ノートン伯
叔父との関係も最初こそぎくしゃくしたものの、屋敷を半壊させたあの暴走により、ローランドの魔力はほぼ底をついたとした宰相の説明と謝罪で、見かけは平穏な日々が続くようになった。叔父への多額の金銭的援助がそれを後押ししたのは確かだったが。
叔父は時々、時候の挨拶という大義名分とともにロウ家を訪れる。突然やってきては執事や侍女たちをアゴで使い、饗応を要求するのだ。宰相である兄を謝罪させたということが彼を増長させてしまったのだが、ロウ家から見ればただの痛々しい人でしかない。
何ヵ月も経つと平凡なふりを続けることが功を奏したのか、疑り深かった叔父も機嫌がすこぶる良くなってきた。宰相一家をローランドを無条件に可愛がるバカ親と思うようになってきたのだ。二年もたつと叔父の家族までが宰相家の人たちを軽んじるようになっていった。
「ねえ兄さま、ノートン伯の機嫌がいいの、時々許せないよ。今日だって母さまに色目使ってさ。ポットをぶつけてやりたかったよ」
ある夜、ローランドは子ども部屋の絨毯に寝そべって、肘掛け椅子で本を読むラドクリフに話しかけていた。七歳年上の兄はもしかすると父や母よりもローランドに甘かったかもしれない。父によく似た瞳を細めると本を閉じてローランドに向き直った。
「あのポットは母上のお気に入りだ。ぶつけるのなら違うポットにしなさい。ノートン伯は父上に嫉妬しているんだよ。長男じゃないから、要職につくことができず、長男じゃないから、王都の白薔薇と言われた妻を娶れず、長男じゃないから、貧しい領地しか持たない伯爵家へ養子に入らざるを得なかったって思ってる」
「父さまは努力しているよ、兄さまも。ノートン伯は自分からは何もしてない。本当に父さまの弟?」
「自分以外の者を見下すことでしか生きていけない人は多いんだ、ローランド。人は弱いものだから」
「……、生きるって大変そうだね、兄さま」
ラドクリフは今度は楽しそうに笑って、言った。
「さあ、そろそろ自分の部屋に帰って寝る支度をしなくては。この本を図書室に戻しておいてくれるかな、ローランド。そのまま君も自分の部屋にお帰り」
「いいよ、おやすみなさい、兄さま」
本を受け取るなりローランドの姿は消える。
「ひゅう! 何度見ても凄いな」
ラドクリフは呟いて、それから少し顔を歪めた。
あの事件を境に弟は変わってしまった。もともと頭もよく人の心の機微に敏感だった弟。
家族の前でしか魔力を使おうとはしない。特に叔父の前では、凡庸な子どもを演じている。それが可哀相であり、同時に腹ただしく思えた。
なぜなら魔力に頼らずとも、弟は大抵のことは何でもできたから。それに、優秀であっても全て『魔力』のおかげと言われるのだ。
ローランドは言っていた。
何もわからず上辺だけを見て判断するやつらに真摯に向き合う必要はない。自分を理解してくれるのは家族と宰相家の者たちだけでいい。
ローランドは、小気味いいくらいばっさりと他者を切り捨てていた。
それは六年後の王立学院への入学にも如実に表れた。
貴族の子弟の多くは十三歳から王立学院へと入学するのだが、宰相の次男であるにもかかわらず彼は入学を許されなかった。
あまりにも出来が悪すぎたために。
筆記試験は受験者の中でも最低の点数、加えて面接での態度が最悪だった。
宰相殿、ご子息に学院がお教えすることなど何もございません。
でも、でも、魔法研究科なら何とか……、入れないか?
お小さい頃はすばらしい魔力をお持ちだったようですが、今は取るに足りない、ごほん、ごほん、まあ無いに等しい魔力のようです。むしろ、大人をなめたようなあの態度の方が問題ですぞ。賢臣と言われた宰相殿もご子息に対しては愚かになられるようで。母君がずいぶんと甘やかして育てられたのでしょうな。他の生徒を悪影響から守るためにも、ご子息の入学は断固、お断りさせていただきたい。
その日の母の悲しそうな顔をローランドは忘れることができない。
やばい、やりすぎたかと少し反省はした。 父と兄のラドクリフは『やれやれ、またか』とあきれていたけれど。
だが、母のあの悲しそうな顔はまずかった、とローランドは思った。
父は、母の喜ぶこと、それしか考えていない。母と、母の優しい性格を受け継いだラドクリフと、母そっくりの顔をしたローランドを父は愛しているのだ。
母を喜ばせようと何かしてくるに違いない。
だって父は外見は平凡でも、優秀な宰相であるのだから。あの策士は何を打ち出してくるのだろうか。
ところが別段何も起こるではなく、拍子抜けしているうちに春が廻ってきた。
宰相である父に連れられてきた王宮の奥は王族の私的な空間だという。政務を司る表には何度か来たことはあったが、こんな奥に入るのは初めてで、彼は父に尋ねた。
「父上、今日の訪問の目的とは、いったい」
「喜べ、ローランド。お前は第二王女、セオドーシア様の教育係を陛下から仰せつかったのだ。しかも住み込み。こんないい就職口を探してきた父に感謝してもらいたいぞ」
「はい? 第二王女? っていたっけ?」
「陛下に似て銀の髪と碧の瞳をお持ちの大変お可愛らしい王女殿下と聞く。可愛い子好きだろ、お前。仕事にも張り合いがでるなー、うらやましいなー」
決定事項ですか、それ。って、父上も第二王女には会ったことがないんですよね?
可愛いとかの前に存在を確認すべきじゃ。
「そんなにうらやましいなら父上が担当されてはどうです。母上には黙っておいてあげますから。それに、俺は王立学院にも落ちるようなできそこないですから、王女殿下の教育係なんて無理ですよ」
「ローランド、王立学院に落ちたのは別にいい。いいが! エメラインを悲しませたのだけは許さん。あれがどんなにお前の入学を楽しみにしていたかわかっておるのか? 入学式に行ってはだめかしら、ローランドは嫌がるかしらって……。ううっ」
あー、だからやりすぎたって反省したじゃないか。今さらだけど、ビリで入学しておけばよかったと思うよ。
父の説教は続く。
「お前が私たちのために『できそこない』を演じているのはよくわかっておる。だがな、もういいとは思わないか? エメラインは、お前が普通の幸せを得ることを一番に願っているのだからな。もちろん、私もラドクリフも。それを忘れるな。それになんたってお前は次男! 次男なんだぞ。私たちのことはいいから、少しは自分の将来のことも考えなさい。それにな、王家なら魔力だって使い放題だぞ。何しろ回りはみんな魔法使いなんだから。家にいるときのように『何もできない』ふりをしなくていい。お前は、お前らしく生きることができるんだ。全く。こんな平凡な私に、何だってこんな魔法使いが生まれてしまったのか」
平凡?
ローランドは苦笑する。飛び級で王立学院をさっさと卒業し、各国を遊学して回ったあなたが?
若くしてこの国の宰相となった、平凡な容姿に隠されている非凡な才能の持ち主。
今は宰相補佐として父の側にいる兄も然り。
王都の白薔薇と称えられた美貌の母をどうやって篭絡したのかは気にかかるところだが。
そんな彼らの願いがこんな自分の幸せだなんて。何てちっぽけで、なんて有難いものなのか。
宰相家は公爵の爵位を賜っているが、その爵位も領地も相続できるのは長男だけ。次男である彼は、あの叔父のようにどこかの貴族の養子になるか、それとも騎士となって武勲をあげ、一代限りの爵位でも賜るか。
または。
ローランドは心の中でつぶやく。
(たぶん、みんなは、)
「先祖返りでしょうね。ご先祖さまにもオッドアイがいたとか」
(いるかいないかもわからない王女を降嫁して、)
「オッドアイを見たとき、王宮に捨ててこようかと一瞬本気で思ったぞ」
(王家の一族となって爵位を賜り、俺が幸せになることを、)
「ロウ家で育ててくださり感謝しています」
(願っているのだろうな。)
ロウ家に気まぐれに生まれるというオッドアイ。王族をもしのぐ魔力を持つという。果たして彼ら、彼女たちは、幸せになれたのだろうか。