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Vampire Serenade 謀略のブリジット  作者: 湊 奏
第一章 孤高なるヴァンパイア
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第三楽章 逃走心


朝…今日はコンサート当日だ。


ブリジットは寝ている。まぁ、夜行性だから当然か…

でも、今日は来てくれるらしい。昨晩の食事の席で言われたのだ。


ステラはベッドから抜け出し、部屋着から私服に着替える。衣装は学校で着ればいい。


リビングに降りると、アポロが既に朝食を用意していてくれた。


ステラは朝から上機嫌だ。表情が綻んでしまうのが隠せない。

良い笑顔がそこにはあった。


「おはよう。何だか機嫌が良さそうだね」


アポロもそこに突っ込む。いつも表情があまりでないステラだが、今朝は何かを我慢しているように不自然にひくついていた。


「そんな事ない…かな?」


(あ~…ボケボケだっ! ブリジットさんが観に来るのがそんなに嬉しいかっ!!)


ステラが上機嫌になるのと反比例して、アポロの機嫌が悪くなる…


「早く食べなさい。遅刻するよ」


アポロは極力普通にしたつもりだが、言葉に抑揚がなくなっている…


それに気が付かず、美味しそうに朝食を食べるステラ…それを見ていると、なんだか阿呆らしくなってしまう。何着機嫌を悪くしていたのかも、よくわからなくなる。


アポロはステラの隣に座った。その横顔を呆れたように、それでいて慈しみに満ちたまなざしでに眺める。


「美味しい?」


「うん。美味しいよ」


はにかんだ様な笑顔。それを見て、アポロも笑ってしまうのだ。そんな幸せなやり取りが、フロストハート邸のいつもの風景だ。





「そろそろ、時間じゃない?」


おおよそ朝食を平らげたところで、通学の時間近くになっていた。


「あ…そうだね。ごちそうさま」


ステラは鞄を持って立ち上がった。アポロは玄関まで送る。


「行ってらっしゃい、頑張ってね」


アポロは背伸びをして、ステラの頬に軽くキスした。

ボッと赤くなるステラ。耳の良いアポロにはステラの心臓の鼓動が跳ねるのまで聞こえてくる。


「い…行ってきます…」


顔を紅潮させたまま出るステラをアポロは笑顔で見送った。


(本当に可愛いんだから…――――)


優しい風が、屋敷内に入ってくる。銀髪を風になびかせ、ステラの背中が見えなくなるまで見送った。









敷地を出たステラ…


「落ち着け…とりあえず落ち着け…」


自分自身に言い聞かせる。

深呼吸をし、思考を一時停止する…なんとか落ち着けた。


アポロがああいう事をするのは珍しくない。だが、ステラは健全な男子であり、いくら家族とはいえアポロの見た目はうら若き乙女なのだ。


いくら元々が猫とはいえ、姿は美少女なわで…それにキスなんてされれば…心臓の一つや二つ跳ねても何ら不思議ではない。

やはり、ドキッとするものはするのだ。


顔の紅潮が退いたところで、改めて大学を目指すステラ。

バスを乗り継ぎ、約25分。音楽の都最大にして一流音大に到着。


もう時間的に余裕はない。コンサートホールに直行する。






「ステラ、やっと来たか…早く着替えな」


「あぁ…」


クラスメイトのちょっと性格きつめな女子に言われ、舞台袖で急いで着替える。白黒の燕尾服だからそれほど手間ではない。


「入場だよ。早く!」


ステラは促され、列に入った。今回の楽器はフルート。


司会の声と共に入場を開始する。


舞台は暑い…ライトの熱が否応なしに立ち込めている。観客はまだ、満員ではないにしろそれなりにいる。しかし、ブリジットの姿はまだなかった。




それでも、今は関係ない。皆と共に一心不乱に演奏するだけだ。


全員位置についた。司会の紹介がはいる。だが、耳に入ってこない。聴く気もなかった。


始まりの合図だけを見て、指揮者に従えばいい。曲の解説など無意味だ。

良いか悪いかは客が決めること。ステラは、早く観客に聴かせてやりたかった。


この曲が自分の演奏で、どれだけ観客に感動を与えられるのか…



ステラが決め手になることはない。フィルハーモニーの醍醐味はその楽器の数とそこから生み出させる重厚な音色。そして紡がれる物語だ。


ただ一人では決して織りなすことのできない、一曲


「では、お聞き下さい。チャイコフスキーで『花のワルツ』」



指揮者が手を挙げた。


落ち着いた曲調。ステラはイメージしながら演奏する。人間の恋人たちが、不思議の洞窟を潜り抜け、花の妖精が戯れ遊ぶ妖精郷にたどり着くのを。


甘い香りの満ちた世界に入り込んでいくと、妖精たちが徐々に集まり、楽しいお喋り会。花の香りが満ちた美しい異世界。


花びらが舞い踊り、迷い込んだ人間も愉快になる風景。


喜びや快楽、遊び心の合奏。


妖精郷のダンスパーティーは、ヒトも妖精もただ笑いあいながら、花吹雪の中をクルクルと回る。


悪戯好きの妖精は、カップルをからかったりして遊ぶ。それに翻弄される彼を見て彼女は楽しげに声を立てて笑う。





指揮者が最後に勢いよく振り切り、盛大に演奏が終幕した。

最後まで楽しくて、心弾む曲だった。



歓声と喝采の拍手のなかの退場。何せ人が多いので、1グループ一曲までだ。




ステラの次の演奏は午後だ。だが、休む暇はない…クラブ活動は、厳しいのだ…

楽譜を見れば大概は出来てしまうステラだが、合わせるとなると話は違ってくる。協調性は大切にしなければ…


結局、音合わせ、通し演奏、ラストリハーサルと昼食も取れないまま舞台に臨む形になった








午後の部が始まる頃、ブリジットはホールに入っていた。何とも美しい、青いマーメイドドレスの姿で。



人々が振り返るくらいだ。何名から恍惚としている。


中階席に座り、次の演奏を待つ。

入場が始まった。先頭は指揮者、続いてそれぞれの楽器が定位置についた。


最後に入場したのは…ヴァイオリンソロのステラだった。普通なら顔の判別が出来る距離出はないが、ヴァンパイアの視力は伊達ではない。


ステラもこちらに気が付いたようだ。視線が重なった。こちらは見えている、というより気配を感じたのだろう。これだけの人の中、判別できるとは凄い探索能力だ。



「それでは、我が校最大のウィンドオーケストラによるシンフォニー。パッヘルベルで『カノン』です。どうぞ」


司会が引っ込むと同時に指揮者が棒を立てる。


一瞬の静寂…―――――


息の詰まるの緊張は、振り下ろされた指揮棒とともに解放される。



金管楽器から入り、ステラのソロがはいる。

安らぎに満ちた曲調。


ブリジットは眼を閉じて聴き入った。

徐々に力強さを増す。


恋人達が出会い、戯れ遊ぶ。微笑みあい、花園に寝転がる。


空は青く澄んでいて、蝶が近寄ってきた。


それと楽しそうに遊ぶ彼女を見て、とても安らぎを得る彼。


零したような笑顔。倖せと暖かい陽光のなか、二人は満たされていく…


時は流れ、二人は輝ける晴天の下、ホワイトチャペルにて愛を誓う。


そして授かる、二人の愛の結晶。早く出ておいで、家族になろう…


生まれてきてくれてありがとう、ずっと一緒にいようね…


慈しみに満ちた想いと、幸福。


夫婦の愛は、お互いのものから子供へ… そして家族へ…


子供の成長は速く、たくさんの思い出と笑顔、喜びを二人に与えてくれる。


そしてその子供もいつの日か大人になり、恋をして、愛を知るだろう。


そのころには年老いた二人は、あの頃よりも深い深い愛で結ばれ、寄り添い、添い遂げるだろう。


それは、恋人たちの記憶であり、家族の思い出であり、夫婦の幸福な人生そのものだ…




聴いているだけで、イメージが流れ込んできた。ステラがソロを務めるだけで、観客を曲の世界に誘ってしまった。


殆どの観客は拍手も忘れ、恍惚していた。感動して声もでない様子…


しばらくして、パラパラと拍手が起こり、ドーッと湧いた。


恐らく、今までで一番凄かったのだろう。


退場した後も、しばらく歓声や拍手が鳴り止まなかった。



ブリジットも素晴らしいと想っていたが…それ以上に他の思考が脳を占めていた。ステラはいったい何者だ、と。



いくら何でも、おかしい。どんなに技量があっても、観客の殆どにイメージを見せるなど有り得ない。


感受性が高い者だけならまだしも…


そこにステラが来たので、その考えは中断させられた。


「どうだった?」


「ああ、素晴らしかったよ。情景が目に浮かぶとは初めてだ。しかし、何か異常ではないか? 観客の殆どが…」


流石はブリジット。全く遠慮がない。普通の人はストレートには聞けない。


ステラは事情を説明した。

ブリジットはある程度は納得したようだが…


(魔力を使わないで、ここまでとは。とんだ怪物がいたものだ…)



「後は、最後まで俺はでない。ゆっくり楽しんで」


ステラは遅い昼食をとりに消えた。


ブリジットはその後も演奏を聴いていたが、カノンに勝る演奏はなかった。


他の観客もそう思っているようで、なかなか盛り上がらなかった。









時間も経ち、最後となった。


舞台袖では、ステラとレティが話していた。


「うっかり、魔力使ったらシャレにならないからな…」


「うん、気を付けよう…」


今回はかなり気疲れするかもしれない。


司会の合図で二人は舞台に立った。


言うまでもなく、ブリジットは息を呑んだわけだ。


ステラは司会が話し始める前に、むんずとマイクを奪った。


「ご来場の皆さまに申し上げます。今回の演奏する曲では絶対に、眼を閉じイメージを働かせようとしないでください。大変危険です。戻れなくなっても、責任はとれません」



客席がざわめいた。当然だ。訳の分からない注意が入ったのだから。


「それでは、お聞きください。日本人の歌手、ユミ・マツトウヤの曲。『やさしさに包まれたなら』」



マイクを司会に返して、ステラはピアノに着く。


純白のグランドピアノは、音を響かせるために天蓋を開け放つ。ピアノの内部には、意匠が描いた咲き誇る花…


ステラの依頼で、これになった。


レティはマイクの前に立つ。ステラはレティに目配せをする。

想いきり歌え、と。



伴奏がはじまりる。レティが歌い出す。


恐らく、過去に原曲を聞いたことがある者は違和感を覚えただろう。


ゆっくりとした入りはとろけるように。本物よりも高く、響く音階で…


始まる天使の歌声と最高の技量により織りなされた歌は、瞬く間に観客を飲み込んだ。


一音が心に落ちていく。響く和音は、恵みの雨のように降り注ぐ。


しずくが一滴落ちるかのよう… 澄んだ歌声が響き渡る。まるで羽毛で包まれているようだ…



小さな頃の夢があった感覚を思い出させられた。何もかもが、日々が楽しく、いつも新しい発見があり、カラフル世界は美しくて、新鮮で、ユメがあった日々を…



コンサートが終わったあと、アンケートには殆どの客が最後の曲に入れていた。みな恍惚状態で、涙を流す者まっいたらしい。



注意の成果があり、みな無事だった。過去の思い出の世界に取り込まれた客は居なかったようで、ステラは人知れずほっと息を吐いて、安心した…








ブリジットは校舎をでて、校門へ向かっていた。陽も暮れようとしている。

ステラに挨拶もしないで帰ってしまう。それには、それなりの理由があるのだが。



そう…一番は…


その先は考えないことにした。ブリジットには関係ないこと。ステラが、どんな気持ちで演奏していたか…なんて、関係ない…



この後は仕事の時間だ。この街のどこかにあるモノが有る。

レティに案内してもらい、破壊する…


それで、この街にも用はなくなる。


「一時限りの夢か…ユメのような現か…」


どちらにせよ、今までと違い、ここには思い出を残して行けるだろう。


ブリジットはコンサートホールを振り返る。オレンジ色に輝く窓ガラス。

去り行く人々。ざわめき、風、思い出…



「さらばだ、ステラ…」


独り呟いた。もう逢うこともないだろう。君と過ごした時は、楽しかった、と



ブリジットは、振り返ることなく人混みの中へと、消えていった。


その背中は、孤高なるヴァンパイアのそれだった…




物語は動き出す


日常を捨て、逃げ出すために


非日常に入るために…


主人公は…哀しみから逃げるために

波乱を求めるために


非日常に向かって


駆け出した



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