妖の森-1
***妖の森
人の背丈ほどの草をかき分け、深緑の森へとイチリヤ達は下山する。
時おり、イチリヤは止まり、全隊員の無事を確認しながら進んだ。昼になった頃であろうか、突如視界が広がった。
「これは……」
目前に現れたのは沼。だが、一般的な沼とは様相が違った。
イチリヤはそれを掬う。
ぽたぽたと手から落ちる泥は、白く光っていた。その沼の所々に群生する植物もまた、白い植物なのだ。そんな白い沼など聞いたことも、見たこともないイチリヤ達は、呆然と眺める。
「騎士隊長、どうしましょうか?」
全員の確認をとったリライがイチリヤに問う。
「迂回路を探すか、これを渡るか」
イチリヤは再度沼地に手を入れた。やはり、ぽたぽたと落ちる。ぼたぼたではなく、ぽたぽたと。しばし考えたイチリヤは、答えを出す。
「隊を二手に分ける。一の隊はグレコ。二の隊はリライ。リライの隊は迂回路を探せ! 夕刻までに戻れ。グレコの隊は……草を刈れ!!」
「は?」
「え?」
「へ?」
皆、イチリヤの命にすっとんきょうな声を出す。
「騎士隊長、草を刈るのですか?」
グレコは問わずにいられない。
「ああ、草を刈れ。今夜はここが夜営地だ」
イチリヤは愉快な声で答えた。
「まだ昼過ぎにございますぞ。夜営を準備するには早い刻です」
グレコはそう言って、指先を空に向けた。お日様はまだ頭上だと言っているのだ。
「いい天気だなぁ」
イチリヤはまたも愉快な声で言った。
「イチ王子様!! お戯れを! 今は遊んでなどいられません!」
グレコは真っ赤な顔で叫んだ。冷静さを失ったグレコは、呼び名を王子と言ってしまうほど。
「……グレコは短気だな。さてと、そうだな。種明かしとするか」
イチリヤは、背丈ほどの草を一束剣を器用に使い刈った。
「で、これを天日に干す。さて、どうなる? グレコよ」
「今は、そのような」
「グレコ、お前ならわかると思ったんだが……」
グレコの言葉に被せ、イチリヤは意味深な言葉をかける。
「……」
グレコはフゥフゥと肩で息をしながら、イチリヤの問いを考えているようだ。
「迂回路がなかったら、どうなる?」
イチリヤは隊を見渡す。
イチリヤの問いの答えを見つけようと、皆がリライの向かった先、白沼と草と日射しにと視線が動いた。
数人はその答えに気づいたのか、率先して草を刈りはじめた。
「わかった者もいるようだな。さて、グレコ。ハハッ、さっきまでの勢いはどうした?」
イチリヤはニヤリと笑う。グレコはモゴモゴと口を動かしていた。
「く、草の船……」
モゴモゴの口はそう言うと、誰よりも豪快に草を刈りはじめた。まだ答えがわからぬ者も、周りにつられるように作業をはじめる。
「沼地に板を滑らせて体を乗せる。片足で沼を蹴って前に進む。黒に急ぎ向かうときにしていたであろう?」
そうである。藍と黒の間には、沼地が広がっていた。黒は侵攻の際に、石を沼地に投げ込み足場を作って侵攻してきた。では、侵攻の前はどうだったのか? 迂回路、または、平らな板を沼地に滑らせ体を乗せ、片足で沼を蹴って渡ったのだ。
それをこの白沼でもしようとイチリヤは考えた。草を板の代わりにする。草は人の背丈ほどある。天日で干して束を作る。
「束五つほどで板と同じ役割となろう。いいか、二の隊の分も必要だ。急げ!!」
全員が理解してしまえば、勢いも増す。あっという間に、必要な草を刈りあげた。
日はまだ高く、草は気持ち良さそうに乾いていく。
「乾くまでの間に、夜営の準備だ」
イチリヤの指示を受け、グレコは隊の者を振り分ける。
イチリヤはそれを確認すると、再び白沼を見渡した。
「気配はあるのだがな」
誰にも聞こえぬように呟く。
イチリヤは感じていた。すでに妖の領域に入っていると。気配を感じていたのだ。
「イ、騎士隊長」
指示を終えたグレコが、イチリヤを呼ぶ。またもイチ王子と呼ぶ寸前だったようだ。
「お、いいな。その『イ騎士隊長』と言うのは」
イチリヤは振り向き、グレコをからかう。
「私で遊ばないでくだされ」
グレコはガクンと肩を落とした。
「ハハッ、すまんな。……わかるか?」
「はっ」
グレコも感じているだろう気配を、互いに確認しあう。
故に、グレコは草刈りの命の時に、イチリヤに対し冷静さをかいたのだ。気配を感じながら、草刈りとは何事ぞと。
「この沼に着いてから、ずっとですな。対岸から気配は消えませんな」
イチリヤとグレコは対岸を見つめる。
「どちらの気配か」
イチリヤは青王の話を思い出す。
妖には、妖怪と妖精がいる。対岸の妖はどちらの気配かと思ったのだ。
「どちらをお望みですか?」
グレコには、青王の話を伝えてある。もちろん、ニイヤにもリライにも。
「どちらでもかまわん。覇者様のことを知っているのであれば」
イチリヤはグレコに答えるのではなく、対岸に向けて発した。
……
……
リライの隊は夕刻を待たずに帰ってきた。
「ずっと沼地でした。沼地が終わると突然絶壁です。脆い岩の絶壁で、登ることは出来ませんでした」
リライの報告を受け、イチリヤは考え込む。
「絶壁か……もしや海から見えた岩山脈か」
青の国に向かう際、大河の西側には連なる岩山脈が見える。
「どうでしょうか? あまりに光山に近い気がしますが……ただ山脈であるならそうかもしれません」
イチリヤはリライの言葉から発想する。
「正に、人ではこの地には来れまいな」と。
「さてと、やはりこの沼を渡るしかないようだ。リライ、帰って早々だがまだ一仕事ある」
乾いた草を指差すイチリヤだった。




