弊害は常に生徒に降りかかる
学校に復帰したゆうを待っていたのは、腫れ物を見るような冷たい同級生の視線だった。
飛び降り自殺未遂を犯したのだ。
その反応は、当たり前だった。
机の上で、鞄から教科書を取り出していたゆうは、視線を下げながらも、周りを観察していた。
(仕方がない…)
ゆうは最初、無理にでも作り笑いをして、何とか美咲をクラスに溶け込まそうと考えていたが、それをやめた。
美咲の中にいるから、わかった。
当事者の気持ちが。
クラスと仲良くしてや、仲直りなんて無理だ。
(こんな…残虐なのか?今の高校生は)
面と向かって言われて、わかる。面と向かって、感じる冷たさが、逆にゆうを強くした。
「あんた…戻ってきたの?」
昨日、廊下ですれ違いざま、美咲に死ねと言った女生徒だ。
美咲の隣に立ち、えらそうに腕を組んだ。
「自殺なんかしょうとしやがって!あたしらへの当て付け?」
(あたしら?)
ゆうは、女の肩ごしに見える四人の女生徒を確認した。
この四人を見た瞬間、また体の奥が痛みだした。
しかし、ゆうは美咲の胸を握り締めると、歯も食い縛り、言葉を絞りだした。
「あんたには、関係ないだろ」
「あんた?」
はあ〜?というような顔をして、美咲に近づいてくる女生徒から逃げることなく、ゆうは逆に近づき、胸ぐらを掴んだ。
驚く女生徒を、ゆうはただ睨んだ。
「お、お前…」
「亜希!」
他の四人が近づいてくる。
(いじめか…)
ゆうは、胸の奥から感じる激しい痛みに、涙した。
(美咲さん…。あんたが、苦しんだらいけない)
絵里香に言われていたが、美咲の体を傷つけるつもりはない。
ゆうは近づいてきた四人に向かって、亜希を押すように突き出すと、よろめく亜希と友達の横をすり抜けて、教室を後にした。
まだ次の授業までは、時間がある。
颯爽と飛び出したゆうは、心の奥に閉じこもっている美咲に話し掛けた。
(無理するなよ)
(同じクラスだから、仲良くなるはずもない。まして…)
ゆうは廊下を歩きながら、髪をかきあげた。
(自殺までする程追い詰められて…その子が退院してきたというのに!なんだ!あの雰囲気は!)
なぜ、帰ってきた。
なぜ、生きている。
口にせずとも、そんな言葉で溢れていた。
(絵里香に言って、クラスを変えるか?)
とも考えたが、それは逃げてるようで駄目だ。
同じ学校だ。他のクラスに行っても、状況は変わらない。
だったら、残るしかない。
学校は、社会生活に馴染む為の訓練だというが、そんな場所が、今のクラスでできるはずがない。
ゆうは、美咲に言いたかった。
あのクラスが、すべてじゃない。
友達が、同じクラスや学年でなければならないはずがない。
(外に作れ!その為にも、音楽部がいる)
人を人として扱わないやつらなら、自分から関係を断ち切ればいい。無理矢理、友達でいてほしいわけがない。
校内をうろつき、時間を潰したゆうは、席につき、ノートを開けた瞬間、目を見開き、絶句した。
死ね。もう一度、死ねと。
それを見た瞬間、また奥にいる美咲が泣いた。
ゆうは、痛みに耐えた。
歯を食い縛り、
(美咲!)
美咲には話し掛けた。
(負けるな!)
ゆうは、死ねと書かれたページをノートから切り離すと立ち上がり、悠々と机の間を歩き、黒板にそのノートを貼りつけた。
(絵里香に釘を刺されていたが…もう無理だ!)
ゆうは、クラス中の生徒を見回し、こう言った。
「これは、もう体験した」
ゆうは、美咲風にするのをやめた。
自分は自分だ。
ノートの切れ端を叩いていると、ホームルームを始める為に、絵里香が教室に入ってきた。
そして、黒板の前にいる美咲に驚き、更に貼ってある紙の内容に、言葉に目眩をおぼえた。
「あれは…何よ…」
一時間目の授業が終わり、絵里香とゆうは、渡り廊下に来ていた。
手摺りの上で、頭を抱える絵里香に、ゆうは当然とばかりにこたえた。
「いじめだろ」
ゆうは手摺りにもたれ、腕を組ながら考え込んでいた。
「い、いじめだなんて…どう対応したら…」
悩み込む絵里香に、ゆうは言い放った。
「ほっとけ」
「え?」
予想外の答えに、思わずゆうを見た絵里香。
ゆうは、手摺りから離れた。
「教師が注意したぐらいで、なくなるものでもない。いじめなんて、ガキの風習みたいなもんだ」
「な!?」
「それに、自殺まで追い込まれたクラスメイトが復帰して来た日に、死ねと書ける連中だ。教師の言葉くらいで、良くなるわけがない」
ゆうは渡り廊下を歩きだす。
「お、お兄ちゃん!どこへ」
ゆうは、絵里香を見ずにこたえた。
「お前や美咲には悪いが、あのクラスには居場所がない。だったら、つくればいい!美咲のいれる居場所をな!」
「お兄ちゃん…」
「お前にきいた…軽音部の元部長に、会いに行ってくる」
「え?」
「心配するな…。美咲は何とかするから」
南館に入る前に、ゆうは振り返り、
「美咲に楽しさを教えたいんだ」
そして、空を見上げ、太陽の眩しさに目を細めた。
「夕暮れしか存在できなかった俺が、再び…太陽の眩しさを感じることができたのは、この体のお陰」
ゆうは、美咲の体である今の自分の手を見つめ、
「……生きているということが、どんなに素晴らしいか。死んだら、何もないことを」
ギュッと握り締めた。
「愛する人を守ることもできない!」
「お兄ちゃん…」
「居場所くらい作ってやる!それに、人は悪いやつばかりじゃない!きっと…美咲を愛してくれる仲間が、見つかるはずだ」
ゆうは、また歩きだす。
「自分から、それを求めて、動けばな」
「丹波?」
「はい!今、いらっしゃいますか?」
北館の三階は、すべて3年のクラスになっていた。
ゆうは、軽音部の部長だった生徒を訪ねて、わざわざ来ていた。教室内には入れないから、入口で出てきた女生徒にきいた。
「丹波?」
女生徒は首を傾げると、ゆうをまじまじと見つめた。
「あなたは…どんな用が丹波にあるのかしら?」
「え?ああ…」
いるかいないかの返事ではなく、質問だった為に、少し戸惑ったが、ゆうは慌ててこたえた。
「元軽音部の部長さんだと、聞きましたので…」
ゆうの答えに、女生徒は腕を組んだ。
「あたしが、丹波だけど…何か?」
「え?」
目の前に立つ細身の女生徒は、背中まである黒髪と、細長い眉。利発そうな広いおでこは、音楽をやっているようには、見えない。
純和風な感じの丹波に見惚れているゆうに、
「少し場所を変えましょう」
丹波は教室から離れるように、促した。
三階から、階段を上がると、屋上へと繋がっていた。
丹波は屋上の扉についてるノブを握ると、力を入れた。錆びているか…ゆっくりと軋みながら、扉は開いた。
丹波は、先に中に入った。
ゆうも後に続く。
(初めて来たな)
生きている時も、屋上には来たことがなかったゆうは感慨深気に、周りを見回した。
「あなた…一年よね。知らなかった?もう軽音部はないのよ」
丹波は、ゆうに背を向けたまま、口を開いた。
「知ってます」
ゆうは頷いた。
「あたしが、部長だったって…誰に聞いたの?」
「前田先生から…」
「前田?」
丹波は、少し考えていた。
やがて、前に歩きだすと、屋上を被う金網に近付き、両手で握り締めた。
「おかしいわね…。学校側は隠したいはずなのに…」
丹波は校舎を見下ろした後、ゆっくりとゆうに体を向けた。
そして、ゆうをじっと見つめながら、質問した。
「どこまで聞いてるの?」
「どこまで?」
ゆうはただ…軽音部の復活を頼みに来ただけだ。
しかし、話はそう簡単にすみそうにない。
隠す必要もないので、ゆうは絵里香からきいた内容を説明した。
一通り話をきいた丹波は、苦笑した。
「まあ…確かにあってるけど…。違うことがあるわ」
丹波は突然、スカートから煙草を取り出すと、口にくわえた。
火をつけ、一服し出す様子に目を丸くしていると、丹波はすぐに煙草を屋上の床に捨て、足で踏み潰した。
「ここは、一応進学校だから、煙草一本で大騒ぎ!」
と言ってから、クスクス笑った後、すぐに笑みは消え、
「だから…あの事件の時は、大騒ぎよ」
怒ってるような表情に変わった。
「だから……軽音部を消したのよ」
「え」
突然、チャイムが鳴りだし、次の授業の始まりを強制する。
丹波は頭をかくと、金網から離れた。
「だから…軽音部はここにはないの」
丹波は、ゆうの少し後ろで止まり、
「ごめんなさいね」
声をかけた。
寂しげな消え去りそうな声に、ゆうは力強く振り返り、叫ぶように言った。
「やったらいいでしょ!自由に!」
「自由ね…」
丹波は、下へ戻る扉をくぐる前に、もう一言付け加えた。
それは、とても大事で…悲しいことだった。
「その話の続きを教えてあげるわ」
丹波は、ゆうの目を見、すぐに視線を逸らした。
「そのレイプされた部員は……自殺したのよ」
「自殺!?」
「そうよ」
丹波は、前を向き、
「だから…軽音部はね。この学校にあってはならない存在なの…。忘れたいのよ」
悲しく笑い去って行こうとする丹波を、ゆうは呼び止めた。
「あたしは……いや、あたしも!その人と同じだから…」
呼び止めたものの…あまりのショックに、上手く言葉にできない。
「あなたの名は?」
丹波は、足を止めた。
「加藤美咲…です」
名前を聞いて、丹波は振り返り、もう一度ゆうの顔を見つめた後、すぐに背中を向けた。
「丹波さん!」
ゆうは入り口に駆け寄り、階段を下りていく丹波に叫んだ。
一段一段踏み締めて下りていく丹波は、もう振り返らなかったが、最後に一言だけ口にした。
「ここで、音楽をやりたいなら…愛香に言いなさい」
「愛香?」
「早瀬愛香。二年にいるわ」
そう言うと、丹波は階段を下り、左に曲がると、自分のクラスに戻っていった。
ゆうはまだ…知らない。
早瀬愛香。
彼女の姉こそが、自殺した生徒だった。
そして、この出会いが運命を加速していく。
早速、ゆうは昼休みに、早瀬愛香を探した。
しかし、クラスにはいないと言う。
クラスメイトの1人が、ゆうに告げた。
「あの子なら…多分、体育館のどこかよ」
「体育館?」
ゆうは首を捻りながら、渡り廊下を渡っていた。
軽音部員が、体育館にいるイメージはなかったが、ゆうには心当たりがあった。
(先日のあの歌声…)
体育館の隙間で、歌っていた少女。
ゆうは、その場所から走った。
渡り廊下から、左に曲がり、体育館の二階入口を過ぎると、端に空間がある。
そこに顔を出したが、彼女はいなかった。
歌声がしなかったから、いないと思ったけど…。
「あなた…ここが気に入ったの?」
唐突に真後ろから、声をかけられて驚いたゆうが慌てて振り返ると、そこに昨日の生徒が、立っていた。
「まあ〜いいわ。あげる」
と言って、踵を返すようにその場から離れようとする少女に、ゆうは声をかけた。
「早瀬愛香さんですね?」
愛香は足を止め、振り返り、ゆうを見た。
しかし、何も言わない。
ゆうは気にせずに、言葉を続けた。
「あ、あたし!この学校で音楽をやりたいんです!だから…あたしと一緒に!」
ゆうが言葉を言い終わる前に、愛香がきいた。
「あなた…経験はあるの?」
「け、経験?」
それは、ゆうにも美咲にもなかった。
「えっ!あ」
口籠もるゆうから、愛香は視線を外した。
「ごめんなさい。素人はいらない」
すぐに歩きだす愛香を、何とか引き止めようとするが、無理だった。
渡り廊下を渡り終えようとする愛香に向かって、ゆうは叫んだ。
「し、素人じゃなかったらいいんですね!」
その叫びが届いたかは、わからないが、ゆうは決意した。
音楽を練習しょう。
ゆうの話を聞いた絵里香は、呆れた。
「どうして…音楽にこだわるのよ」
「それより、お前こそどうして、自殺を言わなかった」
昼休みも半分以上過ぎていたが、ゆうは無理矢理、絵里香を人気のない校舎裏に、呼び出していた。
「そ、それは…」
口籠もる絵里香。
「俺は、そういうこの学校の風潮もなおしたい!だから、音楽を絶対にやる!」
と言い切ったものの…素人では、愛香が認めてくれない。
(音楽を教えてくれる…場所?)
考え込んだゆうの脳裏に、明日香の言葉がよみがえった。
(知り合いの店で、教えて貰ってるの)
明日香の楽しそうな笑顔とともに、ゆうは思い出した。
その店の店名を。
「ダブルケイ…」




