幻惑-1
***幻惑
光を追う。
リライの心に迷いはない。
「リライ様、どういたしましょう」
前回同様に、光が分裂したのだ。
「少し休憩しよう。皆、喉を潤せ!」
リライは分裂した光を穏やかに眺める。
「リライ様、あれは何でしょうか?」
光の正体である。訊きたいのは。だが、リライにもそれが何であるかは確定出来ずにいた。
「先日の光の道筋は『大岩』までの道のりと同じであったな、コロボ曰く。だから、案内してくれてはいると思う」
「では、あの光が案内人ですか?」
その返しに、リライは曖昧に笑うしかなかった。
「ほら、そろそろ行くぞ!」
分裂した光はまだリライ達の前で浮遊している。
「出発する」
リライはその光に言った。
光は楽しそうに舞っている。リライ達が動き出そうとしたその時、分裂した光は一方向に進み出した。
「着いていくぞ」
光を追う。
リライの心に迷いはない。
さらに奥へ、奥へ……
光が速度を速めた。
「止まれ!」
リライは隊を止める。だが、光は止まらない。
「リライ様、追わなくて良いのですか?!」
慌てたように配下が進言した。
「良い。ここで留まろう」
しかし、数名が光を追おうとした。
「行くな!!」
リライの厳命が飛ぶ。だが、光に惑わされた者が走り出す。
「クソッ! 捕らえよ! ここに戻せ!」
隊は走り出した数名を捕らえるため、分散する。それは正に先日と同じような様になりつつあった。
「リライ様、今宵我らは離れません」
先日、リライと離れ光を追った者はリライの元で待機していた。
「三名です。三名ずつ追っています」
走り出した者は三名。それを追う三名ずつの班。そして、リライの元に三名。
リライは舌打ちした。これでは全く前回と一緒であるのだ。
「我らはここで留まる」
「はっ」
耳を澄ませ待機する。時折、森からガサガサと音が聞こえる。
「捕らえたようですな」
配下の一人が言った。が、リライはその発言に首を振った。
「いや、違う」
ガサガサが近づく。
「いいか、剣を抜くなよ」
リライは小声で伝えた。先日と同じ気配をリライは感じていた。
「惑わされるなよ」
小さく小さく言う。三名とリライは頷き合った。
ーーガサガサーー
ーーガサガサ、ガサッーー
『こんばんは』
魅惑の声は目前にあった。
リライ達は目を見開き、口もアングリと開け、固まった。
薄すぎるドレスを身に纏った美女が目前で微笑する。
『……素敵な殿方様』
しなやかな指がゆっくりリライの頬に届く。
「やっ、いや、待て」
リライは慌てて後ずさる。
『イヤよ。待てないわ』
しなやかな指がリライを追う。
頬に達した指が遊びながら降下する。
リライは固まったまま。
『行きましょ』
しなやかな指がリライの腕を掴み、大胆に腕を絡ませる。
「ちょ、ま、待て」
リライは何とか声を出したものの、どうしたらよいのかわからない。
『イヤよ。待てないわ。ウフフ』
先程の会話を繰り返す。
「あ、案内人であるか?」
リライは問うた。
『ね、行きましょ』
問いには答えず、体をさらに寄せるその者。リライは熱くなる。身体中が熱くなった。
「は、離れてくれ!」
リライは勢いよくバッと腕を離した。
『……バカ』
その者は拗ねたように言い、瞳を潤ませる。
「や、ち、違うぞ。その、なんだ……」
オタオタとするリライ。
「リライ様、そのぉ、こういうときは、そーっと肩を抱きましてですね」
配下はニタニタしながら進言した。進言と言うよりも……
「なっ! 何を言っている? 私はだな……」
リライの顔は真っ赤だ。
「我々はちょっと後ろで着いて行きますので、どうぞ案内人様の気を害しませぬように」
配下はそう言うと、ささっと移動した。正に早業の如く。リライに返答をさせる時間を与えなかったのだ。
「まっ! て……」
待ては届かない。リライは頭を抱えた。
『行かないの?』
その声は少し遠慮がち。リライは振り向く。
「……」
その者はリライが振り返ったと同時に、数歩離れた。その態度にリライは何故か苛ついた。
いや、その感情は……
「何故、離れる?」
リライは一歩踏み出す。
一歩下がる。その者が。
『だって、さっき……離れてくれって言ったもの』
瞳はまだ潤んでいた。
「あ、あまり離れては……話がしづらい。も、もう少し近くても良い」
リライは顔が熱かった。
ちょこっと、ほんの小指ほど近くに動いただけで、二人の距離は縮まらない。
『行きましょ』
その声も何故か沈んでいて、リライは胸が詰まった。
「……寒くないか?」
リライは羽織っていた上着を脱いで、グイッと差し出した。
『寒くないよ。行こう、陽が昇ってしまうわ』
差し出した上着をギュッと握る。引っ込みがつかず、リライは乱暴にその者の肩に羽織わせた。
「行かない。ここで留まる」
リライはプイッと視線を反らした。上着をかけたものの、薄着の姿に目のやり場に困っていたのだ。
『私、いらないの?』
その声は震えていた。
「違う!」
ーーボワンーー
視線を戻すと、光が弱々しく浮遊していた。そして、姿はない。その者の姿はない。
「なっ、ぜ……」
リライは光に手を伸ばす。逃げるように光はリライの手を避ける。
「……ごめん」
何に対してなのか、リライにはわからないが、口から出た言葉は謝罪であった。
「それから、姿を見せてくれてありがとう。す、すごく綺麗で!」
リライは俯いた。
「すごく綺麗で、ど、どこを見ていいか……わからなくて……」
言葉は拙いが、リライの誠意が現れている。言っている本人は、いっぱいいっぱいで、どう言葉をしめたらいいかわからない。
「……びっくりして、き、綺麗過ぎるから、私は慣れていないのだ、女に……、だから、その、失礼があったと思う」
最後には蚊の鳴くような声になる。
『訊いて下さいませ』
その声に、リライは俯いた顔をバッと上げた。
「あっ……」
嬉しそうな顔でリライを見つめるその瞳は、
『先に私が訊きますわ。お名前を教えて下さいませ』
と、キラキラと輝いていた。
「あっ、えっと、リライだ」
リライの視線は何とか瞳に留まっている。いや、瞳以外には移せないのだ。先程よりもさらに薄いドレスだったから。
『リライ、ねえ、訊いて下さいませ』
「何を?」
『私にも名前を訊いて下さいませ』
リライは目を見開いた。
妖の世界では名前が支配の象徴であるのだ。コロボも言っていた。名前を知られることは、支配されることであると。
「名は……訊いて良いのか?」
『訊いて下さらないの?』
またも潤んでくる瞳に、リライは慌てた。
「名を! 名を教えてくれ。私は、君の名前を知りたい」
口はカラカラに乾いている。リライは決心し、一歩踏み出す。その勢いを借りて、しなやかな手を掴んだ。
「もう、消えないで。名前を教えて。わ、私の傍に来てくれ」
リライはカチンカチンで、甘い言葉を吐いた。
『ティンク』
ティンクはリライの耳元で、小さく告げた。
『リライにだけ。ティンクよ。リライだけ私を捕まえられるのは』
リライの胸はドクドクと鼓動する。耳元が熱い。体が熱い。
ティンクはリライの右腕に絡み付いている。
「ティンク、す、すまぬが、さっきの上着をかけよう。私には、その姿は……」
『ど、して? 殿方はこれがお好きと聞いたのに……』
ティンクはシュンとし、また沈んでいく。
「だ、誰に聞いたのだ? 私は、私は……そ、その姿も好きだが、そういう姿は、その……好いている者だけに見せるものだぞ」
『まあっ! ウフフ、では間違っていないわ』
ティンクは嬉しそうにリライに体を寄せる。
「なっ、んっ? え?!」
リライの目は泳ぐ。泳いで、泳いで、行き着く先はティンクだった。
『ねえ、リライ。どうしてここに留まるの?』
「え……っと、隊が分散した。……光を追って。ここに集合するように言ってある。だからここを動かない」
リライの瞳はティンクに真っ直ぐ向いていた。光の正体を確認するために。
「ティンクは光か? ティンクは案内人か?」
リライの問いに、ティンクは頷く。
「光はなぜ分裂した? あの分裂した光もティンクかい?」
ティンクは小さく口を尖らせる。
『違うわ。あれは森の光よ。リライは私だけをずっと追いかけてきたのでしょ? 森の光と私を間違えたの?』
リライは首を振った。
「私は一番優しい光を追った。この前も、今日も、優しい光だけを追っている」
ティンクは嬉しそうに、リライに抱きついた。
『リライ!』
「わっ! ま、て……、ああ、もう……」
慣れていないのだ。だが、リライは恐る恐るティンクを抱きしめた。
『ね? 捕まえられるのはリライだけでしょ』
ドクン
リライの胸がまた高鳴る。
二つの熱が一つになる。リライの体が光出す。
『あげるわ、リライ』
囁きの後、ティンクはリライから離れた。
リライは離れたティンクが名残惜しいのか、その手を掴んだまま。繋がった手の変化は一目瞭然で、リライは目を見開く。リライの手は淡く光っていた。いや、手だけではない。体全体が光っていた。
「こ、これは……?」
『これで私と一緒よ。昼に会えなくても、私はリライと共に居るわ』
ティンクは微笑んだ。
リライは光る自身をまだ信じられず、あちこちと眺めるばかり。
『リライと繋がった光が私よ。次からは皆惑わされないわ』
その言葉にリライはハッとする。ティンクの心遣いに、
「ティンク、ありがとう」
と、言った。
ティンクは嬉しそうに笑う。
だが、やはりリライの瞳は泳ぐ。やはり、目のやり場に困る出で立ちだからだ。
「……あのぉ、リライ様。いいですか?」
背後で遠慮がちに声がかけられた。
リライは振り向く。そこには、分散した兵が戻ってきていた。
「ヨシ! 戻ってきたのだな」
リライは一安心し、皆を見渡す。が、その皆の視線が自分に向いていないことに気づく。リライは気づくのだ。その視線の意味に。
デレッとした者。
凝視する者。
視線を外しながらも、チラチラ見る者。
リライは咄嗟に立ちはだかる。
「見るな!」
リライはティンクを背に隠す。
「お、お前たち、離れろ! 見せもんじゃねえ!」
リライに似つかわしくない、荒れた言葉に隊員は……怖れるはずもなく、ニヤーと笑って、
「はっ!」
と後退した。
リライにもわかる。隊員たちの態度の意味は。
「あっ……」
リライは、そう漏らすと力の抜けたようなため息を吐いた。で、項垂れる。
『リライ?』
ティンクはリライの背に体を寄せる。
「っ……何だ?」
背に感じるティンクの温かさにリライは目眩を起こしそうになる。そう、二つの温もりに。
背中に押される二つの膨らみの柔らかさに、リライは心臓がバクバクと躍る。
「その、何だ……。ティンク、で、出来れば衣服をな?」
リライは顔を背のティンクに向ける。ティンクは背中越しでリライを見上げていた。
『この服はリライにだけ?』
「そ、そうだ。その格好は俺にだけ。違う衣服に出来るか?」
ティンクは頷く。
ーーボワンーー
一瞬でティンクの服装は変わる。
くるんと回転し、リライに笑顔を向けたティンク。
『これでいい?』
「……ああ」
リライはまたも呆気に取られた。ティンクはリライの服装と全く同じだったからだ。
『リライ、まだ留まるの?』
「は?」
『だって、皆集まったのでしょ?』
リライはここに留まる理由がないことに、ティンクの言葉で気づいた。
「出発する。ティンク、案内を頼む」
『リライ、光は繋がるから』
ティンクは手をはにかみながら出した。
リライはティンクの手を優しく包む。
光が繋がる。互いに微笑みあう。
「行くぞ! 着いてこい! 私と繋がった光が案内人の光である。他の光に惑わされるな!」
リライは遠巻きにいる隊員に告げた。
「はっ!」
次話月曜更新予定です。




