暗殺者が冒険者となるまで
暗闇に紛れ高い壁を音も立てず駆け上るように超え塀の頂上へと登り、そして壁に囲まれた内部の状況を伺った。当然闇夜だが、目に魔力を乗せ埋め込まれた魔方陣を起動させると視界は昼間のように良好となる。
建物自体は二階建てで塀より低い。視線を動かすとあちこちの地面に隆起型魔方陣が仕掛けられているのが視えた。あの上に乗ると地面から勢いよく槍のような細く堅い土がせり上がる仕組みである。
更に五体ほどの狼型の召喚獣が彷徨いているが、首には妖しげに光る首輪が嵌められていた。なるほど、あれをつけていると魔方陣には反応しないのか。
召喚獣、特に犬型は見張り、巡回、護衛などによく使われる。
人を雇って監視するより召喚獣のほうが経費はかからず、更に夜目も鼻も利くので便利という事だろう。私がいる場所からは五体しか見えないが、おそらく反対側にも同じ数の召喚獣はいるだろう。
念のため体臭を消すローブを着ておいて良かった。
ただこのローブも周囲に比べ不自然に匂いが消えるので、匂いを探知するような魔法をかけられるとそこだけぽっかりと空白地帯になり却ってばれる事もある。そのため利用する場面は限られてくるが、どうやら今回は正解だったようだ。
さて、ターゲットが住む建物自体の大きさはそこまでない。外部からしか分からないが窓がある部屋数は六、二階建てなので合計十二部屋だ。地下、あるいは窓のない部屋がある事も考えられるが、最低十二部屋存在する。
また窓には視える限り魔方陣は仕掛けられていない。庭にあれだけ魔方陣があるのに、窓に一つもないのはやけに不自然だ。魔力の不要な硬質性のガラスを使っているのか、それともそこまでする金が足りなかったか、或いは油断か。とにかく注意する点だ。
そして窓から視える限り室内にも魔方陣はない。ま、部屋の中まで魔方陣を仕掛けるのはさすがに生活するに不便となるから、これは当たり前だろう。
次、窓から確認できる範囲で人影は三人。
最低十二部屋あるのに三人しかいないのは明らかにおかしい。
この建物はハーリエル子爵の三男が住んでいる。二十三歳で未婚だが、貴族なので一定数の下働きはいるはずである。
時間も深夜だし通いの可能性もあるが、これだけ厳重な警備を敷いている建物だし、外部から不用意に人は入れたくないはずだ。こういう建物で一番怖いのは内部犯だから、迂闊に外部と接触できるような下働きを入れる可能性は薄い。
不自然に少ない人数も注意する点だろう。
ここと反対側、廊下が見える場所同僚が一人、私と同じように下見をしている。そちらを合わせればそれなりの情報になるだろう。急いで戻るか。
塀から飛び降りようと身体を動かした瞬間、視界の片隅に急激に膨らむ魔力の高まりが視えた。
「……!」
反射的に前方へ魔力障壁を生み出し、下ではなく上へと跳び上がる。
次の瞬間、凄まじい炸裂音が深夜の街に木霊した。
軽く十数メートル跳ぶと変化魔方陣を起動させる。すぐさま身体の構成が変わり、人から同じ大きさの鳥へと変化した。またそれまで着ていた衣類は瞬時に燃え、灰となって霧散する。匂いを消すローブはかなり高価だというのに……あとで必要経費計上しなくちゃ。
全く関係ないことを考えながら、しかし背後には気をつけつつそのまま上へ上へと飛んでいく。
よし、追撃はこない。上手くあの爆発に紛れて逃げる事ができたようだ。
私はそのまま建物を飛んで離れていった。
♪ ♪ ♪
国家治安部隊。
国の治安を守る警備隊である。
部隊は大きく三つに別れている。
一つは国境警備隊、軍が到着するまで外敵から守るのが役割だ。
一つは警ら隊、街の巡回や重要施設を守るのが役割だ。
そして最後が治安部隊、国にとっての不安要素を抹殺するのが役割の、いわゆる国指定の暗殺部隊である。
この治安部隊にはおおよそ数百名が在籍しているが、暗殺部隊と呼ばれる実際に暗殺を行うものは殆どが子供である。
子供を使うのはいくつか理由が存在する。
外見で油断させる、成長や飲み込みが早い、子供のほうが扱いやすいなどがあるが、一番は……いくらでも補充が可能だからだ。大きな街のスラム街、あるいは貧乏な農村へ赴けば一山いくらで何人も買い取れる。
大体四歳~五歳くらいの子をそうして手に入れ、四年~五年で徹底的に育て上げる。当然子供の体格では大人に力負けするので、身体にいくつもの魔方陣を埋め込んで強化するのだ。更に身体の成長を止める魔方陣までも埋め込まれる。外見が子供のままのほうが都合が良いからだ。
もちろんそんな事をすれば身体が持たない。上手く生き延びたとしてもせいぜい十数年、つまりおおよそ二十歳で死ぬ。
そして私はそんなくそったれな組織に属している暗殺部隊の一人だ。名はツェルアリム、ハーフエルフの女で多分十六歳あたり、ただし外見は十二歳~十三歳くらい。また、これから死ぬまでこの体格を維持したままだろう。
長寿の種族は歓迎される。
人なら魔方陣を埋め込まれるとせいぜい十数年だが、例えばハーフエルフならその五倍~六倍、エルフになると十倍長く生きる。つまり長持ちする、という意味で。またそれ故、人より多くの魔方陣を埋め込まれる。耐久力があるからだ。
さて、子供が買われるか攫われるかしてこの組織に来て一番最初にされることは、それまでの記憶を抹消され、服従の魔方陣を埋め込まれる事だ。
私は記憶を消された瞬間、前世の記憶が蘇った。
もちろん当初は自分の境遇も何もかも分からず逃げだそうとしたが、服従の魔方陣のために何も抵抗できなかった。
それから五年様々な教育を施され、そして教育を終えてから五年暗殺家業を行っている。
今回のターゲットはハーリエル子爵の三男ベルモットだ。情報によればリスティン共和国と内通しているそうで、そのため対象となった。
ベルモット本人の戦闘能力は一般であり、普通なら一チーム寄越せばすぐ片が付く。だが先日共和国から派遣されたランクSという最高峰の冒険者が一人護衛についたという情報を得たため、敵情視察へと赴いたのだが……結果はごらんの通り。
鳥の姿で空を飛んだまま仮のアジトへと戻った私は人の姿へと戻り、上司へと報告をした。
実行部隊は一人の上司と三人の暗殺者でチームを組んでいるのだ。
「ツェルアリム戻りました」
「おかえり、首尾はどうだった?」
そう言われながら下着と服、そして靴を手渡される。
渡された衣類は貴族が着ていても不思議ではない程度の上等のものだ。これはハーフエルフで見てくれの良い私に対して、いかにも戦えない無力な金持ちのお嬢様、と思わせるためである。決して優遇されているからではないが、綺麗にするため風呂はほぼ毎日入るし、ある程度の飾りも許されているから役得だろう。
五年に渡る教育期間の中にはテーブルマナーやダンス、礼儀などの授業もあるくらいだ。
衣類を着ながら私は得た情報を報告をした。
「……最後にはどうやら発見されたらしく、建物の部屋の一部から強力な魔法が飛んできたので、撤退いたしました」
「ふーむ、ばれたか。ま、向こうも狙われているのは分かっているんだろうけど、実行するのが難しくなったな」
「申し訳ありません」
「いや、いいさ。ランクSの冒険者がいるんだから仕方ない。むしろそれだけの情報を持ち帰れたのが行幸だ」
私の上司は三十代後半の男で、名はザイスと言う。私が暗殺部隊へ配属となった時からの上司で、比較的温厚な性格をしている。
中には私たちを使い捨てのように扱うものもいるが、幸いザイスはそんなことをしない。
モノを大切に扱う人である、くそったれ。
「アリアッテはまだ戻ってないのでしょうか」
ぐるりとアジトを見渡す。アジトと言っても単なる宿屋の大部屋だ。ベッドは四つありそのうち一つに寝ているものがいる、待機中のベルシアだろう。
ここにいるのは私とザイス、寝ているベルシアの三人であり、反対側から敵情視察を行っている同僚はまだ戻ってきていない。
あの爆発音はアリアッテにも聞こえているだろうし、異常と判断して私とほぼ同時に撤退したはずだ。私は空から飛んできたので彼女より速く着くのは当たり前だが、着替えて報告も終わったのにまだ戻ってきていないのは、いくら何でも遅い。
「ああ、もしかすると捕まって殺されている可能性があるかもしれんな……その爆発音以外に戦闘音はしなかったか?」
「はい」
「ではまだ捕まった、と判断するには早いか? いや、ここは最悪のケースで考えるべきだろう。一人欠けた状態だと勝ち目は殆どないが…………応援を呼ぶべきか」
手強いのは一人。あと気になるところは召喚獣を操っている召喚術士だろう。
ただ応援を呼ぶには時間がかかる。どんなに急いでも明日の朝になってしまうだろう。
「ベルシアと私で今から急襲いたしましょうか」
「……なんだと? 危険ではないのか?」
「相手側はアリアッテを捕らえ殺している可能性が高く、もう今夜の襲撃は無いと思っているでしょう。応援を呼ぶにしても朝は越えるでしょうし、そうなれば明日の夜に実施となりますが、相手側も今夜より警戒しているでしょう。また時間があけばターゲットが共和国へ逃走する恐れもあります」
元々ランクSの冒険者がいるのに、一チームしか派遣しなかったのが失敗なのだ。
ま、ザイスも一チームで成功させれば、派閥争いで有利に立てるから理解はできるが、やらされる身にもなって欲しい。
それに応援を呼ぶとなると総力戦になる。その分被害も大きくなるし、これ以上子供が死ぬのを見るのは辛い。
ここで私が特攻してもし失敗すれば死ぬだろうけど、そうなればこれ以上死を見る事もなくなる。付き合わされるベルシアには悪いが、私が囮をやれば彼女が死ぬ確率はぐっと低くなる。
私の提案を聞いたザイスは目を塞いで暫く考えた。
「……賭けだな。俺としては君たちをこれ以上失いたくないが……逃げられると他の奴らに示しが付かない」
大見得を張って失敗したとなれば失点となるし、かといって全員死ぬと再びチームを作るにも手間暇がかかる、という心の声がハモって聞こえた。
「あと十分待ちましょう。もしかするとアリアッテが戻ってくるかもしれませんし、襲撃するにも準備は必要です。ただ十分後には出発します」
「……そうだな、やるか。ベルシア起きろ」
ザイスがもう一人の同僚を起こすのを横目で見ながら、私は仕掛ける準備を始めた。
♪ ♪ ♪
撤退してからおおよそ一時間後、再び私は建物の正面近くへとやってきた。結局アリアッテは戻らなかった。
あれだけの爆発音があったにも関わらず、人気は途絶えている。正面から見える限り、明かりはついていない。
本来なら警ら隊が詰め寄っているはずだが、きっとベルモットが追い返したのだろう。何せ警ら隊は国家治安部隊であり、私たち側の部署だ。不用意に建物に入らせたくないに違いない。
「ベルシア、私が陽動するから貴女は裏から侵入してターゲットを狙って。危険と判断したらすぐ逃げて」
「うん、分かった」
抑揚がなく感情が感じられない声でベルシアは頷くと裏手へと回っていく。
感情の薄い子は非常に多い。どんな場面でも冷静に行動するよう訓練されているから、必然的にそうなっていく。彼女とは半年の付き合いだが、私のほうが長く実行部隊にいるから現場の指揮は私が行っている。
さて、陽動、すなわち正面からランクSの冒険者とあたる事を意味する。
最初に撃たれた魔法の威力からすると、それなりの魔法の使い手だ。だけどランクSにしては正直弱い。
ハーフエルフである私は人より大きな魔力を持っているが、それでもランクSの魔法使いの攻撃は防げない。もしかすると牽制程度だったのかも知れないが、おそらく相手は魔法もある程度使える剣士と想定する。
ふぅ、と一呼吸置いて目に魔力を籠め、正面を視た。さすがに正面から玄関までの間には魔方陣はないようだ。
両手にナイフを持つ。品質は良いが魔法も何もかかっていない普及品であり国から支給されているものだ。高ランク冒険者たちの持つ付与魔法のかかった武器相手では正直心許ないが、ないものねだりだ。
障害となるのは狼型の召喚獣十体ほどと召喚術士、そしてランクSの魔法剣士。
意を決して身体強化の魔方陣を起動させ、私は正面から堂々と建物へ侵入した。
まず反応したのは狼二体、警告も無しに襲いかかってきた。
左右から来るものの何も考えず飛びかかってきたので、タイミングをずらすように前へ二歩出る。空で方向は変えられないのだから、不用意に飛ぶものではない。
案の定着地地点からずれた私に困惑したように顔だけ向けてくる。そんな狼の、まず右側の下へ移動し手に持ったナイフを上へ一閃し腹を裂いた。
ギャウン、という叫び声を聞きながら更に前へと出て、玄関へと走り出す。
そこへ三体目が登場し、横から口を開けて走ってくるのを建物の壁に向かって飛び、避けた。
壁を蹴って更に跳び上がり、下にいた二体の狼目がけて手に持ったナイフを投げつけると、あっさり狼の頭蓋骨を突き破り、脳天に突き刺さった。
スカートの中へ手を入れ裏地に縫い付けている二十本ほどのナイフから一本取り出して左手に持ちながら着地する。
その時狼の遠吠えが聞こえ、ようやく建物内に明かりがつき始めた。
さて、これからが正念場だ。
更に来た二匹のうち、一匹へナイフを投げると同時に突っ込んだ。
♪ ♪ ♪
おかしい。
私が建物に侵入してから五分は経っているにも関わらず、人がこない。既に周辺にいた狼は全て倒した。予定では数匹倒したところで誰かが来るはずだったのに誰もこない。
ここで考えられる事は、まだ寝ぼけていて誰も行動出来ていない。
……そんな訳はないか。
自分で自分の馬鹿な考えを否定する。
普通の貴族であるベルモットならともかく、ランクS冒険者がそんなまぬけな事はしない。
他に考えられる事。
普通に考えれば待ち受けている。
向こうからすれば、これだけ派手に動いているのだから陽動の可能性を考えると護衛対象の近くにいるのが一番正しいはずだ。それなら私はこのまま玄関から堂々と入り、囮の役目を果たせば良いだけだ。
しかし一番最悪なのは、裏手に回ったベルシアが見つかったケースだ。
ベルシアはまだ配属されてから半年と実戦経験が少ない。いくら魔方陣で強化しているとはいえ、相手は最高峰の冒険者だ。不意を突ければともかく普通に戦えばあっという間に負けるだろう。五分もかからない。
その場合、もうこの作戦は失敗している。
ベルシアはともかくアリアッテは私と同じくらいの時期に配属となったそれなりに経験豊富な人だ。それが戦闘音もさせず倒されているのだ。私だけではおそらくランクS冒険者には勝てない。
だが、逃げる事は許されない。
私は囮役でありザイスからターゲットを始末するまで逃げてはいけない、とザイスから命令を受けており、これに反することは服従の魔方陣が埋め込まれている為出来ないのだ。
勝ち目がなくとも、戦わなければならない。
スカートの裏地からナイフを取りだし、両手に持って私は玄関を開けた。
♪ ♪ ♪
私が玄関の扉を開けると、予想通りそこには冒険者らしき人物が待ち構えていた。
かなり大柄の二十代後半くらいの男で、一本の剣を携えているが盾は持っていない。両手剣というには小さいが、片手剣というには大きいサイズだ。
多分普段は両手で持ち、魔法を使う時片手を開ける戦闘スタイルなのだろう。
その彼は私の姿を見て、言葉を吐き捨てた。
「はっ、全く帝国ってのは趣味悪ぃぜ。こんなガキを暗殺者に仕立て上げるなんてな。しかも服従魔法まで使ってやがる」
本当に忌々しそうに唾を吐くと剣を持ち上げた。
「ついさっき捕まえたガキも最後まで抵抗したけど、お前さんも同じように抵抗するのか? 俺としては大人しく捕まってくれりゃ痛い目を見させる必要はなくなるし助かるんだが」
その言葉で分かった。ベルシアはもうこの男の手にかかって始末されていたようだ。
任務失敗……かぁ。
あーあ、ここで殉職か。ま、仕方ない。
「抵抗はしますよ。だって命令されていますからね」
私が話したことで、男は大きく目を見開いた。
アリアッテもベルシアも相手と会話する事はしない。前の二人が黙々と戦ったのに対し、私が口を開いた事で驚いたのだろう。
「お前さんは服従魔法使われていないのか? と聞くだけ野暮か。命令されていると言ってるんだからな」
「ええ、しっかり使われています。それが無ければきっと今頃どこかでのんびり平和に暮らしてますね」
「……そりゃそーだな」
私が手に持った二本のナイフを構えたのを見て、彼も剣を両手に持ち替えた。
腰を低くし、半歩だけ前に出る。
「一応聞いておきます。二人は?」
「生きてはいる。ガキを殺す趣味は生憎と無いんでな。ただ……足の健は斬らせて貰って縛ってある」
「甘いですね。でも……ありがとうございます」
「お前さんも同じようにふん縛ってその辺に転がしておくさ。なーに、明日にはお貴族様が逃げ仰せるし、その後誰かに助けて貰えるさ」
本当に甘い。共和国の冒険者ってこういう人たちばかりなのか? それともこの男がそんな性格なのだろうか。
そして、やはりターゲットは明日の朝には逃げる予定だったのか。
ま、私の役目は目の前の男を退けてターゲットを殺るだけだ、至ってシンプルである。多分勝てないけど。
息を吐き出すと同時に私は突っ込んだ。
それを見て迎え撃つ男。思った以上に私の速度が速かったのか、少しだけ感心したように笑みを浮かべている。
……これで全力なんだけどね。
両手で構えたナイフで次々と男の急所を狙う。が、しかし男はたった一本の、しかもナイフより重く大きな剣を器用に動かし防ぐ。
なんという腕前、さすがランクS。
途中不意に半歩だけ後ろへ下がりフェイントをかけるように左手のナイフをスナップを利かせ投擲する。それはまっすぐ男の喉へ飛んでいくが剣の腹であっさりはじき返された。
それを見ずにスカートをわざと捲りあげ、裏地のナイフを左手で取り出しながら右手のナイフを投げる。
「あぶねっ!」
女性のスカートの中というものは男にとって一つの吸引力になるようで、一瞬意識を私の足へと向かせたが、残念ながら投げたナイフは手で捕らえられた。更にお返しとばかりナイフを投げ返してくる。
それを避けると、男は五歩程度の距離を取った。
「嫌な攻撃しかけてきやがって」
「効果のあるものは何でも使う主義です」
「こ、効果なんて無かったし!」
「一瞬ですがものすごく視線感じましたよ」
ま、あんなのは一度しか使えないし、男にしか有効とならない小技だ。
男はわざとらしく咳をすると、剣を肩と水平に合わせこちらへと向けてきた。
「ごほん、ま、まあいい。お前さんの腕は大体分かった、一分以内に捕まえてスカート捲って尻叩いてやろう」
「それはお断りします、冗談抜きで」
どうやらここから本気を出すようだ。
今まででも私は全力を出していたが、魔力は比較的抑えていた。しかしここからは限界まで魔力を使う必要がありそうだ。
人より遙かに多い魔力を持っている私は、それをフルに使ってブーストすることができる。もちろん魔力切れという時間制限はあるし、使い切れば立つことすらできなくなる。
「行くぜ」
にやりとどう猛に笑うと、男は圧倒的な速度で私へと迫ってきた。
ブースト。
体内にある魔力を総動員して身体に埋め込まれている身体強化の魔方陣へと注ぎ込む。肉体の軋む音が聞こえるが、痛みは感じない。痛覚はほぼ遮断されるようになっているからだ。
向かってきた剣先をナイフではじき返し、開いた左手を銃のように構え撃つ。指先に小さな魔方陣が即座に生まれそこから魔力弾が放たれた。
眉間に迫る魔力弾を、しかし男はあろう事か額に魔力を籠め強化させ、霧散させた。
奥の手をあっさり無効化しやがって。
だが僅かに男の態勢が崩れる。半歩前に出て、魔力を乗せた蹴りを放つが体勢を崩しながらも男の左腕でガードされた。
ミシッという嫌な音が男の腕から聞こえるが、それに構わず剣を離して私の足を掴んできた。
まずい。
いくら魔方陣で強化しても体重は子供だ。
案の定軽く私の身体が振り回される。スカートが遠心力で捲れそうになり、思わず手で押さえた所、投げ飛ばされた。
床に一度叩きつけられたが、手で無理矢理床を叩き方向を変えた瞬間、男の踏みつけが先ほどまで居た場所の床を踏み抜く。
ごろごろ転がりながらも、必死に床へ手を突き刺し飛ばされるのを防いだ。
時間を稼ぐため牽制で魔力弾を撃つが、男は腕を振るだけで弾く。かなりの速度なのにどういう動体視力をしているのだろうか。
魔力弾じゃ仕留められない。
そう考え、力一杯床を蹴り勢いを乗せ殴りかかった。
男は立ったまま拳を私に合わせてうってくる。
拳と拳、骨と骨がぶつかり、ブーストで身体強化を底上げしている魔力が手から波紋のように男へと降りかかった。
身体強化を限界までブーストして殴っているのに、それでも押せないってどういう鍛え方しているのか、この男は。最高峰のランクS冒険者というのは伊達じゃ無い。
あまり使いたくはないけど、もう一つの奥の手を使うしか無い。
左手には魔力弾を撃つ魔方陣が埋め込まれているが、右手には雷を放出する魔方陣が埋め込まれているのだ。
「紫電」
「ぐおっ!?」
私が言葉を紡ぐと右拳から雷がほとばしり、先ほど男へ降りかかった私の魔力に触れると一気に火花が広がった。
初めて男がうめき声を上げる。
バリバリと雷が音を立てて走り、男の身体が燃え上がるがそれもつかの間の事だった。
「はぁっ!!」
男の全身から一気に魔力が放出され、それと共に私ごと火花が吹き飛ばされた。
そういやこの男、魔法も使えたんだっけ。
再び床を転がりながらも、猫のように両手両足で何とか態勢を整えた。
「やるなぁ、お前さん。俺の部下に欲しくなったよ」
男は不敵に笑いながら私のほうを見下ろしてくる。その顔にはまだまだ余裕が感じられた。
しかしこちらは肩で大きく息をしている状態であり、そろそろ魔力も尽きかけてきている。もう口を開く余裕すらない。
勝利を確信した男はゆっくり近づいてきた。
「服従の魔方陣は、術者が死ねば解けるんだっけ」
唐突にそんな事を尋ねてくる。
だがその問いには答えられない。国家治安部隊に不利な情報は口にだせないよう服従で制約されているからだ。
「でもって術者が指定した人物に服従の支配権を譲渡できる」
その通りだ。
今の私の支配権を持っているのは、上司であるザイスだ。ザイスが死ねば術者の元へと支配権は返る。
しかし……。
「支配権を持っているものが死んで移動する前に身体ごと粉々に打ち砕けば、服従の魔法は完全に解ける」
本当はザイスの中にある譲渡された魔方陣を破壊するのが正解だが、どこにあるのかは不明だ。
だから身体全て壊せば確かに解くことは可能である。
「どうだお前、俺についてくるか? って、服従が効いているうちは否定するに決まっているか」
とうとう私のすぐ側まで近寄ってきた男。
反射的に迎え撃とうと立ち上がるが……力が入らずそのまま倒れた。魔力切れだ。
だが左手を動かすくらいは出来る。
指先を男へと合わせようとして、その手を掴まれた。雷が直撃した男の手は酷い火傷を負っていて、その熱が私の手を包み込んでくる。
「そのまま寝ていろ。起きたとき、今の質問をもう一度聞いてやる」
その言葉を最後に意識が途切れた。
♪ ♪ ♪
次に目が覚めた時、私は何故か馬車の中だった。周囲に人の気配は二人ほど。
目を開かないままざっと身体をチェックし、異常の無いことを確認する。
いくつか打ち身傷は残っているものの、大した怪我ではない。拘束もされていないようだ。魔力も全快とまではいかないが、七割程度は回復している。
そこまで確認したところで、ふと何故馬車の中なのか疑問に思った。
確か私はザイスの命でベルモットを殺しにいき、そして護衛のランクS冒険者と戦って……。
そうか、負けて気絶したのか。回復した魔力量から計算するに、丸一日ほど寝ていたはずだ。
さて、どういう状況だろうか。
ベルモット側に捕らえられたのか?
……でも拘束されてないし。
となるとザイスに保護されたのかな?
後者ならこのままもう少し寝ていたいが、前者なら何とかして逃げなければならない。逃げないと服従の魔法で意識が朦朧とし、操られたかのように行動してしまうから。
万が一の事を考え、ここは捕まったと仮定し一気に行動へ移そう。
ばっと目を開け手近にいる人の首元へ手刀を伸ばす。相手は私の動きに反応したものの、防御が間に合わない。
よし、まずこの人を人質にとって……と相手の顔を見たが、そこに居たのは見知った顔だった。
「アリアッテ……?」
「おはようツェルアリム、いきなり酷いわね」
首に突きつけた手刀をゆっくりと離し、感じていたもう一人へと視線を移すと、やはり見知った顔だった。
一緒に建物へ行き裏口から回り込んだベルシアだ。
二人とも見る限り怪我らしいものはない。
なんだ、じゃあザイスに保護されたのか。でも馬車なんて大層なモノ買えるほど予算あったっけ。
「これってどこのチームの馬車を借りてきたの? ザイスさんは先に戻ったの?」
ザイスが御者なんてやる訳が無いが、この馬車の中には私含め三人しかいない。となると、先に戻ったのだろう。
御者をやっている人は、おそらく警ら隊辺りから人を引っ張ってきたと思われる。だとすると、あとで菓子折でも持って行って頭を下げにいく必要があるな。
そしてもし馬車をレンタルしていたのだとすれば、その代金は……今回私たちの失態が大きいから自費で賄わなければならないよね。
一応私たちにも給金は支払われている。もちろん生活に必要なものは全て国から支給されるし、住むところも宿舎だし、食事も食堂があり無料で食べられる。
給金が支払われるのは買い物、という行為の実践と金銭感覚を養うためだ。それ故金額自体は本当に小遣いレベルである。菓子折ならともかく馬車のレンタル代だと貯金が全く足りない。これは何としてもザイスを言い負かして公費として落とさなければならない重要案件だ。
そう新たな決意を胸に秘めていると、アリアッテは苦笑いしながら首を横に降った。
「ザイスさん死んだわよ」
「え? どういうこと?」
アリアッテの説明によると信じられない事を、あのランクS冒険者……ルーヴェンはしでかしたらしい。
私たちを撃退したあと、ザイスのいる仮アジトへ急襲をかけて粉みじんにしたそうだ。
一体どうやって場所を特定したのかと言えば、なんと一番最初、魔法をぶっ放したとき私に発信器のような魔法をかけていたんだって。
全く気がつかなかった。
それでこちら側の動きを把握していたそうだ。道理で筒抜けだったはずだ。完全に手の上だったのか。
そして本気で私たちを部下にするため、こんな事をしでかしたらしい。
今も三人まとめて馬車に閉じ込めて共和国へ出荷している途中だって。私の意思はどこへいった?
しかし……そうか、服従の支配から逃れられたのか。
正確には服従の魔方陣は未だ体内に埋め込まれているけど、それを行使する人がいないだけだが、実質的には自由となったのだ。
感慨深い。
「私たちはルーヴェンさんについていくことにしたけど、ツェルアリムはどうするの?」
「どうするって、もう馬車に乗せられているし……ベルシアもついていくの?」
「うん、突然自由と言われても何していいのか分からないから」
アリアッテと違いベルシアはまだ配属半年だ。何をするにおいても経験不足だから人の真似をすることが多い。私が気絶していたからアリアッテの考えに同意しただけだろう。
また、アリアッテも記憶を消され感情を抑えられ、教育されてきた人間だ。前世の記憶持ちという例外的な存在である私と五年同じチームで行動していたから、私の考えに感化されている。つまり、アリアッテは私の考えや行動と似ているのだ。
私もついていく、という選択をするのかな。ちょっと考えよう。
「共和国へいくのはいいけど、待遇はどうなるのかな。暗殺業を続けるのか、別のお仕事をやるのか、とか色々あるよ」
「んー、ルーヴェンさんが言うには、くらん、というところで働いてくれだって。きちんと給金もくれるみたいよ」
「くらん?」
首を傾げ、すぐ思いつく。クランってもしかして冒険者同士で固定グループを作ったやつかな。
冒険者ということは、魔物相手に戦ったり護衛したりする事になる。
でも私たちは暗殺……つまり対人専門であり、対魔物はそこまで訓練していないから役に立てるかどうかは不明だ。よく護衛に使われる犬型の魔物相手ならそこそこ訓練はしているけど、それ以外は殆ど素人だ。
さて、私はどうするべきか。
帝国、というより国家治安部隊には戻りたくないのは確かだけど……でも慈悲で助けられたくはない。下らないプライドだけど、借りは作りたくない。
しかし冒険者か。できればもう手荒な家業からは足を洗って、事務職にでもついて慎ましやかに平和に暮らしたい。
「よぉ、目が覚めたか」
私たちの会話が聞こえたのか、御者をしていた人が顔を覗かせてきた。
それは、私が戦った男……ルーヴェンだった。
「その様子だとそれなりに回復したようだな」
「はい、私たちには自己再生の魔方陣が埋め込まれていますから多少の切り傷なら暫く放っておけば勝手に治ります」
自己再生は細胞を活発化させる魔方陣で、治癒能力を高めるためのものだ。でもそれは身体の負担を高める事にも繋がる。
ま、こんなものが組み込まれているからこそ、寿命が短いんだけど。
ルーヴェンはそれを知ってか知らずか、便利なものだな、と呟いた。
「で、改めて問おう。どうだお前、俺についてくるか?」
「その前になぜ私たちを……服従から助けたのですか? ザイスさんまで殺したと聞きましたが、冒険者がわざわざ敵地まできて、そこまで目立った行為をする必要性はないはずです。あなたの仕事はベルモットさんを護衛することだけでしょう? まさか情に負けた、という事ではないですよね」
「単純だよ。お前さんらの力が欲しかったのと、気に入ったからだ」
「力なんて、私たち程度なら訓練すれば誰でも……とまではいきませんけど、それなりに強くなれる人なんてたくさんいます」
だいたい五年ほど私たちは訓練期間を設けられる。
逆に言えばそれだけ訓練すれば、私たちレベルに追いつく人は多数いるだろう。もちろん戦闘に有利な魔方陣が埋め込まれてる私たちのほうが有利ではあるが、世の中才能を持った人はたくさんいるのだ。
ルーヴェンもその問いには肯定する。
「まあそうだろうな」
「それに良いのですか? そこまでして頂いても私たちは……そう長く持ちませんよ? 費用効果は薄いです」
私はハーフエルフだからまだあと四十年や五十年は生きるだろうけど、アリアッテは多分五年くらいしか持たない。ベルシアだって十年くらいだろう。
そこまでして彼の部下として冒険者になっても、利用期間は短い。
「そこを含めて何とかする。当てはある。というかうざい、そこまで考えるな聞いてくるな、お前らは俺に負けたんだから勝者の言うことを聞け。俺はお前らが欲しいからついてこいってだけだ」
「逆ギレかっこわるいです。横暴ですよ、このロリコン」
「誰がロリコンだ! 俺はもっと大人の女が好みだ!」
「私の足をガン見してたくせに。それに大人の女性が好みって言ってますけど、生憎ですが私たちはこれ以上成長しませんよ、このロリコン」
「お前口悪いな! ま、その辺りは魔方陣を消せばなんとかなるだろ。いいか、とにかくお前ら、特にツェルアリムは黙って言うことを聞け」
そんな簡単に埋め込まれた魔方陣を消すなんて出来る訳がない。もし出来るなら、帝国の国家治安部隊は廃業だ。
しかし、黙って言う事を聞け、ね。
こういう、ついてこい、ってタイプは、いきなり自由だと言われ困惑しているアリアッテやベルシアから見れば安心するだろう。今まで言うなりだったからやりやすい。
でも、アリアッテやベルシアをこのままルーヴェンに任せっぱなしというのは納得できない。一応仲間だったし。
少なくとも彼女たちが天に召されるまでは、一緒に居てもいいかな。
「分かりました。ですが、私たちは高いですよ」
そう私が言うと、ルーヴェンは破顔した。
「金は心配するな、俺がたっぷり稼いでいる。ランクSなめんな」
こうして私たちは共和国という新しい世界で冒険者となった。
この先どうなるかは未知数だけど、帝国に居たときよりは楽しく生きられればと願いたい。