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歌の化石

「先輩…やっぱり、デマじゃないんですか?」


今日は、晴天だった。


雲一つない空から、直接降り注ぐ日差し。その光から避難するように多田治は、渡り廊下の下の日陰へと走った。


「そんなはずは…ないんだが…」


一通の封筒を見つめながら、鳳学園の中庭を、スーツ姿で歩く男。


「学校は、ここになっている」


男は、封筒の中から、一枚の履歴書を取り出した。


「ここには、そんな名前の生徒、いませんでしたでしょ」


多田の言うことは、もっともだ。


今さっき、職員室に行き、名簿を調べてもらったが、該当者はいなかった。


阿藤樹里奈。


履歴書には、そうかかれてあった。


そして、今…鳳学園に、在籍中であると。それ以外の住所は書かれていなかった。


履歴書を見つめる男に、多田は呆れ、


「ったく…先輩、もうあきらめましょう」


暑さにだれていた。


「いや…まだ頑張るよ」


男は、履歴書を丁寧に折り、封筒に戻した。


「ああ〜諦め悪いんだから…飯田先輩は」


肩をがくと、落とす多田。


「それが、仕事だ」


飯田直樹は、渡り廊下へと、近づいてきた。


少しは、日差しが防げる。



鳳学園。


誰が通っている学校か…まったく分からず、この学校にいくことを業務的に社長室で告げた直樹を、木目の綺麗な巨大ディスクの向こうから、天城志乃は、ぎろっと睨んだ。


直樹の報告書と、送ってきた履歴書を、直樹に投げつけると、ため息をついた。


訝しげに、志乃を見ながらも、姿勢だけは正し、直樹は、報告を続けた。


「送ってきたテープを、聴いて頂いてもわかるように、十年に1人の逸材と思われますが…」


席を立った志乃に気づき、直樹は眉を寄せた。


「何か…納得できない点でも?」


志乃は、もう一度履歴書を手に取り、名前と写真を確認した。


「ふざけてる…」


ぼそっと呟くと、履歴書をディスクの上に置いた。


丁寧にも、直立不動になっている直樹を、軽く睨みながら、ゆっくりと近づいてくる。


「確かに…」


志乃は、直樹の右横で立ち止まった。


「歌は上手いわ」


「はい」


志乃は、微動だにしない直樹から見えないように拳を握りしめ、耳元で優しく囁いた。


「それだけ…。歌に、心がない」


志乃はそう言うと、直樹から離れた。


背を向けてディスクに戻っていく志乃に、直樹は口を開いた。


「それは…経験がないだけで…」


バン。


大きな音をたてて、椅子に座った志乃は、ディスクに肘を置き、さらに深いため息をついた。


「あんた…それでよく、スカウトとかしてるわね」


呆れたように、両手を広げ、大袈裟に嘆いてみせる。


「この段階で、歌が上手いか、下手とか関係なく!心が、一番大事なの


「心…」


志乃は頷き、履歴書に目を落とした。


「聴かせたい。聴いてほしいという…思いや願い。メッセージもないわ」


「それは…」


志乃の言いたいことは、わかる。


だけど、納得できない。


「それは、わかります!しかし、相手は、高校生です」


直樹の言葉に、志乃はせせら笑った。


「年齢なんて、関係ないわ。歌を歌い、それを聴いてもらう為に、送ってきたのならば、一番大切よ」


しばらく、志乃と直樹は、睨み合った。


やがて、直樹が頭を下げた。


「失礼します」


直樹は、ディスクの上から、履歴書をひったくると、つかつかとドアまで、歩いていき、ノブを握りしめ…ドアを開け、外に出た。


志乃は、ドアが完全に閉まるまで、見つめてから、また深いため息をついた。


「あいつは…」


少し毒づくと、志乃は履歴書の名前を、思い出していた。


阿藤樹里奈。


「…ジュリア・アートウッド」


かつてのパーフェクト・ボイス。


明らかに、彼女の名前の当て字だ。


志乃は、嫌な事を思い出していた。


かつて、ジュリア・アートウッドを介して、世界を混乱に陥れようとした者達に、志乃は喉をつぶされていた。


確かに、パーフェクト・ボイスには遠かったが…それでも、世界デビューを、約束された歌声だった。


声帯が傷ついてからも、何とか歌手として復帰し、ファンの暖かさや、周囲の優しさによって、志乃は歌手だけでなく、作曲家…そして、プロデューサーとして、開花し、今や小さいながらも会社を経営できるようになった。


しかし、年を重ね、安定したヒット曲はできたけど…確実に声量が衰え、声の張りがなくなってきている…そんな今だからこそ、歌というものを考えるようになっていた。


「声を壊さなければ…」


しかし、今ある地位は、声を壊したからだ。


今回、直樹が持ってきた歌声は、かつての自分に似ていた。


傲慢ささえも。




「まったく…大変なことになった…」


ぼやきながら、早歩きで校内を進む絵里香は、額に浮かぶ汗さえ拭わずに、ただ何度も、溜め息をついていた。


職員室に戻る途中、渡り廊下が見えたので、思い切り睨んだ。


(あいつのせいだ)


睨みながら、渡り廊下の下を通過しょうとしたら、涼んでいる2人の男に気づいた。


(部外者?)


最近は、学校も物騒だ。


訝しげに、2人を見る絵里香に気付き、直樹は深々と、頭を下げた。


「すいません。少々、お尋ねしたいことが…」


名刺を取り出しながら、直樹は、絵里香に近付いた。


「何?」


直樹の顔を見て、変な人間ではないと、印象を受けた絵里香は、差し出された名刺を、素直に受け取った。


「音楽プロダクション…」


そういう会社があることは分かっていたけど、大部分は胡散臭いと、思い込んでいる絵里香は、印象を破棄し、直樹達を訝しげに見つめた。


直樹は、直樹で志乃の名前を出したら、大体は円満にいくのに、名前を出すことが嫌だった。


(志乃の名前をきいて、靡くやつなんて、嫌だ)


絵里香には関係ないが、直樹は無意識の内に、志乃の名前を出さない営業をしていた。


志乃を超える歌手を。


直樹は気づいていないが、無意識に…あの子を求めていた。



絵里香の怪しんでる表情に気付いた多田は、二人の間に慌てて割って入った。


「う、うちは、怪しい会社ではなく…天城志乃を代表に有する!由緒正しい会社でして」


「ああ…天城志乃」


絵里香は、名前は知っていたけど、歌手になんて興味はなかった。


だけど、知っているか、知らないで…大層な差があった。


押せると思った多田は、畳み掛けようとするが、直樹が止めた。


「申し訳ないです」


頭を下げた直樹に、多田は驚き、目を丸くした。


「せ、先輩…」


「出直します」


直樹は、学校の外に向けて歩きだした。


正門までの長い一本道を、早足で歩く直樹を、驚きながら多田が追った。


「先輩!いきなりどうしたんですか?」


直樹は前を見ながら、後ろからついてくる多田には、目もくれなかった。


「先輩!」


「多田!ここには、いないかもしれない」


直樹は、校門を通り抜けた。


「え?で、でも」


言葉に詰まった多田は、いきなり立ち止まった直樹の背中に、ぶつかった。


「いっ!…せ、先輩…」


鼻を打った多田を無視して、直樹は振り返り、校舎を眺めた。


高い塀の中に、都会の中心部から離れている為か、城のように巨大な校舎を見ていると、直樹には仕方がないように思えてきた。


(この中で過ごせる時に…他人の為なんて思うのか?)


志乃の言う歌手の心構えを、こんな若い時から持っている者が…歌手というあこぎな世界でやっていける訳がない。



(なおくん…)


直樹の脳裏に、高校時代の香里奈が浮かんだ。


誰よりも才能があり、誰よりも凄い歌を歌えていた。


(だけど…優しすぎた)


今は、歌手として世界でも有数のシンガーになったが…あの時代に、もっと自信を持っていたら…香里奈は、もっと幸せな歌手になっていたことだろう。


ジプシーのように、旅する香里奈に、どこか悲しさを覚えていた。


時に、音楽は残酷な程…人の人生を弄ぶ。


直樹は、学校に背を向けて歩きだした。


もしかしたら…自分も音楽の中で、彷徨っているのかもしれない。




「音楽ねえ〜」


貰った名刺をまじまじと見てから、絵里香は一応ジャケットのポケットに突っ込んだ。


まあカラオケぐらいはいくが、大して興味がなかった。


歌なんて、消耗品か…遠い思い出の残りカスだ。


渡り廊下の下から出たときには、絵里香の頭から、音楽のことは消えた。



「明日に備えないと」


慌ただしく走り出した絵里香の後ろを、1人の女子生徒が通った。


渡り廊下の下で、日差しから逃げると、大きく深呼吸した。


「はぁ〜緊張する〜」


心臓がバクバクして、破裂しそうだ。


でも、こんなところで怖気付いてる場合ではない。


もう一度深呼吸すると、拳を握り締め、


「よし!」


と気合いをいれて、歩きだした。


生徒が目指す場所は、中央館の二階にあった。


渡り廊下の下から、グラウンドを尻目に、右に曲がると、中庭の入口から入ることができた。


階段を上がると、二階にあった。


音楽室。


かつて、生徒の母親が入っていたというクラブ……軽音部があった。


扉の前まで来て、緊張で動けない。


またまた深呼吸をすると、勢いよく扉を開けた。


「失礼します」


開けると同時に、頭を下げ、


「一年B組…速水和恵!こちらの部へ!入部したく思いまして…」


和恵が、勢いよく自己紹介していると、


「ようこそ!我が部へ」


音楽室の窓際の壁に、もたれていた女が、走り寄ってきた。


和恵の両手を握り締めると、


「君も、この世の中に不満を持っているんだね!」


机の上に、座っていた五人の女達が、和恵に近づいてきた。


「この世は、女が強くなったと言われるが!まだまだ、女は弱い!」


六人は、和恵を囲んだ。


「我々は、女の為の女の地位向上の為に、活動する―女子上位主義同好会!」



「え?」


和恵は、目が点になった。


そんな和恵と違い、同士を得た六人は、歓喜の踊りを舞う。


「ここ…軽音部じゃないんですか?」


和恵の呟きのような質問に、最初に寄ってきた生徒が、答えた。


「軽音部?そんなの…この学校には、ないわよ」



「し、失礼しました!」


和恵は慌てて、頭を下げると後退り、音楽室の扉を閉めた。急いで、音楽室から離れると、早足で歩きだした。


「え?」


中央館から、南館につながる廊下を渡るころには、和恵の歩くスピードはダウンしていった。


(軽音部が…ない)


予想外だった。


和恵はショックを隠せず、トボトボと歩きだした。


脳裏に、母…明日香の言葉が浮かんだ。 


どうして歌手になったのかと、和恵がきいたところ…明日香はにこっりと笑った。


「素敵な出会いが、たくさんあったの」


和恵のおばあちゃんにあたる恵子、和美おばさんに…啓介パパ…そして…夕陽の中で佇む少年。



「彼には、勇気と優しさを貰ったの…」


明日香は、思い出していた。


「ママの恋人だったの?」


明日香の妙な表情を見て、和恵はきいた。


「え?」


我に返った明日香は、思わず和恵を見た。


じいっと、探るように自分を見ている和恵に気付き、首を横に振った。


「ち、ちがうわよ!そんなんじゃ…」


たった数日の淡い初恋だった。


明日香は照れたように、和恵から視線を外した。


明日香の脳裏に、少年の最後の言葉を思い出していた。


(できれば…君の歌を聴きたかった)


明日香は、独り言のように呟いた。


「そういえば…聴いてないんだ…」


明日香に、恋という…大切な思いを伝えた人は…この学校の体育館へ続く渡り廊下で出会ったと、明日香は言っていた。



そんな話を思い出したのは、自分がそこにいるからだろうか…。


トボトボ歩いていた和恵は、いつのまにか…渡り廊下にいた。


思わず足を止めた和恵の目の前に、外の景色が広がった。


グラウンドが見える右側の手摺りに、誰がもたれかかっていた。


今日は、少し風が強いのか…髪がなびいていた。



しかし、明日香の時と違うのは……その出会いが、男の子ではなく、女の子だったということだ。



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