セッション4【忘れられた犠牲】
「誰だ!」
3分ほど車を走らせ、ヴァルフレア邸の門前に停車したところでこちらをじっと見ている人影を発見する。明かりに乏しいため顔は見えないが、屋敷に入ろうとすれば必ず通る地点で立っていることから、どうやらその人物はこちらが帰るのを待ち伏せしていたようだ。
「ほっほっほ。そう威圧せんでも良いではないか、雪音ちゃん」
即座に警戒モードに入り、元々開けていた窓越しにやや強めの口調で問いかけると、そんな聞き覚えのある声にたしなめられて、慌てて先程の発言を撤回することになる。
「これは朝代町長、大変失礼いたしました!!」
神無町長、朝代清史郎。お嬢様のご両親が亡くなって以来この町の皆はとてもよくしてくれるが、それは町長も例外では無かった。
当時、まだ町長でもなかった時期から亡くなったヴァルフレア夫妻の後釜として様々な行事の引き継ぎを行ってくれた神無町の功労者である朝代さんはその柔和な性格もあり町民からの信頼が厚い。
彼相手だと人嫌いのリズお嬢様ですら、いくらか態度が柔らかくなるほどだ。
「ほっほ、ええんじゃよ。こんな時間に家の前で待ち構えられとったら誰でも警戒するじゃろうて。」
朝代町長は自分に一瞬向けられた敵意を気にする様子もなく、柔和に微笑みかけてくる。
「立ち話もなんですから、どうぞお上がりください。」
こんな時間にわざわざ訪ねてきたということは、世間話をしに来たというわけでもないのだろう。
「すまんのう。すぐに終わるのでな。」
朝代さんを応接間に通し、お茶を淹れる。本来使用人が勝手に他人を家に上げるなど非常識かもしれないが、うちの場合は「面倒な外交は全部雪音に任せるわ」というお嬢様の意向により、私がセキュリティや客人の応対等に関しての雑務をほとんど全て任されて(押し付けられて)いるのだ。
朝代さんを通した応接間はこの屋敷の部屋の中で最も豪勢な造りとなっている。身長の1.5倍近い大きな扉をくぐるとまず真正面の巨大なガラス窓をきちんと全て覆っているカーテンに目が奪われる。ヴァルフレア家の人間が代々その目に宿す色と同じ、真紅の生地に複雑な黄金の刺繍が施された芸術的な織物だ。
まるで何かの絵画のようにも見える窓掛けを下から上まで眺めていると、やがて天井からぶら下がる立派なシャンデリアの存在にも気がつく。一つ一つは栞ほどの大きさの長方形の銀板が円を描くようにいくつも吊り下げられ、その内側には暖色の電球が定間隔で配置されている。ウェディングケーキにもよく似た構造をしたそれは、銀板が揺れて内側の明かりを反射する度にきらきらと幻想的な輝きを発し、時間を忘れてつい魅入ってしまう。
他にも語り尽くせない程の贅を尽くした応接間は、ヴァルフレア家の客人を最大限もてなすというただ一つの目的のために用意されたものだ。
そんな部屋を大げさに見渡しながら、朝代さんはお茶を一口啜る。
「相変わらず、立派な屋敷じゃのう・・・」
「今は亡き奥様と旦那様が残してくださった大切な館ですので、所有者であるお嬢様のためにも私の技術の全てを注いで維持管理をさせて頂いております。」
先代当主にお仕えしていた育ての父から屋敷の仕事についてある程度は教え込まれていたのが幸いだった。
「まだ若いのに、立派じゃ。将来は良いお嫁さんになれるじゃろうて」
純粋に褒めてくれたつもりなのかもしれないが、正直に言うとこの発言は少しばかり不快だった。私はヴァルフレア家の使用人として、一生リズお嬢様に仕えることを誓った身。その忠誠を過小評価されているように感じてしまう。
その僅かな感情の変化を感じ取ったのか、朝代さんは話題を変える。
「ところで、その格好はヴァルフレアのお嬢様の趣味なのかの・・・・・?」
ここで自分がまだ変装を解いていなかったことを思い出し、己の無礼を自覚して恥ずかしくなる。わざと自分の姿を確認する素振りを見せると、
「、!そういえばこのような格好をしていることをすっかり忘れておりました、申し訳ございません・・・!」と非礼を詫びる。
「気にしとらんよ。それに、なかなかの美少年じゃないか」
「いえ・・・ご客人にこのような姿をお見せするなど、ヴァルフレア家の使用人として恥もいいところです・・・」
格好の問題というよりは、己の本当の姿を曝け出さずに応対しているという点が問題だ。
「そこまで言うなら、着替えてきたらどうじゃ?急ぎの用事でもなし、ワシもこの美味しいお茶をゆっくり楽しみたいと思うとったところよ。」
明らかに気を遣われているが、使用人服でないと気持ちが引き締まらないのも事実。お客様を待たせる非礼と礼儀を失した状態で応対を続ける非礼を天秤にかけ、朝代町長の言葉に甘えることに決める。
「ではすぐに着替えて参りますので、どうぞおくつろぎください。」
そう言い残すと、応接間の扉だけ音を立てないようゆっくりと閉め、足早に自室へと向かう。
一階の玄関近くの応接間から私の部屋がある二階の最奥までは全力で走っても30秒かかるぐらいの距離がある。そんな私の部屋には普通の私室としての機能以外にもう一つ、大事な機能が備わっていた。
屋敷全体の統括警備システム―――――即ち、"目"だ。いたる所に設置してある監視カメラや様々な計測器をこの部屋の親端末から全て包括的に管理できるこのシステムは、何者かが屋敷への侵入を試みたり物を投げ入れたりと、敷地内で何かしらの異常が発生すると、即座に検知し私とお嬢様の携帯端末に送信してくれる手筈になっている。
生前よりこんな過剰とも言える警備網を敷いていたことから、おそらくヴァルフレア夫妻は自分たちの命を狙う者が居ることは察知していたのだろう。
それを防ぐことのできなかった己の不甲斐なさに対する慚愧の念や、幸せだったあの日々を取り戻すことは最早できないという切なさ等、様々な負の感情が入り混じった複雑な境地に迷い込んでしまう。
先の重労働による発汗のせいで少々不快な臭いを発している気がする変装セットを脱ぎ捨てて使用人服に着替えながら、テーブル上のモニターを通して日中屋敷を空けていた時間帯のデータをざっと見る。
携帯端末に送信されてくる異常というのはあくまで危険性の高い異常のみであって、例えば水道や電気を使用した形跡であったり屋敷内ドアの開閉記録などはこの部屋に設置してある親端末を通して見るしか無いのだ。
(今日も・・・特に何も異常は起こっていないみたいね)
いつも通りの平凡なデータを眺めながら、使用人服へと着替え終える。ついいつもの調子でチェックをしていたので、気がつくと朝代さんを応接間に残してからもう10分近くが経ってしまっていた。データ閲覧は後回しにすればよかったと後悔しつつ、息を切らさない程度の小走りで応接間に戻ることにする。
「・・・い、今は・・・・・とで折り返し・・・・」
応接間に近づくと、少しだけ開いている扉の向こうから朝代さんの話し声が聞こえる。おそらく電話だろう。これ以上盗み聞くことになる前に、ドアを軽くノックしてこちらの存在をアピールしておく。
「・・・は・後程。」
電話が終わったらしいことを確認し、再度ノックをする。
「失礼致します」
「おや。気を遣わせてしまってすまんのう?」
「いえ、お待たせしてしまい申し訳ございません。」
「ほほ、雪音ちゃんが部屋を出てすぐにかかってきてしまってな。お茶を楽しむ暇も貰えんかったわい・・・」
見れば確かに、先程入れたお茶は少ししか減っておらず、すっかり冷めてしまっているようだった。
「宜しければ、淹れなおしましょうか?」
「いや、それには及ばんよ。それより、ヴァルフレアのお嬢様はどうしたのかの?退院したと聞いて、一言挨拶をと思って来たのじゃが」
なるほど、それが本題だったのか。なんとも人当たりの良い朝代さんらしい。・・・が、困った。
「それが・・・長期の入院で体力が落ちてしまっていたみたいで。今はぐっすりと眠られております。」
嘘は言っていない。ただ、いくら朝代町長と言えどお嬢様が錯乱して病院で預かってもらっていることは話すべきでは無いと思ったのだ。・・・・というか、プライドの高いお嬢様が後からそれを知ったら怒られてしまう。
「それは大変じゃのう・・・・自室で寝とるのか?」
「はい。自室で」
これ以上深掘りされても困るので、大胆に話題を変える作戦に出る。
「ところで話は変わるのですが、吹雪ポールという男のこと・・・覚えておいでですか?」
それを聞いた朝代さんの顔は目に見えて硬直する。
「あ、ああ・・・何しろ情報を提供したのはワシじゃ。覚えとらん訳が無い」
そう。1年前、私とリズお嬢様が吹雪ポールの『SM8号暗殺事件』への関与を疑うきっかけとなったのは朝代町長の情報提供だった。
町長という立場上、行政の人間にも顔が利く彼は、その伝手を利用し『SM8号暗殺事件』発生当時の捜査関係者から吹雪ポールという人物が捜査線上にあがっていたことを聞き出してくれた。
もちろん私達が殺人に手を染めていることを彼は知らないが、個人的にヴァルフレア夫妻の良き友人でもあったことから犯人探しに積極的に動いてくれているのだ。
「彼と話す機会がありました。」
それを聞いた朝代さんは目を細める。
「なんて危険な真似を・・・」
「ご心配くださりありがとうございます。ですが、私の勘だと・・・・彼はシロです。」
険しい表情のまま顎髭を触っている町長は、口を開かずに続きを待っている。
「あれは人を殺せるような器ではありません。」
百歩譲ってあのたじろぎが全て演技だったとして。あの場を演技でやり過ごす作戦だったとしても、実際にナイフを投げられて尚そんな無害アピールを貫き通すとは考えづらい。命の危機が迫れば反撃ぐらいしてくるだろう。
それに、身のこなしも特殊な訓練を受けていない一般人のそれに過ぎなかった。話し方や外見は容易に捏造できても、一挙手一投足に現れる身ごなしの癖はそう簡単に抜けきるものではない。
警察が一切の証拠を掴めない程の完璧な暗殺事件に、そんな素人が関与している筈が無いのだ。
「ふむう・・・」
しばらく押し黙って考え込んでいた朝代さんがそんな声を漏らす。
「朝代さんにその情報を提供した捜査関係者は、どうして吹雪ポールが捜査線上に浮上したのか言及しなかったのですか?」
「・・・・・・・・目撃証言じゃよ」
しばらく悩んだ朝代さんは、その重い口を開く。
「目撃証言?」
「・・ヴァルフレアさんらが車中にて爆殺される前、最後に停まっていた場所の付近で怪しい動きをしている吹雪ポールを目撃した人間がおったのじゃ。」
ここへきて新しい情報の尻尾を掴み、僅かに気持ちがざわつく。
『SM8号暗殺事件』にて犠牲となったライネス・ヴァルフレア、シャーロット・ヴァルフレア、そして私の育ての父である諸杉は神無町から車で1時間程離れた高速道路を走っている最中に爆死した。具体的には、何者かが車に仕掛けた爆弾により、乗っていた車ごと、木っ端微塵に吹き飛んだ。
警察が辛うじて掬い上げることのできた情報は、犠牲となった3名の身元と「何らかの爆発物が使用された」という解析結果のみ。
それ以外の事実は何も解明されることなく、この凄惨な事件は『SM8号暗殺事件』というたった8文字の名前だけを与えられ開かずのデータベースに封印されてしまった。
・・・そう思っていた。しかし、たった今朝代町長は何と言ったか?
「あの車が最後に停まっていた場所が、判明していたんですか?」
その問いに、朝代さんは少しだけ狼狽える。
答えようとしない朝代さんに苛つきを覚え、再度尋ねる。
「父たちが乗っていた車は最後にどこに停まっていたんですか!」
「・・・名前は忘れてしもうたが、事件現場の最寄りのサービスエリア、じゃの」
朝代さんと同じく、あのあたりの施設がぱっとは思い出せない。高速道路のど真ん中だったこともあり、現場を独自に調査することは不可能だった。
そのため、実際の現場には数えるほどしか行っていないのだ。
「・・・・どうして、隠していたんですか」
「それは、口止めされておったからの。」
目を逸らし気まずそうにしている朝代さんをこれ以上問い詰めるのは忍びない。
「・・・。これ以上は話せないということですか」
「すまんのう・・・・」
こう見えて頑固なところがある人だ。きっと少し荒い言葉で問い詰めても何も話さないだろうし、何より彼はヴァルフレア家の客人としてこの応接間に座っている。これ以上無礼を働く訳にはいかない。
「・・・、わかり、ました。情報提供・・・ありがとうございます。」
「くれぐれも、危険な真似はするでないぞ。困ったらワシを頼ってくれ」
「・・・はい。是非、そうさせていただきます。」
一瞬だけ熱くなってしまったが、朝代さんはきっと私とお嬢様のことを心から案じてくれているからこそこれまで喋らなかったのだろう。ならば、これ以上心配をかけないように嘘でもそう言っておくのがせめてものお礼になると考えた。
「では、ワシはそろそろ帰ることにしようかのう?ヴァルフレアのお嬢様を起こしてしまうのは忍びないしの。」
朝代町長は冷めたお茶をしっかり最後まで飲み干し、腰に手を当てながら席を立つ。
「それに老骨に夜は結構辛いのじゃよ、ほっほ・・・」
「ならば家まで送ってさしあげますよ。車を出すので数分ほどお時間をください。」
「いや、ワシは大丈夫じゃ。腰の痛みは歩いた方が和らぐタイプじゃし。それより雪音ちゃんは、お嬢様にしっかりとついていなさいな」
そこまで言われて断っては、リズお嬢様が屋敷に居ないことがバレる危険性が出てくる。調べたいこともあったので、ここは素直に甘えておくことにする。
「お気遣い、ありがとうございます。ではせめて、門までは見送らせてください。」
「では、宜しく頼むとするよ」
応接間を後にした私達は、屋敷の正門まで一緒に歩いたところで別れる。
門を背にし、再度屋敷に向けて歩き出す。
(あの周辺の地図をもう一度確認しないと・・・・。『SM8号暗殺事件』についても、篠奏山事件についても、お嬢様が目を覚ます前にできるだけ情報を集めておきたいところ、ね。)
考え事をする私の視界の端では、いつもより一回りも二回りも大きな満月が、満天の星空の中どの光点よりも美しく目立とうと、惜しげもなく地上を照らしていた。
◆◆◆
...
.....
........
「リズ、見てごらん。テントウムシだ。」
そういって、お父さんが手に乗せた可愛らしい赤色の昆虫を見せてくれる。しかし私が顔を近づけると、テントウムシはびっくりしたのか羽を広げてあっと言う間に逃げて行ってしまった。
「にげちゃった・・・・・」
なんだか悲しい気持ちになり、涙がこみ上げてくる。
「まあまあ。きっとリズが美人さんだったからテントウムシさんは照れちゃったのね。」
私の頭を撫でながら、お母さんがそんなことを言う。
「リズ、びじんさん?」
「ああ、リズと雪音は世界一の美人さんだとも。もちろん二番目はお母さんさ。」
「せかいいち?リズとゆきね、せかいいち!えへへ~!でもねでもね、お母さんもちゃんとせかいいちびじんさんだよ!」
お母さんに抱きつき、足と足の間に顔をうずめる。
「あら、ありがとうねリズ~!」
お母さんも私のことを抱き締め、ほっぺをすりすりしながら顔をとろけさせている。その様子を、少し離れたお父さんが腕を組みながら、笑って見守っている。ぽかぽかした陽気に包まれ、私は今この瞬間の幸せを噛み締めていた。
そうこうしている内に、テラスに出るための窓が内側から開け放たれる。
「お食事のご用意ができました。すぐにお出し致しましょうか?」
片腕を胸の前で折り、軽くお辞儀をしながら声をかけてきたのは使用人の諸杉だ。
「おっと。今行くよ。いつもありがとう、諸杉さん。」
「もったいなきお言葉。ヴァルフレア家の使用人として、旦那様方のために働くのは当然です。」
「もう、相変わらずねえ。諸杉さんは。」
お母さんが困ったように微笑む。
皆が手を洗いテーブルに就くと、キッチンの中から細長い籠を持った雪音が飛び出してきた。ちょうどフォークやスプーンなんかがぴったり収まるサイズだ。
「だんなさまー!おくさまー!おじょうさま!」
そうやって一人一人の席を回りながら、雪音は慣れない手付きで楽しそうに食器を並べていく。
「リズもやるーーー!」
我慢できなくなり、私も立ち上がって雪音の持つ籠に手をかける。籠を離すまいと抵抗する雪音が、父代わりである諸杉に視線で助けを求めた。
「お嬢様。それは私めらのお仕事ですので、どうぞお掛けになってお待ち下さい。」
すかさず口を挟む諸杉を、お父さんが「まあまあ、リズの教育にもなりますから。どうか手伝わせてやってください。」と宥めるのも最早恒例となっていた。
「ゆきねとー、もろすぎ!」
残った二人分の食器を奪い取り、無事に並べ終えたことで満足した私は、少し不満げな雪音の視線を受けながら自分の席に戻る。私のと同じ様に、高さ調整のためにクッションの敷かれた椅子に雪音が座ったところで諸杉が一人でキッチンに戻る。
「もうー。リズおじょうさまは、はたらかないでください!」
雪音は主人に仕事をさせたという罪悪感半分、仕事を奪われたという悔しさ半分の複雑な感情を言葉に乗せて向けてくる。
「ゆきねばっかりずるい!」
私だって皆の役に立ちたい。いっぱい役に立てば褒めてもらえる。
「しようにんだから、わたしがはたらくのー!」
「まあまあ、雪音ちゃん。リズの勉強にもなるから、お手伝いさせてやってくれないかい?それに、雪音ちゃんだって本当はお手伝いしなくていいんだよ?」
これも何度も繰り返された説得文句だ。
正式に使用人として雇われた諸杉はともかく、諸杉の養子のような立場である雪音にまで屋敷のことをさせるのはライネスとシャーロットの本意では無かった。それでも父に倣い働こうとする雪音にこう言って聞かせることで、仕事を奪われるぐらいならリズにも手伝ってもらうという妥協を引き出すのだ。
「うーーー・・・・・じゃあ、リズおじょうさまはスプーンとおはし。ナイフとフォークは、あぶないからわたしがやる、ります!」
たどたどしい敬語でそう主張する雪音には、これ以上妥協する気は無いという強い意志が宿っている。
「ほうら、リズ?雪音ちゃんが手伝って良いって言ってるわよ?言うことは?」
お母さんに促された私は、少し照れ気味に俯いて「・・・あ、ありがとうございます」と言っている。
ちょうど私がそう言い終えたタイミングで、諸杉が銀色の大きな台車にこれまた銀のプレートをたくさん乗せて、5人で使うには少々広すぎるダイニングテーブルの側までやってくる。
すると銀のプレートの中身、即ち本日の献立について説明が始まる。全てドーム状の蓋で覆われているだめどの皿からなのかは判らないが、肉料理の食欲をそそる良い匂いが鼻腔をくすぐり、それが期待感をいっそう高める。
「・・・、以上が本日の献立でございます。」
永遠にも感じられる諸杉の前口上が終わると、喋っていた本人も自分の席に座った。全員が行儀よく手を合わせ、綺麗にタイミングを揃えて「「「「「いただきます。」」」」」と言う。使用人も一緒に卓を囲み、食事への感謝の言葉を述べた後一緒に食べ始める。これがヴァルフレア家のいつもの食事風景であり、きっと何があっても変わることは無いだろうという根拠の無い、しかし確かな予感が私の顔を綻ばせる。
楽しい食事が終わり、大人たちはコーヒータイムに突入する。この時間は両親と諸杉が子供にはよく分からない組織の話やニュースの話をすると決まっていたので、私はいつも通り雪音に声をかけることにした。
「きょうはお外がはれてるから、たたかいごっこしましょう!」
「でも、リズおじょうさまはいーっつも、まけてないちゃうからなー・・・・」
いつもではない、と反論したかったが思い返してみると確かに雪音の言うとおりなので、頬を膨らませて抗議することしかできない。
「ゆきねは、もろすぎにおしえてもらってずるいもん!!!」
雪音は弱い所を突かれて狼狽えている。
「リズおじょうさまをおまもりするから、わたしはとっくんがひつようなの!」
「でもいいもん。きょうは、さくせんがあるんだから。だからしょうぶしましょう!」
そう。密かに諸杉に武術の稽古をつけてもらっている雪音に、正攻法で勝てるワケは無い。ならば、奇策で攻めるしか無いのだと幼いながらに思い立ち、この日はある秘策を練ってきたのだ。
「じゃあいいけど・・・まけてもなかない?」
「なかないもん!!」
「なら、たたかいごっこでいいよ!」
そう言って、所定の位置に着く。テレビでたまに観るお相撲さんのように、少しの距離を空けてお互いに向かい合い、自由なポーズを取る。特にこうしようと話し合って決めた訳ではないが、初めて"たたかいごっこ"をした時から何となく続いている慣習だ。
雪音はいつも右手と右足を前に突き出し、腰を僅かに落として戦いに備える。一方の私はもちろん戦闘訓練など受けていないため、どのようにしたら良いのか未だに自分なりの答えに至っておらず、毎回気分で立ちポーズを決めていた。今日は雪音と同じ様に腰を低く落とし、手を左右の腰から少し離した位置で浮かせ足の間隔を狭めに取ることで左右どちらにでも瞬時に飛ぶことのできる体勢をつくった。
「じゃあいくわ!さん、に、いち・・・」
このカウントダウンも、私がやることになっていた。勝負開始のタイミングを握れるというのはそれだけでアドバンテージなので、雪音なりにハンデを与えているということだろう。些か腹が立つが、実際にそんなハンデを与えられても一度も勝てた試しが無いのでしょうがない。
「スタート!」
合図と共に、雪音は全力で地面を蹴る。
たたかいごっこにおいて雪音の初動には2種類しか無いことが、これまでの経験で分かっていた。
合図の瞬間走り出して一瞬で距離を詰めて来た後に足に技をかけてくるパターンと、こちらを中心として周るように円状にじりじりと歩きつつ、隙を探ってくるパターン。おそらくだが、最初の私の姿勢に隙があれば(反撃を与えられるような姿勢でなければ)前者なのだろうと分析し、今回はわざと"回避"に特化した姿勢を取ったのだ。
案の定、横に飛ぶぐらいしかできないこの姿勢は雪音に開幕ダッシュという選択を採らせた。
「ッ!!」
約10mの距離を一瞬で詰めて来る雪音を、左に大きく跳ぶことで躱す。
勢いを殺さないように2回転ほどし、慣性を利用することで流れるように体を起こすことに成功。密かに一人で練習していた動きが上手くいき、嬉しくなる。
「えっ!?」
勢い良く飛び込み足技をかけ、いつものように相手を制圧する算段だった雪音は自身の体が空を切ったことに驚きの声を上げている。
それだけではない。突如として思うように動かなくなってしまった足を絡ませ、バランスを崩しながら柔らかい芝生に倒れ込む。
「なにこれ!ひも!?」
そんな雪音の素っ頓狂な声を聞き、たまらず笑いがこみ上げてくる。
「ふふふー。ひっかかった!あんまりあまくみないでよね!」
雪音の足に絡まって動きを封じているロープは、私が昼食前から張っておいた罠だ。長さ3cm程の芝生の中に大小様々な輪っかを作った一本の長いロープを沈ませておくことで、勢いよく突撃してきた雪音の足をかけようという作戦だったのだが、面白いぐらいに上手くいった。
「おのれー!」
ドラマでしか聞かないような台詞を吐いた雪音が、足元のロープから抜け出しつつ手繰り寄せていることに気がついていない私はそのまま腹を抱えて笑っている。
「しょうぶはまだ、おわって、ないよッッ!」
気合代わりにそう叫んだ雪音は、ロープの中ほどを掴んで5m程離れた私に向けて投擲した。
遠心力をフルに利用したその一投により私の足元に巻き付いたロープは、目まで閉じて抱腹していた私の平衡感覚を容赦なく奪い去る。
「やばっっ・・・っ!」
倒れ込みながら己の愚かさを呪う。たたかいごっこに明確な勝敗基準は無かったが、いつもは私が関節を極められてギブアップ宣言をすることで決着が着く。ならば、雪音にギブアップと言わせるまで勝ったとは言えないではないか―――――――
今にも立ち上がろうとしている雪音に対して、私は体勢を崩し足にはロープが絡まっていてとても動けそうにない。これは、まずい。このままいつものように負けてしまうのか・・・・!
・・・・いや、ある。逆転の一手。
雪音がもしも初動で突撃でなくじりじりと隙を窺ってくる選択をしていた場合に、自然に隙を演出するために用意していた小道具。
いよいよ立ち上がり容赦なく迫り来る雪音を欺くために、ロープを解こうともがく動作をしつつ懐に手を潜り込ませる。二人の間の距離はあと3歩ほど。
「きょうも、わたしのかちですね~」
相手は暇つぶしに可愛い獲物を弄ぶ肉食動物のような獰猛な笑みを浮かべ、勝利宣言をしている。
ふふ、もう少し近づいて来なさい・・・!
「リズおじょうさま~♡」
両手を顔と同じ高さまで上げ、くすぐるように10本の指をくねくねと動かしている雪音はいよいよ射程距離に入ってくる。そして・・・・
「くらえ!」
顔面で、突如として現れた水風船を受け止める。
「ぶぇ!!?」
零距離で破裂した水風船を受けて、反射的に目を閉じた雪音の足を回し蹴りの要領で引っ掛ける。足が二本とも束ねられ自由の利かない状態でやったため傍から見ると芋虫のようでとてもシュールだっただろうが、とにかく必死だった私にそんなことは関係無かった。
盛大にずっこけた上に水が入ったのかまだ目を開けられていない雪音に覆いかぶさるように這う。
「きょうはわたしのかちよ!!」
悔しそうに頬を膨らませて呻く雪音にも、最早異論は無いようだ。
安堵してその姿勢のまま顔を横に向けると、遠くのテラスでは大人たちが立ってこちらを見ていることに気が付く。
「おお~!リズ、初めて雪音ちゃんに勝ったんじゃないか!?」
「すごいわよ!さすがお母さんの子ね~~!」
お父さんとお母さんは、大げさに拍手をしながら誇らしそうに大声で感想を漏らしている。
「さすが、ヴァルフレアの血を継ぐお方。何があっても諦めない強い意志、大変ご立派です。」
同じ様に褒めてくれた諸杉にも嘘を言っている様子は無いが、どことなく悔しそうだ。
遅れてやってきた勝利の喜びに思わず笑いが出てくる。と同時に目頭が熱くなり、今にも涙が溢れてきそうなのを必死に堪えることになる。
そんな私の様子を雪音は直近で観察しながら、
「むうう~~~!もうまけません!!!」
と大人たちにも聞こえるように大声で宣言する。
しかし、私には分かる。雪音のこの声のトーンは負けたことを心から悔しんでいるというよりは、私の成長を純粋に認め、喜んでくれているのだと。
雪音の遠吠えを聞いて、諸杉も含めた3人の大人たちは笑い合っていた。
やっとのことで解けた足のロープを投げ捨て、芝生の上で大の字に寝転がる。同じく四肢を投げ出し天を仰いだ雪音と、手を握り合う。
ああ、幸せだ。こんな幸せがいつまでも、いつまでも続けばいいのに・・・・・・・。
左手に柔らかな温かさを感じつつ、微睡む。
このまま少し昼寝をして、雪音と一緒にお風呂に入って、家族みんなで美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで眠る。そんな日々が一生続くのだと。そう思っていた。
......
深く、鼓膜を直接揺さぶるような轟音が辺り一帯に響き渡る。
空いている右手で目をこすり、音の発信源を探す。
何か大きな物が燃えているのだと気付くのに、そう時間は要さなかった。
ここは、いつも私と雪音が遊んでいる庭。ならばあの方角で燃えているあれは・・・・
あれは・・・・・・私の家?
「むぅ~?おじょうさま~?」と、雪音が呆けた様子で声をかけてくる。
雪音はここに居る。じゃあお父さんは?お母さんは?諸杉は?みんな・・・どこ・・・・・?
信じられない思いで屋敷を眺めていると、炎の中に悶える3つの人影を見つける。
まさか。まさか、まさか、まさか、まさか。まさかまさかまさかまさか。
何故か異変に気付かずに再度芝生の中に倒れ込んだ雪音を無視して、私は立ち上がる。
そうしている間にも3つの人影からは腕が焼け落ち、足が溶け落ち、狂ったように蠢いている。
たすけないと、おとうさん、おかあさん、もろすぎ、たすけないと、しんじゃう。
走り出す。無限にも思える屋敷までの距離を、必死に走る。リーゼロッテは、屋敷に向かって走る。
でも、私の足は震えて動かない。体が鉛にでもなったみたいに、一歩も前へ進めない。
・・・・あれ?私は、リーゼロッテ?・・・・・・なら、走っていったあの子は、誰?
だって、あんな炎の中に飛び込んだら死んじゃう。そんなこと、私には絶対にできない。
「私」は、幼いリーゼロッテが屋敷に向かって走っていくのをただ黙って見つめる。
「私」に置いていかれた「私」は、爆炎の中に飛び込み消滅していく「私」に向けて、ただ延々と声にならない叫びをあげ続けることしか出来なかった。
◆◆◆
「・・お嬢様!!!」
聞き覚えのある声が、無理に絞り出したのだろう大声で私を呼んでいる。
「香澄・・・さん・・・?」
徐々に焦点の定まってきた視界に、よく知っている闇医者の顔が映った。そんな暇も無かったのか、夜にも関わらず照明の類は一切点されていない。・・・それにも関わらず、カーテンの隙間から差し込む光のせいで部屋の中はやけに明るい。いくら満月でも、ここまで明るいものだろうか?
不自然な明かりのおかげで部屋の中の様子は割と鮮明に分かり、ここが病室だろうということを瞬時に察することが出来た。無闇に触れるとあまり良いことは無さそうな精密機器に囲まれた私の腕には、点滴針が刺さっていた。この消毒液を想起させる独特な匂いも、数日前まで毎日嗅いでいた。
テレビの上に配置されたデジタル時計は、深夜の1時ちょっと過ぎを指している。
「・・大変です、屋敷が。屋敷が!!」
背筋を、冷たいものが走る。
先程の夢の内容を、嫌でも思い出してしまう。
「屋敷が・・・どうしたんですか、」
愛染香澄が無言で開いたカーテンの向こうでは、ヴァルフレアの大豪邸がめらめらと燃えていた。




