霊獣の真実-3
食事を摂る。運ばれた食料はすでに調理されたもの。グレコの作った飯だ。
『さすがグレコだな。儂のために作って寄越すとは。後日褒めてやろう』
コロボの減らず口に応える当のグレコはいない。
『……はぁ、飯は最高だが、グレコがいないとつまらんなあ』
コロボの発言で皆が笑う。
「伝令を出してもよいぞ。『グレコがいなくて、昼の案内人が寂しがっている』と」
イチリヤはそう言ってからかった。コロボは慌てたように返す。
『な、何を言っている。儂はイタズラ出来ないのがつまらんのだ。決して寂しくなどない!』
皆は笑う。コロボだけが顔を紅潮させ怒っている。
『いい度胸だ! 今日は難儀だと言ったはずだ。儂はお前たちなど気にせずに進むぞ! 知らんからな、置いていかれても』
仁王立ちのコロボ。
その姿は"どうだ!"と言わんばかりだ。
食事後に、コロボの案内で森を進んだイチリヤ達。昨日と同じようにコロボの残像を追っていた。
やがて、森の木々がまばらになる。次第に開けてくる視界に、イチリヤ達は高揚した。
と、それを見る。
開けた視界の先には、湖が広がっていた。
キョロキョロと辺りを見渡してコロボの姿を捜す。
ーーカサカサーー
葉の揺れる音でイチリヤ達は見上げる。湖の畔に悠々と育った木を。
『とりゃ』
見上げると同時にコロボが木から落ちてくる。
湖に向かって。
ーーチャプーー
水面が可愛く音を出した。
『フハッハッハッハ! ここを渡れねば『大岩』には行けぬぞ』
コロボは水面に立っている。
仁王立ちだ。
"どうだ!"と言わんばかりに。
コロボは皆が戸惑い、悩むと予想していた。難儀とは湖のこと。
しかし、コロボの予想を裏切り皆は歓喜も声を上げた。上着を脱ぎ捨て湖に入る。
「久しぶりの水浴びだ!」
嬉しそうに叫ぶ者。そして、水面に立つコロボに水をかけた。
『うわー、やめろ!』
コロボは水面を走り、湖の畔で立っているイチリヤの肩に飛び乗った。
ハァハァ息をし、
『人は水が怖くないのか?』
と問う。
「ん? 水は、そうだなあ。泳げる者には怖くないぞ」
とイチリヤは答えた。
『そうなのか?! ……皆、泳げるのか?』
コロボは湖ではしゃぐ皆を見る。
「ああ、この隊の者は皆藍の代表だ。復興を成すため……選定したのだ」
選定。イチリヤは思い出していた。グレコが王子の"選定"を行ったということを。自分の、『一の王子』の選定を行ったということを。
イチリヤは思案した。グレコに伝令を出してここに来させようかと。
『ここを渡れば、『大岩』までは後少しだ』
コロボの声でイチリヤは考えを離す。今目指すべきは『大岩』。過去を振り返る時間はない。そんなことは、後でいいのだと。
ナーシャの楔を解く。
藍の復興。
そのためには、多くの答を知っているであろう白虎に会わねばならない。
霊獣白虎に。
「リライ、ここに二人置こう。要所人員がここに到着したとき、対岸に渡ったことを伝えねばならないからな」
リライは頷く。さらに進言した。
「隊の者を順繰りに、ここで水浴びをさせたらどうでしょう?」
イチリヤもそれは考えていた。
「グレコに伝えよう。グレコに任せておけばやってくれよう。それはさておき、今日この湖を渡るかどうかだ」
イチリヤは空を見ながら考える。陽はまだ辺りを照らしてはいるが、夕刻に近づいている色だ。
と、いっても渡らねば夜の進行はできない。
だが、湖を渡るための準備もできていない。濡れた服で対岸に着いてもそれからが大変だ。それに、どう食料を運ぶか。火を運ぶ準備もある。
船はないのだ。
渡るだけなら簡単だ。荷物がなければ。
「そうですね、少し準備が必要ですね」
リライもイチリヤと同じように考えている。
『何を迷っておるのじゃ?』
コロボが訊く。
「身一つで渡るなら容易だが、荷物がある。もちろん、食料もだ」
『なぬっ、食料……。グレコの飯が食えぬのか?』
コロボは食料と聞いて身を乗り出した。
「せめて食料が運べねばな」
コロボの耳がピクンと反応した。
『食料は儂が運ぼう!』
イチリヤは笑った。コロボの食事への執着が可笑しかった。
「コロボ、ありがたいが荷物は多いぞ。そう容易くはないのだ」
それを聞いてもなお、コロボは大丈夫だと胸をはる。
『仲間を呼ぶ。儂らは泳がず水面を歩けるで荷物は濡れぬぞ。任せておけ! そのかわり』
「グレコの飯だろ?」
イチリヤのその返しにコロボは首を大きく頷く。
『仲間の分もな!』
コロボはそう言うと、瞬時に消えた。消えたのは、棲みかに知らせるため。
「……人の歩みは本当に遅いのだな」
イチリヤはコロボが通ったであろう森の揺れを見る。コロボは小人でありながら、イチリヤ達よりも速い。
「妖の力ですね」
リライが呟いた。
「ああ。さ、リライ。我々もコロボが来るまでに水浴びをしよう。その後に荷物を纏めねばな」
イチリヤもリライも湖に入る。
コロボ達小人が着くまで、久しぶりの水浴びを楽しんだ。
……
……
陽は目線を同じくするまで落ちている。辛うじて留まっている。
『時の番人が時間を稼ぐ。急いで渡ってくれ』
小人がイチリヤ達が纏めた荷物を持って湖を走る。コロボ同様に速い。湖を何度も往復している横を、イチリヤ達は泳いだ。
『よーし、最後はグレコの飯だ! 大事に慎重に運ぶぞ』
コロボが小人達と食料を運び始めたとき、イチリヤ達は何とか対岸に泳ぎ着いていた。
コロボは棲みかまで行く途中に、グレコと会いイチリヤ達の状況を伝えていた。
グレコは渋々コロボ達の飯を急遽作ったのだ。
コロボが運ぶ食料が最後、イチリヤ達は対岸への移動が終わった。
コロボはイチリヤの肩に乗って、すぐさま訊く。
『飯、飯を食ってもいいか? 陽が落ちるまでに食いたいのだ』
「ああ、そうしてくれ。小人の皆、ありがとう。飯は好きなだけ食ってくれ」
イチリヤが言い終わるや否や、……言うまでもない。
腹がでっぷりとした小人達が地面に転がっている。
グレコの飯の大半は小人達の腹に消えた。そして……
『今日はほんに上手い飯を食えた。人の作る飯は上手いのぉ。では、儂らは消えるかの』
時の番人が指をパチンと鳴らす。
闇が一気に押し寄せる。待たせすぎだと言わんばかりに。
『朝飯も食いたいのぉ』
声だけが残った。その台詞に皆が笑う。
「笑ってないで早く着替えろ。飯を食うぞ」
そう言ったイチリヤも笑ってはいるが。
濡れた服を脱ぎ、小人達が運んだ乾いた服を着る。濡れた服は木に引っ掛けて干した。
イチリヤは対岸へと視線を移した。灯りが見える。灯りが湖を泳ぐ前に灯したもの。
「まだ来ていないようですね」
と、リライが言った。
対岸には二人置いてきている。要所人員が来たら湖を渡ったと伝えるためだ。
と言っても、コロボが大半を伝えているであろう。だが、イチリヤはそこに人員を置いた。
「ああ、やはり我々の歩は遅いな」
コロボと走って進むイチリヤ達と、目印を確実にしながら進むグレコ達とは差が出るのは仕方ない。
飯の準備もしているのだ。
「あ、来ましたね」
対岸に灯りが三本発った。要所人員が到着したのだろう。灯りが大きく揺れる。
リライも松明を揺らし応えた。
「二人あそこに置けば、順繰りで水浴びも出来よう。ここにも二人だな」
そう言うイチリヤに、リライは少し戸惑いながら言った。
「騎士隊長と私、他六名です。少なすぎませんか」
と。
「……いや、本当ならここからは私一人で行きたいぐらいだ」
イチリヤは視線を対岸から背後の山に向けて言った。湖を渡る前から見えていた岩山脈が、イチリヤ達の前に立ちはだかっていた。
「そのようなこと……」
リライは言葉が止まる。
光がリライの周りを翔んでいた。ティンクが現れたから。
「今日も昨日と同じだ。頼んだ」
イチリヤはリライと光に言った。
ティンクは姿を光のままで、クルンと回転しイチリヤの応えた。リライは少し悲しげにイチリヤに頷く。
イチリヤはリライの表情を見て、困ったように笑った。
「違うぞ、リライ。誤解するなよ」
リライが感じたもの、それは足手まといなのではと。コロボに余裕でついていけるのはイチリヤだけであった。
時おり、先走るコロボを先頭のイチリヤが注意し、スピードを抑える。コロボを追うのではなく、皆はイチリヤの背を追っていたのだ。
「リライならわかると思ったがな」
イチリヤはリライの肩をポンポンと叩く。
「脆い岩山とリライは言ったのだぞ。覚えていないのか?」
リライは小さく"あっ"と思い出した。
「登る人数が多いと、その分危険になるからな」
白沼を回避出来ないかと、リライの隊が迂回路を探したのはもう十日以上前のことだ。
岩山にたどり着き、登ろうとしたものの、脆く断念したことをリライは思い出した。
「やはり、この妖の森は岩山脈に周りを囲まれている。ここに来るには光山からしか来れない」
イチリヤの瞳はやはり岩山を見ている。リライは小さくため息をついた。自分の考えが至らなかったことが、情けなくて。
「リライ、無理はさせない。落盤の危険があるなら、私一人で行くぞ」
その言葉の強さに、リライは自身の想いを抑制した。いや、抑制ではなく……
「はっ! 騎士隊長を信じております」
と、強い言葉に応えるようにリライは言った。




