揃いし天空-2
『何故?』
ナーシャは鳳凰を見ながら呟いた。
『何故?』
その問いに答える者はいないのに。
ズズズッ
突如体が引き込まれる。ナーシャの体は、膝を越えて埋まってしまった。藍の地に。
『イチリヤ様、早く……早く……来て』
ナーシャの声が震える。
急激に襲う恐怖。ナーシャは体が埋まるにつれ、心は悲鳴を上げていた。
会えずの恐怖。体が埋まることの恐怖ではない。会いたいのだ。
愛するイチリヤに。
どれくらい経ったであろうか?
夜は忍ぶのを止め、駆け出すように闇が消えていく。だが、闇を消しているのは陽ではない。
鳳凰の朱は、いつしか黒の陣営の頭上で舞っていた。
そして、それが戻ってきた。青き光に包まれ、青龍が孤島をクルクル回る。
それだけではない。眩い黄色が孤島上空で波紋のような光を宙に放っていた。麒麟である。
黒は突如陣に現れた鳳凰に腰を抜かす。なにより、大半の者が目を痛そうに押さえている。夜目の黒には鳳凰の朱は酷である。
「急げ! 音も気にすることはない!」
グレコスは大声を上げた。
「黒の目は気にするな! 鳳凰様は我らをわかっておられる!」
サンキもそう発する。
この状況が偶然でないことは、誰もが感じるところ。何かが始まる。否、始まっている。皆がそう思っていた。
「イチ兄さんは必ず戻ってくる!」
ヨシアは孤島に向けて叫んだ。
「ナーシャ! イチ兄さんは必ず戻ってくるから!」
叫ばずにはいられなかった。
孤島からパラパラと落ちる砂。コツコツと転がる小石。
孤島が悲鳴を上げているようだった。いや、藍の地となったナーシャの悲鳴である。
ヨシアは感じたのだ。ナーシャに誰よりも歳の近いヨシア。
「きっと、待ってるよな」
ポツリと溢す。ヨシアも待っている。イチリヤを。
「ああ、待ってるさ。信じている。イチ兄さんは戻ってくる」
サンキがヨシアの肩に手を置いた。
二人の視線は孤島を見上げていた。青龍は旋回を止め、孤島東の宙に留まっている。
宙に鳳凰、青龍、麒麟。玄武は藍の地である。いや、地に繋がれている。転の刻から。導が誕生してから。
藍の地にたくさんの楔が打たれたのだ。
それを解くには、藍の翼を持つエデンの化身カルラ。
覇者イチリヤのことである。
白虎は大岩でそれを待っていた。
青龍を。
色大陸から、青き稲妻がエデンに走った。だが、白虎が待つ青龍はそれにあらず。
弱き力の人の魂で、青龍は生きながらえている。
白虎は西の天空を治めるモノである。対となるは東のモノ。青龍であるのだ。この数百年、白虎は半身を失っていたようなものである。
そして、今、玄武の転の刻が楔を打った。玄武は藍の地に繋がれた。北を治める玄武の対となるは、南の鳳凰である。
鳳凰も待っていた。この刻を。
麒麟も待っていた。次こそは、魂を運ぶのだと。
霊獣達にも、心の楔が打たれていたのだ。
皆の強い想いが、形を成すは新しい転の刻。黄昏の刻。
白虎は咆哮した。
それが来たからだ。
森の上空を麒麟と青龍が走る。
『先に行くぞ、我が友よ!』
青龍から白虎に、数百年ぶりの声がかけられた。
『フン』
白虎は鼻を鳴らして返した。
空を彩る黄色と青を見送る白虎。西の空は、朱と黄色、青が光を放っている。
霊獣が揃いし天空は、後少しの刻が必要だ。白虎は視線を移す。賢者が集まる大岩に。
だが、その視線はすぐに上空に向かう。
『力は集まったか?』
その声の主はイチリヤだ。いや……
藍の翼を広げ、月を隠すように宙に留まっている。
『はい、後少しにございます』
大岩の白虎の隣に、イチリヤは降りる。十四年前にもそうしたように。
『懐かしいな』
イチリヤは言った。いや、カルラは言った。
『はい、あの日も月を眺めておりました』
二人の過去ときは、また動き出す。
『……消えたのですか?』
白虎は訊いた。イチリヤは消えたのかと。
『さあな』
カルラの口角が上がる。
『消えれば、エデンは復活してるさ』
皮肉だろうか? カルラの口角はさらに上がる。
『だが、消えれば玄武は繋がれたまま、青龍と同じく待たねばならなくなる』
白虎は牙をあらわにした。敵意でなく、歯痒さ故だ。
『エデンの復活を望むか?』
カルラの声が冷気に揺れる。
『それとも、玄武の楔を解くか?』
白虎の芯を抉るように、カルラは言った。
ニ択を迫られているのだ。
『我が復活すれば、もう一度"始まり"から始めよう。ならば、今玄武は繋がれていても、また始まる故、霊獣皆が揃う』
カルラは続ける。
『我の中に居るイチリヤを、我は消せる。イチリヤが消えたら、エデンは復活する。創世から始められる。お前が望んだのだ、新しく始まることを』
カルラはいまだ牙を向ける白虎に、畳み掛けるように言った。
白虎が揺れる。白虎の芯が揺れる。
『正しきことが相反した時、我らは何を選択すればいいのか』
カルラの言葉が白虎を打ちのめす。
『エデンが復活することが正しいのか?』
白虎を声を漏らした。唸っているように。
『さあな』
カルラは答えない。
『エデン復活を捨て、新しい転の刻を始めるか?』
今度はカルラが漏らす。
『……』
白虎は無言のまま、西の空を見た。
エデンの化身カルラは復活した。カルラの内には、エデンとイチリヤが共存している。
イチリヤを消せば、エデンが復活する。
エデンを消せば……否、化身カルラのままなら、エデンは復活しない。
白虎は揺れる。
揺れる。
どちらを選んでも、玄武は復活する。だが、エデンを選べばイチリヤは消滅する。
イチリヤを選べば、エデンという絶対的存在を放棄することになる。霊獣白虎に出来るのか?
揺れる。
揺れる。
白虎の牙は自身を傷つけるほど、食い込んでいた。
『光と闇、どちらが正しき導みちびきだ?』
カルラから突如声が発せられた。いや、この声はイチリヤだ。白虎は牙を納めた。
「ヤコ、最初に私にかけた言葉だ」
白虎はイチリヤを見る。双翼は消えている。
「ヤコ、空に戻れ。ヤコの本来の場所は何処だ? 天に在りしモノが地を踏むな」
白虎は項垂れた。数百年前に、ハリャンにしたように。
「ヤコ、地を見るなら天から見よ」
白虎は思い出す。ハリャンを。心を熱くしたあの日を。
時を越え、ハリャンと同じことをイチリヤに言われたのだ。
『人はいつも我を惑わせる』
白虎はそう呟くと天に翔んだ。
『共に存在してこそ互いが導ける!』
吠えた。白虎は吠えた。
『来い! 我が力を運ぶ!』
賢者の瞳から力が溢れ出る。それは、黒であるにも関わらず、煌めいていた。
白虎の瞳に力が吸い込まれていく。
『それが答えか?』
カルラが笑った。
『答えなどない! 続く世界に答えなどない! 正しきも悪しきも続く世界の前では、一時の私思でしかない!』
天からカルラに声が降り注ぐ。
『故に始めるのだろ?! エデンは復活を待っているぞ! 私思なき世界を作ろう!』
カルラも翔ぶ。白虎とカルラが対峙した。
『何故、神を創った?
何故、魔を創った?
何故、人を創った?
何故、妖は居る?
何故、霊獣は居る?
エデンは!
何故、エデンは自身のみが存在する世界にしなかったのだ?』
白虎はカルラに突き刺した。世界の本質を。
カルラは大翼を最大限に広げ、全身を強ばらせていた。
『共に在るモノが欲しかったからだ。我もエデンならばそうしたであろう。自身だけの価値しかない世界など……心を、芯を、温められないしな』
白虎は言った後に、カルラを見た。真っ直ぐに。
カルラは天を仰ぐ。
白虎はその様子を見る。カルラは確認しているかのように、許可を得ようとしているかのように、天を仰ぐ。
カルラは化身である。
きっと、その瞳はエデンを見ているのだろう。
『ああ、そうだ。我は、我を愛する我以外の存在を欲したのだ。この世界は、我の愛しきモノで溢れている』
カルラの瞳に白虎が映る。
『愛しきモノが争った。我は愛しきモノが傷つけあうのを見るはめになった』
白虎は頷く。
『私思とは怖いものだ。次なる世界に私思は存在しない。優しき世界になろう。白虎よ、それでもエデンの復活を放棄するか?』
白虎はブレなかった。
『私思の存在しない世界など、それこそ存在しない。エデンの私思がこの世界を創ったように』
カルラの強ばった羽が、ふわりと舞った。翼が翼の役割を果たす。
カルラは翼を大きく羽ばたかせた。
「ヤコ、この世界は素晴らしい。エデンに愛される自分が誇らしいよ」
イチリヤの声だ。
『ああ、愛しき世界だ。我もその一員であることが誇らしい』
イチリヤは笑む。カルラも笑む。
「導が待ってる。ナーシャが待ってる。正しきも悪しきも、その先の世界は続くんだ。ヤコは私に訊いただろ? あの日、十四年前」
白虎は頷く。白虎は十四年前に、まだ幼いイチリヤに訊いたのだ。
『私は間違っているか?』と。
エデンの単なる代わり身として発生したイチリヤに、大岩に降りたイチリヤに、白虎はすがった。対となる青龍の不在が、白虎の芯を揺らしていた。
青龍の復活を望むは、自分の弱さではないか? 世界のためでなく、自分の私思……欲ではないか?
世界は青龍なくとも成っているのだ。数百年の年月が白虎の芯を揺らしていた。
「間違ってないさ。間違って存在するモノなど、このエデンが創った世にはない」
イチリヤは十四年前と同じように言った。
『先に行きます。イチリヤ様は、黄昏の刻に』
白虎は天を駆けた。色大陸に向かう。
イチリヤは白虎を見送った。白き流星が駆ける。藍の地に揃いし霊獣達。
白虎とカルラの会話は霊獣皆に伝わっている。もちろん、白虎とイチリヤの会話も。
深き愛の王ハリャンの時と同じように、きっと熱く込み上げていることだろう。
残るは玄武の楔。
天空に揃いし霊獣は四体。
玄武を待つのみ。
楔を解き放つは……
次話月曜更新予定です。




