『声』あの日-2
振動が止まる。
止めていた息を小さく吸った。
『仕方ない。失礼します!』
ーーガツンッガッガッーー
「ひぃっ」
ドアノブが叩かれているみたい。その音が恐ろしくて、悲鳴をあげてしまった。
どうしよう……どうしよう……もう少しで外れそうなドアノブを、身を丸くして見ているしかできない。
ーーガッツーンーー
ひときわ大きな音を出して、ドアノブが落ちた。
ギィと、扉が開く。
怖くて目を閉じた。怖い、怖い、怖い……
「……ソフィア姫?」
丸めた体が震える。それでも首を横に振って応えた。
コツコツコツと足音が近づく。
ガシャ
割れた鏡を踏んだような音。近い!
「ではそなたは?」
そんな問いに答えられるはずもなく、ただ目を閉じ体をさらに丸めた。
ガシャ
また近づく。
「ィャァ」
「そんなに怖がらないでください、ソフィア姫。私はただ、母の治癒をお願いしたいだけなのです」
私はソフィア姫ではない。ないのよ! 言いたくても、歯がガチガチ震えて声は出ない。
ガシャ
また近づいた足音は、すぐ傍まで来ていて、私は……
「イヤァーー」
と叫んだの。
「何をされているのです? 紅の王子よ!!」
イチ兄!
「ほぉー、他国の城を詮索することが紅の礼儀なのですか……我が藍とは異なる礼儀ですね」
イチ兄の怒気をはらんだ声が部屋に響く。
「イチ」
「出ていかれよ!!」
思わず声を出す。だけど、その声をかき消すようにイチ兄は叫ぶ。そっと顔を上げた。男はイチ兄に顔を向けている。紅のマントを羽織ったその姿に、さっきのイチ兄の言葉を思い出す。紅の王子……
「わ、私は」
「それとも捕らえられたいのですか?!」
イチ兄は、男の声もかき消す。
「なっ! 私はソフィア姫と面会したいだけだ!」
「私に会いたいの?」
え?
イチ兄の後ろの方から、青のドレスを纏った方が、ニイヤ兄さんと一緒に現れた。と、同時にサンキ兄さんとヨシア兄さんも部屋に入ってくる。すぐに私の所まで来て、小声で『顔を伏せて、瞳がばれてしまう』と言った。
あ、あ、私ったら……
まだ紅の王子はイチ兄の方に向いている。良かった……
私は顔を伏し、紅の王子のブーツを凝視した。
「私の侍女に狼藉をしたのですか?」
青のドレスの方が、落ち着いた声で、でも揺るぎなく発言する。
「い、いえ! 違います。私はソフィア姫を捜して、城を歩いていただけで、決して狼藉なぞしておりませんし、藍を侮辱しようなぞしておりません!」
紅の王子は、早口に言い放つ。
「ほぉー、ただ歩いていただけで、ドアノブが壊されるのですか?」
イチ兄の口調はさらに冷気をはらんだ怒声となった。
「そ、それは、……ソフィア姫に是非ともお会いしたく、少しばかり礼儀をかきました」
紅の王子の足先が、青のドレスの方に向く。
「どうか、母を治癒してください! 歩けないのです。巫女姫様のお力をどうか」
バッと片膝をつく紅の王子。
「出来ません」
青のドレスの方、ソフィア姫はきっぱり断った。
「紅の妃であるぞ! 断る理由などなかろう!」
紅の王子の声が変わる。
「紅の妃だから、何だと言うのです?」
ソフィア姫はすぐさまそう返した。
「なっ! 一国の王の妃だ! 愚弄するのか! 治癒するのは当たり前であろう」
その声の醜さに、思わず顔をしかめた。
「青の国では、例え王が危篤であっても、治癒を優先することはありませんよ」
ソフィア姫は激高する紅の王子に、静かに言った。
「は?」
紅の王子の間抜けな声が漏れた。
「青の国の誇りをご存じなく、ただただ要望のみを押し付けるのが、紅の国のやり方ですか?」
静かな発言が続く。
「権力を振りかざし巫女に治癒を迫る者。力ずくで巫女を奪おうとする者。ですが、巫女はそれに屈することはありません。治癒を望む者は、皆久しく医殿の前に並び、順番を待ちます。王であっても! それを守ることが、青の国の誇りです」
ソフィア姫……芯を持った方。心が熱くなった。
でも、それを壊すように……
「建前は十分わかりました。本題に入りましょう。何がお望みですか?」
紅の王子は、何を言っているの? ソフィア姫のお話を聞いていなかったの?
「本題しか話しておりませんよ」
冷たい声だった。ソフィア姫は、今まで一番冷たい声をした。
「はん! いいでしょう。後ほど、青の国に相応の"モノ"を送りますゆえ、その後は我が紅にもいらっしゃってください」
この方は何もわかっていないのだわ。
「お話になりませんわね。イチリヤ様、時間の無駄ですわ。どうか……」
「はい、そうですね。サンキ、ヨシア、紅の王子を城外に丁重にお連れしろ。ニイヤ、この部屋の処理を」
イチ兄がそう言うや否や、紅の王子の両脇にサンキ兄さんとヨシア兄さんが動いた。もちろん、私は顔を下げて立っているだけ。
「離せ!」
紅のブーツが離れていく。入れ替わるように、青のドレスが近づく。
「この屈辱、必ずや返しに来るからな! 何! ……そやつは!」
その声の大きさで、紅の王子が振り返ったのがわかった。その恐怖よりも、言葉じりに奇妙さを感じた。
ガシャ
紅のブーツが再度現れたことに、体が強ばる。すぐに、青のドレスが間に入る。イチ兄もニイヤ兄さんも、立ちはだかっているのがわかる。紅のブーツの周りは、藍のブーツと、青のドレスで囲まれている。
「私の侍女に何かご用?」
「侍女? 侍女にドレスを着せるのですか?」
「巫女侍女ですわ。故に、他国には正装で伺うのが当然です」
「なるほど」
ソフィア姫と、紅の王子の会話にさらに身が小さくなる。
「……先ほどの無礼を謝りたい」
ガシャ
片膝をつく紅の王子の頭が見えた。そして、その瞳も。その瞳が私の瞳を捉えていることも。
紅の王子の瞳が、妖しく笑う。
「必ず、迎えに参ります」
そう言った。私に言った。
「いいえ、迎えはいりません。私は紅の妃の治癒はしませんので」
ソフィア姫が答えたの。だけど、違う。あの言葉は私に言ったの。その証拠に、紅の王子は割れた鏡の欠片を持った。
「証拠に頂きます」
背筋に一筋汗が流れた。
「……何のことだ?!」
イチ兄が異変に気づいたのだけど、もう遅い。
「では失礼する」
バタバタと紅の王子と、サンキ兄さんヨシア兄さんが出ていく。
早く言わなきゃ。早く伝えなきゃ。その気持ちは溢れているのに、震えて声が出せない。
カチカチ
カチカチ
歯が音を出す。
ーーバタン!!ーー
扉が閉まった音に、恐怖の限界を越えて、そのままへたりこむ。
「ナーシャ」
「ナーシャ」
「大丈夫ですか?」
イチ兄、ニイヤ兄さん、ソフィア姫の呼びかけにも、私はすぐに反応出来なかった。
「か、がみ」
それを言うのがやっと。
「ナーシャ、どうした?」
イチ兄が、優しく問う。
カチカチ歯が音を鳴らす。だけど、言わなきゃ!
「かが、み、うつ……った。あいの、いろ」
割れた鏡に映った私の瞳を、紅の王子は捕らえたの。足元にあった、大きな鏡の欠片に、私の瞳と紅の王子の瞳が映っていた。
「鏡?」
皆の視線が割れた鏡に移った。
その顔がみるみる青ざめる。
「紅の王子は、藍の瞳を見たのだな?」
早口にイチ兄が言った。
「ぅん」
バタバタバタ
イチ兄とニイヤ兄さんが駆けていく。
涙が溢れた。
「ナーシャ姫、怖い思いをしましたね」
抱き締められた。ソフィア姫は、私を優しく抱き締めたの。
「私がいます。どうか、耐えないでください」
優しい声に、優しい温もり、優しく背を擦ってくれる。
「うわぁーーん」
はじめて大声で泣いた。
『あの日……私は何も出来なかった』
大泣きする自分は、誰が見ても子供で、誰が見ても弱い存在だった。
あ……
大泣き。私は泣きじゃくったんだわ。『声』を失って。だからなの? だから、父上はあの日を見せてくれたの?
寂しいと『声』を漏らした私に思い出させるために。
あの日から、私は強くなろうと頑張ったのだもの。
映像が薄れていく。
……
……
藍の城、最下層。
王と王子達しか入れぬ部屋があった。いや、それは破られた。
藍は大きなうねりに飲み込まれていく。
この日を境に……
次話金曜更新予定です。