集いし藍の地に-2
蝶はキラキラと煌めいている。朝陽が蝶の羽に光を与えていた。
「サンジュ、ちゃんと座っていなさい」
眼下の海に、サンジュは羽よりもキラキラとした瞳を向けていた。
「ににさま、だって……」
口を尖らせたサンジュは、不満げな上目遣いを皇子向けた。
非難の眼差しにも皇子は全く介さず、サンジュをしっかりと掴む。いや、包む。
「落ちたらどうするのです?」
叱責ではない。優しく皇子はサンジュを宥めた。
「落ちないわ。ににさまは、離さないでしょ?」
自信たっぷりにサンジュは答え、またも身を乗り出して海を見る。
皇子はやれやれと思いながらも、サンジュを自由にさせている。
そんな二人をグーレンは優しい眼差しで見つめる。ほんの少し前の、イチリヤとナーシャのようだ。
蝶の上に座る皇子とサンジュ。そして、その後ろにグーレンとグレコ。
大きな蝶ではあるが、四人もの人間が乗れば狭い。
グーレンは背筋を伸ばす。ついでに、すくっと立って体も伸ばした。
「こ、こら! や、やめろ」
グーレンは背後を見る。グレコがグーレンのマントを掴み固まっていた。
グーレンはニヤリと笑った。
「ほら、グレコも立ってみよ。気持ちがいいぞ」
グーレンはグレコの腕を取った。
「いいぃ! 私はいいんだ。グーレン早く座れ! 蝶が可哀想ではないか」
もはや、疑いようもなくグレコは怖いのだとわかる。グーレンは青龍として天を駆けている。高いところの耐久はすでにある。
だが、グレコは天に体を置くことに慣れていない。いや、慣れる慣れないではなく、初めてのことである。
「……グレコ、マントを放せ。しわになる」
グーレンはマントを引っ張った。
「ヒィ」
グレコが小さく悲鳴を上げた。
グーレンは込み上げる笑いを抑えながら座る。
座ろうとして、中腰になった。が、
「あれは?」
グーレンは中腰から再度足を伸ばす。
遠くに小さく見える船。
「皇子殿、降下出来るか? あれに見えるは船であろう。グレコ、ニイヤは船で向かっているのだろ?」
前方に見える船は三隻。グレコは船を確認する。
「ニイヤ様は、二隻で藍に向かっていますが。……あれは、もしや」
グレコは身を乗り出した。目的があれば恐怖を忘れるようだ。
「では、下がります。皆さん、ちゃんと掴まってください」
言うや否や、蝶は降下する。
「やはり! 三隻とも藍の船です。支援隊の船も一緒のようです」
グレコは船の整備を青の国でしている。船を見間違うはずはない。
「見張り台に降ります!」
皇子はそう言って、先頭の船の見張り台に降り始めた。見張り台には人が二人。まだこちらに気づいていない。
「皇子よ! 前方から姿を示してくれ」
グーレンが指示を出す。
蝶はふわりと舞い、先頭の船の前に姿を現す。
グーレンはマントを大きく靡かせた。大きく手を広げ叫ぶ。
「藍の王グーレン! 降りるぞ」
グーレンの声が通る。船上のニイヤ達は呆気に取られている。
「皇子! まずは私だけ飛び移るぞ」
蝶は上昇する。船の上空に。グーレンは大きく屈伸し、蝶から飛び降りた。
「父上!!」
ニイヤが慌てたように叫ぶ。
何故か、皆が悲鳴を上げている。
「父上! 後からグレコが来ます!」
グーレンの後を追うように、グレコも飛び降りたのだ。グーレンが着地した場に、グレコが落ちてくる。
まさにスレスレ。
グーレンはサッと体をかわす。その場にグレコがドタンと着地した。
デッキがミシリと音をたてる。
「……」
「……」
「……」
皆、声が出ない。
「藍王様! 見張り台の人を避難させてください」
皇子が言った。
「見張りの者、降りろ。蝶がとまるぞ」
グーレンが命じた。
船上に歓声が上がる。
「父上!」
ニイヤはグーレンに頭を下げた。
「……少し逞しくなったようだな」
グーレンは目を細めてニイヤを見る。
「藍王様、ソフィアでございます」
ソフィアはニイヤの傍で、丁寧に頭を下げた。
「息子を頼んだぞ、ソフィア姫」
グーレンは嬉しそうである。
「姫にありませんわ。もうニイヤ様の妃にございます」
ソフィアはウフフと笑う。グーレンもガハハと笑って応えた。
「父上、何故……いえ」
ニイヤはどう訊いていいかわからない。藍の地で砦となっているはずの藍王が何故、空から降りてきたのかと。
「さてと、皇子よ。降りてこい。皆に話してくれ。イチは何を始めているのだ?」
皇子が見張りから降りてくる。サンジュを連れて。
「いえ、まだ話せません。まだ集まっていないのではないですか?」
皇子はそう言って、藍の地を指差した。
「刻印の皇子はまだいましょう?」
皇子はニイヤを見る。
「二の刻印の王子、ニイヤだ。他に、三の刻印。……四の刻印」
グーレンは言葉を選ぶ。四の刻印はいない。サンキもヨシアも三の刻印である。
「……そうですか? では、皆が揃いましたら話しましょう。黄昏の刻までまだ時間はあります」
皇子は背に隠れるサンジュを見る。サンジュは慣れていない。人と面せず生きてきた姫である。
ソフィアは、ナーシャと会ったときと同じ感覚に至り、サンジュの方に近寄る。
「はじめまして、ソフィアよ。ここは暑いわ、それにむさ苦しい。フフッ」
藍の兵士はソフィアに頭が上がらない。藍の王中心にワラワラ集まる者に牽制した。
皆がスッと引く。その辺りの礼儀はわきまえている藍の民だ。
「お菓子は好きかしら?」
サンジュは頬を桃色に変える。皇子の袖をクイクイと引っ張った。
「船室でお菓子とお茶にしましょう。いいかしら?」
ソフィアは、最上級に可愛く小首を傾げニイヤに伺った。
ニイヤに断るすべはない。
「流星?」
サンキはさらに色づく夜空に呟いた。
白い流星が藍の地に向かっている。一見ではわからぬほどの、細い光である。
「また何か来ますね」
ヨシアはサンキの横に立つ。
すでに陣営はある程度出来ており、半数を休ませている状態である。
残り半数のうちの数名を、海岸へと配置した。リーフの船が到着するのは午前中になろう。
その船に皇子やサンジュ、グーレン、グレコが乗るのは陽が昇ってからである。海岸から確認できるギリギリでリーフは待機することになっていた。
まだ夜は明けていない。
まだ何かが来る。
サンキとヨシアは警戒を解かない。グレコスはそんな二人を遠くから見ていた。
「若い者は成長が早い」と。
「白だな」
サンキは西の空に現れたそれを見ている。
朝陽と共に現れたそれは、白い虎であった。
藍の孤島上空に麒麟
東に青龍
南に鳳凰
西に白虎
が留まっている。
「あれは何でしょう?」
白虎を見るヨシアが問う。無理もない、藍で伝えられている霊獣に白虎は存在しない。
「霊獣だろうな」
サンキはそう答えた。グレコスも無言で頷く。が、悠長に眺めているわけにはいかない。
黒に対峙する刻である。
六十弱の人員が、全て馬に乗り黒にその姿を示す。侵攻を許さずと示すのだ。
朝陽が世界の形を照らす。
突如、藍の陣営が発った。
青龍に侵攻を邪魔され、鳳凰に頭上で遊ばれ、朝陽と共に藍の陣営が発ったことで、黒はさらに混乱する。
もちろん黒だけにあらず。
白も紅も、空を彩る霊獣に戸惑っているであろう。
「馬を用意せよ!」
グレコスが叫ぶ。
最初に回収された八頭の背に、藍の旗がはためいている。
人は乗っていない。
リーフの指揮する船が四日かけて定位置に到着するまでの間に、死地の拠点では藍の旗が作られていた。
もちろん準備は旗だけではない。綿密な計画を四日かけて準備した。勢いだけの計画しか実践してこなかったサンキとヨシアには、良い経験になったはずである。
だが、その計画に予想外のことが起こるのは、少し後のこと。
藍の王グーレンが現れるのだ。ニイヤも、グレコも、そしてリライとリーフ。イチリヤ以外が勢揃いする。
しかし、まだその時にあらず。
グレコスは八頭に指示を出す。藍の馬は賢い。陣営から北に向けて東回りと西回りで四頭ずつ駆け出した。
藍の旗が舞っている。
湖を一周する馬たちだ。白にも紅にも動揺を与える。霊獣が空を舞い、藍が地を駆ける。
労せず、同時に起こったことである。
サンキもヨシアも本当は馬に乗り、旗を掲げたかった。
落日にイチリヤがしたように。
八頭を見送る。サンキもヨシアも、馬に託す。
サンキが東に。ヨシアは西に。グレコスは中央で黒に対峙した。本来ならサンキが中央に立つはずである。
が、サンキ自らグレコスに命じた。
「父上に似ているグレコスが中央で立った方が威力がある」と。
グレコに比べるとグレコスはグーレンには似ていないが、発する声はグーレンにとても似ている。
「グレコスの声は黒の陣営にも届くだろ」
ヨシアも愉快に言ったのだ。
グレコスは笑う。あれほど目立つことを好む二人が、ちゃんと状況を判断している。
「わかりました。では旗だけでなくマントも作りましょう。もちろん、サンキ様、ヨシア様の分も」
三人は笑う。
そんな会話が出るほど、二人の成長は著しかった。
ざわつきが黒から漂う。
グレコスを中央に、並ぶ騎馬隊。
東西に土煙を上げて馬が駆ける。藍の旗が土煙に負けず、風になびき存在を示す。
「藍の地に侵攻できる者などおらぬ!!」
グレコスが声を張り上げた。
と、同時に左右で大きく藍の国旗が示される。サンキとヨシアが東西から旗を掲げ駆けたのだ。
中央のグレコスの前で二人は交差する。今度は東にヨシア、西にサンキが陣取る。
三人の背後で藍の民は拳を突き上げた。
拳である。藍の民は剣を持っていない。腰に差したまま、それも抜かずの剣である。紐でぐるぐると剣が抜けぬように縛ってある。
グレコスはさらに声を張り上げる。
「藍の導、孤島にて時を待つ! その瞳に映るは覇者のみ!」
声は距離を超越し、藍の地より四方に響いた。
「藍に生きる者!
深く深く心に刻め!
藍の国は深き愛の国!
手に持つは剣ならず!
手を伸ばすは愛する者を守るため!
この地は愛しき地!
色大陸を愛するは藍の誇り!
我らは誇りを失わぬ!
黒よ! 孤高の誇りを無くしたか?!」
次話水曜更新予定です。




