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Vampire Serenade 謀略のブリジット  作者: 湊 奏
第三章 平穏 激動
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第二楽章 『窓』

「ジャン=クリストフの事、どうすんの?」


例のホテルの一室に二人は帰っていた。


真面目な話だからか、ベッドに腰掛け向き合っている。


「ありのままを報告するしかないだろう。もしあいつが何か知っているなら問いたださねばならん」


ブリジットの尋問は…ハンパないんだろうなぁ、と内心苦笑するがブリジットは真剣なので、表情にはださなかった。


「知っているなら、じゃなくて知ってるんだよ。ジャンは俺の名前を聞いていきなり怯えだした。ブリジットが俺の事を話したら、この依頼が来た。しかも俺宛に。絶対何かあるに決まってるよ」


ブリジットは失礼な事に、思いっきり呆然としたいた。


「ステラが論理だててる…」


「あのねぇ…」


ステラがあからさまに非難の視線を送ると、ブリジットは慌てて取り繕った。


「い、いや。いつも口を出さないものだから… 戦闘専門のイメージが定着していてな…」



複雑な表情をしながら笑うものだから、謝罪しているのか何なのかわからない…


「…口出さないのは直接俺に関係ないからだよ。それに、経験からして足元にも及ばない訳だし… たかだか18年の知識なんて役に立たないと思ってさ」


喋るステラの表情が影る。


自分で言っても堪えるものだ。戦闘も知識もブリジットの方が断然上だ。戦闘技能があっても、ブリジットに何度も助けられた。


ステラはまだまだお荷物なのだ。



少しだけ気まずい沈黙が続く…


ブリジットはどうしたら良いかわからずオロオロするだけだ。


ブリジット自身は役立たずなんて思っていない。

だが、それをストレートに言っても哀れみにしかならないだろう。


「いや…―――――うむ」


やはり言葉が見つからない。ブリジットはそれほど器用ではないし、ある種の自己嫌悪に対してかけるk賭場を知らなかった。結局のところ、彼女は彼女らしくストレートに口にする。


「私は、役立たずなんて思っていない。誰しも最初から出来るわけではない。出逢った当初に比べれば、随分と成長したと思うがな。魔法の修得も早いし、育て甲斐があるというものだ」


「それ…フォローになってない…」


「う…」


ステラは俯いていたが、ブリジットの気遣いはうれしかった。


一緒に居て良いのだと、そう言ってくれたように思えたから。


「ブリジット…」


「あ…」


ステラがいきなり手を握ってきたので、少し心臓が脈打つ。


「ありがとう」


こぼすような笑顔。

一瞬、抱き締めた衝動に襲われたが、それを隠すようにブリジットはステラから顔を逸らした。


「別に、礼を言われる事はしていない。事実を言ったまでだ」


「それでも、ありがとう」


礼を言われて悪い気はしない。それどころか嬉しい。しかし、此処で感情を出したら威厳というものが…


「いつまでも手を握ってるな」


「うわっ…ごめん…」


少しドスを効かせすぎたのか、ステラは慌てたようにパッと手を離し、自身のベッドに座り直した。


特に堪えた訳ではないようなので、ブリジットもそれについては何も言わない。


「まぁいい。本題に戻すが、それだけ条件が整っているなら、とっくに逃げているだろう。足取りは掴みにくい…」


ブリジットは片手で額を支えた。

はっきりいって、打つ手がない。唯一の情報提供者に裏切られた痛手の方が重要だった。そもそも裏切りですらない。彼女はその人物をたより、その人物は彼女を利用したまでのこと。上辺だけの関係、損得勘定。


友人ではないのだから、無償の奉仕など求められない。それでも…


くそっ…どいつもこいつも…


ブリジット自身、深入りしないようにしているので仕方ないかもしれない。


だが、やはり悲しい。信頼関係がないのは…



ブリジットの表情が歪んだ。怒りからか、それとも…

そんなのに気が付かないステラは少し考え、言葉を紡ぐ。


「ブリジット…ソイツって、もしかして学者じゃない?」


「あ? そうだが…それがどうした」


顔を上げたブリジットは、打って変わって疑問しか表情にない。


しかしステラはブリジットの返答を聞いて、安堵の表情を浮かべる。


「そう。それなら問題ないよ。裏切ったとかじゃないと思う。モルモットにされたのは間違いないだろうけどね…」


ステラから、何かどす黒いものが溢れ出ているような… 顔は笑っているのだが、腹に据えかねているのがありありとわかる。


ブリジットが一筋汗を流すほど…


あいつ…恐怖を味わうだろうな、と、笑えない事を考えるブリジットだった。


「そ、それじゃあ明日行ってみるか」


しかし、ステラはブリジットが話を進めるとドス黒い何かをすぐにひっこめた。


「うん。俺も着いていくよ」


有無を言わせない語威。

ブリジットも最初から連れて行くつもりだった。


「わかっている。心配するな。依頼を受けたのはお前だからな。さて、そろそろ寝よう。夜明けも近いからな」


ブリジットは言うだけ言って、サッサとベッドに潜り込んだ。


ステラもコートを脱いで、入ろうとしたが、布団をめくった体勢のまま固まった。


「どうした」


ブリジットが首だけをステラの背中に向ける。


「ブリジット…先に寝てて。野暮用思い出した。夜明け過ぎには戻る」


再びコートを来直すステラ。特に慌てた様子はないが…


何の用なのか興味はあったが、詮索も良くない。それにステラなら、あとで自分から言ってくれるだろう。


「寝坊したら置いていくからな」


それだけ言って、ブリジットは背を向けた。

ステラは、力なく笑った声だけを残して、東の空が白んできている静寂の街に消えた。




ブリジットはそのあとすぐに寝入った。待っているという感覚は全くないらしい。









TO レティシア

--------------------------


そっちはもう朝だよね?


今日はひどい目にあったよ…


いきなり人が魔物化するんだもん…気持ち悪いのなんのって。


あ、でもね、テュイルリー宮殿が生でみれたんだ! 幻想だったけど、すっごく綺麗だったよ♪


そっちはどう?


--------------------------




日課のレティへのメール。

時差があるので気を遣わなければいけないが、一年も会ってない親友との唯一の繋がりとなっていた。



ステラが現在居るところは、セーヌ川の中洲にあるノートルダム大聖堂の前。


門の前に寄りかかり、送信する。


「よしっと。さて、もうみんな起きてるか…」


修道女たちの朝は早い。慌ただしい時間に訪ねるのは、些か非常識だが、生活習慣が昼夜逆転しているのだから仕方ないというものだ。


ステラは門の横に付いている、何とも情緒のないインターホンを押した。



程なくして、修道女が出てくれたが不機嫌丸出しの声だった。


「何のご用でしょう。礼拝はもう少し…」


不機嫌丸出しといっても、修道女の体裁は保てていた。

柔らかかつ淑女的だ。


ステラはごく丁寧に用件を言った。こちらが悪いので…


「こちらに女性の方が来ませんでしたか? 銀髪の…此処にこの時間に来るように言われたのですが」


「……」


インターホンの向こうの相手は沈黙した…

息を呑むわけでも、聞きに行っているわけでもない。


「しばしお待ちを」


それだけ発して、切れた…


数秒して、通用口が開かれ出てきたのは、聞いた声通りのイメージの、質素で素朴、それでいてどことなく綺麗な修道女だった。


居るところには居るんだな、と改めて思うステラ。


「礼拝堂にいらっしゃいます。どうぞ…」



案内されるまま礼拝堂へ入った。みなの礼拝はすでにお済みのようだ。


誰もいない…いや、最前列に座る女性を除いては…だ。


修道女は仕事に戻り、礼拝堂には二人だけとなっていた。

陽がやっと昇るような時間。


ステンドクラスは日の出の陽光に照らされ、眩しいくらいに輝いていた。


その少女は立ち上がり、シルバーブロンドのロングヘアを靡かせながらステラを振り返った。


波打つ髪が銀紗のように輝き、幻想的だ。


振り返った少女…誰が見紛うだろうか。


「久しぶりね、ステラ」


「やっぱり呼んだのはアポロだったか」


ステラに惜しげもなく、輝く魅力的な笑顔を向ける。


ミス何たらにでたら、その年の優勝を浚ってしまうだろう。




ステラは苦笑いとも、照れ笑いともとれる複雑な笑顔を浮かべ、アポロの所まで歩み寄った。


「本当に久しぶりだね、アポロ…」


「うん…」



突然アポロが抱きついてきた。


「な…」


ステラは恥ずかしいやら、何やらで頬を染め、ホールドアップで固まっていた。


「本物だぁ…ステラ、心配してたんだよ…」


アポロはステラの胸に顔をうずめて言う。その表情は本当に嬉しそうだった。


「う…ぁ…その…」


何を言いたいのかステラ自身分からないまま、声を出すので音にしかならない。


何とも笑えるのだったが、アポロは別件で少しむっとしていた。


ギリッ…


「ぬっ!?」


突然ステラの肋骨が締まる。かなりの力がかかっていて、抵抗できない。



肋骨が… 肺が…ッ



実際ステラ顔に血が昇り始めていた。


「抱きしめろ…」


(は?何で?)と思いつつも、死にそうなので他に選択肢はない。


ステラは恐る恐るアポロの小さな体を抱きしめた。


優しく、柔らかく…


「ん…」


アポロは締め付けていた力を緩めてくれた。


「頭なでてよ…」


なおもステラの胸に顔に埋めたまま言う。


しかし、どうも甘えん坊のような気がするが…

一年も会ってないから記憶を信用できず、クエスチョンマークが浮かんでいるステラ。


しかし、素直に応じる。


柔らかく、サラサラとした髪を優しく、優しく撫でる。何だかホッと表情が緩み、優しい微笑みをアポロに向けていた。


「ん…―――――」


頭から、猫耳の付け根、顎と撫でていくと、気持ちよさそうに目を細めるアポロ。

やっぱり猫だ…


アポロはこんなに華奢だっただろうか…


こんなに肩が小さくて細くて、少し力を入れただけで折れてしまいそうだっただろうか…


改めてそう思うステラ。


綺麗で、何でも出来て…とても大きく感じていたのに…


いつだが、アポロに抱かれ頭をよく撫でてもらっていた。

そのとても気持ちよかったこと…


優しさと愛情を一身に感じられていた。




いつ…こんなに小さくなった…?




そう思った途端、涙がポロポロと溢れ出てきてしまう。


「ステラ…? どうしたの!? え!? もしかして私のせい!?」


「何だろうね。なんか急に…」



いつの間にか、撫でられる側から撫でる側になっていようとは。背丈から考えれば至極当然なのだが、今までが今までだ。


存在が近すぎて、そんな事を考えたこともなかった。


「本当に大丈夫。ただ、久しぶりなのと色々で…」


涙を拭き、笑顔を向けるステラ。


「なら…良いんだけど…」


アポロは、ホッと安心したような、少し心配そうな表情をしていた。


「取り敢えず座ろう。わざわざ来たってことは、火急なんでしょう?」



二人は長椅子に座り、気持ちを落ち着けた。主にステラの為に時間がとられたようなものだが。


「それで、どういうわけ? 他の猫の体借りてまで来る用って」


「あ、やっぱりバレてた?」


「当たり前ですよ」


アポロがいたずらっぽく笑ったのを見て、ステラも呆れ顔で笑う。


しかし本題に入るや、彼女の表情は引き締まる。


「実はね、最近レティの挙動がおかしいの…」


「は?」


ステラは、怪訝そうにアポロを見た。

そんな事なら電話でも良さそうなものだ。


「何か夜によく出歩いてて、見かけたとき声をかけようとすると、路地に逃げたり… 家に来てくれるんだけど、あんまり喋らないこともあって。この間なんて、フードをすっぽり被った怪しげな人と会ってたし…」


アポロはステラにまっすぐな視線を向ける。不安とかそういった感情は一切ない。僅かだが、問いかけのように感じた。

どう推測する? と…



「それだけじゃなぁ…実際見ているわけじゃないから。でも、確かに変だね…」



ステラ顎に人差し指を当て、考えた。確かにこの内容では、電話するわけにはいかないだろう…


万一盗聴されたら…


アポロに隠す、夜の徘徊、不審人物との接触…


直接現場を見てないので判断しずらいが、何通りもの場合が浮かんだ。


その内、一番有力なのは…


「多分…俺達に関わるやり方を探してるんじゃないかな。夜の徘徊は模倣のようにも見えるし… 或いはもう見つけて、行動してるとか」


「やっぱりそっかぁ…ステラが言うなら、多分あってる。参ったなぁ、相談してくれれば協力するのに…」


アポロは大袈裟な動きで落胆した。


しかし、ステラはまだ考えていた。

やはり不審人物がひっかかる…


「アポロ…その不審人物って…人間だった?」


思考を回転させながら聞くので、表情がなくアポロを見ようともしない。


アポロは足をパタパタしながら、鬱げに答えた。


「わからない…」


たったこれだけだった。

しかし、十分な回答でもあった。人間か? と聞かれて、わからない、と答えると言うことは、一般人には無い何かがあったことになる。



一番顕著なのは、魔力…


魔力は隠し、抑えても、遣い手もしくは魔の者相手の場合、隠し通すことはできないのだ。


だが、魔力だけなら人間かどうかは判断できない。だからわからない…



万一と言うこともある…


レティには悪いけど、調べさせよう…


ステラはアポロに向き直った。


「アポロ…レティの動向と不審人物の調査、頼める?」


この言葉に、アポロは少し驚いたような表情をしたが、直ぐに快諾してくれた。


「もちろん、任せて」


ウィンクするアポロは、途轍もなく魅惑的だった。


しかし、長年付き合ってるだけある。同じ事を考えるようになるとは…


自身に感心するステラ。それから立ち上がりアポロに手を差し伸べた。


アポロはその手を取り、立つ。


会合の時間は終わりを告げた…


陽が少し高くなり、ステンドグラスの輝きが増していた。


礼拝堂内に陽光が溢れかえり、色とりどりの光が幻想的に、室内を照らし浮かび上がらせる。


十字架のキリスト像、マリア像…天井の戯れ遊ぶ、天使たち…


下手な装飾のない、質素な空間。

それが、また神聖さを増長させていた。


調和


この言葉は一番、似合っている。


だが…そんな空間だからこそ…異物は浮き出てしまう…


ステラたちの事ではない。暖かく、ふんわりとした空気の中に一ヶ所だけ、張り詰めた所があった。


ただ、それだけの事象なのでステラの炯眼も気が付けなかったのだ。


今なら…はっきりと感じる…



ステラは、そこに歩み寄った。アポロも気が付いたようで、微量だが動揺していた。


台座周辺だけが、別空間のようになっていた。


「見つけた…」


ステラが蚊の鳴くような声で呟いた。唐突すぎる驚きと、どこから来るのか判らない歓喜に、目を見開き、口元を歪ませた。


――間違いないですね――


静かな声が響いた。


「わっ!? 紅胡蝶!?」


――他に誰が居るんですか…――


呆れがヒシヒシと伝わってくる…


すっかり忘れていた…

そして、簡単な事実に気が付いた…


全部見てた…よね…



そう思った途端、歓喜も驚きもどこへやら、恥ずかしさだけが広がり、真っ赤になるステラ。



それはアポロも然り…


ステラの心に居るので、紅胡蝶は感情がダイレクトに伝わってくる。


――全く…見てるこっちが恥ずかしかったですよ。今まで声を出せなかったんですから――


この言葉で、更に自らの所業の恥ずかしさを自覚する…


顔から火が出る思いというのをステラは初めて体験することになった。


――まぁ良いです。ほら帰らないんですか? アポロもあまり長く『写し身』を使っていると、憑り代が壊れてしまいますよ――


「あ…」


二人して間抜けな声を出した。


それから、慌てて大聖堂を出て別れた。


別れた…と言うのか。

『写し身』は精神だけを飛ばして、他の体を借りる技。幽体離脱に似ている。


一つの器に二つの精神があるのだから、貸している方の躯に相当な負荷がかかるのだ。


長くいかない理由はこれ。


精神だけなので、躯から抜け出せば直ぐに自分の体に戻るので、別れた、というより、消えられた、という方が正しいきがする…


猫が一匹、目の前を走り去った。


「ふぁ…」


大きな欠伸をひとつ。

さすがにもう眠い…ステラはホテルに向かって歩き出した。


ゆっくりと、静寂の街の中を…









「ふぅ…戻ってこれた…」


フロストハート邸の書斎。安楽椅子に座り眠っていたアポロは、突然目を覚ました。


実際は、ステラに会っていたのだが…


『写し身』は実は初めて使うので、戻れるのかかなり不安だったが、ちゃんと戻ってこれたので、安堵した。


「さて…」


「やっと起きた?」


ハッとして後ろを振り返る。警戒を怠っていた…

写し身の最中は無防備…

彼女じゃなかったら…色々とやばかったに違いない。


「何だ…レティか…脅かさないでよ…」


「ごめんなさい。チャイム鳴らしても応答がなかったから、勝手に上がっちゃった」


レティはテヘっと頭を小突き、舌を出した。


アポロは半ば呆れつつも歓迎した。

レティがこうして笑顔で訪ねてくるのは久しぶりだった。


二人はリビングに行き、紅茶を飲みながら話にはいった。



「で、こんな朝早くどうしたの?」


「うん、これ。」


そう言うと、レティは自身の携帯のディスプレイをアポロに見せた。


そこにあったのは、ステラからのメール。


字を追っていくにつれ、アポロの表情は険しくなっていく。


「これ…裏で誰かが糸を引いてるね」


「うん…中まで宮殿を具現化するなんてね。しかも、長時間…」


レティは携帯をカバンにしまった。


ステラの言うこれは、『記憶の異界』、もしくは『空想具現化』。


一体どこに、数時間も具現化を保てる魔力の持ち主がいる…


人は…不可能だ。まずもってして、それ自体できない。


だとすれば…


「魔が、後ろにいるのかな…」


レティがポツリといった。その眼は、何かに迷っているようだった。


自分に自信がないとか、そういうのではない。それをアポロは感じていた。


「ブリジットさんの敵かもしれない…ステラが邪魔だから…」


尚も言葉を紡ぐ。アポロは黙って聞いていた。

否、何も見逃すまい、聞き逃すまいとしていた。


鋭い眼光が、レティを射る。


レティは顔を伏せ、本当にどうしようか迷っていた。

それがはっきりと表情にでている。


「ねぇ…どうし…アポロ?」


さすがにアポロの視線に気が付いた。睨むように刺すように、レティを見つめていた…



「どうしたの…?」


何か変な事いっただろうか、と心配になってしまう。


「レティ…私に何か隠してるでしょう」


鋭い視線はいつの間にか、真剣な眼差しに変わっていた。


迫力もさることながら、その鬼気迫る切迫感を感じ取り、レティは頷いてしまった。



「そ、それは内緒の一つや二つ当たり前にあるよ」


誤魔化そうと一応してみる。だが、頭ではわかっていた。そんなことに意味はなく、それどころか今の立場の危うさに。



「夜の街を徘徊してるよね? 何のために?」


質問に意味はない。ただわかったことがある。アポロはすでに感づいているということ。


「そう、だね…。ステラの影を追っている…かな。ステラのやっていた夜の散歩がどういうものか。夜の世界はどういうものか、知りたかったから。そうしたらのめり込んじゃって」


レティは力無く笑った。自嘲に近かったかもしれない。

寂しげに視線を伏せ、ため息を吐くように微笑んだのだった。



アポロは尚も質問を続ける。


「この間会っていた人、誰?」


予想できた問い。もはや欺瞞が意味を持たないことを知った。レティは笑顔を崩さず、答える。



「それは答えられないよ。彼との約束だからね」


「その人は、ヒトじゃないよね?」


「…これ、良いのかな? 言って…て、もう言ってるようなもんかうん、人間じゃないよ」


クスクス笑うレティは、僅かだが不気味だった。



「あたしには話せないの? ステラ絡みなら、場合によっては協力するよ」


ここで初めて、アポロは表情を崩した。

気遣い、懇願、憂い。それらが渦巻く感情をアポロは表に出した。


レティはまた溜め息を吐くように微笑んだ。


「気持ちはありがたいけど、それ無理。あたしの問題だし、それに色々と枷がかかってて、無理なの。ごめんね」



レティは本当にに寂しげに言った。孤独が心を蝕む。友人との関係が薄れていってしまう。


それが本当に寂しくて、悲しかった。



でも、それがあたしの道だから…



アポロは質問を止めた。これで十分だったこともあるが、レティが苦しんでいるのが分かるので、踏み込めなくなったのだ。


それに、友人がそんな状態なのになにもできない自分がどんなに無力か痛感していた。


それはとても寂しくて、哀しかった。



「それで? さっき言ってた、ステラがどうとかって?」


アポロは努めて明るく振る舞った。本当はこんな話をしに来たわけではなかっただろうから。


「うん…ステラを助けに行こうかって。ほら、あたしも戦えるようになったし。でも、ステラは楽しんでるみたいだからダメだよね…」


自問自答。

果たして先ほどステラと邂逅したアポロも、感じ取っていたことだ。

ステラは現状を楽しんでおり、結局のところ助けなど求めていないということ。レティもアポロも戦力として通用するようになった。しかしながら、必要とされていないのになにが助けになるというのだろうか。



しばらくの沈黙の後。


「あたし帰るね」


レティはソファを立った。玄関に向かって歩きだすと、突然アポロが立ちふさがった。


笑顔で…とても寂しげな笑顔で…


「今日さ…泊まっていってよ。いっぱい話そうよ。レティ、うちに来てくれないんだもん…」


こんな表情でこれを言われたら、断れるわけがない。


「うん、わかった。でも、それなら準備に帰らないと…お昼頃にくるね」


あっさり承諾したレティ。

アポロも気恥ずかしいような笑顔になり、帰るレティを見送った。


アポロはソファに座り直し、残っていた紅茶を飲み干した。


冷めていて…不味い…

甘ったるいく生ぬるい…最悪だ。


「参ったなぁ…」


アポロはポリポリと頭を掻いた。せっかくの美人が何とも形無しである。


「レティも動くなんてね…しかも…はぁ」


溜め息ばかりでてしまう。


夜の徘徊はさて置き、ヒトじゃないものと接触していた。


そして、本来なら知らない事まで口走っていた。


確定だ…レティはブリジットの敵対勢力に通じている。


口走ったもの。それはメールの内容からは読み取れない事。


『ステラが邪魔だから…』


ただ、大変なめにあった、宮殿が綺麗だったとしか無いのに、どうしてそこまで推測できようか…


たが、この言葉を言うときのレティの苦悩。レティ自身はステラに危害を加える気はない。だけれども、今接触している相手がそうとは限らない。ブリジットの戦力たるステラは確かに邪魔者であろう。


「ホント…どう対処しよう」


はぁ…


さっきから溜め息しかでない。これ以上はアポロの身にも危険が及ぶので、詮索はできない。


あのやり方は失敗だったかも…


ソファに深々ともたれ、足を宙に投げ出す。

思考やら悩みやらで疲れが表情にでていた。


「まぁ、レティが街に居るあいだは…いいかな…」


妥協点を見いだし少しだけ、表情が軽くなる。


もっとも、ステラに警告を発しないと。


「ふぁ…ぁ」


可愛く欠伸をし、眼を擦った。

疲れが祟ったのか、寝不足なのか、包み込むようなソファが気持ち良かったのか…

アポロは、眠りの世界へと旅立った。


後、レティが勝手に上がり込んだとき、アポロはあどけなく幼い寝顔を惜しげなく晒していたそうだ。











「なんでおきないかなっ…」


こめかみ辺りがピクピクと痙攣し、笑顔がひきつっている金髪美女…


相棒はいつ帰ったのやら、もう昼だというのに起きやしない。


数度声をかけたが、


「ふみゅ…ん…」


と、無駄に可愛い声を上げて身を動かすだけ。


いい加減、我慢の限界だ。下腹部に強烈な一撃を…


いつの間にか不気味な笑みに…


その時、ステラはガバッと突然起きた。本当に、何かに起こされたように飛び起きたのだ。


息遣いが荒く、疾走してきたかのようだった。


「おはよう…」


未だに怒マークを額に携えているブリジットが朗らかからは程遠い挨拶をした。


右頬がひきつっている…


「あ…今何時…?」


「さぁてね。その前に…言うことがあるんじゃないのか…?」


背景の黒いオーラが…


ステラの顎を持ち上げ、ずずずっと迫ってくる。

ステラもひきつった笑顔で引くのだが、さらに迫ってくる…


「あ、アハハ…」


「馬鹿者ーーーーーーーっ!!!」


「~~~~~~~~っ!?」


耳元で叫ばれ、耳なりが…

泣きそうな眼でブリジットを見るステラ。

それに一瞬、グラッと来てしまうのだが…


いやいや、そんな顔してもだめだ!


と頭を振って、怒りの形相を取り直す。


「早く帰れと言っただろう。なのに!どうして!起きるのが!遅いんだ!」


「いや、眠くて走るのダルくてさ…此処まで歩いてたら、時間かかって…」


ステラは変な汗を流しながら、取り敢えず笑顔を保っている。


しかし、ブリジットの逆鱗には逆効果だったらしい。


「アホかぁああああ!!!」


バシッ!


「のっ!?」


ゴンッ


今度は額に掌手をいただき、ベッドから吹っ飛んだ。

大した威力だ…


「莫迦にしているのか貴様!」


「なにすんだよ! 頭打ったじゃないか!」


「自業自得だ! 怠いってなんだまったく!」



ぎゃあぎゃあと言い合いをしてみるも、ほとんど内容がなくなっていく。夫婦喧嘩は犬も食わぬというが、それに近いものがそこに繰り広げられていたのだが、いい加減にお互い疲れたのか、自然収束するのであった。



「で、結局何をしてきたんだ」


多少息が上がっているが、ブリジットはベッドに座った。


「あ、うん。大聖堂に。アポロに会ってた」


「は?」


全く飲み込めてないブリジットのために、もう一度言う。


「アポロと大聖堂で会ってたの」


「本当に…?」


無言で頷くステラ。

ブリジットはしばし頭を抱え、すぐにステラに向き直った。


「詳しく話せ」


何を思ったのか、表情が鋭かった。









「そうか…レティシアが…」


アポロがもたらした事を話したのだ。


「どう思う?」


「どうもこうも、分からん。情報が少なすぎる」


切り捨て、些事をなげたよう言っているが、危惧するところがあるらしい。


表情は険しく、焦りが見える。


「アポロに調査は頼んである。だから、追々報告はあるよ。それより、今はこっちの方が重要だよ。力の出口、見つけた」


ステラはニヤリと笑った。

その知らせにブリジットも驚き、目を見開く。そして爛々とめを輝かせ始めるのだ。


「でかした! 最高の知らせだ!」


ブリジットはステラに飛び付き、結果押し倒す形になった。


ブリジットはここ最近苛立って、いや、焦っていたのだ。最近よこされる情報をたどっても、それらしき偽物ばかりに行き会たり、収穫がなかった。しかし自分の目で確かめたとなればホンモノ。うれしくないはずがない。



「今夜、破壊するとして…」


ステラはブリジットを見上げていた。

その髪は乱れ、服が少しはだけている。


「あぁ、確実に来るだろうな…だが、私とお前なら大丈夫だ」


不敵な笑みがステラを見下ろす。恐れるモノなどない、と。


しかし、このいい感じの雰囲気はお子様が崩してしまうのだった。


「まぁ、そうだけど…そろそろ…どいて? あの…胸が…ね」


顎した辺りに、丁度豊満な胸が…

谷間が色々と…


雰囲気が崩れた事に怒ったのかはさて置き、この言葉でブリジットにスイッチが入ったのは間違いなかった。


不思議そうに目をパチクリさせたと思ったら、ニィイイっと満面の笑みに…


それは何とも不気味で…


「あら? こんなのでドキドキしてるの?」


ブリジットはのしかかる形で、ステラに胸を押し付けた。


心臓が早鐘を打つ。体が硬直し、息が浅くなる…


ブリジットの指が滑らかにステラの胸を這っていく…

触れられている…それだけで思考が停止しそうになる…


「や…ぁ…ブリジット…ん…」


耳朶を甘噛みしてくる…吐息が近い…


(何て声をあげてんの…可愛いケド…)


グッとくるものがあるが、さすがにこれ以上は可哀想なので、退いてあげた。


ステラはしばらく息遣いが荒かった。


(全く、こいつは飽きない)



「ブリジット…趣味が悪い…」


息も絶え絶え言うステラ。

それにブリジットはクスクス笑って返した。


「だって可愛いから。ついね…」


ステラはむぅと膨れたが、ブリジットは楽しそうに笑っていた。



本当に趣味が悪い…


こっちが免疫ないの知っていてこれだもんな…


一年経ってもこればかりは慣れないのだった。


「全く…昼間っから…人目がないからって…」


などブツクサ文句を言いつつ、いそいそと乱れた服を直し、コートを羽織る。


黒ではなく、藍。昼間用コートだ。


「さて、用意も出来たようだな。行くぞ」


上機嫌なブリジットだが、この人のせいでさらに時間をロスしたのは分かっているのだろうか…


しかし、思いはしても怖くて口には出せないステラは従順にブリジットの後をついて行く。



パリの街は既に賑やかだった。


シャンゼリゼに至っては雑踏と化し、華やかさをより顕著にしている。


そんな中を歩くのは、ヴァンパイアにとってはかなりキツい。

感覚が鋭敏な彼ら…聴力や嗅覚に刺激が強すぎる…


喧騒、そして淀んだ空気がダメなのだ…

さっきからブリジットは気分悪そうに顔をしかめていた。


顔色もわるい。


「そんな顔するな。大丈夫だ…慣れている…」


そうは言うものの、全く説得力がない。


太陽は照りつけ、暖かく陽気でステラにとってはありがたいのだが…


「ブリジット…路地の方を通ったほうが良いんじゃない? 本当に顔色悪いよ?」


ステラが心配になるのも無理はない。

太陽光で死なないと言えども、やはり苦手は苦手なのだ。

ブリジットはすっぽりフードをかぶっているが、足取りは重い。


「こうも照りつけられると、身体能力まで奪われる…通常の二割程度まで低下するんだ。今の私は常人以下だ…」


「そうなの?」


聞いた訳ではないのだが、せっかく説明してくれたので、反応は示した。


「あぁ…今襲われたら足手まといだな。まぁ、この条件はアイツ等も同じだがな」


ブリジットは言った後に、大きく息を吐いた。

喋っているのもつらいらしい。

自分で喋っているのだから大丈夫なのだろうが、それなら心配させるような素振りは見せないで欲しい。


ステラも溜め息をついて、ブリジットの手を取った。


「ひゃっ!」


ブリジットが女っぽく驚くなんて珍しい…

と素直に思うステラ。


しかしそんなのお構いなしに、グイグイ引っ張って行く。


「な…おい! 何処へ行くつもりだ!」


「適当!」


「ぉぃ…」


また激しいツッコミを入れそうになったブリジットだったが、吹っ飛んで怪我でもさせたら、立ち直れそうにない。


半ば諦め、身を任せた。


着いた所は宝石店…しかもかなり一流の。


太陽光が途切れ、室内も静かだったのでブリジットの気分は快調へと向かっていった。


「気分は?」


ステラがあどけない表情で聞いてきた。


「まぁ…大分良いが、何で此処なんだ?」


もっともな疑問だ。

店なら来る途中、というか通りにいくらでもあった。


室内に避難するだけなら、どこでもいいだろうに。


「別に深い意味はないよ。こういう所、好きかなって…」


サラリと言うステラ。


「全く…何というか…」


ブリジットはそんなジゴロなステラに頭を抱える。嬉しいは嬉しいが、そういう天然なところがまたなんとも…


ステラは何故呆れられているのか分からず、キョトンとしていた。


どうも幼さが残る表情や、中性的な顔立ちによる補正がかかっているようだ。


「まぁ、しかし…ふむ…。面白い事もあるものだな。」


一人で悶絶した後周りを見渡し、勝手に頷くブリジット。


「は?」


「偶然だろうが…此処が私の情報提供者の所在地だ」


「マジで!?」


スタスタとカウンターに近づくブリジットを追うステラ。

周りの展示されている品には、二人とも目もくれない。


連れてきた側も、連れられた側も、全く興味が無いらしい…


せめてブリジットは興味を示すべきだろう。女性なのだから装飾くらいはしても良いものだ。


ブリジットはカウンター越しに店員に話し掛けた。


「社長にお会いしたい。ブリジットが来た、と言ってくれれば分かるはずだ」


全く下手にでない。無表情なせいもあるだろうが、存在感がすごい…


店員は軽く怯えながら、店の奥へと消えていった。


「冗談じゃなかったんだ…」


本気で感嘆するステラ。全く信じていなかったのだ。


「此処で冗談を言ってどうする。お前が勝手に舞い上がるだけだろう。そんな無駄なことはせん」


酷い言い種は、ステラの心にグサッと刺さった。


「無駄って…はぅ…」


しばらくして、店員が戻ってきた。どうやらもう怯えてはないようだ。


「どうぞ奥へ」


女性店員に通されて店の裏へ行くと、応接間のような所にひとりの男がソファに座っていた。



見た瞬間、ステラは直感的に思った。こいつとは相容れない、と。


平面顔でモノクルを掛けていて、脂の乗りすぎた額や髪。背はステラの胸くらいしかなく、体が妙に膨れていて、手足はおまけのように細いのが付いている。悪趣味な薄紫のスーツに身を包み、品定めをするように下から上へ、舐めるように視線を動かしニタニタ笑うせむし男…


単純に言えば気色悪い。


「顔を合わすのは久しぶりだな、ギルバート」


「そうですね、レディ・ブリジット。ささ、そんな所に立ってないでお二人ともお座りなさい」


前方のソファを進めるギルバート。ブリジットは鼻を鳴らし、フワリと座った。

ステラもそれに習う。


「此処に来た要件は分かっているだろうな」


ブリジットは軽く殺気を込めて言った。それでもギルバートは笑顔を崩さない。


「もちろんですとも! ステラ君の件でしょう。しかし、この件はあなたから聞くよりは本人に言っていただいた方が良いのでは?」


視線をステラに流す。ステラははっきりと嫌悪感を示した。ギルバートにだけではない。この部屋、この空間そのものに、だ。クリーム色の壁紙、円形の部屋、原色鮮やかなインド綿の絨毯…


ガラスケースに入ったキャッツアイは部屋の中央に置かれ、その台の下の床には微量な魔力を感じる。


観葉植物もルームライトも、奇妙なほどにちぐはぐだ。


窓もなく、息が詰まる…


「どうされまさた?」


愛想よくギルバートは声を掛けてくる。


「別に…」


「そうですか! ならばお話下さいませんか? テュイルリー宮殿で何があったのか。」


ブリジットを見ると、目が話せと言っていた。

ステラは殊更不機嫌になったが、表情を消し、淡々と喋りだした。



「中は異常な程のマリスに満ちていた。量は…そう、常人なら発狂するくらい」


そう考えると、あのチンピラどももそこそこの精神力はあったらしい。


「最上階の一室に彼は居た。装置やら何やらがあって、魔術師の工房そのものだった。そして、俺の名を告げたら脅えだし、挙げ句化け物になった。変な穴みたいのが出てきてな」


ステラはギルバートを睨む。まだ言いたい事はあるが、まずは反応を見てからだ。だが、ギルバートはニタニタ笑いを崩さず、歓喜の声を上げた。


「そうですか、やはり!!」


「お前…何を知ってる。返答によっては俺をモルモットにした代償を払って貰うぞ」


表情はないものの、信じられないほどの圧力、威圧感。



「まぁまぁ、そう焦らずに。順を追って話しますから。それで良いですよね? レディ・ブリジット」


「あぁ、構わんがなるだけ手短にな。容量を得ないのは好かん。まぁ、その心配は無いだろうがな」


口元だけで笑った。冷たさ笑い。

初めてギルバートが表情を変え、苦笑した。


しかし直ぐに元に戻り話し出した。


「まず、何故ジャン=クリストフが君を脅えたか。これはまだ話せませんねぇ。ただ、それだけ深い関係性が有ったという事です。そうです。確かに私はこうなるだろうと分かっていました。全ては計算の上」


笑い出したいのを必死に堪えてる感じがする。

時々身を捩らせて語っていた。


そういう行為が更にステラの嫌悪感を増させる。


「何のために彼と引き合わせた…」



威圧感はやがて鋭くなっていった。端から見ているブリジット出すら一筋汗が流れるほどだ。


ギルバートはニタニタ笑いを消しこそしないが、冷や汗は止めどなく流れる。


まるで、喉元に刃を突き付けられているような感覚、いやその刃すら幻視してしまう。


「それは、証明のため、ですよ」


「ステラ…」


「…ふん」


ブリジットにたしなめられ、ステラは威圧感を引っ込めた。


「ふぅ…まぁ、見ながら話した方が良いでしょう」


額の汗を拭き、ギルバートはパチンと指を鳴らすと突如、照明が落ち、部屋が真っ暗になった。

そして、更に先ほど感じた微量の魔力の正体を知ることとなる。




キャッツアイが納らた台座を囲むのは、見たことのない魔法陣だった。


血の朱で描かれ、禍々しく浮かび上がる。

クリーム色の壁紙の見えなかった紋様がこれも朱く浮かび上がる。


「さぁ、来ますよぉ!」


声が合図立ったかのように、紋様からボゥっとした朱い光がキャッツアイに集中する。


キャッツアイは徐々に深紅になっていき、込められた力が爆発した。


突風が吹き荒れるかのごとく衝撃波が容赦なく襲ってくる。


ただの空気の波なので大したことはないが、部屋に満ちていくモノは危険だった。


暗かった部屋が朱く浮かび上がるほどの高密度のマリスが充満している。



「…な…ぅ…」


急速に気分が悪くなる。ガンガンと鐘がなるように頭痛がし、思わず膝を付いてしまった。


「おい。気をしっかり持て」


ブリジットが肩を持ち上げてくれた。脇を支えてくれるので、身を預けた。



そして又突然、今まで噴き出していたマリスがピタリと止まった…


「終わり…?」


「まだですよ」


ギルバートの笑いが更に不気味だった。

そして彼の言葉通り、終わりではなかった。


急速にキャッツアイの上にマリスが収束していく。

引き寄せられるでもない。マリスのみが集まっていった。


渦を巻き、球体の形をとり、星雲かの如く高速で回転する。


そして…


ズブ…


鈍い効果音と共に現れたのは…『アレ』だった。ジャンの時も出てきた、不可解な穴…


ギルバートは再度指を鳴らし、穴を囲むように結界を張る。すると部屋にマリスは充満しているものの、一応は気分は落ち着いた。



「これを我々は『窓』と呼んでいます。ジャン=クリストフ君の時に現れたモノを人工的に作り出しました。この赤みがかった七色の光は更に高密度なマリスです。この中は別世界。いえ、世界と称すのが正しいのでしょうか… ですが確かなのは我々のいる此処とは別の次元にある所なのです。私は様々な実験と研究で発生のある仮定にたどり着きました。それを証明するために、ステラ君に実験の鍵になって貰ったのです」



まるで、愛おしむような語り。結界を愛しげに撫で回し、直接触れないのを悲しむように額を付ける…



「その仮定とは…何だ…」


ブリジットがステラより先に聞いていた。


「ある程度の密度のマリス、そして強大な負の感情。この二つが揃ったとき『窓』は開き、負の感情を持つものを変貌させてしまうのではないか、と。公にはされていませんが、『窓』は世界各地で発生し、そのほとんどで新種の魔物が生まれているのです。いまでも遣い手達は対処に追われていることでしょう」



「…―――――」


突然ステラが飛び出した。ブリジットが制止するまもなく、ギルバートを突き飛ばし、結界ごと『窓』を刀で突き刺した。


ぐにゃりという粘土を殴ったような手応えが紅胡蝶を伝わってくる…


刀を抜くと『窓』はゆっくり閉じていき、消えた。


マリスも吸い込まれるようにキャッツアイに戻っていき、照明が元に戻った。


「こんなおぞましいもの…いつまでも見せんな!」


啖呵切ったものの、その顔は疲弊していた。


ギルバートは立ち上がった。その表情にニタニタ笑いはなかった。


「世界規模でマリスの濃度が上がっています。それのせいか、魔物の動きも活発化。人々にも多少なりとも影響が出始めているようです」


パンパンと尻を払い、モノクルを直す。


「わかっている」


ステラはバッとブリジットを振り返った。


わかっている…?


「帰る。これからも引き続き情報提供を頼むぞ、ギルバート教授」


「はい。ヴェルサイユ宮殿です」


ブリジットは頷き、背を向け歩き出した。ステラも後を追った。


ギルバートに一瞥をくれるのを忘れずに…


「彼もまた… しかし『彼女』に比べればあまりにも脆弱…」










通りへ出た二人は、夜までまだ時間があるということで、喫茶店に入って一息吐いた。


「ヴェルサイユ…ねぇ…」


ステラはカランカランとアイスティーをストローでかき混ぜる。


「まさか嘘ではあるまい。しかし二ヶ所あるとはな…」


ブリジットはエスプレッソだった。

飲んでは顔をしかめている。


「不味いの?」


「わからん…苦いのが元々苦手なんだ」


だったら飲むなよ…と内心で突っ込みつつも、苦笑しただけに終わらせた。


「で、どうするの? 二ヶ所一度に破壊は、現実的に無理だよ?」


抑制が追いつかないのだ。

しかしその心配はブリジットが解消してくれた。


「その点は大丈夫だ。私が一人の時は抑制などしなかった。だが、街を潰したことはない。おそらく城や宮殿には解放時に抑制する仕掛けがあるのだろう。お前の街が特異だったのだ」


なるほど。それなら行けそうだが…


「じゃぁ、今までのは無駄立ったって事…」


がっくりとうなだれる。徒労というものは思った以上に精神的にくる。


「いや、仕掛けと言えど、何百年も前の物だ。効力も落ちていよう。上書きは、無駄ではないさ。二ヶ所を同時破壊。元ある封印式が起動することで時間を稼ぎ、二つ同時に抑制する。お前の力ならこれくらいいけるだろう」


「まぁね。でも、そうすると弦楽セレナードだと役者不足だなぁ…」


アイスティーに口を付ける…シロップを入れすぎた…甘ったるい…


「何も弦楽にしなくても良いだろう。ピアノも持っているんだろう?」


「無理。上空で演奏するのに、ピアノを支える魔力は使ってらんないよ。重いんだよあれ」


アイスティーを飲み干したが、またカランカランと回す。


「ならどうする」


ブリジットが遂に不機嫌になった。そりゃ、案を否定されればなる。それにステラの態度も問題だ。


溜め息を吐くように、諦めのように言うものだから、ピクピクくる。


「別の曲を探しておくよ。多分、ブリジットにも演奏を手伝って貰うことになるけど」


「それは構わんが… 私は音楽に魔力を乗せるなんて芸当はできんぞ」


ブリジットはコーヒーとの対決を止め、口直しとばかりにジェラートを注文した。


払うのがこっちだと思って…


ここはステラの奢り。寝坊したお詫びと言うわけだ。


「…ん。ところで」


ブリジットのジェラートを食べている顔はなかなか目の保養になる。傲岸不遜が板についているが、行為幸せそうな表情もまたなかなか。


ブリジットは甘いもの好き、と。覚えておこう。


「ところで、『窓』とやらの何かを…む…んん。ん?」


突然ブリジットの口が開かなくなった。必死に開こうと試みるが、無駄だ。

ステラがいたずらな笑顔でコッチを見ていただけで答えは明白だからだ。


「その話はしないで。近い内にわかるから。嫌でも…ね」


目が笑っていない…踏み込むな、という拒絶がそこにはあった。


ブリジットは頷くしかなかった。

怖いとか、そうじゃなくて…悲しい光がそこにあったから…


ステラはニコッと笑って指を振った。するとブリジットの口は解放されたのだった。


「…―――」


「…―――」


しかし、沈黙が続く。魔法を解いても解かなくても、何ら変わらなかった。


先に口を開いたのはステラだった。


「夜までに選曲してるよ」


ブリジットは一瞬キョトンとした。そしてすぐに理解する。


「では… 私は催眠結界の準備にいくとしよう。ヴェルサイユの下見も兼ねてな」


ブリジットは席から立ち上がり、ステラの横を通ろうとした。

が、ステラに服の端を掴まれ、少し驚く。


「何だ?」


「コレ。持ってって。地下だったら携帯は通じないでしょ?」


差し出されたそれは、小型通信機のようだった。


「おいおい。これじゃ携帯と変わらんぞ…」


もっともだ。通信機を電波。

しかしステラは、含みのある笑顔をブリジットに向けた。


「大丈夫。ちゃんと繋がるから。コレが受信ね。コッチがマイク。このボタン押しながらじゃないと喋っても意味ないからね」


「はぁ…」


簡単にだが熱心に説明するステラを止められない。

ブリジットだってこの手の物は知っている。


まぁ、華を持たせてやるか…


「わかったよ。9時にまた此処で会おう」


ブリジットは店を出ていき、ステラだけが残された。


新たに飲み物を注文している内に、ふとスマートフォンを開いてみた。




メール2件受信




受信フォルダを開くと、アポロとレティからだった。



TO ステラ

---------------------------


大丈夫だった?


それ、もしかしたら魔が絡んでるかも知れない。


コッチからも探り入れてみるね


気を付けて…


--------------------------



ステラは思わず笑ってしまった。

あのメールでどこをどう考えたら、魔に繋がるのか…



しかし、有益な情報でもあった。


ギルバートはブリジットの敵だ。

最初からだったのか、それとも途中で寝返ったのかは分からない。


ステラは楽しくて仕方がなかった。


どうせ今から行っても、ずらかっているだろう。

だったら、利用していろいろと情報を引き出してみよう。


送り込まれる先には、ヴァンパイアの血族がくる…


「さぁて…どうやって策を巡らそうか…」


アポロのメールは見るまでもなかった。

レティの容疑を確定にするものだっただけ。


しかし親友が敵対勢力に身を投じるとは…

さすがのステラもこれは堪えた。


「レティ…何を間違ったのかな、俺は…」


諦めるように、自嘲するように、呆れるように力なく笑っていた。


画面を消し、席を立った。ちょうど飲み物を持ってきた店員は呆気に取られていたが、伝票はちゃんと受け取った。


「あげる」


耳元で囁くステラ。女性店員はステラが離れても呆然としていた。


支払いはもちろんカードで。


ステラも街へ溶けていった。





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