雄鶏亭
セオドーシアの部屋の前に紙袋を置くと、ローランドは髪と目の色を変え、王都の下町、雄鶏亭へ来ていた。
ローランドが来るのを待ちわびていたかのように、親父がカウンターの上に『依頼品』を次々と並べていく。雄鶏亭の親父とは表の名で、裏では『調達屋のレッド』で通っている。
「ヴェルテ国発行の旅行手帳に硬貨と紙幣、デュフレーンからヴェルテまでの船の切符、こちとらの手数料、しめて十七万、いや、二十万レンにしておこうか」
「足元を見たな、親父」
「そりゃあね。昨夜いきなり現れて、ヴェルテの旅行手帳を用意しろなんて、無茶もいいとこでさ。こんなに急がせられたら、色気も出るってもんよ、ジョセフの旦那、いや、旅行手帳じゃランディス・スティーブンスか。絵姿見てみな。いい男だろ。あんたによく似てる」
「いい出来だ。髪と目の色はそっくりだ。それにしてもランディス・スティーブンスとは。凄いモノを手に入れたな。それにこの紙、ヴェルテの公用紙じゃないか。さすが、調達屋のレッドだ。あと、昼飯は食えるか。少し早いが」
「おうよ、煮込みしかできねえが、大丈夫だ。一本、サービスでつけとく。ま、餞別代わりと思ってくれ。それに褒めてもらって心苦しいから正直に言うが、その旅行手帳、実は本物に細工をしたんだ。いくら俺でも昨日の今日でヴェルテの公用紙は用意できねえ」
「本物?」
「といっても、もう二十年は前のヤツでね。娼婦のリリーの恋人のモノだったらしい。リリーが旦那にご執心だったのは、そういう訳でさ」
髪と目の色が同じで、どことなく顔が似ている。それだけでリリーは恋人の形見を差し出してくれた。調達屋は本物の旅行手帳が凄いと言われたのだと思っているようだが、ローランドは名前の方に驚いていた。
なぜならランディス・スティーブンスとは、ヴェルテの王族や高官が身分を偽る時に使う隠れ名だからだ。一般人は知らない。どういう経緯があってリリーが恋人とこの国に来て、娼婦に身を落としたのかはわからないが、恋心というのはどうにも厄介なものらしい。ローランドは小さな袋をカウンターに乗せると、親父に言った。
「これに五万レン入ってる。リリーに渡してやってくれ」
ヴェルテは遥か北方の渓谷と氷河の国だ。人々は谷間に体を寄せ合うようにして住んでいる。
「岩と氷の国だってな。翼竜がいるって噂だが、本当にいるのかねえ。それにしても、何だってあんな辺鄙な国に行きたいんで?」
「ヴェルテがここから一番遠い国だからな。そうだな、ヴェルテへ行ったら翼竜探しでもするか」
急に親父が声をひそめる。
「旦那、何をやらかしたんで、いったい。あんた貴族だろ? それも高位の。隠しててもわかるんだ。俺たちとは匂いが違うから。父親とか親戚とか頼れねえのかい」
「親父の鼻もあてにならんな。ただのろくでなしさ、俺は」
そうだよ、逃げ出すんだからな。
雄鶏亭の隅のテーブルにつき、汚いグラスに餞別の酒をつぐ。運ばれてきた煮込みにスプーンを差し入れながら、色んなことを思った。
ボイドと名乗っていたギルバートと夜通し騒いだこともあった。カードのいかさまがバレて刃物を持ち出され、夜の街を逃げ回ったこともあったな。リリーに一緒に暮らそうと迫られたこともあったっけ。
でも、必ず王宮には、セオドーシアのもとへは帰っていた。
けれども。今日からはもう帰らない。
叔父の言う秘密が何なのかわからないが、それを知ってしまえばもう、セオドーシアのそばには、光のそばにはいられない。そんな気がした。
だから。
デュフレーンの東端にある港からヴェルテ行きの船に乗る。飛べばヴェルテなんてすぐなのに、飛べないのは、自分勝手な未練だ。
あの銀の髪を手放せるのか、本当に。
シア。
ビンに口をつけ残りの酒を一気に流し込む。
あの木立ちの中のように、銀の髪を俺に絡ませてくれ。シアから離れて行けないように。
雄鶏亭を出ると、衣料品店に寄る。ヴェルテは寒い国だが、今は短い夏だ。王宮を出るときに何も持って出なかったので、着替えを少しと、皮袋を買った。皮袋に着替えや旅行手帳など細々としたものを入れると口を縛り、マントの上から背中に斜めに背負った。
ちょうど中央広場の時計台が正午を告げる。
王宮の方角をちらりと見ると、ローランドはウブド山へ、『飛んだ』。




