昇-1
***昇
岩山の麓。
やはり、イチリヤの予想通り、グレコが岩山を登ろうとしている。必死にリライ達が体を押さえている。
「何を遊んでいるのですか?」
皇子は悠々と麓に降りた。
狼の……いや、狛犬の姿しか知らぬグレコ達は、あんぐりと口を開けた。
「だ、誰だ?!」
グレコが発した。
皇子はそれに答えず、石像を優しく抱えた。
「私は先に行きます」
上空を見上げた皇子はそう言った。
グレコ達もつられて上空を見る。
「あ、ああ! イチ王子様!!」
グレコは叫んだ。岩山から身を投げたイチリヤに、グレコは発狂したのだ。
グレコ以外は発しない。一度、それを見ているからだ。
「うるさい、グレコ」
イチリヤは降りた。皆の前に。
「イ、イ、イチ王子様?」
グレコだけが目を丸くさせ、驚いている。
「グレコ、話は後だ。リライは夜になり次第、森の皆を引き連れて青の国へ向かえ。ニイヤと共に藍の地に戻れ。理由は訊くな」
リライは頷く。理由は一度見ている。岩山を登るイチリヤの背に、それを。
「急ぎます。森を抜けるに三日で行きましょう。目印がありますので迷いませんし。青の国まで半日。準備に半日。そこから藍には……三日、いえ二日で。必ず一週間以内に!」
イチリヤは懐から、文を出す。
「これをニイヤに。リライ、頼んだぞ」
リライの手に、文と始書の本が渡った。
「グレコ、リライと共に青の国に向かえ。だがな、その後は別行動だ」
グレコは未だ、状況が理解できていないのか、口をパクパクとさせている。
「フッ、面倒な奴だな。さっきの黒髪は、こ……狼が変幻した姿だ。本来なら、海隊を扱えるグレコが指揮して、藍に向かえばいいのだが、グレコにはな、グレコにしか出来ぬ右腕としての使命があろう?」
イチリヤはニヤッと笑った。グレコに挑戦するように。そうすれば、グレコが挑んでくるとわかっているからだ。
「当たり前にございます! このグレコ、騎士隊長の補佐にございます。何なりと」
イチリヤの肩がクックッと震える。
「よし、青の国に到着したら、エデンへ向かえ。場所はニイヤに訊け。先に狼が到着しているだろう」
グレコには意味がわからないだろう。だが、イチリヤは理由を言わない。
「訊くなということですか? 行けばわかると」
さすが、グレコだ。イチリヤの意図だけは察している。
「ああ、そうだ。グレコにしか出来ぬことがある」
イチリヤは言い終わると、岩山を軽やかに登った。登ったというよりも跳んでいるようだ。
途中でふと止まり、
「言い忘れた。リライ、案内人にお礼を言ってくれ。ちゃんと別れの言葉を言えよ」
リライは真っ赤な顔で、何とか小さく"はい"と言う。
その横で、グレコとグレコの頭に乗るコロボが"ニヒ"と笑っていた。
狛犬は石像の導を大岩の影に横たえる。
『覚えているか?』
白虎が皇子に問う。
「はい、言霊に出来なかった"言"はしっかり覚えております」
白虎は皇子に問うたこと。それは中断された儀式の最後の"言"
『カルラの復活の"言"だ。長い年月待ったのだ。間違えるなよ』
「はい、白虎様」
皇子は笑んだ。今や、皇子しか儀式を知らない。
エデンに記されていた儀式は、数百年前の中断とともに、消えてしまっている。
そこにイチリヤが戻ってくる。
「すまない。手間をとらせた」
イチリヤは横たえられた石像の導をちらりと見る。
『麒麟は四日後に、エデンに来ましょう』
と、白虎は伝えた。青龍の魂を運ぶは麒麟であるからだ。
「父上は無事青龍を出られるであろうか?」
イチリヤのその問いに、白虎は答える。
『藍の王には、すでに伝えております。ご安心を』
と。
「白虎」
イチリヤは大岩から森を眺めている。
「この森に妖がいるのは、力を集めるためだな?」
藍の王が扱える霊獣に白虎はいない。何故、白虎がこの森に居るか?
『はい、力を集めておりました』
白虎は肯定する。儀式は中断されている。次なる転の刻に必要な力……つまり魂に入れる力を、この森で白虎は集めていたのだ。
「転の刻はきた。だが、導の瞳は藍だ。……どの霊獣の天命なのだ?」
カルラ復活のため、導は藍の瞳である。青龍の儀式のために。だが、本来の転の刻である、霊獣の魂の入れ換えは、導の瞳の色でわかるのだ。
『新しい儀式にございます。
儀式に必要は、
台座
導
言霊の者
魂
麒麟
天命の霊獣
カルラ
カルラはイチリヤ様にございます。
麒麟は青龍復活後にも、藍の王は扱いましょう。
魂はこの森です。
言霊の者はハリャンから力を貰った私にございます。
導はナーシャ様。
そして、
台座となるは天命の霊獣自身。
玄武です。
藍の地と玄武は繋がっております』
次なる転の刻の霊獣は玄武。イチリヤは、白虎か玄武かどちらかであると予想はしていた。
藍の王は、麒麟と鳳凰を落日に喚んだ。その後に青龍に入ったと聞いている。残るは玄武と白虎だけなのだ。
「妹は、最後に黒の瞳になりました。玄武の色です」
皇子が会話に入ってくる。
「私は最初、自分と同じ瞳の色であると、東国の瞳の色であると思っていました。ですが、違ったのです。次なる転の刻の霊獣を示していたのです」
イチリヤは首を傾げた。導から魂が離れれば、自国の瞳の色に変わると、いや、戻ると理解していた。
『不思議なものです。私もそう思っていましたが、ここで力を集め出して気づいたのです』
白虎はそう言うと、イチリヤの座る大岩に飛翔し、森に向けて吠えた。
吠える……吠えた声はない。ただ風が森の木々を揺らした。
『すぐに来ましょう』
白虎の楽しそうな声。イチリヤは、やれやれと事を見守るしかない。
やがて、ぞろぞろとそれが現れる。
黒き目をしたそれ。
「森の賢者か」
イチリヤはなるほどと納得した。喉に引っ掛かっていた疑問も、これで消える。
「何故、賢者だけが"昼夜"森を歩き回れるのか、ずっと引っ掛かっていた。なるほど、賢者は妖ではないのだな」
『はい、力を集める者にございます。その瞳が示すは……』
白虎はそう言ってイチリヤを見る。イチリヤは笑んだ。
「ああ、そうだな。玄武の黒だ」
白虎も皇子も笑んだ。
皆が目指す未来が重なった。
「グレコは四日後に、エデンに着くであろう。皇子よ、青龍に魂を入れよう。白虎よ、玄武に魂を入れよう」
全てはグレコがエデンに到着してからだ。
『私は賢者から力を集めます。皇子は儀式の準備を。イチリヤ様は……』
白虎が蒼天を見上げる。
「飛翔か。皇子、手伝ってくれよ? 飛翔なら私の先輩であろう」
皇子は珍しくイタズラ顔で笑った。
「私は白虎様に手荒に、上空から落とされただけですよ?」
次話月曜更新予定です。




