藍の翼
***藍の翼
『背中でイチャつかれてはかなわん』
藍の孤島が発した。玄武である。
「ハハッ、すまない玄武。もういいぞ、天空に戻れ。白虎が待っているぞ」
イチリヤはチラリと白虎を見る。白虎は次なる主を待っているのだ。妖の森の主を。
『だが、その翼では翔べまい』
イチリヤの翼は折れている。玄武の楔はもう解かれているが、玄武なき藍の孤島は崩れ落ちるのみ。翼が折れたイチリヤが、ナーシャを抱え飛翔するのは厳しい。
故に玄武はまだ地にいたのだ。
「これは私の翼ではない。カルラの翼だ。私の翼は折れてはいない」
『フンッ、さすがは覇者だ。では我は行く。……いちお伝えておく。導は我の老いと呼応して成長したのだ。人の刻なれば、二十歳といったところよ』
玄武の声はもうしゃがれていない。精鋭なる声である。含みを持たせた言い方は、若さ故か。
「わかったよ、玄武。それ以上言うな。ナーシャがさらに混乱する」
玄武は軽やかに笑いながら、天に戻っていく。
孤島は崩れ落ちていく。
ナーシャを埋めていた大地も、崩れていく。
ナーシャは腕を緩めないイチリヤを押す。
『お願い、イチリヤ様、離して! これでは落ちてしまう。イチリヤ様は翔べるのでしょ。お願い、離して!』
ナーシャは叫ぶ。
「ナーシャ、いい子にしてろ。私の翼は折れてはいない。そう言っただろ。ナーシャ、信じろ」
イチリヤは強くナーシャを抱き締める。
『……ど、して?』
「ん?」
イチリヤの腕の中でナーシャは静かになる。
『どう、して……聞こえるの?』
「聞こえるって?」
『どうして、私の声が聞こえるの?!』
「聞こえちゃ駄目なのか?」
『だって、そんな、……あっ、私!』
ナーシャは沸騰した。さっき言ってしまった言葉を思い出す。聞いた言葉も。
「ナーシャ、瞳を見せて」
ナーシャは恥ずかしさのあまり、顔を上げられない。
「ナーシャ」
優しい声の後、頭にふわりと熱い息がかかる。イチリヤはナーシャの頭にキスを落としたのだ。
「ナーシャ、瞳を見せて。
『その目に宿るは覇者の導。導かれし覇者は楔を解き放たん』
私に瞳を見せて。楔を解こう。ナーシャが私を見てくれないと、私は翼を喚べない」
それでもナーシャは顔を上げない。すでにイチリヤに落ちているのに、どうして心と体は反対の行動をとってしまうのか。
それこそが、大人になった証拠ではあるが……
「そっか。わかったよ、ナーシャ。一緒に落ちよう。私はナーシャとなら、それでも良い」
『駄目! イチリヤ様は落ちては駄目よ!」
ナーシャは思わず顔を上げる。イチリヤのもくろみ通り。
イチリヤとナーシャは見つめあう。落ちていく現状に似つかわしくなく、二人は互いの瞳から離れることはない。
「黄昏色だ。次は麒麟か」
ナーシャの瞳は藍から黄昏色に変わっていた。輝く金色の黄昏、麒麟の色である。
「え?」
「さあ、喚ぼう。藍の翼を」
イチリヤはナーシャの耳元でソッと言った。
ナーシャの頬が色づく。
「ナーシャ、今は私の言葉に集中して。ナーシャの体温(心)は後で味わうから」
「……ばか」
イチリヤは思う。こんなに甘い"ばか"をナーシャから聞けるとはと。
「イチリヤ様こそ、集中ください」
ナーシャの尖った口が可愛らしく言った。
イチリヤは"降参"とポツリと言って、再度ナーシャの耳元で告げる。
ナーシャは小さく頷く。
再度、見つめあった二人の口から、
「「我が背を守りし者! 我が両翼の者! 我に戻れ! 藍の刻印の者よ!」」
"言"が発せられた。
「喚ぶのが遅いよ、イチ兄さん」
その声はニイヤ。
金色に輝く人影からニイヤの声。いや、人影なのか……影には翼もあった。
「右翼がサンキ、左翼がヨシアだろ?」
イチリヤは言いながら、その影に手を伸ばす。
「はい、そうです。イチ兄さん、私は背を守ります。イチ兄さんはその瞳に映る者を」
イチリヤは伸ばした手で金色を取り込む。
イチリヤの背にニイヤ。右翼サンキ、左翼ヨシア。
藍の翼が空を翔る。
藍の孤島が崩れていく。湖を埋めていく。
藍の大地が復活を遂げた。
色大陸に静寂が訪れた。夜の始まりと共に。
天に輝く金色の姿。
大陸の何処からでも見えていたであろう……




