声に出せない想い
***声に出せない想い
リライは夜空を見上げた。星の位置を確認している。
リライは冷静、慎重な性格だ。反してグレコは豪快、無鉄砲である。そのグレコが森をずんずん進み、森の案内人コロボを引き連れて帰ってきた。
そして、リライに課せられたのは、もう一人の案内人の捜索である。
リライに小さく宿る闘争心。だが、リライはそれを認めない。功績は求めるものでない。他人よりも優位に立ちたいという気持ちは、リライにとって受け入れ難い禁忌なのだ。
だが、やはり心は燻ってしまう。グレコに出来たのだから、自分もと。
イチリヤは炎を消した。
グレコは案内人を連れてきた。
ならば、自分もと。
グレコのように嘘をつくこともなく、堂々と連れ帰ってきたいと思うのだ。そんな気持ちが浮かんでは、それをかき消すように、押さえつけるように、「求めてはいけない」と、小さく呟くのだ。
心を落ち着かせる。いつもの自分でと、夜空を見ながら。
「拠点上空の赤い星が見えるか?」
隊員に向けリライは話す。
「あれが指標となる星だ。夜の森では方向がわからなくなるだろう。もし迷ったなら、あの赤い星を目指しこの岸までたどり着け」
冷静、慎重に。リライは隊の者を見渡す。
「五人一組、三班で動く」
リライは十五名の隊員を三つに分けた。班の先頭に松明を持たせる。これで、暗い森に三つの灯りが目印になる。
「松明の灯りが離れぬように、一定の距離で動くぞ。距離は槍十本ぶん程度。案内人からの接触があった場合、口笛で報せよ」
リライの慎重さがうかがえる指示であった。
「出発!」
三つの灯りは対岸のイチリヤからも見えていた。その灯りが森に消える。リライの隊が動き出した。
イチリヤはそれを確認すると、グレコを呼んだ。
「騎士隊長、何ですか?」
グレコはのそっとイチリヤの横に立った。その顔には若干の疲労が。
「イテッ、コラ! 引っ張るな」
背中に張り付いているコロボが、グレコの髪の毛を引っ張ったのだ。
「グレコも大変だな。ハハッ」
イチリヤは笑う。グレコはそんなイチリヤを恨めしそうに見ていた。
「コロボ、ちょっとグレコと話すことがあるんだ。イタズラは抑えてくれないか?」
「わかったぞ。十分楽しんだ故、儂は別のイタズラを考えておく。じゃあな、グレコ」
コロボはグレコの背中から降りて、拠点で休む者の方に歩いていった。その足は、そろーり、そろーりと。コロボは拠点の者にイタズラするのであろう。
「いやあ、参りましたぞ。あれのイタズラはしつこい」
グレコはコロボに引っ張られた髪を撫でて戻した。
「すまんな、グレコ」
そうは言うものの、イチリヤの目は笑っている。
「全くですぞ。それで、何の話です?」
イチリヤには訊きたいことがあった。狼が言っていた『カルラの刻印』である。
「……刻印の話だ」
イチリヤは、敢えて『カルラ』を口にしなかった。
「刻印ですか?」
グレコは消えた刻印を撫でる。白沼の泥で綺麗に消された刻印を。
「ああ、そうだ。刻印のことを詳しく訊きたい。藍の落日で、私は父上から刻印について詳しくは聞いていない。グレコなら、わかるであろう? 私の選定はグレコが行ったと聞いている」
グレコは"ああ、そうか"と小さく溢した。
「そうですな。確かに、選定のことを王子様方にお伝えしておりませんな。藍の掟、いえ、藍の藍たる決め事は、王様と王子様の重要な任でした」
「今となっては、それを伝えることに意味は無いがな。覇者様が藍の王とおなりになる。ナーシャと共に」
イチリヤの声に抑揚はない。グレコは、眉を寄せた。
「本来なら、イチ王子様がナーシャ様と藍を治めるはずでした」
グレコは言葉を続けた。
「紅の王子に見つかりさえしなければ、ナーシャ様は隠妃様になり、イチ王子様と結ばれ」
「グレコ、刻印のことが知りたいのだ」
イチリヤはグレコを止めた。今更、変えることの出来ない過ぎ去った過去である。
「……はっ」
グレコは唇を噛み締める。
「グレコは刻印の王子であったな。グレコスも」
イチリヤは刻印の話を進めるが、グレコはまだ悔しそうに、唇を噛み締めている。
「……グレコ、藍は生まれ変わる。覇者様がきっと、藍を復興させてくれる。過去を想うな。未来を見よ。と言う私が刻印について訊くとはおかしいかな」
グレコの顔が崩れる。
「本当にイチ王子様はお強い」
「騎士隊長だ。バカめ」
イチリヤは笑顔を見せた。グレコはやっと気持ちが切り替わったのか、力を抜いた。
そして、藍の刻印の話をはじめた。
「そうですなあ……。本来なら王様から伝えることです。刻印のことだけというのは、少々難儀ですので前後のこともお話しましょう。ただ、イチ王子様とナーシャ様で置き換えてお話します」
イチリヤは少し考えてから、軽く手を上げ了承を示した。グレコは頷く。
「まず、藍の血は姫様に受け継がれます。そして、王は藍の民に受け継がれる」
「ああ」
イチリヤは相槌をうつ。
「本来ならイチ王子様が三十歳、ナーシャ様が二十歳になられましたら、婚儀が行われる予定でおりました。婚儀後、ナーシャ様は隠妃様となります」
イチリヤは頷くだけで、グレコの話を聞く。
「そして、隠妃様がご懐妊されると同時に、刻印を持つ王子の選定が行われるのです。ご出産を前後して王子様は決定されます」
グレコは話しながら思い出していた。14年前の選定の日のことを。顔が歪む。
「グレコどうした?」
「いえ……、思い出しておりました。イチ王子様を選定した日のことを」
イチリヤはグレコに顔を向ける。その顔が苦悶の表情であるのに気づく。
「私の選定に何か問題があったのか?」
イチリヤは覚えていない。斬られた翌日に高熱を出し、記憶が飛んだのだ。
「いえ……。ナーシャ様誕生の際に、リシャ隠妃様は出産で命を落とされております。それを思い出しまして」
「ああ、聞いておる。命がけの出産であったと。そして、誕生したのは『導』であった。故に父上は、その誕生さえも隠したと。藍が戦火に巻き込まれぬために」
王とグレコ、グレコスは記憶が飛んだイチリヤに、真実を話せなかった。何故なら、イチリヤはそれ以前のこともいっさい覚えていなかったのだ。
「ええそうです。話が反れましたな。刻印に戻しましょう」
イチリヤは頷く。
「ご懐妊と同時に藍中から、『藍の刻印』を持つ子供を捜します」
ここからが本題である。イチリヤは気が急き訊くのだ。
「刻印に決まりはあるのか?」
と。『カルラ』という決まりが。
「決まりですかな。藍の痣を持つこと。次期王様の痣は『一』、二の王子様は『二』、三の王子様は『三』」
何故か、グレコは言葉を止めた。言うまいか迷っているようだ。
「四の王子は『四』か?」
イチリヤは問う。
「いえ、四の王子の選定はありません」
驚くイチリヤに、グレコは言葉を続けた。
「藍の王子様の選定は、『一、二、三』までです。ずっとそのように受け継がれております。私は三、グレコスは二でした」
「待て、ではヨシアは?」
イチリヤは問わずにはいられない。
「はい。ヨシア様に『四』の刻印はありません。ですが、『三』の刻印がありました。……導の誕生、三の刻印者が二人。14年前の藍の異変です」
グレコは大きく息を吐く。
イチリヤは混乱していた。だが、その事実が何かを変えることはない。イチリヤは気持ちを落ち着かせる。知りたいのは刻印についてだ。
「ヨシアが何故ずっと頭に布を巻きつけているかわかったよ。三があるのだな?」
グレコが伝えたいことをイチリヤは察した。
ヨシアは幼少からずっと頭に布を巻きつけている。藍王の厳命であった。
「はい。サンキ様だけを選定することも出来ませんでした。どちらもハッキリ『三』でしたので。なので、幼いヨシア様を『四』としました」
前例のないことが14年前に起きたのだ。
「ニイヤ様は首筋に『二』、サンキ様とヨシア様は額に『三』。イチ王子様は左肩に『一』」
グレコは坦々と話す。その口から更なる事実が告げられる。
「イチ王子様だけです。体の後ろに刻印を持った者は。私は右頬。グレコスは左頬。藍王様は、左胸。先代の王様は右胸。先々代の王様は右腕に」
イチリヤは無意識に左肩を触った。
「イチ王子様、これが刻印の全てです」
グレコは頭を下げる。
「待て、全てか?」
イチリヤは突如終わった話に戸惑う。『カルラ』について、グレコは知らないのかと。
「……王子様の身寄りですか?」
グレコから出た言葉が、イチリヤには理解出来ず、押し黙る。知りたいのは『カルラ』
だが、グレコは黙ったままのイチリヤに、訊きたいことはこれなのかと、話すのだ。
「王子様の選定では、無闇に痣を持つ者を奪ってはきません。藍の国は深き愛の国。孤児院を探し回ります。身寄りは居ないのです。王子様は皆、父ぎみ母ぎみのことを知らない。覚えていても幼き頃のわずかばかりの記憶です」
グレコは勘違いをしていた。刻印で引き裂かれた親子の話かと。
「あ、ああ……。いや、そうではなく」
イチリヤもその勘違いに気付いてはいるものの、『カルラ』について口に出せずにいた。左肩が熱いのだ。痛いほど。……口にするなと警告されているようで。
グレコは訝しげにイチリヤを見る。
「他に知りたいことが?」
イチリヤは考えた。グレコは『カルラ』を知らない。知らされたことは、14年前の異変。
刻印『三』の双者
刻印『一』の不視
導の誕生
狼は何故知っている?
藍のことを何故知っているのか。そして、『カルラ』とは? 何故、自分の刻印は視えないのか? 何故『三』は二人なのだ?
「イチ王子様?」
グレコの呼びにも気づかず、イチリヤは考え込んだ。
「……騎士隊長?」
グレコは呼び名を変えて、イチリヤを呼ぶ。やっと、それに気づいたイチリヤは、
「あ、ああ。すまない。混乱しているのだ」
と言い力なく笑った。
「そうでしょうな。未だに私も混乱してます」
グレコはイチリヤを気遣う。
「そうだな。ああ、そうであろう。グレコが選定を行ったのだものな。皆、14年前に混乱したのだろ?」
「はい、今でも混乱です。だからここに居るのです」
グレコは沼地を眺めた。
イチリヤも同じく眺める。
「混乱を鎮めよう。覇者様がきっと治めてくれる。ナーシャの導きで、覇者様が藍を復興するさ。新しい藍に刻印は無くなる。藍の血と覇者様の血が、これからの藍を作っていくから」
胸の奥に閉じ込めたモノが、チクリチクリとイチリヤの心を射す。だが、イチリヤは認めない。
リライと同じく、それは禁忌であるから。だから言うのだ。
「大事な妹だ。覇者様ならきっと幸せにしてくれる。グレコ、必ず白虎に会わねばな」
と。
グレコは頷くものの、心は晴れない。イチリヤが藍を復興する。そう信じているし、そうなって欲しいと願うから。
その背を見る。グレコはイチリヤの背に刻まれたモノを。あの日のイチリヤを。幼いイチリヤがナーシャだけを見ていたあの日を。きっと、結ばれる。そう思った。いや、そうせねばと。グレコはあの日、幼い『一』の王子に未来を託した。
導と藍を守ってくれと……




