眩しい目覚め
「まったく!むかつくと思わない!あの男!相変わらず、最低なやつ!」
もう夜の8時。
殆どの生徒も先生も帰り、真っ暗になった校内に残る者は少ない。
手摺りにもたれ、グランドに背を向けて、絵里香は煙草を吹かす。
「今日は、宿直じゃないだろ。それにまだ…残ってるやつもいるから、煙草はまずいだろ」
絵里香の隣で、足を伸ばし、頭が見えないように、手摺りにもたれて座る…ゆう。
「大丈夫。下からは、見えないし。そんなことより、お兄ちゃん!どうするのよ」
絵里香は、ゆうを見た。
「あいつ…先生になってたんだな…」
ゆうは、廊下に落ちてあった石を掴み、反対側の手摺りに投げた。
「夕方や、夜なら…ぶっ飛ばせるんだけどな」
絵里香は煙草の煙を吐き出しながら、溜め息をついた。
「あのね〜お兄ちゃん!小学生じゃないんだから、殴ったらいいってもんじゃないのよ!」
ゆうは、また石を拾うと、今度は、それを握り締める。
「わかってるよ。だけど…俺は、ずっと高校生で…」
ゆうは悔しそうに、石をぎゅと握り続ける。
「生きてもいない…」
「お兄ちゃん…」
絵里香は、ゆうの目に涙を確認した。
「俺は…あの時、全部消えたはずだった。だけど、お前の中に、ほんの少しだけ残っていた…思念…」
ゆうは、立ち上がった。
「今の俺である優一が、意識不明の重体だから…こうして、生き霊から、幽霊に、ランクアップしたけど…」
ゆうは、真上の三日月を見上げた。
昨日より、かけ具合はいい。
「優一お兄ちゃんは、大丈夫だよね」
絵里香の心配そうな声に、ゆうは頷き、
「俺が、成仏でもしないかぎりは、大丈夫だ」
腕をグルグルと回し、身体の調子を確かめた。
「優一には、悪いけど…前みたいに、黄昏だけしか存在できないのは、勘弁だ。でも、昼間は動けない」
「そこに、誰かいますか?」
突然、南館の方から、声がした。
慌てて、絵里香は携帯灰皿に煙草をねじ込み、ゆうは消えた。
「誰かいるんですか?」
懐中電灯片手に現れたのは、音楽教師の岡村だ。
お腹が大きく、もうすぐ産休をとる予定だった。
「前田先生…」
懐中電灯に照らされて、頭をかく絵里香に、驚きながら、岡村は近づいてくる。
「まだ帰ってなかったんですか!?こんなところで、何を」
「せ、先生こそ…宿直ではないでしょ?こんな時間まで」
「あたしは、音楽室の片付けを………きゃあ!!!」
岡村はいきなり、悲鳴を上げると、懐中電灯を落とした。
絵里香の後ろを指差し、泡を噴きながら、その場で崩れ落ちていく。
「先生!」
絵里香がかけ寄り、岡村を抱き上げた。
岡村が、指差す方を見ると、オロオロと慌てるゆうがいた。
そう…。消えるなんて、器用なことができる訳がなかったのだ。
絵里香は手で、向こうに行くように促す。
ゆうは後ろを見て頷くと、体育館の入り口の横から伸びる階段に、身を潜めた。
見えなくなったのを確認し、安心した絵里香の腕を、岡村が凄い力で掴んだ。
「う、う…産まれるぅ」
「え!」
岡村の苦しそうな形相に、絵里香は思わず叫んだ。
「救急車を!」
慌てて飛んできた宿直の先生と絵里香は、救急車を呼んだ。
数分後、渡り廊下から岡村はタンカーに乗せられ、救急車で病院まで運ばれた。
絵里香は付き添いで、一緒に救急車に乗ることになった。
「びっくりした…」
渡り廊下から、去っていく救急車を見送ったゆうは、そっと胸を撫で下ろした。
「いきなり…倒れるとはな」
安堵の息をつくと、ゆうは手摺りにもたれた。
幽霊になってから、わかったこと。
朝まで、何もできないということ。
折角、幽霊になっても、何もできない。
できるのは、校内を彷徨うくらいだ。
同じ幽霊に、会うこともない。
「どうすれば…守れるんだ」
自分が歯がゆくて、痛くない拳を地面に叩きつけていると、誰かが階段を上ってくる足音がした。
先程、ゆうが隠れたグランドから伸びる階段からだ。
ゆうは南館から、中庭に下りる階段に、急いだ。
身を潜めていると、トボトボと1人の少女が、階段から姿を見せた。
暗い為、表情はわからない。
制服から、この学校の生徒だとわかった。
生徒は、フラフラとした足取りで、渡り廊下の真ん中に来ると、いきなり手摺りに跨った。
少女の手から、鞄が渡り廊下に落ちた。
ゆうには、少女の行動の意味がわかった。
自殺だ。
「駄目だ!」
ゆうは思わず、階段から飛び出し、少女に向かって走り出した。
少女は、誰もいないと思っていたので、驚きの顔を向けた。
「危ない!」
手摺りから、飛び降りようとする少女に、ゆうは抱きついた。
「いや!離して!あたしは死にたいの!学校で!」
「駄目だ!」
もう飛び降りかけていた少女に抱きついたはいいが、勢い余って手摺りを支点にして、鉄棒のようにくるっと回転してしまった。
「うわああ」
「きゃああ」
2人は、手摺りから落ちた。
「渡り廊下で…死なせるかあ」
地面に激突するまで一瞬であるが…その間に、ゆうは、少女の包むように抱きしめ、自分の体を下にして、クッションのように落ちようとした。
どうせ、自分は死んでいる。
鈍い音がした。
2人の体は、中庭のコンクリートではなく、グランドのそばにある…花壇に落ちた。
「美咲!美咲!」
知らない名前を呼ぶ声が、耳元で聞こえた。
「美咲!美咲!」
あまりに何度も言われるから、ゆうは、うっとおしくなり、重い瞼をゆっくりと開けた。
そう言えば、こんな感覚…何年ぶりだろうか。
眩しい光が、目に飛び込んできた。
あまりの眩しさに、ゆうは目をまた、瞑った。
「美咲!」
ゆうの体に、何人もの手がすがりついている。
ゆうは徐に、もう一度目を開けた。
徐々に、光に馴れてきた目に、知らない顔が映る。
「だ、誰?」
ゆうが呟いた言葉に、一瞬凍り付く顔。
「何言ってるんだ!お母さんだろ!」
覗き込んでいた男の顔が、思わず声を荒げた。
「母さん…?」
訝しげな顔をしたゆうを見て、男は顔を上げ、後ろを振り返った。
「先生!どういうことですか」
ゆうの視界に、白衣を着た医者が、顔を覗かせる。
「多分。頭を強く打ったことによる…一時的な記憶障害でしょう」
医者の言葉をきいて、周りは泣き出す。
「な…」
ゆうは訳がわからず、何とか力を込めて起き上がり、周りを確認した。
何故か、ゆうはベットの上にいた。
「病院…?」
ゆうは驚き、周りをもう一度見回した。
まだ少し体が、痛む。
顔をしかめたゆうの顔が、横にあった窓ガラスに映る。
「…え!」
「先生」
母親が、医者を見た。
医者は、首を横に振った。
ショックで、倒れそうになる母親を、父親と思われる人物が支えた。
「大丈夫だ。母さん…すぐに思い出すよ」
慰めの言葉をかける父親。
しかし、そんな会話は、ゆうの耳には、入らなかった。
窓に映る顔を、まじまじと見つめ、硬直してしまう。
「美咲。どうしたんだい?」
動かないゆうを心配して、父親が声をかけた。
ゆうは、何とか声を絞り出した。
「か、鏡…。あ、ありますか?」
「あっ」
少し離れて立っていた女の人が、自分のバッグを漁り、手鏡を取り出した。
「ありがとうございます」
それを受け取り、ゆうは自分の顔を見た。
鏡を少し離したり、近づけて、上から下まで…何度も見て、確認した。
「アハハハ…」
声にならない笑い声を、発しながら、ゆうは鏡をベットの上に落とした。
「お、おんなだ…」
鏡には、知らない女の子が映っていた。
いや…知っていた。昨晩、出会った生徒だ。
そう…ゆうは、あの女の子に取り憑いたのだ。
「お、おんな…って、どういう意味なの!」
母親は、ゆうにすがりつき、
「そんなことも…わからないなんて…」
すすり泣いた。
ゆうは、どう対処していいのかわからず、オロオロしてしまう。
「母さん…」
父親が、母親の肩に手を置いた。
「一番辛いのは…美咲なんだよ」
父親は、母親を諭しながらも、ゆうを見て、顔を背けた。
その瞳から、涙が一筋流れた。
母親は、ゆうを抱きしめ、泣いた。
周りも顔を伏せ、泣いていた。
(え…え…えらいこっちゃ!)
なぜか、関西弁で、ゆうの心は叫んだ。
戸惑いながらも、必死に笑顔をつくり、ゆうは周りに言った。
「だ、大丈夫だから。心配しないで」
母親は顔を上げ、周りの人々が、ゆうを見つめた。
しばらくの間があり、周囲の人も泣き出した。さっきより、大きな声で。
「優しい子」
いつまでも、すがりついている母親を、父親はそっと両肩を掴み、ゆうから離した。
「これ以上は…美咲に負担がかかる」
「お父さん…」
「今日は帰ろう」
母親は、泣き顔をゆうに向け、しばらく見つめると、父親の言葉に頷いた。




