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Vampire Serenade 謀略のブリジット  作者: 湊 奏
第三章 平穏 激動
8/26

第一楽章 幻想の中心で…

「ん――――っ…」


一気に伸びをする。血液が全身に行き渡る感覚をしばし楽しみ、本格的に寝床から降りたステラ。


久しぶりに旅立った日の夢をみた。

あの頃は非日常に憧れていたが、最近は非日常が日常になっている。


いつも新しい事に出会えるので退屈はしないが…



時刻は午後6時過ぎ…


ブリジットに付き合っていると完璧に夜型になってしまう。


そう…


生活習慣が変わるほど、長らく旅を続けていた。

あれからはや一年が経った。


ドイツに行ったり、アジアを回ったり、結構移動はした。

何分情報が入ってから移動なもので、ほとんど行き当たりばったりと言って過言ではない。


ドイツからインド、中国、カンボジア、イラクのペルシャ地方、トルコ、チベット…


こんな順番で行って、要領わるいというか効率が悪いというか…

しかも、内3つはハズレだった。


現在はパリのホテルに滞在中。

ブリジットがいきなりフランスに行くと言い出して、来たのだが…


見たとおり情報待ちだ。いったいどこから情報が入ってくるのか知りたいのだが、絶対に教えてくれなかった。


ステラはステラなりに当たりは付けているのだ。だいたい今までの経験上、宮殿や修道院、寺院、教会などに『ソレ』はあった。


隠し地下にあったり、室内にあったり、はたまた敷地に立っていたり…


全く統一感がない…


更にごく稀に、街中にあったりもするので厄介だ。

ステラの故郷、ウィーン郊外のように。



室内を見渡すと、ブリジットの姿が見当たらない…


「どこ行ったんだろう…」


ブリジットが居ないことには、動けない。全く不便だ…

ボケらと待っていても仕方ないので、取り敢えず、着替えることにした。


夜動くときは戦闘装束。

見た目はただ動き易そうな黒い長袖長ズボン。

しかしなかなかくせ者で、下手な斬撃では破けないという、おかしい強度を誇っている。


流石に銃弾は防げないが…

銃社会では大して役に立ちそうにないな…


着るには変わりないから、余り文句は言わない事にする。


そしていつもの黒いコートを羽織る。


「よし…」


着心地良好。


そのときだった。


「ステラ、電気も付けないで何をしてるんだ…」


ブリジットが帰ってきて、パチッと電気を付ける。


「どこに行ってたの?」


窓枠に腰掛け、足をぶらぶらと遊ばした。子供のような所業だが、ワザとのこと。


ブリジットは化粧台の椅子に座り、脚を組んでどっとため息を吐いた。

いったい何があったのだろう…


「情報収集だ… だが、情報どころか厄介なモノを背負い込まされたよ…」


「は?」


「だから、そのまんまだ。厄介なモノを背負い込まされた」


だから、その厄介なモノを聞いているのだが…

声に出して聞け、という意みたいだ。


「なにそれ?」



「今までの情報の見返りに、依頼と言うか… そんなモノを頼まれた」


ブリジットは、それはそれは不機嫌そうな答えた。

相当な美人が子供みたいでおかしい…

そういえば年齢を聞いていなかった。

今は聞かないが、質問リストに入れておこう。


「情報の見返りって… 協力者じゃなかったの?」


詳しくは知らないが、ブリジットの数少ない協力者が情報提供してくれているらしかった。


見返りって…


「いや、そう言う意味じゃない。頼まれ事をされて、少々厄介な内容だが協力してくれていたから、断るわけにもいかない、ということだ」



最初からそう言えばいいのに。

最近のブリジットは何故か回りくどい。


「で、その内容とやらは?」


こう、一つ一つ聞くのは何とも面倒だ。しかし交渉の時は、相手は聞かれたことしか言わない。

そういう意味なら、訓練ともいえるが…頼んだっけか…


この一年で色々と叩き込まれたので、その延長なのだろう。

最近、妙に納得してしまう出来事が多い…


「この男に会いに行けと。所在地はパリと以外わからん」


そんな投げやりに言われても困ってしまうステラだった。

ブリジットは一枚の紙を差し出した。クリップで小さな写真が止められてあった。


「読め」


「ぁ、あぁ…」


横目で言われると怒られてるみたいだ…


ステラはどもりながらも受け取った。


写真に写っていたのは、茶の短髪で眼鏡、少々痩けている中年男だった。


全くもって覇気がないというか…よどんでいる。寝ていたら、生きているのか死んでいるのかも判らないだろう…


そして、紙の方は男についての経歴類の書類だった。


目を送っていく毎にステラの表情が消えていく…


「確かに厄介だな… 内容が本当ならね…」


書類に眼を落としたまま呟いた。


ブリジットも目を合わせない。化粧台に肘を突いて、ますます不機嫌そうだった。


「その男は一度会ったことがある。内容は本当だ」


「魔術師にして…凄腕の魔殺し、か…」


使い魔や仕え魔以外の、すなわち人に従属しない魔のハンター…


ブリジット達にとっては確かに厄介だ。

魔殺しとしてかなり長いらしい…と言うことは、ヴァンパイアその他はかなり前から認知されていたのだ。


といっても、希少な『魔法の遣い手』達の間だけだが…


「ブリジットととしては、会いたくない、と」


ステラは書類をベッドに放った。


「そうだ。本当に冗談じゃない… 殺され兼ねんよ。もっとも私が殺すのが先になるだろうがな」


恐ろしい笑みがそこにはあった。視線だけで射殺せるとはまさにこのこと。しかし、フンと鼻をならし、元の不機嫌な表情にもどってしまう。


一瞬しか見えなかった顔だが、ステラの心臓が縮み上がるには十分の威力だった。



「あぁ、すまん。少々剥き出しにし過ぎたな…」


どうやら、ワザとではないようだ。深呼吸をし、平常心を呼び戻す。


少しして、やっと動悸は治まった。


「で、どうするの?」


「捜すさ…もちろん。だが、これはステラ宛ての依頼だ。解るな?」


「え゛…何故に…」


かなり驚いた。何で自分に来たのか理由がわからない…

ブリジットがいくら厳しい表情をしようとこの一言で済むわけがない。


「ていうか… その協力者に俺のこと教えたの…!?」


素っ頓狂な声で叫んでしまった。こっちはその協力者の性別すら知らないのに、何だって勝手に…


「まぁ…な。わ、私も手は貸す。だから心配するな!」


完全に話をそらした。


ステラは疑問が解消されないが、深く突っ込まない事にした。

くどくどと説教される気はない。

デリカシーがないだの、気が利かないだの…



「あぁ、それとできれば連れてきて欲しいとのことだ。お前の念願は叶うぞ!」


ブリジットは軽く優しさを込めて言った。


特に念願していたわけでもないが… 会えるなら越したことはないと思うステラ。


しかし、ため息はでる。


「なんだ?」


「別に…じゃあ、情報収集しなきゃ。まずは場所を割らないと」


ステラは立ち上がった。

ブリジットもそれに習う。











二人はホテルの人に部屋の鍵を預け、夜の街に繰り出した。




…といってもだな…どうやって情報を集めるんだろう。

全く考えてなかった。


「今なら酒場やらパブやらが開いているだろう。情報収集は人の集まるところからだ」


ブリジットに促され、何軒かの酒場にはいった。

写真を見せるが…


「むぅ…わからんなぁ」


どれもこれも似たような反応が返ってくるばかりで、情報なんか入らない…


夜だから裏向きな事に詳しい人が多いと思ったのだが…


「あ、裏向き…」


ステラは突然立ち止まり、神妙な顔で呟いた。


「どうした?」


ブリジットが立ち止まり振り返った。


「ブリジット。カジノだ、賭場に行こう」


ほぅ、なるほど。とブリジットは感心した。賭場とは…


大金をかける遊び場。そこには全うな職業じゃない奴もたくさん来る。


裏向きであればあるほど…だ。



運が良ければ本人に会えるかも知れない。









この国では賭博はある程度黙認されているが、あまりに高すぎるレートの賭け事は手入れの対象となってしまう。そんなトンでもなレートで遊戯を提供するのが裏カジノだ。


ブリジットはステラが言ったとたん、師が弟子に向けるような笑顔を浮かべ、突然手を引きここまで連れてきてくれた。



しかしいきなり裏カジノって…


ステラは普通のカジノに行こうと思っていたのだが…まぁ、ここの方が情報はあるだろう…


裏も裏なので、いろんな意味で空気が悪いが…



入ったは良いが、誰もかれも遊んでいて、話しかけずらい…

ブリジットはいつの間にかルーレットを始めていた。


自分の金だから良いけど、すっても貸すつもりは毛頭なかった。


ステラはブリジットに一瞥を投げ、取り敢えずカウンターに行った。


ベットに変えるボーイが張り付いた笑顔をしていた。


「ちょっと良いですか?」


「何でしょうか?」


張り付いた笑顔は剥がれることはない。

気持ちが悪いくらい、満面の笑み。

とても職業スマイルのレベルではなかった。


思いを顔に出さないように気をつけながらステラは話を進める。


「この人…知りませんか? 急に音信不通になっちゃって、捜してるんです」


ステラは例の写真をボーイに渡した。


受け取ったボーイが写真に目を落とした瞬間、とても面白い事が起こった。


スマイルが突如として剥がれ落ちたのだ。険しい表情になっていることに気がついたボーイは、慌てて取り繕うが。全く上手く笑えてない。


右頬が引きつり、顔面筋が面白く歪んでいた。


ステラは笑いをこらえるのに必死だった。腹筋が割れるかと思うほどの衝撃だが、それでも平然を装う。



少しして、やっと笑いが収まったステラは、何事もなかったかのように切り出した。


「知ってるんですね? 良ければ住所かなにか教えて貰えませんか?」


「あんた、何者だ…あの人に音信する奴なんて普通の世界にいるはずが…」


ボーイはもうスマイルを完全に取り払って険しい表情になっていた。一度崩れてしまったので、開き直ったのだろう。こういうところに努めている人は、ポーカーフェイスが上手いもんだが、今回のはあまりにも不意打ちだったのだろう。


「何者って… まぁ、知り合いに人探しを頼まれたってところかな」


「違う。ジャンは…この男は死んだことになっているはずだ。存命を知っているのは一部の人間だけだ

。あんた、遣い手か…?」


「あなたもでしょう」



ステラの答えにボーイはフッと表情を緩めた。


「いいだろう。奥へ…」




ステラは従業員が使う休憩室に通された。


あちこちハゲたソファ…スプリングもイカれている。

小さなテーブルを挟んで、向かい合って座った。


ステラはこの後何をすることになるか、ほとんど予想がついていた。


「ここは賭場だ。わかっているとは思うが…」


ほら来た。


「賭をしよってか…賭事は好きじゃないんだけどな…」


これは本音だ。以前、別の国で正規のカジノで遊んだときは最終的に用意した額を全部持っていかれたのだ。嫌にもなる。



「お金を積まれても教えませよ? カジノは楽しむ場でもありますから」


ボーイはいつの間にかスマイルを張り付けていた。


どうも避けられそうにない…


「わかった…ゲームはワンマッチ。カードでどう?」


「わかりました」


「シャッフルから配布まで俺が行う。イカサマはナシ。あんたも従業員なら、俺のイカサマくらい見破る自信はあるんだろう?」



この言葉にボーイは表情を堅くした。

イカサマする気だったらしい…


一番単純なゲームはイカサマしずらい筈なのだが…

このボーイはかなりの腕らしい…


ステラもステラで、言葉通りに行動する気はない。


ボーイからカードを受け取り、一度広げてみる。そして集め直し、シャッフル…



二つに分け…ショットガン…


その時、ステラの眼が煌めいた。

流れるカードを一瞬凝視する。


カードを一枚ずつ配布し、五枚…


ポーカーだ。



ベットを上乗せするわけではないので、カードの交換は一回きりだ…


ステラの手札は


ハートの8 9

スペードの3

ダイヤの6 Q


全くもって役がない…


「コール」


ボーイはステラに主導権を握らせまいと早速カードを交換した。


ここがステラにとっての賭だった。

相手は1枚カードを変える。


「こっちもコール」


ステラは三枚カードを変えた。


「オープン」


ボーイの手札…


2のフォーカードだった。

イカサマはない…自身の運もかなり強いらしかった。


不敵な笑みを浮かべ、早く開けろと圧力をかけてきた。


ステラに僅かな動揺を見たのだろう。

完全に勝利を確信していた。


やや間が空く…



ステラはニヤッと笑い、手札を開けた。


ハートのQ J 10 9 8…


ストレートフラッシュだった…


ボーイの驚愕の表情はさぞかし見ものだった。


「お前…イカサマを…っ」


「言いがかりはよせよ。そんな隙があったか? あんたはずっと俺の手元を見てたじゃないか」


「でも…三枚カードを変えたって事は、ハートは二枚しかなかったハズだ… どう考えたっておかしいだろう!!」


「仮に俺がイカサマをしたとして、あんたはそれを見破れない程度の腕なのか?」


ボーイは口を噤んでしまう。

ステラには全く怪しい動きはなかった。イカサマする時間もなかったし、カードでのイカサマなら見破れたはずだった。


それに看破リピールにもルールがある。即ち、勝敗が決まる前に指摘をすること。ことが済んだ後に何を言ってもそれは言いがかりだ。


「わかった…約束です。教えましょう」



ステラは思考を冷静にし、先入観を捨てる。言葉を言葉として、情報として受け止める。吟味はあとでいい。今は記憶する事と、虚言を見破ることに集中すれしたばよかった。



「私も所在地は知らないのです。ただ、テュイルリー宮殿の近くに滞在していると聞いています」


偽りは無い…ステラの炯眼が保証する。


「最後に会ったのは?」」


「先月の半ば。此処にこられました。客ではなく友人としてね」


「その時の事、正確に思い出してくれる? 口には出さなくていい」


ステラの言っている意味が分からなかったが、言うとおりにした。


ボーイが眼を閉じ記憶をまさぐり始めると同時に、ステラは霊力を研ぎ澄ました。



ボーイの額に指を当て、指先に清廉な霊力を集中させる。


暖かく、ふんわりとした温感が額を広がる…

それでいて、ピンと張り詰めた静寂…



ステラはスゥっと眼を開き、指先を額から離した。

そのとき、一筋の糸のようなモノがボーイの額から引き抜かれ、それを大切にコンパクトにしまう。


「ありがとう。もういいよ」


ステラの声でボーイは現実に引き戻された。

ただ思い返していただけなのに、いつの間にか夢見心地になっていたのだ。


しばらく、体の感覚が変に感じられる。


ステラはそんなボケッとしたボーイをうっちゃって、休憩室を出た。


空気の悪いカジノの戻り、ブリジットを探すと…

見えない…


居るには居たが…人だかりが出来ていた。それを押し分け入っていくと、ブリジットが不敵な笑みを浮かべ、ルーレット台に座っていた。


ベットを見ると…ほぅ、大勝だ。


最初見たときの、ざっと8倍に膨れ上がっていた。


人だかりの訳もわかるというものだ。


しかしこれ以上続けられても困る。


「ブリジット、そろそろ帰ろう」


そっとブリジットの肩に手を置いた。


「見て、ストラウス! こんなに…」


もの凄い笑顔で振り返るが、ステラの顔をみたとたん、スゥっと引いた。


「ストラウス?って誰さ」


「…―――何でもない。行こうか」



一瞬寂しそうな表情をしたような気がしたが、直ぐに背を向けベットをトレイに乗せ始めたので、分からずじまいだ。



ベットの換金中、支配人は良い顔しなかったがもう来ることもないので気にしない。


戸外の空気はやたらにうまかった。煙草の煙やら薬の煙やらで少々頭痛を催していたのだ。


それがゆっくりと抜けていった。


一旦ホテルに帰る道すがら、ステラは聞いてみた。


「よくあんな大勝できたね」


「ん? ヴァンパイアにかかれば大したことではない。ルーレットと玉の回転速度が人間の40分の1で見えるからな」


「うゎ…」


なんて動体視力してるんだか…

それもある程度コントロールできるらしい。

いつも最大だと疲れるから、だそうだ。

普段は常人程度なのだと。


実はステラも他人の事を言えなかったりする。

カードの時、広げたときにカードの位置をすべて記憶し、ショットガンの時には流れるカード全てが見えていた。


だからこそのストレートフラッシュ。自己の自然能力に依存した勝利なので、まったくもってイカサマではない。記憶することも、シャッフルするカードを見ることも厳密にいえばルール違反ではない。


この非常識コンビにギャンブルをやらせたらいけない…



反則的だ…

魔力を使わせたら、店ごとのまれるに違いない…








一旦ホテルに帰った二人は作戦会議。


何の作戦だかわからないが…


「で、情報は入手したのか?」


ブリジットはベッドに腰掛けた。

一応シングル2つあるので、添い寝はしていない。


ステラも向かいのベッドに座り、上機嫌に笑った。


「もちろんさ。直接の手掛かりじゃないけど、それより遥かに役に立つモノ手に入れた」


ステラはコンパクトを広げて見せた。鏡の中に白い糸のようなモノがある…


「これは?」


「捜し人、ジャン=クリストフ・ティムシットの縁…かな?」


「縁?」


ブリジットは怪訝そうに聞き返した。

縁なるものを具現化したというのか…


「そうだよ。コレさえあれば、ティムシットがある程度近くにいるなら確実にたどり着ける」


ブリジットは半信半疑だったが、ステラが言うのだから好きにさせようと思った。


「まぁいい。今回は私は降りるからな。そいつとは会いたくない」


仰向けに寝転がった。肩だしの胸開けで、さらに隆起しているものが凄いので、目のやり場にこ困る… しかもダイナミックに揺れるもんだからそれはもう…



「何? 赤くなって…」


ブリジットが女性口調になるときはからかっているときだと、この一年で学習した。


それでも艶めかしく色っぽいのは変わらないし、抗うなんて無謀なのだ。


こう言う時は話を逸らすに限る。


「そうは言っても、連れていかなきゃいけないんだから、顔を会わせることになるでしょう」


ブリジットは軽く舌打ちをした。


ステラが面白くない…



「まぁ…そうだが、事前の説明くらいはしてくれるだろう?」


すこし不機嫌になっている。

起き上がったものの、肘を付いて視線を合わせようとしないし、僅かにむくれている気がする。


しかしステラは気にしない。こういう気遣いの無さはわざとだ。

ここで気を遣うとまたからかわれるからね。


「そりゃね。でも、着いては来てよ。少し心細いし…」


まぁ、心をくすぐりはするけども…


案の定、ブリジットは驚いたような視線を向けてきた。

そして、不遜に笑うのだ。


「そうかそうか! お前ひとりじゃダメか! 良いだろう。会わないが外で待っててやる」


仕草は女性のそれなのに、喋り方が男のそれだと…どうも違和感が…


それは一年たっても慣れないものだった。ステラの願望も後押ししているのだろうが。


出逢った当初は分からなかった感情…今はハッキリと掴めていた。


でも、今は伝える気はないし、目の前の面白そうなことが優先なのである。



「で、行き先はどこなんだ?」


女性らしくしてくれといったら、多分、からかわれるか殺されるか、だ。


「テュイルリー宮殿。でも、時間は…」


時計を見ると、22:08。


いつの間にか、かなり時間が経っていたようだ。


空は漆黒を彩り、星も月も見えない曇天。

今、停電になったら闇が街を支配する…


夕陽があったというのに、不自然な空模様… ただの曇天などではなく、どこか…そう…


どこか不穏な空気になる…


何か…良い悪いは別にして、何か起こりそうだ。


「どうした?」


突然、ステラが言葉を紡がなくなり、窓の外を緊迫してながめるものだから、何となく心配になったブリジット。


「…いや、相手に迷惑にならないかなって」


言いはしないが、ステラはブリジットの反応が意外だった。

夜の魔であるヴァンパイア。

ステラよりも夜の変化に敏感そうなのに、気に止めた風もない。


気付いていないのか…

それとも気に止めるほど、対したものではないのか…


ブリジットはステラの内心など知らずにその襟首を掴み、ぼんっという破砕音とともに空へ駆けた。


「うぇ!? ちょ…ブリジット!?」


「安心しろ。場所は知っている」


そうじゃない。目立つ。人が空を生身で飛んでいるのだ。


神秘が神秘ですまないこの御時世、人だかりが出来て、マスコミやらなんやらが…


しかし、その心配はいらなかった。

人が…歩いてすらない。


生き物とは不思議なもので、無意識に空気の変化を感じ取り、いち早く危険から逃れようとする。




この街の人間にもその本能的なモノが働いたのだろう。


今頃家で平穏に過ごしているに違いない。



どうやら、この空気は悪い方向性をもっているらしかった。


それはさて置き、河を一本越えるだけなのに、軍用ヘリすら凌駕しかねない速度で飛行するのは、東京~横浜を新幹線で行くくらい色々と無駄だと思い、同時にその速度は怖かった。


高度も意外とあるので、襟首を掴んでいる手を離されたら…


いや、ステラ自身も短時間なら飛行可能なので問題ないだろうが、気分的に怖いし嫌だった。


そんなこんなを思っている内に、目的のテュイルリー宮殿の少し離れたところにある広場にブリジットは着陸した。


ステラは酷いもので、地上2m位の所で不意に手を離され、見事に尻餅を着いていた。


「着地くらいちゃんとしろ」


ブリジットはステラを呆れた眼差しで見た。

尻をさすりながらステラは反論する。


「いつつ… もう少し優しく降ろしてよ… あんたのせいで尻餅付いたんだよ…」


2mからの尻餅だ。本当に痛かった。


「まだまだ修行が足りんなぁ」


「うるさいなぁ、まったく」


のそのそと立ち上がるステラ。尻だから怪我はしなかったが、やっぱり痛いものは痛い。空は相変わらず月明りも通さない漆黒だ。雲が厚過ぎて、その流れすらも追えない。


「どうした」


空をぼんやりと眺めているように見えたのか、ブリジットが怪訝そうに聞いた。


「いや、なんでもないよ。じゃあ、行こうか」


「いや、私はここに残る。あまり接近しすぎて気取られなくないのでな。ここからはお前ひとりで行け」


有無を言わさない、ブリジットの圧力に、ステラは声を出さずに頷いて広場を出ていった。街灯があるというのに、ふとした瞬間に闇に溶けるステラをブリジットは早々に見失うのだった。



ステラの姿が見えなくなると、ブリジットは大きな溜め息と共に、壁伝いにへたり込んだ。


力が抜け、立てそうにもない。


「やれやれ、やきが回ったか」


気恥ずかしそうに後頭部をポリポリと掻く。


「本当に、なんで私が動揺してるのよ…」


ステラは、ブリジットがからかう時だけ女性口調になると思っているようだが、実際はそれが素なのだ。


そこらの人間の女より女性らしい方なのだ。

本来は…


素で接するというのは、自分を見せること…

ブリジットは未だにステラとの間に一線を引いていた。


それは、悲しい自己防衛でもあった。


信頼していないわけじゃない。ステラもブリジットを信頼しているだろう。


ブリジット自身、壁を作りたいわけではなかった。

だが、やはり出来ない。2人の関係の問題でも、種の問題でもない…


ブリジットの心の問題だった。


2000年以上生きてきたブリジット。その中で人間と友情や愛情を芽生えさせることは少なくなかった。


しかし、それは苦しみにしかならなかった。



寿命の差…


絶対に乗り越えられない壁だった。


どんなに愛を育んでも、どんなに友情を交わしても、人はみな置いていってしまう…


信頼すればするほど、愛すれば愛するほど、苦しみは増すばかりだった。



いつしか、人間と関わらないようになり、関わっても数日単位になるようになった。

だから、その苦を味わうことは暫くはなかったのだ。


しかし今、ステラと約一年間世界を渡り歩き、生活を共にし背を預けてきた。

信頼しない筈がない。友情を感じない筈がない。ずっと…共にありたいと想ってしまった…



「もう、慣れたつもりだったんだけどなぁ…」


涙が目じりにうっすらとたまる。涙が出そうなのに、それでも笑っていた。


自身を見せれば楽になり、更に関係は深まるだろう…


おいて行かれるのにも慣れた。だから、せめてこの時を楽しもうと、本気でそう思っていたはずなのに、何故だか最近、以前にも増して、おいて行かれる恐怖が押し寄せてきている。


想いと、恐怖という感情との板挟み。しかし、それをどうにかすることは今のところで来ていない。何もできないまま、ただ現状を保留しているのだ。


「ストラウス… 私はどうすればいいの。怖いよ、やっぱり…」




楽しげな談笑が建物から漏れ聞こえるなか、静かに涙するブリジット…


それは、かくも美しく、愛おしい少女の姿だった。












広場を出たステラは、建物の陰に入ると一枚のハンカチを取り出し、手のひらに乗せた。

そこにコンパクトに入れた例の縁を落として、手を重ねる。


≪俯瞰せしは ただ幻想の果てに 幻視するは 彼我の理 大空を舞うものは彼方を此方を結びて 幻視を現世に繋ぎ 俯瞰せし幻想を常世に在りし我らに導く―――――――≫




吸い込まれるような静寂の魔力…


ステラのそれは、ハンカチに命を吹き込んだ。


手を開けたとき、舞い上がったのはひとひらの蝶だった。


儚げで、それでも飛んで導いてくれる。

蝶は探し人が近い証。

もっと遠いと鳥とかになる。




人との繋がりを探る魔法。

どの分野にも元素にも当てはまらない。


言うなれば新術だった。


魔法とはイメージ、即ち想いだ。


魔力はそれを発現する燃料で、詠唱は想いを言葉にしイメージをブーストする機関にすぎない。


まぁ、イメージといっても誰も彼もが新術を開発なんて出来るはずもなく…


今ある魔法を扱うので精一杯だ。

それですら訓練が必要なのだから。



ステラは蝶を追い、ゆったりと歩いた。


そして案の定なのか、テュイルリー宮殿へとたどり着てしまった。

建物の前で、操り糸が切れたように、蝶の形をしていたハンカチは、フワリともとの四角い形へと開けて、ステラの手に落ちた。





人気のない宮殿…

かつて、フランス絶対王政最後の国王一家が、民衆によりヴェルサイユから此処パリに連行され、約100年ほったらかしだった、この古びた宮殿に軟禁された場所。


ここの後、修道院に移され、処刑された悲劇の王族。

ルイ16世、マリー・アントワネット。



彼らは此処で何を思い、過ごしたのだろうか…


街灯だけで浮かび上がる小城を前に、ステラは感慨深く見上げた。



月夜ならば…美しさもあったろうに…



城塞は今や鑑賞物で、ステラも例にもれず感傷に浸りかけるが、それを無理矢理打ち切る。今は中に用があるのだから。


普通、一般人は此処には住むなど到底不可能だし、住もうとも思わない。


何が理由なのかも知りたいところだ。


ステラはその眼を好奇心に輝かせ、城門横の通用口をチョイチョイッとピッキングして不法侵入した。



ステラが宮殿に入った瞬間だった。


バタンと扉が閉まる音が闇夜に響き渡り…


そこにあったはずの宮殿は、蜃気楼もかくやというように、揺らめきぼやけて、跡形もなく消え去った…





テュイルリー宮殿…国王一家処刑の後、革命政権の会議場、国民公会として政府の拠点化した。


公安委員会の議場を経て、ロベスピエール処刑後、ナポレオン・ボナパルトが皇帝の宮殿とするまで、そこにあり続けた…



ナポレオン失脚後…

火事によって完全に焼失し、その200年の歴史の幕を閉じた…




今や存在し得ない宮殿なのだった…




街灯に照らされた跡地の庭園と、城塞の後だけが、真実だった…




ステラは紅胡蝶を構え、警戒心を高めていた。

入った瞬間に空気が変わったのだ…


ねっとりと絡みつくような不快感、寒気が止まらない…


―――ステラ…マリスが充満しています…―――


紅胡蝶も警戒する。ステラとは別機関の彼女。ステラの感覚外もカバーする。


「わかってる… 結界だねこれ。外界と完全に切り離されてる」


全盛期と何ら変わらぬ室内。煌びやかで気品溢れるデザイン…


全てがおかしい…

その中をステラはゆっくりと歩む。


霊力で感覚を拡大しながら、階段を登る。


コツ…コツ…コツ…


不気味なまでの静寂のなか、ステラのブーツの音だが響き渡る…



ステラが階段を登りきった時だった。


ブンッという空を切る音が鳴る。


慌てて身を翻し、ソレをかわした。


ステラの感覚にも、紅胡蝶の感覚にすら引っかからなかった相手と対峙する…



しかし、その者が視界に入った瞬間、ステラは愕然とした。

鉄パイプを持ったただのチンピラ風情ではないか…


「ムッシュ・ティムシットに近づくな…」


ほう…護衛と言うわけか…

凄みを効かせているつもりだろうが、ブリジットに比べれば、虫けらも同然の殺気だ。


ステラは無感情な眼で見返す。


「どうやって此処に入った…」


「勝手に入ったのは悪かったよ。ムッシュに会いにきたんだ。怪しい者じゃない」


取り敢えず釈明した。

内心はどうとも感じていない。どうせろくな所じゃないのだ。問答無用でかかってくるだろう。


紅胡蝶だけは、周りにも感覚を巡らしていた。


――ステラ…あと3人、居ます…――


「わかった…」


相手に聞こえないように言葉を交わす…


「何ブツブツ…言ってんだ!!」


物陰に隠れていた3人も加わり、四方から刃物やら鈍器やらを振りかざして突っ込んできた。



「会話する気無いなら、最初から聞くなっつの…」


ステラは面倒くさそうに回避した。素人相手じゃつまらない…


全く無駄のない動きでかわし続ける。ブンブンと耳元で風がなり、うざったい。



「もっとましに動けないのかなぁ… ほらそこ、大振りすぎ」



かのチンピラどもは、戦いの何たるかを全く知らないようだった。

当たり前だが…


命のやり取りを知らない奴は、どうも生きが悪い。

喧嘩か集団暴行くらいしかやったことがないのだろう…


緊迫感がない…


「紅胡蝶、斬って良いかな。本当にうざったい精神的にも肉体的にも」


未だに刀を振らないステラは、一応許可を求めた。


――法やら死体処理やらの面倒に巻き込まれて良いなら、好きにしてください――


紅胡蝶もつまらなさそうに言う。ステラよりも本能的に殺し合いを求めるのが紅胡蝶なのだ。面白い訳がない。恐らく呆れに呆れているのだろう。



ステラもステラで面倒事は勘弁してほしいので、殺しには至らなかった。


「寝てなよ」


チンピラどもの視界からステラが突如消えた。



驚きのあまり動きが止まってしまう。


「あっ…」


と言っている間に、刀の峰で延髄やら肝臓やらを打ち据えて、次の瞬間には泡吹まで吹かせて気絶させてしまった。


色んな骨は砕けたが、死んでないから良いのだ。


「あ…」


今更になって、一人に案内させれば良かったと思うステラであった。


だが、大した問題ではない。お偉方は一番広くて豪華な部屋と相場がきまっている。


その一番広くて豪華な部屋は、たいてい最上階の一番扉がでかい所だ。


因みに此処は二階建て。

後はでかい扉を探せば良かった。




護衛はたったあれだけなのか、全く何事もなく歩ける。


ただ不快感と寒気は拭えなかった。



絨毯が足音を掻き消す。ステラは特に注意をしているわけではないが、コレでは本当に侵入者みたいだ。


廊下をあらかた歩くと…


あった。両開きの一番でかい扉だ。


ノックすべきか…普通はしなければならないのだろうが、何か変なことをされてはたまらない…


不意打ちに限る。まぁ、さっきの騒ぎでバレてるだろうが。


ステラは一瞬躊躇したが、前触れなしに扉を開けた。



中はまさに研究室。魔術師の典型的な工房だった。

黒檀づくりの大きな机、多量の書物…

あちこちに貼られたり、投げ出されている紙類は研究の過程のレポートだろう。



最近では科学を魔法に取り入れたりしているのか、紙の束に埋もれているが妙な機械まである。


希少な遣い手たちの、皆が皆こういう訳ではないだろうが…



機械の前に、写真の男がいた。それでみたより、少し若く見える。


ステラが入ってきたのにやっと気が付き、ゆっくりと振り向いた。


「何だ君は…外の奴らは…」


言葉ではさっきのチンピラの事を気にかけている風だが、目が全くどうでも良さそうだった。


ハナから期待はしていなかったらしい。


「話を聞いてくれないんで、熨しました。命に別状はありません。後遺症はあるかもしれないですケド」


最後のフレーズだけ、やけに楽しそうに言うステラ。



「何者だ…何の用だ?」


一応話は聞いてくれるらしかった。

聞く耳持たなかったら大変だった…


ステラは内心ホッとしながらも、無表情で説明した。


「ある人の依頼で、あなたに会いたいとの事です。出来れば連れてきてほしいと。詳しい事は連れが知っています。ご同行願えますか? ジャン=クリストフ・ティムシットさん」



ジャンは怪しむような視線でステラを見た。

何一つ信用できる要素がない。だが、嘘を言っているふうでもなかった。


さて、どうしたものか…と思案する


「それはともかく、暗がりに居られては顔が見えない」


「あ…」


という声で、ワザとでは無いことは分かった。


声からも、背格好からも随分若いとジャンは推測していたが、暗がりから出てきたのは青年どころか少年で、驚きが隠せなかった。



「すいません。あ、申し送れました。ステラ・フロストハートです」


ステラが友好的に名乗り、手を出した瞬間だった。


ジャンの表情が一変、恐怖がすべてを支配した。


ステラからあとずさり、壁伝いに移動する。脂汗まで見て取れた。


「まさか…そんなはずは…」


「あの…」


「く、来るなっ!!」


ステラが一歩踏み出したら、一気に逃げられてしまった。部屋の反対側の壁に背中を付けて、震える手でナイフを向けてくる。



「今更になって…あれは、俺じゃない…俺じゃないっ!!」


「だから、何の事ですか…」


ステラは本当にわけが分からなかった。一体自分が何に見えているというのか。


ひとまず落ち着かせないと…


「ティムシットさん」


「や、やめろ!! 来るなぁ!!」


何とも無様な姿だ。これが本当に魔殺しなのか…

何も殺せそうにないただの妄想癖のおじさんではないか。


ステラがまた一歩出た瞬間、事は起こった。




ジャンの背後の壁…いや空間が裂け、楕円形に穴が開いた。

その向こう側は真っ赤な霧で奥が見えない。その霧は異様な輝きを放ち、赤を祖体として七色に輝いた。


その霧はジャンにまとわりつくように包み込む。


「あ…あぁ…ぁ……」


怯えていたのが嘘のように急速に表情が落ちていった。


口元が僅かに笑い、ギョロリと目を向けてきた。


「な…」


今度はステラが後ずさる番だった。ジャンの眼は明らかに異様…異常だった。

半分ほど眼球が飛び出し、餓えた猛禽類のような血走っていた。


茶色かった眼は今や赤くなり、瞳孔が縦に裂け、ドクンと脈打つ。腕をダラリと下げ、ユラユラとステラに向かってくる…


ステラははっきりと恐怖した。未だかつて見たことのない現象に、それも圧倒的死のイメージが焼き付いて…


――ステラ…来ますよ――


紅胡蝶の言葉の直後、ティルフの体がブクブクと膨れ上がり、ビチャッと破裂した。


骨らや脳髄やら内臓やらが飛び散り、一気に死臭が立ち込める…


ティルフの中から出てきたのは、一体人間大の入れ物の中にどうしたら入るのかというくらい大きな魔物だった。


ステラの三倍は優に超える、肉の塊のような魔物…


四肢は一応あるようで、ぎこちないながらも二足歩行をする。


生きるのに必要な器官はあるようだが…



こんな魔物…見たことがない…



背から幾本もの触手が生え、腕までも触手。指らしき物はない。


一見イソギンチャクだ…




ゴァアアアアアア―――――――――――――ッ!!!




何とも物々しく禍々しい雄叫びだろう。


体の芯から震撼させるような…

正に殺し合いの合図だった。


左腕の触手が鞭打ってきた。しなり、伸びるので軌道が読みずらい。


ステラは刀で掻っ捌くが…


「うわっ!」


何という破壊力…勢いが殺しきれず、壁に背中から激突した。


「ぐ…つぅ…」


痛みに表情を歪ませながらも、口元は微笑し、冷静に状況判断している。


狭いな…やりずらい…


ステラは床を蹴って、扉まで逃げた。

扉が開かれていたのが幸い、生身の全力疾走でホールまで逃げる。


馬鹿みたいにデカい怪物は、扉が通れないからって廊下ごと破壊しながら追いかけてくる。


それもかなりの速度で、だ。


(スリル満点だ…!)


ステラは狂喜に眼を輝かせ、走る。

心臓が高鳴り、全身が喜びに震える…


「久しぶりに楽しめそうだね、紅胡蝶」


――フフフ、同感です!――


ステラがホールに着いた直後、元ジャン=クリストフな怪物がホール中心に轟音と共に着地した。


ものすごい地響きが城全体を倒壊させんばかりに震わす。あちこちの部屋で、者が割れる音や何かが倒れる音が聞こえた。



そしてただの一瞬のこと… 二人の殺戮嗜好者と怪物が、対峙した…









ブリジットは城跡の庭園に佇んでいた。


彼女にはステラのように真実を見通す特殊な魔眼はない。

何が真実なのかわかりゃしない。


宮殿があったと思ったら、忽然と消滅するし、その瞬間にステラの魔力も消えるし…


気配のないステラは魔力で探知するしかないのに、魔力まで消えたら捜しようがないのだ。


しかし、諦めるわけではない。2000年の経験…此処で生かさなければいつ生かす。


ブリジットは庭園のあらゆるものに注意を配り、僅かな異常も逃すまいとした。


そして一つ見つけた…


「なるほど…コレが支えか…」


庭園の中心部に半分だけ埋まっている、白っぽい球体。直径10cmといったところか…


それは世界の力のカケラだった。

如何にして創り出したのかわからない。いやもとより作ったのではなく、自然の産物なのかもしれない…


だが、兎にも角にもこの玉から世界の意志の力が僅かながら感じられた。


「だとしたらこれは『空想具現化』…いや、『記憶の異界』か… どちらにせよ精霊か神の業だぞ…ありえん…」


いや…とブリジットは頭を振る。ありえるあり得ないは、この際関係ない。


事実としてそこにあるのだから、破ることだけを考えればいい。


『記憶の異界』はその土地の記憶を呼び覚まし、それを異界として具現化するモノ。


異界であるから、入れる人を限定できるし、異界ごと『記憶』の世界に戻してしまう事ができる。


中にいる人をも巻き込み、現実と完全に切り離させる。


通常『記憶』の中で、具現化したものが常にその状態を維持することはない。


そこで、『世界の意志の力』だ。


僅かながら絶大な力。ほとんど方向性のない力であり、維持する支えには充分すぎる代物だ。


『記憶の異界』を『記憶』の中で維持できるのなら、そこは絶対の隠れ家になり、監獄となる。


何人も記憶に介入など出来はしない。とくに自然や空間の記憶などには…


そして、その記憶は当然ながら幻想とは一線を画す代物だった。ステラが気付かずに入ってしまったのも、記憶として完全であり、その瞬間は紛れもなく実体を持った城だったからだ。



「ならば、こっち側に呼び出せばいい」


ブリジットは不敵に微笑み、白い玉に手を置いた。



≪古き世代の縁に寄りて 彼岸へ溶けた遙けき記憶 時の彼方より還らん 緩慢なる風化はそなたに似合わず 輝ける在りし日の栄華を 今再び顕せ――――≫


ブリジットの手から群青の魔法陣が広がり、庭園全体を陣内に収める。


発動の為の祝詞は済んだ。ここからが本番。


魔法陣は徐々に、輝きを増していく。

ブリジットの魔力が、まるで頬を撫でる風のように、優しく、されど膨大に解放されていった。


≪来やれ――――≫


ブリジットが立ち上がり、球体に置いた手を天に振り上げた。世界の意志の力が天高く、静かに吹き上がる。


≪炎は破壊と再生を抱き 流水は浄化と生命を与え 風は全てを過去へと流し 氷結を持って全てを止める 母なる大地にゆられ 安寧たる闇から――――≫



赤 青 橙 水色 緑 紫…


これらの魔法陣がブリジットの詠唱と共に重なり、回転していく…



≪――――何処たらん光の園へ≫


太陽のような強烈な光ではなく、青白く輝く月光…

その魔法陣が最後に重なった。


8元素のうちの7つに呼び掛ける。

それぞれは『記憶』を形成するための大自然の力だ。


たとえ人が造ろうが、自然から外れることは無い。



≪我が祈りに応えよ―――≫


ブリジットがスゥと眼を開く。




記憶の異界(メモリアル・クレイヴ)




あらゆる力は収束を始める。世界の意志の力を中心に…


まるで亡霊が実体化するかのように、再びテュイルリー宮殿が姿を現した。


先ほどと全く変わらない姿で…


「さて…ステラを閉じ込めたからには何かあるな。救出してやるか」


この際、会いたくないとか言ってられない。

ブリジットはその美しい金髪を夜風に靡かせ、テュイルリー宮殿へと入った。




いつの間にか雲が切れ、珍しく黄金色の満月が輝いている。


深き闇と満月…

月光に照らされる、宮殿と庭園…


それはとても幻想的で、ただそこにあるというだけで、別世界だった。









ステラと魔物の戦いは、どういうわけか戦況はごかくだった。


それもそのはず。


斬ろうが裂こうが、その先から尋常ではない速さで再生するのだから…


ビュンッ


触手が鞭打つ。

ステラは流れるような動きで避け、肩口から触手を切り落とす。


骨は無い…筋肉だけのようだ。


不用意に接近し過ぎた。

背中から生える幾本もの触手がステラに襲いかかった。


腕ほど破壊力はないものの、空を切る音が鳴り響くほど速い。

勢いは威力を上げる…このままでは串刺し決定だ。


しかも、前方側方からくるので逃げ場が後ろしかない…

だが、下がったところで勢いで串刺しだ。


やれやれ…


軽く溜め息を吐いて刀を正眼に構え、一歩、二歩と踏み込む。


ステラを串刺しせんと飛来する触手を刀の腹でいなし、その力の方向を変えてやる。いなされた触手は勢いのままに自らに突き刺さる。それでもお構いなしに、次々と触手を放ってくるのは、鈍感だからだろうか。


しかし、ステラはそれをただいなし続け、触手の花が咲くように、ステラの正面から触手が放射状に日rがっていく。その表情には先程みせた狂喜の色はなく、無表情になっていた。


魔物が図体に合わない機敏な動きをし、攻撃の手を休めないと言うのに、全く焦ってもいなければ、楽しそうにもしていない。


訳はすぐにわかる。



――もう良いです。面白くありません――


不平を先に言ったのは紅胡蝶だった。


「そうかい?」


会話の最中も相手の攻撃をかわしたり、斬りつけたりしている余裕がある。


――単調すぎますし、もっとこう…――


「仕方ないでしょ、生身なんだから。魔力使ったらすぐに終わっちゃうし」


――こちらではなく、相手です。再生ばかりで芸がない。ほかにやりようはないのですか――


「知らんよ…」


相手の猛攻とも言うべき連続的な攻撃を会話しながらあしらう。完全に嘗め腐っていた。しかしそれが許されるほど、力の差は厳然たるものだった。



「まぁ、終わらせるんならやるけど…」


―――どうぞ。もう飽きました――


ステラの動きが変わる。ゆっくりと歩いていたそれが、ひゅっという風切音とともに、一瞬で相手の背中を取った。魔力は一切使わずただ己の脚力のみで、だ。


(再生が得意なやつを殺すには…)



「細切れだな…」


≪三ノ刻 鋼弦斬≫


図体がデカいので、素直に細切れにはできない。

紅胡蝶に魔力を通し、ある能力を与える。


白銀の刀身が深紅に輝き、禍々しいオーラを帯びた。


トン…という靴音と共にステラはその場から消え、つぎの瞬間には魔物の正面に立っていた。



魔物は動かない…

体の表面には浅い切り傷が無数にあった。


つぎの瞬間…


バシュウウゥゥ…


膨大な血しぶきを上げ、細切れになって崩れ落ちた…


さすがに細切れで殺されているので、蠢きはするが再生はしなかった。


「いい感じに蝶が舞った…」


自らも紅き蝶にまみれ、クスリと微笑むのは、禍々しく、されど妖艶だった。


紅胡蝶の能力の一つ…

浅い傷を深く貫通させる。ただ、魔力以上に精神に負荷が掛かるため、多様はできない。


二回使ったら、その瞬間にぶっ倒れる。




「また随分とやらかしたな…」


ブリジットが今頃来て、その惨状に感想を付けた。


「血まみれじゃないか…怪我は?」


一応心配してくれているらしい。


――かすり傷一つありませんよ…――


紅胡蝶は憂鬱そうに言った。久しぶりに楽しそうだったのに、期待して損した。


「それにしては派手だが。取り敢えず、顔は拭いておけ。どうも怖い…」


ブリジットは呆れながらハンカチでステラの顔を拭いた。


甲斐甲斐しいものだ。


「んにゅ…自分でやるよ…」


なんか無性に恥ずかしく、ほんのりと紅くなるステラ。


「はい、終わり。ところで奴は?」


ブリジットは血まみれのハンカチを懐へ入れながら聞いた。


ステラは言葉の代わりに、今や本当に肉の塊と化している魔物を指差した。

瞬間、ブリジットの切れ長の目が大きく見開かれた。



「何だと…ティムシットは人間だった筈…」


動揺を隠せない。相手が魔物なら確実に気づいたはずだ。


「さっきなった。何か赤い空間が出てきて、その霧みたいなのに包まれたらこうなった」


ステラは淡々と言う。


魔物は生き物とは構造が違う故、死んだら粒子となって消えるはずだった。

しかし、この魔物は消えない…


明らかに普通ではなかった。


「一体何が…いや、それは後だ。取り敢えず出よう。いつまでも此処を残しておくわけにもいかないからな」


2人はテュイルリー宮殿を出て、ブリジットが『記憶の異界』を解除すると、また何もない庭園にもどった。


月明かりは庭園を浮かび上がらせ、風が静かに流れる…


嫌な空気も消えていた…


本当に嘘のような気持ちのいい庭園だ。



「そういえば…まだ中に人が居たような気がするけど…」


ステラは、口にするもどうでも良さそうだった。


「知らん。自力で何とかするだろう」


ブリジットもまた然り…


(自力では脱出不可だと一番わかっているくせにこれだもんな…)


そんなブリジットにステラは、半笑いな横目でブリジットを見るが、ブリジットはワザとか、無視する…


「はぁ…」


軽く溜め息を吐き、ステラは仕方なしにヴァイオリンを手に取った。



『宵闇の最中の幻想曲 『月夜』』


夜空に響き渡るヴァイオリンの音。それでいて落ち着いた、優しい音楽。


魔力を乗せ、呼び掛ける…


草木、生け垣、花から白い小さな光が上がり、庭園を満たしていく…


薄く光輝き、まるで雪が舞っているようだった。


そんな中、ブリジットが小さく微笑むととても綺麗で…夜の魔でありながら、天使のようだった。


金髪がおそらく後押ししているのだろう。


曲が緩やかに、眠りにつくように終わると、舞い踊っていた光も消えた。


その直後、テュイルリー宮殿があったところが一瞬強く光り、4人のチンピラが意識の無いまま、折り重なって積み上げられていた。


「お前もお人好しだな。まぁ、良いところでもあるが」


ブリジットは呆れたような笑いを浮かべる。


ステラも否定はせず、力無く笑った。


宵闇の最中の幻想曲はステラの作曲だった。ドビュッシー『月の光』やショパン『ノクターン』ベートーヴェン『月光』からインスピレーションを受けて作ったが、夜想曲ノクターンではなく幻想曲ファンタジアなのがステラのこだわりでもある。



本来の用途ではないが、曲に魔力を乗せ土地に呼び掛け、チンピラ達をかえしてもらったのだ。


記憶の中にいつまでも漂っていたなら、いずれは記憶に埋もれて消えてしまう。


ほっときゃいいのに、ステラは本当にお人好しであった。







後から聞いた話だが、ステラは『記憶の異界』も形成できるらしい。


ただ音楽を奏でるだけだそうだが…


これを聞いたブリジットの驚愕の顔と言ったら…


音系統は反則技が多すぎる。このぶんだと『空想具現化』もできそうだ…








セレナーデはついに動き出す


世界はついに動き出す



激しさを増し


悲しみを撒き


切なさを抱く…



それでも


哀しみの小夜曲は


始まったばかりだった…






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