『声』刻まれし記憶-2
藍の城 最下層
藍王の隠妃が赤子を産んだ。
隠妃の名は『リシャ』
「リシャ様、おめでとうございます!」
侍女は歓喜の声を上げた。
「ありがとう……、姫よね?」
リシャは額に汗をかき息づかいも荒い。だが、確かめる。確かめなくてはならないのだ。藍の王の妃として。藍に選定の王子を招くため。
……歴代の藍の王には、姫しか産まれない。それは、藍の血の継承である。
藍の王は刻印を刻まれた者、藍の妃は藍の血を受け継ぐ者とされてきた。
「……」
産婆は答えられずにいた。
リシャに不安が押し寄せる。
「王子なの?!」
侍女がリシャの不安を口にした。
「オギャーオギャー」
赤子は大きく泣いた。
「……いえ、姫様にございます」
産婆はそう言うものの、声は震えていた。
「では、こちらへ。赤子を抱かせて」
リシャは疲れはてた体を、侍女に手伝ってもらいながら起こした。
産婆は、震える体をヨタヨタと動かし、赤子をリシャに差し出した。
「我が藍の姫よ……」
リシャの腕に赤子が移る。が、リシャはそれを確認すると、穏やかだった顔が一変し、驚愕のそれに変わった。もちろん、隣にいた侍女もである。
「し、るべ……」
産婆は口にした。
「導……」
リシャは我が子をそう呼ぶ。
「あ、あ、藍の導!」
侍女は叫んだ。
産婆はビクンと体が跳ねた。そして、勢いをつけひれ伏す。
「どうか、どうか、私の命をおたちください」
産婆は悲鳴のように叫んだ。
「藍の国が滅んでしまいます。藍の国は小国。導の誕生は、きっと他国に脅威となりましょう。いえ、脅威ではなく……強欲の対象となりましょう。藍は戦火に包まれまする。どうか、どうか、私の口を音の出せぬ者にしてください」
産婆の叫びに、侍女は震え出す。
「そ、そんな……。ち、違うわ! 導様がいれば、覇者様が現れて、藍を守ってくれますよ。そ、それに、導様は姫様です。『一』の刻印の王子の隠妃様になるのですよ?」
侍女は震えながらも早口で捲し立てる。
「導様は覇者様と対になられるお方です。刻印の王子は……」
産婆は難しい顔になる。
「そうね、そうよね……」
リシャは憂いをおびた声で、そう呟いた。
「リシャ様?」
侍女と産婆は、リシャに顔を向けた。
「リシャ様!!」
リシャは手にナイフを持って、赤子に向けていた。
侍女が咄嗟にリシャの手首を掴んだ。
「手を離しなさい! 私も赤子もこの世界に居られません! あなた方は、死産だったと言いなさい。私も力尽き死んだと!」
「なりません! なりません!」
侍女も産婆も泣きながら、ナイフを奪い取った。二人は頷きあう。
「私達が逝きます。導の存在を知る私達が逝けばいいのです」
「駄目よ!!」
リシャが叫ぶ。ナイフを首もとに持っていく産婆に、リシャは叫んだ。
「リシャ様にお仕えできて、嬉しゅうございました。もう年老いた産婆です故、お気になさらずに」
リシャの目の前で産婆は倒れていく。
重い体をなんとか動かしリシャは立った。赤子をベッドにそっと置いて。
「リシャ様、私も」
侍女は部屋の机の引き出しから、ペーパーナイフを取り出した。
「駄目、止めて、止めて!」
リシャは侍女を追う。が、産後のリシャは追い付くこともできない。
「リシャ様、私もお仕えできて、嬉しゅうございました。どうか、王様に守っていただいてください。王様でしたら、お二人をお守りできますわ」
リシャの手がもう少しで侍女の手を捕らえる。その瞬間、無情にもスッとその手は離れ、赤きしぶきがリシャの手を染めた。
「イヤァァーー」
リシャの悲鳴。
赤子の泣き声。
息絶え転がる赤き侍女と産婆。
虚ろな瞳のリシャは、そろそろと立ち上がり赤子を抱く。
「オギャーオギャー」
「……お乳あげましょうね」
リシャは赤子にお乳を飲ませる。
赤子は泣き止んだ。瞳をパチパチとさせる。藍の瞳はリシャを捕らえる。
「美味しい? ……最初で最後のお乳よ。たくさん飲んでお休み」
ユラユラと体を揺らし、リシャは赤子にお乳を飲ませた。赤子はうとうとと眠りに落ちる。
リシャはそっと、そっと、赤子を抱きしめた。
「一緒に逝こうね。藍を戦火に包まれせるわけにはいかないの。隠し通せるわけがないもの……」
リシャは赤子を抱いたまま、机に移動した。器用に紙とペンを出す。サラサラと、迷うことなく書いた。
***
愛する貴方へ
皆で逝きます。
侍女も産婆も自決しました。
私も、この子と共に逝きます。
導を産んだ私をお許しください。
貴方の娘を殺める私をお許しください。
貴方の幸せを祈っております。
リシャ
***
「オギャーオギャー」
藍王は、嬉しげに部屋を開けた。赤子の泣き声はさらに大きく聴こえる。
「リシャ! 産まれたか!」
奥の扉を開けた。目に飛び込んできたのは、赤子に短剣を向けるリシャの姿。
「何をしている!!」
「許して貴方!!」
短剣が降り下ろされる。
ーーガッキーンーー
王は咄嗟に剣を抜き、短剣を阻んだ。
ーーザシューー
阻んだ剣はそのまま短剣を払う。払う軌跡がリシャの胸に赤き線を刻む。
「リシャーー!!」
王は咄嗟に短剣を払い、そのまま剣はリシャを斬ってしまったのだ。
王はリシャを抱える。
「あ、なた……ゆる、し……」
ガクンとリシャは項垂れた。
「リシャ、リシャ! な、なぜ……こんな、ことを?」
「オギャーオギャー」
王は混乱のまま、リシャを抱きしめるしかなかった。
「オギャーオギャー」
「オギャーオギャー」
王の耳に届く赤子の泣き声。
リシャを床に横たえ、王は赤子に視線を移した。
泣き続ける赤子を抱き上げる。そして、気づくのだ。
「! 藍の……瞳。ああぁぁーー」
王の瞳にやっと映った侍女と産婆。そして、リシャ。
この惨劇が何を意味するかを。
「リシャ……」
王は呟くと、視線を部屋にさ迷わせた。机の上の手紙に気づく。
赤子をリシャの横に置き、机に移動した。手紙にはリシャの想いが込められていた。
「そ、うか。……皆、深く藍を愛しているのだな。リシャ、君の手が赤子を殺めずに良かったよ。それは、私の……藍の王の役目だ」
王は床に転がった剣を持った。
「オギャーオギャー」
赤子にゆるりゆるりと近づく。
「すまぬ。我が藍の娘よ」
王は剣を振り上げた。
「オギャーオギャー」
王の剣が赤子に向かう。
「ヤメロォーー!!」
王の剣が肉を割く。が、それは赤子ではなく、少年の背中であった。
「なにっ!?」
赤子を庇うように、少年は王の剣を受けたのだ。その背で。
「ハァハァ……ナーシャは僕の……命」
「何を……」
言っている? と、王は思ったのだが声には出せずにいた。そんなことよりも、この子は一体? という気持ちが大きいのだ。
王は少年に手を伸ばす。
「ヤメ、ロ……」
少年は赤子の横で弱々しく言った。
王は……もう剣を持っていない。気持ちも持っていない。赤子を殺める気持ちを。少年の姿でそれは失われたのだ。
産婆、侍女、リシャ、そして王と連なった犠牲を伴う愛は。
血に染まりし王の両手は、力を失いその指先から朱が滴る。
「すまぬ」
床には、侍女と産婆。
そして、リシャ。
少年。
王の口から出た言葉は、哀しみと怒り、悔恨が込められていた。
「オギャアーオギャアー」
ずっと耳に届いている赤子の泣き声。
「ああ、そうだ。わしを責めてくれ」
王は赤子を抱き上げる。泣き声は止まらない。
王の朱色の手が赤子の産着を色付けた。
だが、その朱色よりもさらに際立っているのは、藍の赤子だ。
「オギャアーオギャ……ぁ」
突如止んだ泣き声を不思議に思い、王は赤子の瞳を見る。
頬に流れた涙をそのままに、赤子は弱々しく笑ったのだ。
「お前を守る。わしは来るべきその時まで、お前を守る。我が藍の娘よ」
赤子をベッドに置き、王は少年の元へ。横たわる少年を抱き上げた。
「ハァハァ……ナーシャは?」
王は首を傾げた。
「ナーシャと言うのか? 赤子はナーシャ?」
「ぅん……ハァハァ……僕のナーシャ」
少年はそう言うとゆっくり瞳を閉じた。
王は慌てて隣の部屋のベッドまで少年を運ぶ。その脈を確認し、ほっと息を漏らした。
「良かった、生きている」
ーーコンコンーー
王は隣室の扉を閉め、ノックが鳴らされた扉を開けた。
「王様、そろそろ隠妃様のご出産かと……」
「オギャーオギャー」
奥の部屋から赤子の泣き声。
「おめでとうございます!」
「……」
王は無言のままである。
「王様?」
グレコスは訝しげに王を見た。
王はしばし目を閉じる。何度も深呼吸し、目を開いた。その表情は深い悲しみを宿す。
グレコスはそんな王の様子に、ただならぬ事態を察した。
「入れ」
王の悲しみの声がグレコスに指示を出す。
グレコスは困惑した。この部屋に入れるのは王だけである。否、正確に言えば隠妃つきの侍女と王だけ。
血を受け継がれし藍の妃は、藍の城、最下層に住まう。そして、『一』の刻印を持つ者と結ばれるのだ。
藍の王は民の中から選定される。刻印を持つ者が王子として、城にあがるのだ。刻印『一』を持つ者。それが、藍を受け継ぐ王となる。
血は姫に受け継がれ、王は民に受け継がれる。そして、王の深き愛を民に示すため妃は隠れる。
民は王の妃を知ることはない。
民は王の娘を知ることはない。
王は如何なる時も、ただただ王を貫く。民に藍を治める王以外の姿を見せない。妃を愛でる姿も、娘を愛でる姿も見せず、王で居続けるのだ。
故に、藍は深き愛の国と称される。
「構わん、入れ」
王はそう言って部屋に入った。グレコスも覚悟を決めて王の後に続いた。そして、背中を斬られた少年を目の当たりにしたのだ。
そうである。こうして、グレコとグレコスは隠妃の部屋にいるのだ。
そして、王は二人を奥の部屋に通した。二人は絶句した。
妃、侍女、産婆の亡骸。
元気な泣き声の赤子。
絶句せずにはいられまい。
王はそんな二人にリシャの手紙を見せる。
グレコもグレコスも読み終わると、赤子に視線を移した。
「まだ、理解できません……どういうことなのです? どうして……」
そう言うグレコスに、王は赤子を抱き上げてその瞳を間近に見せた。
「藍の……瞳。しる、べ?」
グレコが呟いた。
「ああ、そうだ。……リシャは赤子を殺めようとしていた。我が止めた。剣で咄嗟に……我が剣がリシャを斬った」
王は嗚咽する。
「隠妃様の意思を受け継ごうとしたのですね?」
グレコスは静かに問う。が、答えを求めてはいない。
「そして、少年が……いえ、一の王子様が庇った。導様を守った」
グレコスは涙を流す。グレコは嗚咽する王を支えていた。
ーーガタンーー
「ナーシャ、泣いてる……」
少年がフラフラと部屋に入ってきた。ベッドの脇に膝をたて、赤子をあやす。とたんに、赤子は泣き止み少年にその藍の瞳を向けた。
「大丈夫、僕がいるよ。僕が守るよ」
そんな少年と赤子の様子を、王とグレコ、グレコスは不思議な感覚で眺めている。
「一の王子よ。赤子は何故ナーシャと言う?」
王は問う。いや、問わねばならぬことはまだあるのだが、少年が産まれたばかりの赤子を、なぜそう呼ぶかが気になっていた。
「……僕は一の王子と言うの?」
そう、問い返される。
「王様、この子は今朝がた城門の前に、独りで佇んでいたのです。他の痣を持つ選定の王子は、皆然るべく者と一緒でしたが、この子だけは何故か独りでした」
グレコは王に説明した。王子の選定はグレコが行っていた任であるから。
「一体、どういうことなのだ?」
亡き者にも目もくれず、少年は赤子だけが視界にあるようだ。
王はフゥーと息を吐き出す。ひとまず、せねばならぬことをグレコとグレコスに命じた。
「グレコは王子の選定に戻れ。グレコスは……皆を丁重に埋葬せよ。我と赤子、一の王子は対部屋に移る」
王は赤子を抱き上げようとした。が、少年は王の手を掴み睨むのだ。
「……大丈夫だ。もうせぬ、もう赤子を傷つけたりはしない」
王の言葉に少年は安心したように、頷いた。
「部屋を移る。着いてまいれ」
王は、その場にいるグレコとグレコスに目で合図し部屋を出た。
「名は何と申す?」
王は少年に訊ねる。
「一の王子と言うのでしょ?」
少年は不思議そうに答えた。
「元の名じゃ。名はあるだろ?」
「無いよ」
「無いだと?」
「だって、名は『ヤコ』がここに来たら貰えると言ってた」
王はますます困惑する。
「君は赤子をナーシャと言ったね?」
訊きたいことは山ほどある。だが、出てくる問いはやはり最初の疑問だ。
「うん。『ヤコ』が僕が名をつけたらいいと言ったから。僕がナーシャにした。僕が名づけたから、僕のナーシャだよ」
少年は嬉しそうに言ったのだ。王はおかしな感覚に陥る。当たり前である。少年の話が現実とそぐわぬから。なのに、それをすんなり受け入れそうになる感覚。まだ訊かねばと思いながらも、「ナーシャ……良い名前だ」と、受け入れた。
「ほら、ここだ。ここは、藍の城、最下層。部屋が円形に六つ連なっている。今日からここがナーシャの部屋だ。君は隣の部屋。だが、今はナーシャの部屋に」
隠妃の部屋の逆の、対となる部屋に王は赤子……いや、ナーシャと一の王子を連れてきた。
「僕がナーシャの世話をするよ。僕のナーシャだからね」
王は頷くしかなかった。
一の王子の瞳が言っていたのだ。お前には、資格がないと。ナーシャを殺めようとしたお前には資格がないと。
揺るぎない瞳に、王は一の王子にナーシャを託す。
「我は少し用事がある故、頼んだぞ」
王は部屋を出た。が、その違和感の正体に気づき、再度部屋に入る。
「一の王子よ! ……背中の傷は?」
ナーシャをあやす一の王子の背は、まだ血が滲み出ていた。もちろん、ナーシャの産着も赤く染まっている。
「もう痛くない」
そんなはずはない。王は一の王子に駆け寄る。
「すまぬな。気が動転して忘れておった。着替えを持ってくる。本当に痛くないのか?」
少年の背からまだ血は出ていた。
「痛いけど、痛くない。僕が痛いとナーシャも痛がるから」
王は溢れる疑問をひとまず閉まった。これ以上話しても、疑問は膨れるばかりだと察して。
「……そうか、そうか。わかったよ。ナーシャを頼んだ」
王は部屋を出る。扉を閉める瞬間、王は一の王子の背を見た。
「……我が刻んだ」
パタンと閉まる扉の向こうで、王はそう呟いたのだ。
『一』の刻印と、
『一』に刻まれた刀傷。
左肩には『一』の刻印、
右肩から左脇に真っ直ぐに斬られた『一』の刀傷。
その背は、
……
……
『イチ兄の背の傷は、……私を守ったから?』
ナーシャはゆっくり瞳を開けた。
深い深い過去。
深い深い藍の過去。
さ迷った過去の真実は、導に知らせれた。
『父上、母上……』
ナーシャの心は凪いでいた。父も母も、自分を殺めようとしていたという事実を見たというのに。ナーシャもまた藍で育った、藍の民故の心の凪ぎである。
『イチ様』
ナーシャは思い出す。その瞳はまたもゆっくりと閉じていく。ナーシャは自ら過去に落ちた。
その背をはじめて見た過去に。
……
……
次話金曜更新予定です。




