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覇者の導べ  作者: 桃巴


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『声』刻まれし記憶-3

 見慣れない天井。だけど、すごく安心する。

 何処?

 ゆっくり目を左に動かした。……何もない壁。今度は右に。

「え?」

 声が上げてしまった。

 その背は、一瞬にして消える。シャツを羽織った背中は、一度見たそれが幻かのように、真っ白だ。

 振り返った顔に、心が暖かくなる。私の大好きな、「イチ兄」だから。

「起きたか?」

 真っ白なシャツのボタンをとめながら、イチ兄が私に近づく。

 顔が熱いのは何故だろう? イチ兄の肌に触れたいと思ったの。

「何故?」

 何故、私はここにいるの?

「ソフィア姫はもう一日滞在するそうだ。ナーシャ、泣き疲れたんだろ?」

 ソフィア姫……急速に記憶が蘇る。

「あ、あ……どうなったの?」

 イチ兄の瞳が少し揺れた。

「大丈夫だ、ナーシャ。もう少しお休み」

 頭を撫でられる。どうしてかな? どうして、私はこんなに子供なんだろう? いつもなら、嬉しいはずのイチ兄の手を払いのけた。

「ナーシャ?」

 涙が溢れた。その涙さえ、出ていることに悔しさを感じるの。

「子供扱いしないで!」

 その叫びも子供っぽすぎて、私はまた悔しくなった。

「……ナーシャ。じゃあ、手を握らせて」

 イチ兄は私の手にソッと触れた。何故だろう? ドクンと熱くなるのは。

「ナーシャ、そうだよな。もう大人にならなきゃな。……いや、素敵な女性に。覇者様の横で凛と立つ女性にな」

「え?」

 覇者様?

「ナーシャは自分が導であることはわかっているだろ?」

 頷く。だから、こんなことになったのだもの。

「いつか現れる覇者様のためにも、ソフィア姫に色々と教えてもらいなさい」

 さっきまでは、子供な自分が嫌だったのに、今度は大人扱いされる自分が嫌になる。ううん、イチ兄の口から覇者様のことが語られて、心がざわめいたの。

「ナーシャ、今度はどうした?」

 繋がった手を強く握った。

「イチ兄は、ずっと私を守ってくれる?」

 どうしようもない、子供っぽい言葉。

「ああ、当たり前だろ。世界で一番可愛い妹だ」

 ズキンと痛む何か。

「イチ兄がいればいい。覇者様は現れなくていいもん」

 わかってる。こんな言葉に意味がないことも。だけど、甘えたくなるの。イチ兄が少しでも私から離れようとすると。

「覇者様に私を押し付けて、イチ兄は何処かに行っちゃうんでしょ!!」

 心の不安をイチ兄にぶつけた。

「何処にも行かないよ。ナーシャの傍にいるよ」

 その言葉が欲しいがために。だから、私は子供なんだ。そして、また矛盾に陥る。こんな子供っぽいこと嫌なのにって。

「ナーシャ、気づいてる?」

 イチ兄が私の手を両手で包んだ。

「ここ、俺の部屋だよ。ナーシャはやっと、扉の外の世界に出たんだよ」

「へ?」

 イチ兄はクスクス笑った。

「ここは俺の部屋。ナーシャがずっと住んでた部屋じゃない。あの部屋を出たんだ」

 そ、そっか。キョロキョロと、部屋を見回した。

「どう? 新しい世界は?」

 新しい世界? 新しい世界なのかな?

「……でも、外じゃない。部屋にいるのは一緒だよ」

「だけど、ナーシャが来たことのない場所であることは確かだろ? 新しい場所は、どう? 怖い?」

 怖いわけない。イチ兄がいれば、何処だって怖くない。

「怖くないよ」

 イチ兄はうんうんと頷いて、ソッと手を離した。寂しくなる私の手は、ベッドのシーツを握る。

「新しいことは、案外平気なものだよ。ナーシャ、この藍に怖いものはないよ。だから、な?」

 ……わかってる。

 わかってるけど、それでも一歩を踏み出すことは怖いもの。

「いつか、ナーシャは外の世界に立つんだ。その時に、怖がって下ばかり見ているナーシャでは駄目なんだよ。真っ直ぐ前を向くナーシャでないとな」

 どうしてだろう?

 子供でいたい。

 子供扱いは嫌。

 大人になりたい。

 大人になるのが怖い。

「イ、チにぃ……」

 心が苦しいの。

「ナーシャは、もう俺の手ばかり掴んでいては駄目なんだよ。色んなことを、色んなものを、色んな人と、向き合って強くなるんだ」

 首を横に振る。イチ兄の手がいい。イチ兄の手以外はいらない。……そんな我が儘を言わせてくれない。だって、イチ兄はさっき手を離したもの。わかってる。さっきイチ兄は、手を離したイチ兄は悲しげだった。

 涙がシーツを濡らす。いつもなら、頭を撫でててくれる手は、握りしめられている。イチ兄のそんな拳を見てしまったら、我が儘なんて言えないよ。

「も、もぉ、……あま、えない」

 やっと出せた言葉に、イチ兄は頷いた。

 だけど、

 だけど、

 だけど!!

 私はベッドを飛び下りた。胸に飛び込む。イチ兄はしっかり受け止めてくれた。でも、抱きしめてはくれない。揺るがずに立っているだけ。

「……ナーシャ、言ったそばから甘えるのかい?」

「違う! 甘えてない!」

「俺はもうナーシャを抱きしめてはいけないんだ。これからは、覇者様がナーシャを抱きしめてくれる」

 違う! 違う! そうじゃないんだよ、イチ兄。

「私が! 触れたかった」

 ドクドク胸が波打つ。

「甘えてない! 私はただイチ兄に触れたかった。触れたいと思ったからここに飛び込んだ」

 甘えていない。

 我が儘でもない。

「ずっと、イチ兄がしてきたように、今度は私がイチ兄を抱きしめるの。手を握るの。頭を撫でるの。私がイチ兄のお世話をするの!!」

 手が震える。イチ兄のシャツのボタンを外す。

「ナ、ナーシャ?」

 イチ兄の狼狽えた声に、私はゾクゾクした。イチ兄を狼狽えさせたことが嬉しかった。

「着替えの途中だったんでしょ? 私が起きたから、着替えなかった。違う?」

「まあ……そうだけど」

 イチ兄は、フゥーっと息を吐いて、私の手を止めた。

「着替えぐらい自分で出来るよ」

「駄目、練習だもん。覇者様のお着替えのお手伝いの練習。私、このままじゃ、何も出来ない子だよ?」

 チクンとする胸。だけど、こう言えばイチ兄は納得するはずだもの。

「ナーシャ、着替えの手伝いがいるのは、ドレスを着る姫だけだよ。……普通は侍女がする。だけど、ナーシャは俺がしてきたね」

 体が熱くなる。今まで何とも思っていなかったのに。イチ兄に着替えを手伝ってもらっていたことが、すごく恥ずかしい。

「お、おあいこでしょ! だから、私もイチ兄の着替えを手伝うの。私がしたいの。だって、殿方の服がどうなっているかも知らないなんて、覇者様に恥ずかしいもの!」

 意固地になってるのはわかってる。だけど、はじめてのことは全てイチ兄がいいの。

「……じゃあ、上着だけだぞ」

 やっぱり、イチ兄は折れてくれた。……もう一度、さっきの背中が見たい。慣れないから、ボタンを外すのも時間がかかった。なかなか手の震えが止まらない。

「ナーシャ、ありがとう。もういいよ。よく出来ました」

 まだ、ボタンを外しただけなのに。

「ほら、ベッドに行ってお休み。明日、ソフィア姫から色々教えてもらいなさい。男の俺では教えられないことがあるしね」

 イチ兄がそう言って、背を向けた。心の中のモヤモヤしたものは何だろう? その背中に手を伸ばす。

「ちゃんと、着替えて」

 もう一度ボタンを閉めはじめたイチ兄に言った。

「……」

「……」

 無言が苦しい。

「ナーシャ……それは、覇者様」

「今、覇者様は関係ない!」

 イチ兄の口から覇者様が出るのが、嫌で叫んだ。

「どうして? どうして、見せてくれないの?」

 イチ兄はきっと背中を見られるのが嫌なんだ。だけど、嫌なことだってわかっていても、私はそれを見たくてたまらない。

「ナーシャ、……さっき見たのか?」

 ーードンッーー

 背中に抱きついた。

「教えて? どうして、傷があるの?」

 教えて。イチ兄、お願い。腰に巻つけた手をギュッと強めた。

 イチ兄がその私の手を優しく擦った。

「馬鹿だな。そんなに思い詰めるほどのことじゃないさ。傷を見たら、ナーシャが怖がるんじゃないかと思ってさ。ほら、手を離して。シャツが脱げないだろ」

 巻つけた手を離すのに、こんなに心が悲しくなるのは、寂しくなるのは、何故? 見たいはずの背中に、わからないようにそっと口づけた。そこに私がいた痕跡を残しておきたくて。手を離す寂しさを、さっきイチ兄は感じていたのかな。こんな想いをして、大人になるのかな?

 目の前で、シャツが脱がれる。その背中の傷に、ドクンッと胸が熱くなった。

「……ナーシャ、もういい?」

 イヤ。

 手を伸ばす。背中に触れる瞬間、体は離れた。

「さすがに、寒い」

 新しいシャツをイチ兄が羽織る。

 触れたかった。あの傷に心がざわめくのは、怖いから? ううん、怖いなら触れようとしないもの。胸がキュゥっと締め付けられた。

「ナーシャ、どうした?」

 振り返ったイチ兄は、切ない顔で私を見る。切ない顔だとわかるのは、私の頭に伸ばした手が途中で止まったから。

「もう、頭撫でなくても大丈夫だよ。私、頑張るから」

 強がりを言うのは、きっと私がまだ子供だから。強がりだとわかるのは、きっと私は……

「もう、子供じゃいられないものね」

 少しだけ、背伸びをした。

 ……

 ……

『ウフフ』

 漏れた笑みと一緒に、流れた。頬を涙が伝いくすぐったい。

『イチ様……』

 今ならわかるわ。私はあの日、大きな一歩を踏み出した。気づかなかったことに、気づきかけて、それを掴みたくて足掻いたのだもの。

 今なら、わかるの。掴みたかった何かが。

『イチ様』

 声に出す。

 もちろん、聴こえない。だから、声に出すの。思いっきり声に出すの!

『イチリヤ様!!』

 何度も、何度も叫んだ……

 ……

 ……




「すぐに! すぐにサンキ様にお伝えしろ!」

 隆起した藍の大地を見たリーフは、緊迫した声を出す。グレコの息子リーフである。

 リーフ達偵察兵は、白と紅の陣地の狭間に、偵察の拠点をもっていた。大地を掘り、落とし穴のようなその拠点から、藍の大地を見守っていた。

 ちょうど、各国が陣地を作り船で藍に乗り込もうとしていた時期からである。

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