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プロローグ

山が赤かった。


自分が見ることができる端から、端まで、小高い山が、街を囲んでいた。


小さな山だから、自転車でもあれば、すぐに麓まで行けそうだ。


子供の頃、1人で自転車に乗って、朝早くに旅立った。


結局、なかなか辿り着かず、麓に着いた時は、夕方近くになった。


もう帰らなくてはいけない。


自転車を止め、山への入口から、目の前に聳える山の大きさに、息を飲んだ。


圧倒されていると、山の色が一瞬にして、変わっていった。


山の頂上から、光が溢れ、光のシャワーが、まるでかき氷にオレンジのシロップをかけていくような…。


異界に、紛れ込んだような美しさ。


いつもの町で見る…夕暮れより、美しくて、妙に寂しくなった。


普段なら、もう家に帰っている時間。温かい温もりに包まれている時間だ。


夕暮れが終わると、夜は黒い闇を、バケツにいれて、一気にまき散らかしたかのように、一気に辺りを暗くした。


夜の暗さが、さっきまで綺麗で、ワクワクさせた山の様子を、一転して、こわくて、異形なものに変えた。


「うわあ〜」


思わず声を上げて、慌てて自転車を漕ごうとして、転けてしまった。


「大丈夫!僕!」


転んだ男の子を、助けようと、1人の女が、木造の家から出てきた。


「大丈夫です」


何とか立ち上がった男の子は、手を差し伸ばしてくれた女に頭を下げた。


倒れた自転車を起こし、体についた砂を払う。


「怪我はない?」


女の人は、男の子の体をチェックし、心配そうに訊いた。


「どこから来たの?」


「高野です」


男の子が言った地名を、女は知らなかった。


自転車に書かれた住所の一部を見て、驚いた。


「…市!結構、遠いじゃない!今から帰るの?」


「はい!」


男の子は元気よく返事をして、自転車に乗ろうとしたけど、女が止めた。


「待ちなさい。家には連絡したの?」


小学生であった男の子は、携帯など持ってるわけがなかった。


「ご両親が心配するわ。電話貸してあげるから、かけなさい」


女は無理やり、男の子を自転車から降ろすと、手を取り、木造の家に連れて行く。


木造の扉にかかった鉄のプレートが、まだクローズとなっていた。


分厚い扉を開けると、これまた、分厚い音が飛び込んでくる。


そこは、店だった。


扉の前に、15席くらいのカウンターが広がり、右に目をやると、そこにはステージがあった。


ステージ前に、テーブルが点在し、カウンターの奥に並ぶ…数多くのお酒のボトル。


小学生が、こんな店に来たことがあるはずがなく、男の子は、圧倒される。


ほんのり漂う煙草の匂いも…男の子には、不思議な香りだった。


「啓介!電話するから、吹くのをやめて頂戴」


それより、男の子が驚いたのは、ステージに立ち、サックスを手にしていたのが、自分と歳の変わらない…男の子のだったことだ。


「はい。ママ」


啓介は素直に、演奏を止めた。


「はい。こっちよ」


女に促されて、男の子はカウンター内に入った。


とても狭い通路が、男の子には、とっても新鮮だった。


カウンター内にある台下冷蔵庫を利用した調理台も、右手に広がるお酒の多さも、男の子には、とても興味深く、夢の空間に見えた。


受話器を取り、番号を押す。すぐに、電話は繋がった。


「お母さん…優だけど…」





「自転車は置いてってもいいのよ。明日運んであげるから。今日は、車で送りましょうか?」


心配してくれる女に、優一は精一杯の笑顔を見せて、


「大丈夫です。ありがとうございました」


頭を下げ、自転車を漕ぎ出した。


「本当に、大丈夫なの?気をつけてね」



もう暗くなった山道を、町に向かって走り出す。


まだ6時くらいなのに、辺りは真っ暗だ。


坂道を下りながら、優一は振り返った。


まだ道の真ん中に、女は立っていた。こちらを見守っている。




その店の名前は、覚えてなかった。


ただ山と、帰る町の狭間にある…音楽の流れる店とだけ、印象に残った。


それよりも、帰る途中、土手の近くに、お城のように聳え立っていた…学校の方が、優一には、印象に残った。


自転車を止め、練習が終わり、ボールとじゃれ合いながら、片付けているサッカー部を数分眺めてしまった。


校門まで行き、学校名を見に行く。


「…学園…。読めないや」


小学生の優一には、難しい過ぎた文字。


鳳学園。


後に、優一が通うことになる学校だ。


そして、実習生として、戻ってくる学校でもある。







ガタガタと激しい揺れを起こしながら、電車は進んでいく。


「こんなに揺れたっけ」


吊革にぶら下がりながら、驚く優一に、隣で吊革に掴まる絵里香が、スムーズな体重移動をしながら、


「この前、学校に来たんでしょ」


慣れた様子で、派手に動くこともなく、平然と携帯をチェックしながら、言った。


「この前は、夕方だし…。こんな揺れなかった」


優一は、吊革に翻弄されながら、目の前を通り過ぎていく景色に、感嘆していた。


変わらないものもあれば、変わったものもある。


中央環状線辺りの荒れ地は、立派なショヒングモールに変わっていた。


次の駅を降りると、学校に近い。


「教師なんて…あたしは、なりたくないなあ」


携帯をしまい、絵里香は優一を見た。


絵里香は、優一の従妹であり、後輩になった。


今日から、実習生をうける学校の三年生。


優一は、二年生を受け持つことになったから、直接からむことはない。


「教師になりたいというか…。ちょっと、忘れものがあってさ…」


流れる景色が、過去と未来を混ぜながら、優一の瞳に映っていく。


戻れない過去の残り香を、探すように。


「忘れものねえ〜」


絵里香は、首を捻った。


電車はさらに、揺れを増しながら、駅へと滑り込んでいく。


4車線の、この辺りでは比較的大きな駅ではあるが、何もない。


売店もない。


大きな理由は、そばに車庫があるからだ。


久しぶりに、降り立った懐かしい駅。


右手に広がる山も…懐かしい。


実家よりは、山が近く見える。


山の斜面に建っている住宅が、裸眼で確認できた。


「早く、行くわよ。お兄ちゃん」


足を止めてしまった優一の横を、次々に生徒達が通り過ぎていく。


「ごめん」


歩き出そうとした優一の真横を、1人の少女が通り過ぎた。


淡い香りが、なびく髪から、漂った。


「え…」


優一は体が凍りついたように、動けなくなった。


「里美!おはよう!」


走り去っていく少女の後ろ姿。


もう顔は見えないけど…。


優一の脳裏に、映像が浮かんだ。


夕焼けの中に立ち尽し…涙を流す少女。


くやしくて、校舎の壁を何度も叩く自分。


思い出のフラッシュバッグが、優一の頭を締め付けた。



「明日香!今日は、早いじゃない」


後ろから、明日香の呼ぶ声に気付いて、振り返った里美は、目を丸くした。


「電車一本、早く乗ったから…」


里美に追いついた明日香は、息を整えながら、笑顔を向けた。


「めずらしい」


里美と明日香は、改札を抜けると、並んで歩き出した。




「お兄ちゃん、大丈夫!」


駅のホームでうずくまった優一に、絵里香は駆け寄った。


「大丈夫だから…ちょっと、めまいがしただけで…」


立ち上がる優一の腕を、掴んだ絵里香の体に、電流が走った。


「え!」


一瞬、白目になった絵里香がまた、黒目になった。


いや、さっきより淡い…茶色の瞳だ。


「上月…」


そう呟くと、絵里香はまた体を痙攣させ、


「え…あれ…」


きょろきょろと、周りを見回した。


「いくぞ」


立ち直り、歩き出す優一。


「え、あ!お兄ちゃん!」


慌てて、絵里香は優一の後を追った。







あの教育実習から…何年たったのだろうか。


絵里香は、渡り廊下の手摺りにもたれ、煙草を吹かしていた。


もう深夜の11時。


校舎には、絵里香1人だ。


今夜は宿直。


絵里香は、親戚である牧村優一と同じ職業についた。


教師である。


真っ暗なグランドに、明かりの消えた体育館。


校舎さえも、夜の冷たさに身を縮めているように、ひっそりと佇んでいる。


ここに帰ってこなきゃ…いけなかった。


時折、目が痛み。


頭の中に声がした。


それは、この渡り廊下に戻ってくるまで。



「すまないな…絵里香」


絵里香は、声をした方を見ずに、ただ煙草を吹かした。



「怒っているのか…」


「別に…」


絵里香は煙草を、簡易灰皿に押し込むと、肩をすくめた。


「もう腐れ縁よ」


絵里香は、肩をすくめたまま、手摺りから離れる。


「絵里香」


絵里香は、振り返らず、後ろに手だけを振る。


「まさか…幽霊にとりつかれていたなんて…それも、親戚の」


「絵里香…」


「じゃあね!お兄ちゃん!部屋に戻るわ」


絵里香は、南館に入る出入口の隣に、伸びる階段を下りていく。


グランドの横につき、そのまま南館と北館の間の中庭を、歩いていく。


その様子を見送る男。


渡り廊下から、月に照らされても、中庭に影を落とすことはない。


「俺は…あの人を守らなければならない。危機が迫っているんだ…」


そう言うと、男は手摺りを握りしめた。


月明かりだけの渡り廊下に、淡く透明な男。


それは、ゆっくりと存在感を増していく。


「明日香…」


それは、かつて…渡り廊下で、1人の少女が恋した少年…。


ゆうだった。



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