死地-再び
***死地
「グレコス! グレコス!」
サンキはグレコスを呼ぶ。グレコスは、支援隊を桟橋で迎えていた。それを確認し、サンキは呼んだのだ。
「はっ。何でしょう?」
グレコスは強ばった顔つきで、サンキを伺っていた。
それも仕方ないこと。遠く目をやると、死地からでもはっきりわかる隆起した藍の孤島。
一度目の揺れの後の二度目の揺れは、比べ物にならないほど大きな揺れであった。
「グレコス、まず何をしたらいい? 私は……どう指示したらいいのだ?」
まだ統治の経験のないサンキは、この事態の収拾を指示できずにいたのだ。
サンキはまだ二十歳にも満たない若輩者である。ヨシアに至っては、まだ幼さが残っている。
死地の統治はニイヤが立志したのだが、青の国のソフィア姫との婚儀を密に進めていた藍の王は、グレコスを補佐につけることで、サンキとヨシアに死地を任せることにしたのである。
「まずは、落ち着きましょう。冷静に」
グレコスはリライの父である。リライの冷静さは父譲りである。と言っても、血は繋がってはいない。
リライもリーフも、刻印の王子の選定時に、城に集められた孤児である。
王子に選ばれなかった孤児を、グレコスとグレコが育て上げたのだ。
「だが、落ち着けと言われても……」
サンキは藍の孤島、支援隊、そして死地へと視線をさ迷わせた。
サンキはどうしたらいいのか、と頭が一杯になっていた。
「すぐに、伝令を出そう。すぐにニイヤ兄さんに報せねば」
サンキは今にも伝令を出す勢いである。いや、慌てようである。
「冷静に、サンキ様」
サンキの前に立ちふさがり、グレコスはいさめる。
「まずは、リーフの報告を待ちましょう。藍の地で何があったのか。伝令を出すのはその後でいいでしょう」
グレコスはそう言って、強ばった顔を無理に歪ませ、笑顔とはほど遠い顔を作って見せた。
「……その顔は笑っているつもりか? プッ」
サンキはグレコスの歪んだ笑顔に、思わず笑う。
「サンキ様は、笑っておられますね。そのくらい力を抜いて周りを見てください」
グレコスはフフンと笑った。
してやられたのだ、サンキは。
「はぁ……、グレコスには敵わないな。そうだな、ああ、そうだ。まずはリーフを待とう。考えてもみれば、あの孤島ではきっと白も黒も、紅も征服出来ぬであろうしな」
グレコスは頷く。そして、何かを言いかけるその口を、サンキが制した。
「グレコスは、支援物資をまず拠点に」
サンキの指示は、グレコスも考えていたことだ。それを先んじられた。グレコスはニッと笑う。サンキの視野が広がった。それが嬉しくて。
「サンキ様は、すぐに拠点にお戻りください。リーフが急ぎ向かっているでしょう」
サンキは"ああ"と了承し、軽く手を上げて拠点に戻っていく。
拠点に戻ると、すぐに偵察隊からの伝令が入る。
「ハァハァ、リ、リーフ様は、ハァハァ」
伝令は、息つく間もなく死地に来たのだと理解できるほどの息遣いだ。
サンキは配下に水を持って来させる。
「急くな。ゆっくりでいい。さあ、水を飲め」
偵察兵は、ゴクゴクと水を飲み干す。
「黒が仕掛けたのです。青龍様が、青龍様が黒の土砂を退けました。身をはって……湖に突進し、昇ってきません。その後です。藍の孤島が隆起しました」
偵察兵は一気に伝えると、力なくへたりこんだ。
あまりにも少ない報告であるが、これほどまでに事態を簡潔にした報告はない。
詳しくは、後でいいのだ。サンキは事態を理解した。冷静さが頭を鮮明にさせている。
「馬を用意しろ!」
サンキは叫んだ。その声にヨシアが反応する。
「サンキ兄さん! 行くのですか?!」
その問いに、笑って見せる。グレコスがしたように。フフンと。
「藍も陣地を建てる」
サンキは不敵な笑みを見せる。ヨシアは一瞬驚いたが、サンキの笑みに同調しニヤリと笑った。
「サンキ兄さん、驚かせましょう。白も黒も、紅も」
その場にいた伝令は、挙動不審になった。恐る恐る声を出す。
「あの、陣地を建てるには人員が足りませんし、それに我が藍の兵隊はほとんどいませんが」
サンキとヨシアは肩を組んで笑った。
「妙案がある。いいか、急ぎ戻りリーフに伝えよ。偵察をニ人置き、帰還せよとな」
伝令の不安げな顔が、二人の笑んだ顔で吹っ切れる。二人揃った時の爆発力は、藍の国では有名であった。
暴れ馬であっても、二人にかかれば一瞬で捕獲できるほど。……従順にさせるのはイチリヤであったが。
計画を聞いたグレコスもリーフも眉間にしわを寄せ、険しい表情になった。
「無謀過ぎます。もし、攻めてきたらどうするのです?」
「飛び込むさ、湖にね」
サンキはフフンと笑った。グレコスの真似を完全に自分のものにしたようだ。
「無謀にも程がありますぞ」
グレコスはサンキをいさめるが、ヨシアは飄々と返した。
「予定通りの行動と思わせればいいのです。孤島は隆起した。日を待たずして、陣地を建てる。白も黒も、紅もまだ私達の存在を知らない。急遽現れた藍の民に、驚くでしょう」
ヨシアはさらに続ける。
「平然と立つのです。各陣営に見せつけるのです。こうなることは予定通りだとね」
軍師である。幼いが、要を突いてくる。
だが、年の功は黙ってはいない。グレコスは言った。
「ここはどうするのです? 拠点を空にするつもりですか? 人員はどうするのです? イチリヤ様に何と報告するのです?」
そして、フンと鼻息を鳴らす。
「湖に飛び込んでからは?」
と付け加えた。
サンキは真顔でグレコスに対峙した。
サンキは詳細を話す。陣地を建てる詳細を。
「陣地を孤島自身にする。人員は、ニイヤ兄さんの海隊三十名と八馬。一隻の船だ」
グレコスは目を閉じ聞いている。
「まだ藍の馬は、どの陣にも従わず孤島周辺に居よう。三十いたらいいが。馬軍を編成する。黒に対峙させる」
そこまで話して、サンキは間を持った。グレコスの反応を確認するためだ。
グレコスは小さく頷く。ここまでは了承したと言うことだ。
「死地は放棄する」
ここでもサンキは間を置く。グレコスは頷かない。だが、サンキは続けた。
「死地に居る民は百五十名ほど。五十名を船に乗せる。今夜出航したら黒と紅の国境の海岸には四日後に到着するはずだ。その五十名は紅に対峙させる」
サンキはここで話を止めた。グレコスを待つ。
グレコスはゆっくり目を開けた。
「残り百名は白に対峙させる」
それを待っていたように、サンキは発した。
「つまり、四日後に船が到着するのにあわせて、陣地が三つ建つということですね?」
リーフがそう言った。
「突然建つのです。朝目覚めると出現する。各陣営に対峙して。当たり前のように藍はそこに立つのです」
ヨシアは言った。はったりのような作戦である。だが、これほどに各陣営に動揺を与える作戦はないであろう。
だが、グレコスはまだ頷かない。
「撤退方法」
低い声である。グレコスからは一言だけ。
撤退方法である。作戦を考えることは誰にでも出来ることだ。この作戦の場合の弱点は、攻められたら終わり。
「対峙し、動揺を与える。ではその先は? 自己満足でこのようなことをして、何を得られる?」
グレコスの目は鋭くヨシアを射る。
「途中で何か不手際が起きたときは? 船に伝令は出せません。我らの船は一隻です。馬軍に伝令は追い付きますか? 音もなく、各陣営に気付かれず成せますか?」
グレコスの言葉がサンキとヨシアを突く。
「一名の犠牲も出すな。イチリヤ様の厳命です。覚えておられますか?」
さらに追い討ちをかけて、グレコスは二人をいさめる。
「お二人の作戦に、反対はしておりません。ですが、配慮が足りません。……今までは、イチリヤ様が補っておられました」
イチリヤの名が出て、二人はビクンと反応する。
「イチリヤ様はここには居ません。作戦の後をお考えください。もちろん、作戦の意義も踏まえてです。イチリヤ様は居ないのです。お二人がこの死地を治めているのです」
そうである。二人の行動はいつも成功していたが、それは目に見える範囲だけである。
馬を捕らえる。捕らえる見せ場は成功するが、その後だ。イチリヤが最後の〆を補っていた。
今回もそうである。作戦は間違ってはいない。だが、その後だ。
サンキもヨシアも唇を噛み締めていた。
「だから、グレコスがいるのだろ!!」
ヨシアが怒鳴る。
「私はイチリヤ様ではありません」
と、グレコスは怒鳴るヨシアに冷たく言い放った。
「グレコス、ではお前は何のために私達の傍にいるのだ? 私達の補佐ではないのか?」
サンキは幾分ヨシアより感情を抑えているものの、不満げに言う。
「では、私が考えてもいいのですか? ご自身の役割を放棄するのですね?」
グレコスは挑発的に笑って言った。
「作戦は成功しましょう。ですが、その後はサンキ様もヨシア様も放棄なさる。治めることを放棄なさる。そこからは私がイチリヤ様の厳命を実行しましょう。『一名の犠牲も出すな』お二人が考えないのなら、私が成しましょう」
これほどまでに挑発して。
サンキもヨシアも真っ赤に噴気している。
しかし、グレコスは介さない。
「いつまでも子供ではいられないのです! 遊びじゃない! 片付けが出来ない子供では、藍の民の命は預けられない! いい加減に、恐れを知りなさい!」
グレコスの怒号が二人を萎縮させた。
グレコは藍王にその姿が似ている。グレコスは藍王にその声が似ていた。
二人は息を止め、グレコスを見ている。
藍王を見ている。
「成功だけを見てはいけません。損ずる痛みに目を背けては、得るものはございません」
二人は項垂れた。
「考えましょう!」
リーフは豪快に言った。
この場で一番能天気と言おうか。その声は快活だ。
「馬軍まではいいのです。その後からのこと。気付かなかったことを、グレコス様が教えてくださいました。要するに、考えればいいのです。失敗したときのことも、不手際が生じたときのことも」
問題は簡単だと言わんばかりに、リーフは言葉を繋げていく。
「穴のない、隙のない作戦を考えればいいのです。サンキ様、ヨシア様」
豪快であった。グレコのようにリーフは豪快に言った。
「だいたいグレコス様は慎重過ぎますよ。父上がいたら、きっと『この石頭が』と言っていたでしょうね」
グレコスの眉がピクピクと動いた。
「リーフ、藍王様と私はな。幼き頃、グレコの行動に振り回された。あやつは何も考えず突っ走る。尻拭いはいつも私だったぞ。あの無鉄砲を見習うなよ」
グレコスは仏頂面で返した。リーフはハイハイと頷きながらも、まさに無鉄砲な案を次々に発言していく。
「もう面倒ですから、陣を三つ建てるのでなく、藍の孤島を取り囲んじゃいましょう!」
などと。
さすがに、サンキもヨシアも面食らう。孤島と言えども広大である。湖もあるのだ。その周辺を囲むなど、藍の民総出であっても困難だ。
「おいおい、リーフ。それはさすがに無謀だ」
サンキはこのリーフの発言で、吹っ切れたようだ。ほんの少し前の自分を見ているようだった。
作戦を考えるのは簡単だ。だが、実行し成功するには? 犠牲もなく成すためには、補わなければいけない。
実行し"成功"し、"終える"には。
この作戦の意義とは?
サンキはグレコスをチラリと見る。藍王を見る。そこに導く者がいる。
冷静に、慎重に、全てを成す。全てとは何か?
サンキは大きく息を吐き出した。目が冴えてきた。頭が冴えてきた。
「藍に侵攻するは黒のみ。黒に対峙する。霊獣が護りし藍に白も紅も侵攻しまい。だが、白にも紅にも動揺を与えたい」
サンキの声が通った。グレコスはフンと応え、頷いた。ここまでは合格のようだ。
「黒への対峙は先言の通りで良かろう。ただ、人員は増やす。撤退は馬軍故、問題はない。ただ死地に撤退するは得策にあらず。我らの所在を知られてしまうしな。撤退場所と、白と紅へ与える動揺をどうするか? グレコス、こうでいいか?」
サンキはグレコスの反応を伺う。
グレコスの口角が上がる。サンキはそれだけで高揚した。
「撤退場所は船。動揺は……やはり囲めばいいのです。何も囲むは」
「人でなくてもいい」
グレコスに最後まで言わせなかったのはヨシアだ。ヨシアも口角が上がっていた。
「イチ兄さんのように!」
ヨシアは藍の旗を掴んだ。
次話金曜更新予定です。




