、くすぶり続けた疑問の答え合わせをすることができた。
ガルフェンがやっと笑えた時。
メイドが息を切らしてやってきた。
「アンナ様! 大公妃が離宮へお越しになると先触れが参りました!」
セオドーシア達が着替えるヒマもなく、離宮が騒がしくなった。余程慌てて来たのだろう、大公妃は扇も持っていない。客間に仁王立ちになったまま横柄に命令してくる。
「大公の見舞いに来た。取り次げ」
「今は眠っておられます。出直しを」
アンナが答えると、投げる扇がなくてイライラしている様が可笑しくて、セオドーシアは小さく笑ってしまった。
「そこの娘! 何が可笑しい!」
今度は相手が小娘なのでいきなり近寄ると、大公妃は右手を大きく振り上げた。
叩かれる! セオドーシアは目をつぶる。
「おやめなさい! デュフレーンと事を構えるおつもりか!」
ガルフェンが大公妃の手を押さえながら叫んだ。
「デュフレーン? この小娘がデュフレーンの何だと言う! その汚い手を離せ!」
セオドーシアは埃だらけの男装のまま、上品なカーテシーを披露した。
「初めまして大公妃殿下。デュフレーン国第二王女セオドーシアでございます」
一瞬、大公妃は目をパチクリさせたが、次には、これ以上ないほど艶やかな笑みを浮かべた。
「ほほっ! アンナ、今年で一番面白い冗談を見せてもらった。どこぞの劇団の役者か? デュフレーンの王女がこんなに早くここへ来られる訳がない。空でも飛んできたと言うのか? それにな、王女なら、今頃、辺境伯領で冷たくなっておるわ! デュフレーンはどう出るかな? シリウス陛下は第二王女を溺愛しておられるからな、ハドレーと一緒に攻め込んでくるぞ? ラクレル国王は容赦がない、バイロンは終わりじゃ。レイノルドが王太子になれないバイロンなど滅びればいい。大公妃に情を見せぬ大公も要らぬ。アンナ、良かったな。バイロン公国最後の情婦になれたぞ?」
セオドーシアが目にも留まらぬ速さで大公妃の前に走り出ると、大公妃の頬を張り飛ばした。デップが、失礼と声をかけながら倒れる大公妃を受け止める。妃は頬を押さえながらセオドーシアを睨んだ。
セオドーシアは涙声で言う。
「馬鹿っ! 大馬鹿よっ! レオナルド殿下は、弟が成人したら大公を譲位すると仰ったのよ! 短い間しか大公妃と呼ばれないけどいいですかって私に尋ねられたわ! 弟はバイロンの正式な血筋だからって! あなたは自分の息子が継ぐ国を滅ぼそうとしていたのよ!」
「……セオドーシア殿下」
アンナは涙ぐんでいる。
「大公さまだって、大公さまだって、自分の思いを殺して、思いを殺して、バイロンを守るためにあなたと……。それなのに、それなのに、あなたは何にもわかっていない……」
大公妃は呆けたように呟いた。
「レイノルドが成人したら譲位すると? 私は間違ってしまったのか? ……」
「大公妃、あなたは宰相の口車に乗せられたのですよ。いずれあなたも弟も殺して、自分が大公になるのだと、宰相が白状いたしました。それにしてもセオドーシア殿下、騎馬でなんて、あなたらしいお国入りですね。さっきの啖呵もカッコよかった」
客間の入口にはレオナルド殿下が立っている。大公妃を追いかけてきたらしい。
「レオナルド殿下……、カッコいいだなんて……、照れますわ……、はっ! マリーは! マリーは! まだかしら!」
「先ほどからここに。姫さま、その恰好で王女と言っても信用されませんよ? はい、陛下の書状です。これがないとダメでしょ?」
「マリーーーーーー! 大丈夫だった? 怖くなかった? ああ、あなたが無事で本当に良かった!」
セオドーシアの問いにはマリーではなく、グレイブが真っ赤な顔で答える。
「侍女殿は、ずっと私にしがみついておられました……。その内、眠ってしまわれて……、落とさないようにするのが大変でした……」
何が大変だったのかは聞かない方がいいらしい。
「あのさ、俺も一応いるんだけど。まあ、どうでもいいけどね」
「アーニー!」
ガルフェンとデップがアーニーの肩を叩く。
喜んだ後、ガルフェンはセオドーシアに背を向けて声を潜めた。
「ランディスは無事か? アーニー」
「わかんねえ、ガルフェン。侍女さんが陛下の書状だけは持って行きたいって言い出したから、ガルフェン達よりかなり遅れて出たんだ。あいつの髪、目立つだろ? 俺たちが通った時は、五、六人に囲まれてたな。剣も顔も返り血で凄かった。それでも、あいつ俺たちに笑って見せた。いい顔してさ。あいつのあんないい顔、初めて見たな。ヘロヘロで相手をしてたから……多分……」
「……骨でも拾ってやるか。ランディスはデュフレーンへ帰りたがってたから、デュフレーンの土に埋めてやろう」
セオドーシアへ王太子妃としての教育が始まった。
大公妃はいくら騙されたからとはいえ罪に問われ、辺境の修道院へと預けられた。レイノルド殿下はレディング皇国へ留学することが決まっている。辺境伯領でのいざこざも片が付き、バイロンでは日常が戻ったようだった。離宮では三人の幸せな生活が始まっている。
「アンナはヴェルテの王女だったのか。ヴェルテはまだ内紛が続いているらしいが……。いや、そんなことはどうでもいい。レオナルド、私は早く譲位したいのだが、ダメか? 考えようによってはお前の方がレイノルドよりも大公に相応しいと思うのだが」
「私は、宿屋のアンナの息子です。大公なんて堅苦しいことは早く放り出して、セオドーシア殿下とのんびりと暮らしたいと思ってるんですから」
それを聞いてアンナが顔を曇らす。
「セオドーシア殿下は何か悩みがあるのかしら? 時々、考え事をされているような」
「ええ、私も気にはなっていたのですが」
「可愛らしい王女じゃないか、レオナルド。お前たちも幸せになって欲しいのだが」
骨でも拾ってやるか。
ガルフェンの言葉が耳から離れない。
でも遺体はなかったわ。大怪我をして動けないでいるのかしら。
セオドーシアは気が気ではない。辺境伯も度々王都を訪れては、王宮のセオドーシアへ顔を見せてくれる。だが、傭兵たちはもう誰もいないとのことだった。ガルフェンはヴェルテから来たと言っていた。ヴェルテへ行けばわかるかしら。でもヴェルテのどこなの? あの広い国のどこへ行けばわかるの?
気付けば涙が流れているのだった。
ランディス
名前がわかっただけでは、嫌なのだった。
もう思い出を抱いて満足できる子どもではないことをセオドーシアは知ってしまった。
アイシテル
私も、あなたを愛してる。
それに気づいてしまったから。
見ない振りをしても、恋心はちゃっかりと自分の横に座っている。
あの皮肉そうな口ぶりをマネしながら、灰色の髪と灰色の瞳を連れてくる。
アイシテル
愛してる
アイシテル
愛してる
苦しい。
でもレオナルド殿下と約束した。
私たちは私たちのできることをしようと。
国と国との約束よ。
王女の本当の仕事をするべきよ、シア。
わかっているのよ。わかってる。
でも、今夜もまた泣いてしまいそう。
大公さまは、いったいどうやってこの気持ちをあきらめたの?
「疲れましたか? セオドーシア殿下」
「え? いいえ。ごめんなさい、何だったのかしら、レオナルド殿下」
同じ灰色の髪と灰色の瞳をセオドーシアへ向けてくる。よく似ている。
でも。
似てるってことは、違うってことと同じ意味なんだわ。
セオドーシアは頭の隅で冷静に考えている。
ひどい女だわ、私。だって嘘つきなのよ。
殿下は何も悪くないのに。
違う、この人じゃない、殿下ではダメだって思ってる。
何てひどい人間なのかしら。
さらさらと風が吹いている。
中庭のあずまやにいたのも忘れていた。テーブルには焼き菓子やフルーツが色とりどりに並べられて、お茶が湯気を立てている。
そうだった。ふさぎ込んでいる私を気分転換にと連れ出していただいたのだったわ。
護衛も侍女も遠い。
また、風が吹いてきた。やっと肩にかかるようになったセオドーシアの髪が揺れる。
「いい風だ。少し歩きましょう」
「はい」
風と殿下の声に流されるようにセオドーシアは立ち上がった。
レオナルド殿下の背中を追って歩く。
だが殿下が急に立ち止まって振り向いたものだから、セオドーシアは殿下の胸に頭を突っ込んでしまった。
「あ、ごめんなさい。前をよく見ていなかったみたい」
大丈夫ですか、といつものような穏やかな声が返ってくるはずだったのに、今日は違った。
「愛してる」
言うなり抱きすくめられた。続いて、唇が落ちてきた。
「いやっ!」
殿下の胸を思いっきり突き飛ばした。
涙があふれてくる。ぽろぽろ、ぽろぽろ止まりそうにない。唇を手の甲で何度も拭う。
その仕草にセオドーシアは自分で驚いた。
それから、後も見ないで走り出した。
「父上」
そう呼ばれて、離宮の執務室にいた大公は死ぬほど驚いた。
「幽霊みたいに立つな! レオナルド! 私を殺す気か? 父上など、お前から呼ばれるとは夢にも思わなかったぞ。心臓に悪い。どうした、何か相談でも?」
「私のせいでデュフレーンと戦争になるかもしれません」
「はあ? 何だ、それは。詳しく話せ」
次の日。セオドーシアはレオナルド殿下の執務室に呼ばれた。ずっと泣いていたので、目が赤い。レオナルド殿下は目を合わせずに一息に言った。
「セオドーシア殿下、婚約を解消していただきたい」
「……」
思いもかけない展開に頭がついていかない。
「それは、私が昨日、殿下に失礼なことをしたからでしょうか?」
「違う!」
セオドーシアが大きな声にビクつくと、レオナルド殿下は目を伏せた。ずっと黙っていたが、やがて口を開いた。
「あなたには、あなたのなすべきことをしてもらいたいから」
「それは」
「昨日でわかりました。他に愛している方がいるのでしょう?」
「でも」
「父に言われました。あなたを愛しているのなら、自由にしてあげなさいと。父とあなたでは事情が違います。セオドーシア殿下、どうぞ、あなたはあなたのなすべきことを。後悔しないように」
「……ごめんなさい」
「……それで、一つ確かめたいことが。あなたの思い人は私より良い男、かな?」
セオドーシアは涙を浮かべながら笑った。
「いいえ、レオナルド殿下の方が良い男ですわ」
「それは良かった。私も頑張らねば。ね?」
「マリー、マリー! デュフレーンへ帰るわよ」
「え! なぜですか?」
「婚約解消されてしまったの」
「えーっ! デュフレーンへ帰ってどうするんですか、姫さま!」
「マリーは泣いて喜ぶと思うんだけど」
「? 私が?」
「私、ヴェルテへ行くわ。もちろん、ついてきてくれるわよね?」
「実は、私、姫さまが結婚されたらお暇をもらってヴェルテへ行こうと……」
「グレイブさまを追いかけるのね! マリー、でもヴェルテは広いわ……」
「ええ、あの、グレイブさまの連絡先をもらっていて、あの、ごめんなさい、姫さま」
「ま、あ、何て使える侍女なの!」
「姫さまはどなたを? あの灰色の美形ですか? 顔だけならレオナルド殿下でもよかったんじゃあ」
「殿下はお優しいのよ」
「そーですねー。姫さまの好みは冷たい美形ですものね。揺らぎませんね、昔から」
ヴェルテは快晴だった。
港町はいつもと変わらず賑わっている。
FIN
完結しました!うれひい!
お読みいただきありがとうございました!




