翼-3
時は少し前に戻る。
「あれは、何だ?」
リライは紅に対峙していた。
紅の陣地の向こうから、紅の国から大きな物体が陣地に近づいてきている。
「偵察を出せ!」
リライはすぐに命じた。陽は今日の終焉の刻に近づいていた。
黄昏の刻、それは船上で聞いた重要な刻である。
「何人も藍には入れぬ」
リライは呟いた。迫る物体を睨んだ。
次第にその姿が輪郭を現す。
偵察など出さなくとも、何であるかがリライにもわかる。愕然とするしかなかった。
「投石器……」
それも巨大な。
紅の意図は何であるか。最初は、湖を越えるための縄なげであったのだろう。
だが、藍の大地は隆起した。さらなる大きさが求められた。
そして昨日から霊獣が天を支配した。支配……紅にはそう感じたのだ。
霊獣を落とすための投石器に、それは変貌したのだ。
その指揮をしていたのは紅の王子である。
王子の目は血走っている。
「私が大陸の覇者となる!」と。
そして、黄昏が始まる。
見事に巨大化した投石器は、紅の王子の指示も元、陣地に運ばれた。
「リライ様、偵察が戻りました」
戻ってきた偵察の顔が引き吊っていた。
「投石器です。紅の王子が指揮をしています」
リライは唇を噛む。冷静に、慎重に……
「伝令を出せ! 本陣とリーフに援軍要請!」
伝令は直ぐ様駆け出す。
リライは配下の三十名を見渡す。
腹に力を込めたのは、これから発する命令がいかに無謀であるかを認識してだ。
「投石器を壊しに行くぞ」
たった三十名で。それしか出来ることはないのだ。
「はっ」
三十名が一斉に答えた。妖の森から共に過ごした陸隊である。
「いいか! 誰一人傷つけるな! 誰一人死ぬな!」
無理な命令である。しかしリライは続けた。
「すでに刻は黄昏。時間がない。案がある者はいるか?」
リライは問うた。と、そこに
「投石器を壊すのでなく、投げるものを無くせばいいのだ!」
グレコスが到着する。
「父上!」
リライは久しぶりに父に会った。だが、再会の喜びよりも今は投石器である。
「機敏に動ける者五名でいい。いいか、戦場で物資を襲う奇襲作戦のようなものだ」
「では……、もうわかっているか」
グレコスとリライが配下を見ると、すでに五名が前に出ていた。
「よし、リライ行ってこい。いいか、誰も傷つけるなよ。誰も死ぬな」
リライと全く同じことをグレコスが言った。皆が笑顔になる。
グレコスは怪訝な顔になる。
リライはその顔にも笑顔で応え、
「行ってきます」
と言って出発した。
その後、笑顔の意味を残った者に聞いたグレコスは照れたように笑った。
紅の陣営東、海岸からリライ達は投石器を見ていた。
投石器の両車輪の脇に、大きな石が積んである。だが、ただの大きな石ではない。布がグルグルと巻かれている。
リライは唇を噛む。
「石だけでなく、火もくべるのですね」
配下の者も悔しそうに言った。
石が四箱、油壺が二つ。火種も二つ。
「さて、どれからいくか……」
リライ達は顔を見合わせた。
その時、湖から光が天に伸びた。神器が復活したのだ。しかし、リライ達にそれは見えていない。ただ、始まったことがわかるだけである。
揺れがリライ達を襲う。
その揺れが幸運をリライ達に施す。が、リライ達はまだそれが幸運であるとは判断できない。
リライ達の視線の先に、見知った顔がある。それはお互い様で、向こうもリライ達に気づいた。
紅の偵察である。
紅の偵察……
リライ達に、一気に緊張が走った。
『不戦』
リライは声に出さず、口を動かす。それを示した。剣が抜けぬように鞘に布をグルグルに巻いた剣を、相手に示した。
リライは紅によく使者として行くことが多く、紅の者をよく知っていた。相手も使者の経験をもつ者であった。
『不戦』
相手の口もそう動く。
リライはニヤリと笑った。見知った顔は、リライの友であったのだ。紅の友である。
互いに合図を出す。海岸の大岩に皆が移動した。
「よお、久しぶり」
髭面の友は、軽い口の挨拶もいつも通りであるが、頬が痩けている。
「何があった?」
リライは問う。主語などいらないのだ。
「相変わらず会話に遊びがないな」
互いに堅い握手を交わした。
「よし、手短に説明する。紅の王が廃位した。いや、させられた」
それだけで十分である。何故、友である紅の国が藍の侵攻を試みたのか。
「我々は、廃位した王から密命を受けた。藍への侵攻を何としても阻止することだ。投石器を潰す!」
リライ達は暫し唖然とした。自分達の任務とほぼ同じであるからだ。
「我々も、投石器を無能にするために来た」
今度は友の方が唖然とする。だがすぐに、お互いに笑んだ。
「投石器の破壊でなく、投げるものを無くせば投石器は意味をなさない。我々は、あれを海に捨てたい」
リライはグレコスから指示された作戦を告げる。友は髭をさする。ニヤニヤと笑って。
「それにノルぜ!」
友の配下は七名。リライの配下は五名。計十二名である。
「伝令を頼めねえか?」
友はすまなそうにリライに言った。
「藍の王様に現状を伝えてもらいたいんだ」
リライは同意した。友の気持ちがわかるから。
リライは二名の伝令を出した。グレコスと本陣に。リーフにはグレコスから伝令が出されるであろう。
これで十名となる。リライと友を入れて十二名。
リライ達は、動く。陣営の投石器に向けて。その間に、友から紅の現状を聞いた。
二ヶ月少し前に、紅の第一王子が父である王を廃位に追い込んだ。二人は対立していた。
導を手に入れようと、藍に侵攻しようと言う王子と、侵攻の許可を出さない王とで。
もちろん紅の王は、こんこんと皆に説いた。藍が大陸を支配などしないということを。
だが、紅の民の心に燻る不安は、やはり小国藍が導を盾に、大陸の覇権を意のままにすること。
導の存在は、紅の民の心にブレを起こしたのだ。
次第に王の意見は押さえられていく。王子は言ったのだ。"このままだと、藍に支配されるぞ"と。
臣下は次第に侵攻へと心変わりしていく。
拍車をかけたのが、白も黒も侵攻の準備をしていると偵察が知らせたことだ。
一気に王は追い込まれ、廃位せられた。
「隔離されています」
友はその発言とは似合わない不敵な笑みを漏らした。
「いましたかな。こちらと同時進行で都を掌握中ですがね」
投石器の周辺に近づく。
その時、揺れがピタリと止まった。リライ達は孤島を見る。
息苦しさ。
静寂が息苦しい。
友から合図が出た。友の指が空を指している。リライ達は孤島の空を見上げた。
そこに翼があった。
大翼が孤島の上空を覆っていた。
天空の異変をリライ達は確認しあう。霊獣を攻撃するための投石器は、もう意味をなさない。霊獣は天から消えていた。
ニイヤ、サンキ、ヨシアの依り代に納まったのだ。
リライは小さくフッと息を吐いた。しかし……
「天は我に味方したり!! あの翼を落とせ! 翼を撃ち取った紅が覇者にならん!」
目の血走った紅の王子が叫んだ。
リライ達の心に戦慄が走る。友はすでに走り出していた。リライ達も走る。
友が率いる紅の者が石の入った四箱に向かう。リライ達は油壺と火種に向かった。
たった十二名。しかし、紅の陣は混乱した。
「王命である!」
友は大声で言い放つ。
「乱心の王子よ、聞け! 紅の城は再び王が立った。王都も制圧されよう! 許しを請え!」
友の背には紅の旗。
「陣営の者よ、聞け! 直ちに引き上げればその罪を不問とする。王命であるぞ!」
リライ達はその混乱に生じて、火種を奪う。次に油壺。まず一つは破壊せず馬に繋げることが出来た。
紅の馬である。尻を叩き走らせる。投石器から離れたらいいのだ。
リライは友に視線を送る。紅も混乱に生じ、三箱をすでに移動させていた。投石器を引っ張ってきたであろう力牛に、海岸に運ばせている。
陣営にいた者も手助けしてるようだ。
後は、油壺一つと、石の一箱。
順調に思えた作戦も、紅の王子を指示する近衛兵が現れたことで、一転する。
「王都は落ちてはいない! 惑わされるな! 王はここに居る! 大陸の頂点に立つのはここに居る王であるぞ!」
友の舌打ちが聞こえるようだ。リライは四方に視線を動かした。
運悪くそれを見てしまう。油壺に石が投げ込まれていた。
火種はない。だが、近衛兵が陣地に松明を取りに行っている。
リライ達は近衛兵に囲まれる寸前であった。
リライと配下三名。リライは退路を探す。しかし、紅の陣地のど真ん中。
「リライ様、投石器に登りましょう」
配下の進言にリライはハッとした。
リライ達は投げるものを襲った。投石器本体の警戒にあたっていた近衛兵が、今ここにいる。
投石器を視界に捕らえる。
近衛兵が退いた投石器本体の周辺は、警備が手薄になっていた。
「走れ!!」
リライ達は走った。
その動きを察知し、友の配下も走る。
「いいねえ! やっぱり本体いこうぜ!」
友からリライに声がかかる。
「本体破壊には時間がかかる。投石の軸を折ろう!」
リライはこんな状況でも冷静だ。
一斉に皆が投石器に移動する。近衛兵は二手に分かれる。
一方はリライ達へ。一方は残された油壺と石の箱に。
すでに炎の石が投げられんと、準備が整っている。
「イチリヤ様!! 避けてください!」
リライは届かないであろうが、天空に叫んだ。
ーーヒューンーー
最初の投石が天空に上がった。
リライ達は投石器の櫓をかけ上る。近衛兵もリライ達を追う。
「リライ! 任せた。ここは俺達が食い止める!」
櫓の途中で友が同じ紅に対峙している。
リライは櫓のテッペンまで登る。その間にも投石が続く。
その軌跡は孤島上空へ。イチリヤの翼が折れる。視界にそれを捕らえたが、留まってはいられない。リライは軸を剣で叩く。
巨大な投石器の軸。その楔をリライは打ち続ける。次第に軸はグラグラと揺らぎ、同時に起きた大陸の揺れと共に、投石の棒が地上に落ちていった。
リライはすぐに孤島を見た。
そこに、
その空に、
翼はなかった……
明日3話更新で完結します。




