がめついパイロット 昔の恩と恨み
フォボス国の都にある商人ギルドで国王の使者であるバスコはギルド長のトマスにいらついていた。
「なぜ魔の森を案内できないのだ? 魔の森を通過して西からやってくるものもいるではないか」
トマスは頭を低くしながら、「恐れながらやってくた者たちは運がよかったにすぎません。
私共が西に送った商人は誰一人として戻ってきたものはおりません」
バスコはさらに追及した。「何も通り抜けろと言っているわけではない。ダイモスへ迂回しろ
といっているのだ。ダイモスとの密輸ルートがあることは調べがついている」
トマスは冷静だった。「そのようなルートがあるのですか。お教え願えれば私共で開発いたしたものを」
トマスを指さした。「白を切るのだな。ならばこちらにも考えがある。首を洗って待っておれ」
捨て台詞を吐いてギルドを退去した。
同日のほぼ同時刻にダイモス国の都にある商人ギルドでも似たような光景が見られた。
トマスが自室でぐったりと座っているとジャンがドアを開けることなく現れた。
即座にシャキッとしたトマスは立ち上がって揉み手で出迎えた。
「ジャンさま、お申しつけ通りに断りました。ですがあのルートを知られているようです」
ジャンはドアを背にしたまま動かない。「それは問題ありません。逆に忠告しておきますが、
決してあなた方があれを使ってはいけませんよ。自業自得になるだけですけど」
声を残して消えた。座り直して完全に脱力した。
同じことがダイモス国でも起こった。ギルド長の2人はこのことを墓場まで持ち込んだ。
バスコの報告を聞いた国王のフェリペは巨躯を震わせた。
「それで手土産もなしに戻ってきたのか。子供の使いか。もうよいわ下がれ」
バスコがいなくなると振り返りカーテンの陰から出てきた女に、
「あれはもう不要だ。始末しろ。それと森の出入り口は押さえてあるのだろうな。
そこから囚人兵の1隊を送り込め」
女は恭しく一礼して窓を開けて空に消えた。
同様のことがダイモスでも実行されていた。
フォボス国とダイモス国は250年余り前にアーレス国が分かれて建国していた。
アーレス国最後の王となったフェルナンド9世が双子の息子に平等に国を持たせたいと願ったことから発していた。
フェルナンドが死ぬまでは北に兄のフェリペがフォボス公国、南に弟のカルロスがダイモス公国を治めた。
アーレス国は2つの公国による連合国家となった。
フェルナンドの遺言によりフォボス公フェリペはフォボス国王フェリペとなり、弟はダイモス国王カルロスとなった。
事前に公国となっていたために混乱は生じなかった。
兄弟が存命中両国は仲良く並立していた。
仲は良かったのだが、元アーレス国としてさらなる発展を遂げようと、フォボスは極寒の北、西の魔の森、
東の海の征服に乗り出し、ダイモスは灼熱の南、西の魔の森、東の海にフロンティアと定めた。
最盛期のアーレス国でも国土の伸長ができなかったのにフォボスとダイモスが成し遂げられるはずもなかった。
多額の費用をかけた事業は失敗し借金が膨らんだ。
重税を課すことで難局を乗り切ろうとしたが、負担されられるほうが黙ってはいない。
不満の目をそらすためにそれぞれ隣国が妨害したことにした。
それ以降両国は何かと反発し、小競り合いを繰り返した。
大規模な戦闘にならないのは資源が偏っており、単独では国家運営が成り立たないからだった。
国民の目を盗んで貿易していた。東の海の島で船が出合い商品を交換する。
そのうち東の小さな島に国が興った。貿易の利益がハルモニア国を作った。
ハルモニア国の国土は小さい。周囲が40km、面積が100平方kmしかない。
人口も5千人ぐらいしかない。彼らの多くはフォボスとダイモスの商人だったものたちだ。
多少は漁師も混じっているが本当にわずかでしかない。
中央に火山があり農耕に適さないため食料はほとんどを輸入している。
国王はおらず有力な商人の合議によって運営されていた。
それぞれの思惑があり、即座に決議できないという悪癖を残しつつ何とか国を維持していた。
フォボス派のエマヌエルが壇上で吠えていた。
「今こそフォボスに協力してダイモスを滅ぼすのだ」
ダイモス派のイグナシオが議席から、「フォボスこそ滅びるべきだ」
議席のほとんど占める中立派は2人のやり取りをいつものことだと白けた眼で眺めていた。
元アーレスが統一してしまえばハルモニアの価値はなくなる。
エマヌエルにしろイグナシオをしろ本気というわけではない。
議事を有利に運ぶための儀式のようなものだった。
フォボスに加担するという議案もダイモスに加担するという議案の両者ともに否決された。
決を採るまでもないことで両国の使者にエマヌエルとイグナシオが頭を下げるだけだ。
フォボス国王は代々フェリペを名乗る。即位する前は別の名がある。
フェリペは持っていた銀のコップを床にたたきつけた。
「ハルモニアの連中が協力しないだと。あの寄生虫めらが。ダイモスの前に滅ぼしてしまおう」
フェリペを諫めたのは痩身で宰相のレオンだった。
「陛下、ハルモニアはいつでも滅ぼせます。それよりも魔の森に入った中隊からの伝令が戻ってきません。
これでは奇襲作戦の実行は難しいのではありませんか」
囚人とはいえ300人近い集団を3日前に送ったのにもう音沙汰なしになっていた。
毎日定時連絡するように命じていたのに。
「囚人の小隊を送ることになっておる。たぶん囚人どもが隊長に従わないのであろう」
兵士は囚人だが指揮官は違う。囚人部隊の中隊長程度だと庶民出かもしれない。
囚人といっているが、殺人者とか盗人とかだけではない。
多くは税の滞納によるものだった。滞納した分を肉体労働で払う。
兵士といっても通常は土木工事などに駆り出される。
常に危険な場所であり、戦場以外で死ぬ兵も多かった。
魔の森に入った330名が帰ってくることはなかった。
全員が魔物に殺され食われた。それをフェリペたちが知ることはない。
ジャンにとって苦い思い出だった。300年近く前になる。
時のアーレス国王の依頼で魔の森を貫通する道を案内した。
当然のことながら同行したのは王ではなく1家臣だった。
家臣は西方を旅し見聞を広め無事帰還した。
ジャンが報酬を受け取ったのは家臣が帰国した直後、出発してから20年の歳月が流れていた。
道案内の代価は金貨で千枚。確かに受け取った。
ところがその金貨はかつて西方に存在したワーミ国の悪名高きものだった。
とっくに滅んだ国だったことと西と東で遠く隔たっていたことで金貨の質を確認していなかった。
ジャンにとってワーミ金貨は大陸金貨の百分の1程度の価値しかなかった。
騙されたようなものだった。その時は迂闊さに引き下がったがどうしても許せなかった。
つけを子孫が払わされそうになっていた。もしもフォボス、ダイモスの両国がアーレス国と
無縁だったならばこんなことにはならなかっただろう。
300人以上の兵を失ったのはフェリペだけではなかった。カルロスもまた同様だった。
双子の子孫とはいえいつも似たようなこと同時期に起こす国だった。
似たもの同士だからこそ憎しみあうのかもしれない。
魔物の森の西端近くで流浪の民ロッドを率いるマリオは一族とともにいた。
ロッドの民が住まいとしているテントの中でジャンと向き合っていた。
「あんたは俺たちに魔の森を超えるというのか」
缶ビールを持ちながら、「そうですね。千人ぐらいの人数なら魔物を避けながら東に抜けられるからです」
「どうやって魔物の感覚をごまかすんだ。それに俺たちはあまり金を持っていないぞ。確かお前は
高額の案内料を要求すると聞いたことがある」
ぐびりとビールを流し込んで、「こちらの指示通りに動いてくれればいいよ。あなたがたは安住の地を
手に入れられる。こちらは債権を回収できる。どちらにもメリットがある。それでいいじゃありませんか」
マリオは不信のまなざしを向けた。誇張されているかもしれないが噂からして油断はできない。
一族の長として判断を誤れば全滅することもありうる。
最小限の保証が欲しい。だが下手なことを言えば藪蛇になりかねない。額に汗が噴き出した。
「我らに加担する理由を教えてほしい。納得すればあんたの言うとおりにしよう」
ジャンが顎に左手で触れた。「あなた方である必要はないのです。魔の森を超えて東に向かおうとする
集団であるならば。留まるとか引き返すというのであればお暇いたしましょう」
マリオはジャンに従うと誓った。ロッド族は魔物狩りに明け暮れた。
フォボス軍5万は魔の森ぎりぎりを南下した。ダイモス軍5万もまた魔の森の端を北上した。
フォボス軍は騎兵5千に歩兵4万5千だった。
ダイモス軍はフォボス軍より騎兵が千少なかった。
両国とも魔の森近くに砦を設け監視していた。
国境のはるか手前で両軍とも捕捉されていた。
同時期にフォボス、ダイモス両軍ともに東の海に500隻の船を出港させた。
兵力にして3万の大軍でそれぞれハルモニアを目指していた。
略奪後に敵国の沿岸を荒らす予定になっていた。
ダイモス海軍を率いるアントニオは船首に立って水平線を眺めていた。
今回は海の上にいるが本来は騎馬の将軍だ。
王命により船をかき集めて出発していた。
ハルモニアなど一ひねりで屠れるほどの戦力を用意した。
金や財宝を確保したら半分は王に提出しなければならないが、残りはアントニオが分配できる。
3万もの数にハルモニアが対抗できるはずがない。
ちょっと出かけただけでウハウハの状態になる。
もっともアントニオが儲けを手にできるのはもう一つの仕事を終わらせてからになるが、
それとて少数の上陸させて沿岸を荒らすだけ。アントニオは命令を下すだけだ。
島が見えた。ようやく目的地に到着した。
だがマストの上から、「左にフォボスの船団がいます」
目を向けたが、帆は見えるが国の印までははっきりしなかった。
フォボスの船団を率いるベニグノは突然の報告に椅子から転げ落ちそうになった。
ハルモニアを攻める時期を今にしたのは風が東から西に吹いているからだった。
島までは逆風だが、帆の向きを調整すれば何とかなる。
たとえ財宝で満載になっても順風ならば楽に帰れる。
敵が現れたということは先手必勝。海が南から北に流れているので正面衝突は不利になる。
生粋の海軍提督のベニグノにとっては自明の理だった。
ダイモス船団は優勢に戦えるはずだった。ところが海の戦い方を知らないアントニオが
船を馬のように扱おうとして無茶な命令を下した。
たった1つの命令が明暗を分けた。1海戦で旗艦が沈んだ。
潰走するはずのダイモス船団は重しが取れて自由に戦った。
フォボス船団も負けじと奮戦した。両者ともに傷つきハルモニアを襲う余力がなくなった。
痛み分けで大陸へと船首を戻した。しかし、彼らにはさらなる試練が待っていた。
ハルモニアに急接近した台風は島を直撃し壊滅的な打撃を与えた。
停泊していた船がすべて沈んだのが痛かった。
島には造船設備などない。食料も少ない。サバイバルが始まった。
台風の影響は2国の船団も受けた。半数以上が沈没し、残りは海岸に打ち上げられた。
両国の船団は海に消えた。たとえ船を建造しても操る船員が育つまで何もできなくなった。
海軍の報告を待ち、魔の森近くで対峙していた陸軍は戦うことなく引いた。
もともと陸軍は海軍の動きをカモフラージュする陽動だった。
蓋を開けてみれば惨憺たる結果となり、費用を惜しんだ国王が撤退を命じた。
惜しんだのではなくない袖が振れなくなっただけだった。
ハルモニアからの略奪を前提として資金計画が立てられていた。
両国とも財政破綻寸前になっていた。軍を動かしたくとも金がない。
給与どころか食料が買えない。その割に王族は節約をしない。
極端なことを言えば相手国に攻め込んで現地調達してもらいたいのが本音だった。
すでに対峙している間に食料は尽きていた。
さすがに国内で略奪は無理なので、馬をつぶしていた。
騎兵という兵種が消えた。体力が落ちた兵士は重い砲を運ぶことを拒否した。
剣の矛先が王に向かうのは時間の問題となっていた。
テントの中のマリオの前にジャンがいた。「機が熟しました。そろそろ出発しましょう。
森を抜けたら砦が2つあります。それを占拠してください」
「砦を落とすのは時間もかかるし犠牲も大きい。千いるといっても女や子供それに年寄りもいる。
戦力として数えられるのは400ぐらいだ」
絨毯に直接腰を落として、「たぶんもぬけの殻でしょう。いたとしても野盗の類です。
近づけば逃げると思いますよ」
武器もそろえてもらったし信用するしかなさそうだった。
些細なことから始まった破局は一瞬で終わった。
フォボスとダイモスの両国の王族は矛を逆さまにした軍によって皆殺しにされた。
軍は覇権を争って分裂し争いあった。そこにロッドの民は魔物狩りで得た肉や森の野草で住民を慰撫した。
半年もするとロッドの民によってフォボスとダイモスは治安を取り戻した。
マリオはジャンと握手した。「感謝する。前にも言ったが報酬はないぞ」
「安心してほしい。すでに東の島にあった金貨をいただいている。島は無人島になっているので
余裕ができたら探査してみるといい。金貨はあまりないけど、その他の財宝は残っているから」
「でもどうして俺たちを助けてくれたんだ?」
「昔世話になったお礼ですよ」
姿が消えた。