霊獣の真実-4
深夜。昨晩と違い、光はティンクが放つ光のみ。そして、森の賢者もいない。
「空気が違いますね」
リライは言葉をイチリヤに向けた。
「ああ、湖を境にな」
清んだ空気……
とは違う、凛とした……
いや、言葉で現すことなどおこがましいほどの……
絶対的な、超越的な、空気。
「行くぞ。ここは任せた」
置いていく二人に声をかけ、イチリヤ達は岩山に続く森へと出発した。
ティンクはその姿を光のままにしている。この空気のせいであろうか? それとも……
「ここからは聖域なのでしょう」
リライはティンクの光にそっと触れた。
「最後の夜だな」
二人にしかわからぬ。リライとティンクは優しく輝いていた。
「行きます。山の麓まで案内してくれ」
先頭のリライに続き、六人が後を歩く。最後尾をイチリヤが歩む。
目的の地『大岩』まで、あと一日……
湖の向こうの森と違い、岩山の麓の森は木々が鋭意に天に伸びていた。
槍のような木々の中、イチリヤ達は進んだ。
イチリヤは次第に息が苦しくなる。
ーー知っているーー
この地を私は、知っている。それがイチリヤの呼吸を苦しくさせていた。
最後尾のイチリヤの異変に気づく者はいない。次第に前を行く七人と距離が開いていった。
ティンクの光が小さく点となる。だが、イチリヤは声を出せずにいた。荒い呼吸を静めるため、近くの木に寄りかかり、そのままズルズルと腰を落とす。
「なぜ、私はここに居たのだ?」
湖の向こうの森とは違い、この地の木々はイチリヤなど見向きもせず、ただ天に向かって超越的空気を放っていた。
『目前に答えがあるに、何故ここで留まるのだ?』
狼はイチリヤの横にトンッと着地した。そう着地した。宙から着地したのだ。
そうである、目前に答えはあるのだ。イチリヤは頭を振る。一番は何かと心に問う。
「ナーシャ」
その名を呼んだ。
『白虎様が待っているぞ』
「『ヤコ』が待っているのか。行かねばな」
宙を望んだ。イチリヤの瞳に宙に浮かぶ白き影が映る。答えを知る者が。
「すまない。自分に酔いしれていた」
イチリヤはスッと立ち上がる。座っていた地に、自身の空白を置いていく。
『無理なきこと。我もそうであった。囚われて堕ちたのだ。気付いたときには、もう手遅れだったさ。時間がない、急げ』
狼が走る。イチリヤは追いかけた。次第に聞こえるリライの動揺した声。
イチリヤは大声を出す。
「すまない!」
『我が足止めしていたのだ』
イチリヤと狼の声がリライに届いた。
「騎士隊長!」
へなへなとリライの腰が落ちる。もちろん、他の六人も同様に。
皆の肩に軽く手を置いて回った。
『ここの森は、対岸の森と違った秩序がある。それを話さねばならぬ。我は森の番人であるしな』
気が抜けたリライ達は、狼の言葉で意識が戻る。
『朝陽が昇るまでに、森を抜けねばならん。この森は豹変する。個が持つ力を全て吸い上げるのだ。人の生きるは陽がある刻。その刻が訪れると森は牙を剥くぞ』
ぞわりと背に冷気が降りる。リライ達は身を縮めた。
ティンクが皆の周りをクルクルと回り、それを遮断した。
『気を抜くな。しっかりしろ』
狼が吠える。
「光だけを追えばいいのだ。ここでしなければならぬことの一番を、ただ求めればいい。『天空に願いし一番のことを心に満たす』だったはずだ」
イチリヤはこの森をすでに知っているかのように、リライ達に言った。その言い回しにリライが首を傾げる。
『我がさっき教えた』
狼がイチリヤを一瞥し、リライの疑問に答えた。イチリヤは狼にだけわかるように、"すまぬ"と伝える。
イチリヤの記憶が、無意識に言葉を出していた。それを狼がフォローしたのだ。
「行くぞ。森を抜けねば、力を全て取られる。人であるなら、生きる力全てを吸い上げるのだ。人は妖と違って、神の力も魔の力も持っておらん。取られる力は、命だ」
イチリヤ達は必死に走った。
コロボとの森の進行で、多少の体力がついていたおかげだろう。朝陽が昇るより前に森を抜けることは容易であった。
だが、狼は吠える。
『まだだ。まだ走れ! 森の境界線はあの石像だ』
イチリヤ達と距離を保ちながら狼も追随していた。
遠くに石像らしきものが見える。
近づくにつれ、それが姿として現れる。
白みはじめた空がティンクの光を弱まらせる。隠れた朝陽の光が背後から迫っている。
「急げ! もう少しだ!」
イチリヤ達の遠く背後には、光る山。光山。目前には脆い山であろう岩山。
『光と闇、どちらが正しき導みちびきだ?』
イチリヤの脳裏に幼き日の記憶が甦る。
走りながらイチリヤは叫んだ。
「共に存在してこそ互いが導ける!」
陽が石像を照らすと同時に、最後尾を走っていたイチリヤは、その境界線を跨いだ。
「コロボ! 頼みがある!」
イチリヤはその姿も確認せぬまま叫ぶ。
「湖の岸に行ってくれ。こちらの森に入らぬようにと、伝えてくれ。妖の怪なら、生きるは夜。昼の森なら大丈夫なのだろ?」
狼にイチリヤは視線を送る。フンッと鼻を鳴らした。
コロボが狼の横に現れる。
『承知! 番人殿すまぬ。儂が言い忘れた。飯は儂ら小人が運ぶ故、ここで待たれよ』
コロボは森に消えた。もちろん、陽が昇ったからティンクも消えている。
石像と岩山の間にイチリヤ達は腰を落とした。
皆、息が荒い。いや、イチリヤと狼は普通であるが。
『我の対の者だ。……数百年前、我はここにたどり着けなかった』
狼は石像の傍らで佇んだ。
イチリヤはへたるリライ達をそのままに、狼の隣に座った。
「綺麗な青だな」
イチリヤは狼の毛を撫でた。
『我が成るべき色であった』
狼の声が震えている。
『我は待った。待っていたぞ』
狼はイチリヤに訴えた。
『我を青龍に戻してくれ』
と。
次話月曜更新予定です。




